第5話 蹂躙、そして死闘の果てに
「なんだ。お前が歴史を歪める原因か。」
蓮は小さく息を吐いた。
まるで計算が合った時に出る、機械的な確認の音のように。
「……申し訳ないが、ここで消去させてもらう」
「え?」
愛里の脳が事態を処理するより早く、蓮は杖を振るった。
『事象干渉:氷結槍』
空間の座標が強制的に書き換えられ、大気中の水分が一瞬で幾千もの硬質な氷の槍へと変貌し、愛里の心臓めがけて射出される。
「愛里!」
風雅が横から飛び込み、刀の腹で氷の槍を弾き飛ばす。
凄まじい衝撃に風雅の身体が吹き飛び、地面を激しく転がった。
「山口様!走って!振り返らないで!」
紬が懐から和紙の形代を無数にばら撒きながら叫んだ。
風に舞い散った紙片が泥を吸い、膨れ上がり、人の形へと変わっていく。
「黄泉の戸を開き、土塊に魂を呼び覚ませ――『人形劇』!」
和紙が泥を巻き上げ、数メートルを超える巨大な土人形となる。
「え、でも私……!」
足がすくんで動けない愛里に、風雅が血の混じった息で怒鳴った。
「いいから走れ!! 信じろ!!」
その怒声が、愛里の足を動かした。
だが愛里が三歩踏み出したその瞬間、蓮の杖が彼女へと向いた。
『事象干渉:座標固定』
愛里の足が、見えない力に縫い留められる。
「え、動けない……!?」
「お前を逃がす気など、最初からない」
蓮が杖の照準を愛里の額に合わせた。
次の瞬間、紬が愛里の前に飛び込んでいた。
両手を広げ、身体全体で立ち塞がるように。
――『護符:天地返し』
紬の着物の袖から無数の金色の護符が舞い散り、愛里の周囲に光の薄膜を張った。
蓮の技が炸裂し、光の薄膜が爆発的な衝撃を吸収して砕ける。
その余波が紬を吹き飛ばし、彼女は草原を数メートル転がった。
「お姉さん!!」
愛里が叫ぶ。
「大丈夫です……!」
紬は膝をついたまま顔を上げ、愛里を見た。
「今のうちに――走ってください!!」
「でも……!」
「山口様!」
紬の声が、いつもより強かった。
静かな人が、本当に怒った時の声だった。
「お願いです。走ってください」
風雅が愛里の腕を掴み、強引に引いた。
「行くぞ……!!」
「でも、紬さんが……!」
「あいつは陰陽師だ。俺たちが信じなくてどうする!!」
その言葉に、愛里はもう一度だけ紬の顔を見た。
紬は立ち上がりながら、小さく頷いた。大丈夫だ、という顔だった。
昨夜の焚き火の横で、夜空を見上げていた、あの顔と同じだった。
愛里は駆け出した。振り返らなかった。
背後で、土人形が地響きを立てて動く音がした。
「ほう」
蓮は迫り来る土人形を眺め、わずかに目を細めた。
「旧時代の魔術か。生きた術式だ。趣はある」
だが彼はそれ以上何も言わず、杖を小さく横に振った。
『空間概念:位相切断』
土人形の足が、根元からきれいに切り離された。
根こそぎ、概念ごと「そこに足がある」という事実を消去したように。
もがく土人形を見下ろしながら、蓮は退屈そうに続けた。
「どうした。もう終わりか」
「……終わりではありません」
紬の声は、静かだった。
震えていたが、折れていなかった。
『三面招神・鬼火連』
紬が新たな印を結ぶと、草原のあちこちで青白い鬼火が灯った。一つ、二つ、十、二十――無数の炎が空中に浮かび、蓮を取り囲む。
「式神の類か」
「違います」
紬は静かに答えた。
「この地で死んだ者たちの、未練です」
青白い炎が一斉に蓮へと向かって飛びかかる。
ただの炎ではなかった。
概念の塊だ。
恨みと悲しみと未練が凝縮した、霊的な爆発。
「くっ……!」
蓮は障壁を張るが、霊的干渉は物理障壁と相性が悪い。
いくつかの炎が障壁をすり抜け、彼の外套を焦がした。
「……面白い発想だ。事象干渉は防げても、概念干渉には別の処理が必要になる」
蓮は空いた手で即席の術式を組み、霊的な周波数に対応した障壁を張り直した。
「だが、一回使えば対応できる。次は通さない」
「分かっています」
紬は両膝をついていた。
鬼火の術は、代償に霊力を大量に消費する。
手先が痺れていた。息が荒かった。
「でも、貴方の注意を引けたなら、十分です」
直後、風雅が蓮の背後から斬り込んだ。
