第6話 祈りの奇跡
「はぁ……はぁ……はぁっ……!」
足がもつれ、何度も転びそうになりながら逃げ続ける愛里。
膝に擦り傷ができ、ブレザーの肘が破れていた。
草原に入ってどのくらい走ったか分からない。
とにかく走れと言われたから、走った。
前方の空間が歪んだ。
音もなく、蓮が目の前に立っていた。
「そんなに逃げ惑っても、無意味だ。俺の感知は事象の波長を追跡する。お前が地球の裏側に行っても、宇宙の果てに逃げても、見つける」
蓮は杖を構えた。
その顔に、感情はない。
「次はお前の番だ。あいつらと同じように、歴史から退場してもらう」
「え……」
愛里は絶望に顔を歪めた。
あの二人は、確かに「任せろ」と言った。
だから信じて逃げた。
なのに。
「負けちゃったの……?勝ってよ……頑張ったじゃん……あの人たち……」
『事象干渉:追尾型凍結弾』
鋭利な氷の散弾が、意思を持っているかのように愛里へ向かって飛来する。
「きゃああああっ!」
愛里は悲鳴を上げながら、無我夢中で地面を転がった。
泥まみれになり膝が草で切れ、それでも身体が勝手に動いて、間一髪で氷の弾丸を躱す。
「ほう。反射だけで避けるか。面白い。」
「――だが、次は確実だ」
蓮が再び杖を構えようとした、その時。
(……違う)
彼女は咄嗟に手を引っ込めた。
(使っちゃ駄目だ。また、あんな目で見られる。また、化け物扱いされる)
愛里の脳裏に、幼い日の記憶がフラッシュバックした。
小学生の頃、クラスの友達が転びそうになった時、無意識に力を使って「転ばない未来」に変えてしまった。
友達は転ばずに済んだが、顔色が変わった。
「なんかした?」と聞いてきた友達の目が、翌日から変わっていた。
中学生の頃、運動会のリレーで転びながらもチームが勝てるよう、こっそり力を使った。
勝てたが、あの感触が気持ち悪かったと後から言われた。
結果として待っていたのは、周囲からの気味悪がる視線、陰惨な虐め、そして徹底した孤独だった。
高校に入ってからは、絶対に使わないと誓った。
誰の運命にも干渉しない。
何があっても、ただの普通の女子高生として生きると。
(だから、使えない。使っちゃ駄目だ。使えば――)
手が震えた。
発動しかけた力が、恐怖に押し戻される。
何も起きなかった。
「怯えているか」
蓮が淡々と言った。
「まあいい。次の一撃で終わらせる」
『事象干渉:空間縫合』
空間がパチンと音を立てて折り畳まれ、愛里の左腕をかすめた。
「っあ……!」
腕から血が滲む。思ったより深い。
愛里はその痛みに、目を閉じた。
閉じた目の裏に、映像が浮かんだ。
焚き火の横で夜空を見上げていた、あの横顔。
あの静けさが、ずっと引っかかっていた。
昨夜の焚き火が思い出された。
並んで炎を見ていた、あの時間。
隣に座っていた陰陽師の横顔。夜空を見上げながら、静かに笑っていた。
『貴方が持つ力は、貴方を化け物にするものじゃない。貴方が誰かのために本気になった時にだけ、輝くものです』
あれは、未来が見えていたから言った言葉だったのかもしれない。
自分が死ぬと分かっていたから、直接、伝えておきたかった言葉だったのかもしれない。
地面に刀を置いて、深く頭を下げた侍の姿。
『俺にはどうしても討たなきゃならない敵がいるんだ。そのためなら、武士の矜持など、いくらでも捨てる』
あの人たちは、誇りを捨ててまで、頭を下げてまで、愛里に頼んできた。
(あの二人は、私のために戦ってくれたのに)
愛里はゆっくりと、立ち上がった。
膝が笑っていた。
手が震えていた。
傷口から血が滲んでいた。
それでも、立った。
「……また化け物扱いされるかもしれない」
小さな声だった。自分に言い聞かせるような声だった。
「また、怖い目で見られるかもしれない。それでも……」
愛里の瞳に、かつてないほど強い光が宿る。
「過去のトラウマに怯えて、自分が傷つくのが嫌だからって……あの人たちの命を、無駄にしていいの、私は……!」
違う、と、何かが言った。
心の奥の、一番深いところで。
「私が……私たちが、絶対に勝つ!!」
彼女が叫んだ瞬間。
世界から一切の「音」が消えた。
愛里の全身から眩い黄金色のオーラが噴出し、彼女の周囲の「理」そのものが書き換えられていく。
草が光に濡れ、朝霧が金色に溶けていった。
「……ッ?!」
蓮が初めて目を見開いた。
「概念上書きだと……!?馬鹿な、魔法ですらないぞ!」
蓮は焦燥に駆られ、大技を放った。
『事象干渉:空間断裂!』
だが、愛里を切り裂くはずの空間の歪みは、彼女の数メートル手前でガラスのようにパリンと砕け散った。
「いってぇなぁ!!私たちが負けることなんてありえないんだよ!!」
怒り心頭の愛里を前に、蓮は初めて冷や汗を流した。
(物理干渉でも魔術でもない。過程を無視して、結果を「勝利」に固定する。勝利という事象そのものを確定させる権能……これは反則だ)
(……これ以上の攻撃は、俺の魔力炉心が持たない。それに、この『勝利確定』の事象を力技で相殺しようとすれば、局所的な時空の矛盾が発生して、この時代ごと崩壊する……!)
蓮はギリッと奥歯を噛み締めた。
「……殺すことは、不可能か」
彼は短く息を吐いた。
「ならば一つ方法がある。お前の座標を、この一六〇〇年から元の時代へ強制送還すれば、少なくともこの時代の歴史は守られる」
蓮が杖を振りかざし、術式を展開する。愛里の足元に、光を飲み込む深い穴が開いた。
「じゃあな。お前が帰った後のことは、俺が処理する」
その声に、なぜか少しだけ疲労が混じっていた。
愛里の意識は、再び深い闇へと落ちていった。
ここまで読んでくださり、圧倒的感謝です…!本当にありがとうございます!
面白かった、ここがツッコミどころだ等々、皆様からの感想をドシドシお待ちしております!
ちなみに名前の通り『語彙力皆無マン』がお送りしておりますので、語彙力の無さはデフォルト仕様です。どうかご容赦くださいませ…!次話も頑張ります!