紬が囮を引き受けていた間に、風雅は迂回して間合いを詰めていたのだ。
しかし蓮は振り返りもせず、わずかに身を傾けた。
刃が空を斬る。
「陰陽師との連携か。旧時代の組み合わせにしては、なかなかやる」
蓮は風雅を一瞥し、つまらなそうに言った。
「だが、二度同じ手は通じない」
風雅は間合いを取り、蓮を正面に据える。
紬が残った霊力を振り絞り、次の術の印を結び始めた。
「急々如律令――砕けた土よ、刃となれ!」
紬が叫び、破壊された土人形の破片が鋭い泥の刃となって全方位から蓮を襲う。
しかし、それらはすべて、蓮の数センチ手前で見えない壁に阻まれ、乾いた音を立てて崩れ落ちた。
「面白かった」
蓮の声から、遊戯の熱がスッと引いた。
「本当に、面白かった。だが――」
「……俺の仕事は鑑賞じゃない」
彼が杖の石突きを地面に突き立てた。
『局地事象:熱量飽和』
杖の先端から、爆発的な超高熱のプラズマが螺旋を描いて放たれる。
土人形たちは一瞬でドロドロに融解し、その熱波が容赦なく草原一帯を舐め尽くした。
紬は最後の護符を盾のように翳した。
だが今の彼女に残った霊力では、それを完全には防げなかった。
「がっ……っ!」
熱波が紬の身体を貫いた。装束が焼け焦げ、肌に熱傷の痕が走る。彼女は草原に崩れ落ちた。
「紬!!」
風雅が駆け寄り、その身体を抱き寄せる。
腕の中の体が軽い。
あまりにも、軽い。
紬は薄れゆく意識の中で、ゆっくりと目を開けた。
「……鬼龍院様」
「喋るな……!まだ死ぬな……!」
「鬼龍院様」
紬の声は、かすれていた。それでも言葉は、はっきりしていた。
「仇を、討ってください。……私が視てきた未来の中で、貴方が剣を置いた未来だけは、一度も見えなかった。どんな最悪の未来でも、貴方は必ず、最後まで刀を握っていた」
彼女は小さく息を吐いた。
「だから……やめないでください。誰のためでなくていい。貴方自身のために、最後まで」
「そんなこと――」
「だって」
言葉を遮るように紬は笑った。
泥と血と涙の中で、それでも笑っていた。
「私は、もう間に合いませんから」
「……うるさい。そんな顔で笑うな」
風雅の声が、珍しく割れた。
「笑うなと言っている……!」
「鬼龍院様は」
紬の声は、もうほとんど息だけだった。
「怒る顔も、します、ね……」
彼女の指が、わずかに動いた。
風雅の顔に触れようとするように。
「……よかった。ずっと――」
紬の瞳から光が消えた。
手が、力なく地面に落ちた。
蓮はその光景を見ていた。
一秒か、二秒か。
彼の中で、何かが静止した。
死に際に、他者の未来を案じる。
自分が灰になりながら、残される者へ言葉を残す。
そういう人間を、蓮はいつの間にか見なくなっていた。
三〇九五年に、そういう人間はいなかった。
みんな、自分のことしか考えていなかった。
蓮自身も含めて。
なぜ、この女は笑えるのか。
ほんの一秒の、思考の揺らぎ。
しかし蓮は即座にそれを押し潰した。
感傷は誤差だ。任務に戻れ。
「綾小路蓮!!!!!」
風雅の怒りが臨界に達した。
愛刀を両手で構え、全力の踏み込みで蓮の間合いへと消える。
蓮は杖を軽く横に払った。
『事象干渉:空間反発』
風雅の踏み込みが見えない壁に阻まれ、身体が弾き飛ばされる。
地面を転がり、草を巻き上げて止まった。
「無駄だ。俺の障壁は、お前の斬撃程度では――」
だが風雅はすでに立ち上がっていた。
蓮が言い終わる前に、二度目の踏み込み。
今度は角度を変え、障壁の側面を狙う。
蓮は再び杖を振るった。
『事象干渉:空間反発』
弾き飛ばされる。
また立ち上がる。
三度目。
今度は低く、より速く、地面を這うように。
しかし蓮の障壁はそれすら読んでいた。
刃は弾かれ、火花だけが散る。
「……ッ」
風雅の腕が痺れる。
弾くたびに衝撃が返ってくる。
「感情で速度が上がるのか、この時代の人間は」
『事象干渉:空間反発・連射』
今度は一発ではなかった。
見えない衝撃が連続で風雅を叩き、右へ、左へ、上へと弾き続ける。
まるで玩具のように。
風雅は草原を何度も転がり、それでも毎回立ち上がった。
膝が血で滲んでいた。
息が荒かった。
それでも立ち上がった。
蓮はその光景を、無表情で眺めていた。
「……しつこいな」
それは感心でも侮蔑でもなかった。
ただの事実の確認だった。
風雅が再び間合いを詰める。
今度は刀を鞘に戻していた。
居合の構えだ。
蓮は杖を構えた。
弾けばいい。
また転がる。
それだけだ。
だが、風雅の踏み込みは来なかった。
来ない。来ない。
静止している。
(……なんだ)
蓮は一瞬だけ、判断が遅れた。
その一瞬に、風雅の身体が消えた。
『新陰流――烈風刃!』
圧縮された暴風の刃が、蓮の死角から叩きつけられる。
蓮は一歩だけ横に動いた。
それだけで、暴風の刃は空を裂いて消えた。
「……反応できるのか」
風雅の声に、初めて動揺が滲んだ。
「死角から撃ったはずだ」
「お前の剣には癖がある。踏み込みの角度で、技の軌道が読める」
蓮は淡々と答えた。
傷一つない。
息一つ乱れていない。
蓮は指を鳴らした。
傍らの空間がぐにゃりと歪み、異空間から漆黒の刀身を持つ日本刀が実体化する。
蓮はそれを無造作に掴み取り、だらりと下げた。
「お前の得意な土俵で戦ってやるよ」
剣戟が始まった。
風雅が斬り込む。
蓮が黒刀で受け流す。
火花が散った。
また斬り込む。
また受け流される。
三合、四合、五合。
風雅の刃は一度も蓮に届かない。
受け流されるたびに衝撃が腕に返り、じわじわと体力を奪っていく。
「遅いな。力任せに振れば当たると思っているのか」
「……ッ」
風雅は舌を噛んだ。
分かっている。
正面から押し切れる相手じゃない。
だが、紬はもういない。
連携もない。
一人でこの化け物を斬る方法が、どこかにあるはずだ。
蓮はあくまで捌くだけで、反撃しない。
まるで、風雅の動きを観察しているように。
(そうか……こいつは俺のことを、まだ測り切れていない)
風雅は一歩引いた。
刀を下げ、息を整える。
蓮は動かない。
待っている。
全てを、この一撃に賭けた。
『新陰流 居合 奥義――無風ノ陣・空鏡!!』
周囲の「風」を完全に止めた。
それは範囲内の空気が水面のような静寂に固定され、敵がわずかでも動けば生じる微細な波紋を感知して、その空間ごと自動で切り裂く、絶対迎撃の剣術。
蓮は障壁を張ろうとした。
しかし「風が止まった空間」では、障壁の展開すら波紋として感知される。
蓮がわずかに動いた瞬間、その波紋を捉えた風雅の刀が神速で迸り――
――蓮の右腕を、肩口から斬り飛ばした。
腕が草原に落ちた。
蓮は声を出さなかった。
ただ、自分の右肩から先がなくなっている事実を、数秒間、眺めていた。
それから、しゃがんで腕を拾い上げた。
「……俺の結界を破ったのは、お前が初めてだ」
断面に断面を合わせる。
淡い光が走り、肉が繋がり、骨が戻り、皮膚が閉じる。
十秒もかからなかった。
「三〇九五年から二十三の時代を渡ってきて、初めてだ」
蓮は繋がった右腕の指をゆっくり開いたり閉じたりした。
それから、初めて風雅を正面から見た。
弾き飛ばすべき障害として、ではなく。
「……やるな、旧時代の剣士」
「腕を斬り飛ばして、その台詞か」
風雅の声は荒かった。
全力を使い切った後の、ぎりぎりの声だ。
「腕の一本くらい、どうということはない」
蓮は肩をゆっくりと回した。
完全に戻っている。
「だが」
蓮の全身から、これまでとは次元の違うエネルギーが滲み出してくる。
大気が震えた。
草が根元から枯れ。
遠くの木々が、圧に耐えられず傾いた。
「お遊びはここまでだ」
『特異点発生:超新星爆発』
炸裂する純白の光。
風雅の姿は純白の無の中に飲まれた。
絶叫すら上げる暇もなく、音も、叫びも、何一つ残さずに――
光が収まった時、そこに風雅の姿はなかった。
ただ、焼け焦げた地面と、彼の刀だけが残されていた。
ここまで読んでくださり、圧倒的感謝です…!本当にありがとうございます!
面白かった、ここがツッコミどころだ等々、皆様からの感想をドシドシお待ちしております!
ちなみに名前の通り『語彙力皆無マン』がお送りしておりますので、語彙力の無さはデフォルト仕様です。どうかご容赦くださいませ…!次話も頑張ります!




