第三十話◇恋が動いた日。〜伊集院桜子視点
◇◇伊集院桜子視点
(今日は、息を切らさずに3キロ走れましたわっ!)
──合宿に来てから一週間が経ちました。
慶一郎様とは朝とランチ、そして反省会の時間にしかお会いできませんが、毎日会えるこの生活に私は喜びを噛み締めておりました。
ただ、唯一戸惑っているのは──。
「桜子ちゃん。この飴食べる? 受験期は目を酷使するから、アントシアニンを摂った方がいいよ。」
何故かまるで当然かのように、毎日隣に座ってくる天宮さんです。
「頂きます。…どうもありがとうございます。」
私は断るのも気が引けて御礼を言うと、飴を口に入れます。
(あ…、美味しいですわ。)
ブルーベリーの飴は甘酸っぱくてどこか優しい味がしました。
すると、先生が入室してきました。
「──今日は赤本の問題を抜粋して演習していこうと思う。今からプリントを配るのでまずは解いて欲しい。」
配られたプリントは、先日買った赤本にも載っていた問題でした。
帝都大学の国語の問題は、シンプルに文中にある文章を抜粋して答える問題か、自分で筆者が何を言いたいのかを補って答える問題か──どちらか見極める必要があります。
「──それじゃ、伊集院。この問題の答えはなんだ?」
先生に当てられたので答えると、天宮さんが隣で目を丸くしていました。
10分休みになると、天宮さんが話しかけてきました。
「…さっきの問題、よく分かったね。ねえ、これはどうやって解くのがいいと思う?」
「──うーんと、こうですかね。」
私が答えると、天宮さんが口元を綻ばせます。
「…凄い!──桜子ちゃんって、可愛いだけじゃなくて、頭もいいんだな。この問題、解答見てもイマイチ分からなくてさ。今の説明、すっごい分かり易かった!!」
そう言われて思わず赤面してしまいます。
「──そんな。でも、分かり易いって言って頂けるのは嬉しいです。」
すると、天宮さんが面白そうに私の顔を覗き込んできます。
「…へえ。照れるとそんな顔するんだ。これは財前君が夢中になるのもわかる気がするな。」
そう言われて、思わず顔を上げてしまいます。
「──っ、」
天宮さんは、冗談のように笑っているのに、目だけは真剣でした。
「──ねえ。十二歳で婚約したって言ってたよね?でも、親に決められた相手って事だろ?どちらかに他に好きな人が出来たらしたら、どうするの?」
一方、そんな事、考えた事もなかった私は思わず目を見開いてしまいます。
「…え。」
すると、天宮さんが目を細めます。
「──ふふっ。考えたこともなかった…って感じかな。桜子ちゃんらしいね。」
そう言われて、何故か私の胸はザワザワと騒めいてしまいます。
(…どちらかに、好きな人が、出来る? 私に向けるような優しげな目を、慶一郎様が他の女性に向ける…ということ?)
私はそんな事を考えてしまい、口元を思わず抑えてしまいます。
「…おーい、桜子ちゃん。眉間に皺、寄ってるよ?
なんかごめんね?」
「いえ…。」
私は今頭に過った嫌な光景がどうか、現実になりませんように…と祈ってしまいました。
◇◇
(慶一郎様…!!)
お昼休みになり、遠目に慶一郎様の姿を見かけて駆け寄ろうとしたその時です。
「ねえっ、見てあの人!超カッコよくない?!」
違うクラスの女の子達がそんな事を話しているのが聞こえてしまいました。
「──財前君って言うらしいよ!!帝大志望らしい。」
「えー!!あの見た目で?!超優良物件じゃん!!」
その言葉に思わずギュッと拳を握り締めてしまいます。
すると、振り返った慶一郎様を見て、女の子達がキャーキャー色めき立ちます。
「…え!!こっちくる!!」
「私の方見た!!」
その言葉に背中に嫌な汗が伝います。
──すると。
「桜子さんっ!!こちらに席を取りました。」
そう言って前にいる女の子達を避けて、私の手を握り締めました。
(…あ。)
目の前には優しく微笑む慶一郎様のお顔がありました。
その瞬間、胸を締め付けていた不安が、まるで嘘のように溶けていきました。
「なーんだ。彼女持ちかー。」
「そりゃそうだよね。ていうか、彼女も超可愛いし。」
そんな声が聞こえて少しだけホッとしながら、満面の笑みを返します。
「──ありがとうございますっ!行きましょうっ。」
私がギュッと慶一郎様の手を握り返すと、彼が口元を綻ばせました。
「…今日の桜子さんはご機嫌ですね。今日のお昼は豚汁と鮭の定食らしいです。」
「まあ、楽しみですわ。」
言いながら、私が慶一郎様の顔をジッと見ると、彼の顔がジワジワと赤くなりました。
「──っ、何ですか?」
「…私以外の女の子の事を好きになったらダメですよ?」
冗談めかしてそう言うと、慶一郎様は目を丸くした後、真顔でこんな事を言いました。
「──そんな事ありえません。だって、桜子さんより、可愛い女子なんてこの世に存在しませんから。」
その言葉に思わず私は息をするのを忘れてしまいました。
「え…。」
「いや、女子というカテゴリだけではなく、霊長類、いや、哺乳類という括りで見ても、貴女より可愛い存在なんてこの世に存在しません。
──桜子さんはこの世に生み出された奇跡のような存在ですから!!」
するといつの間にか隣に座っていた四之宮さんが溜息を吐きました。その横には笑いを堪えた朱里さんが座っています。
「──財前。婚約者に愛を囁くのは微笑ましい事だが、皆見てるぞ?」
そう言われて周りを慌てて見渡すと、生暖かい視線で注目されていました。
「──すまん。」
「…そういえば朱里さんと、四之宮さんは一緒にいらっしゃったんですか?」
私の言葉に朱里さんが何故か顔を赤らめます。
「うん…。ちょっとね。」
(…何かあったんでしょうか。)
すると、宮西さんと和田さんがお茶を持って戻ってまいりました。
「あー!!四之宮!しれっと城之内さんの隣に座ってるし!」
「本当だ!ずりぃー!」
和田さんと宮西さんがそんな事を言うと、四之宮さんが平然とこんな事を言いました。
「ちょっとそこでたまたま城之内さんに会ったので、一緒に来ただけだ。
──ついでにTE◯GAの良さを、付き纏っていた男に布教しておいた。」
(…TE◯GA…って、何でしょう?)
何のことか分からなくて、慶一郎様の方を見るとサッと視線を逸らされました。
「──ねぇ、慶一郎様。TE◯GAとは何ですか?」
私の言葉に、何故か周囲がシーンと水を打ったように静まり返ります。
「…桜子さんは知らなくて良いです。」
そう言われてますます気になってしまう私でした。
(…これがカリギュラ効果というものなのですね!)
私は初日に回収されたスマートフォンを手に入れたら、いち早くTE◯GAとは何かを調べようと決めました。
◇◇
「桜子、ちょっといい?」
──その夜。
洗濯機から朝洗ったジャージを回収していると、朱里さんに呼び止められました。
「…何でしょう?」
振り向くと、朱里さんがどこか緊張した表情をしていました。
「…あのね。私、好きな人出来ちゃった。」
その言葉に思わず私は瞬きを忘れてしまいました。
「えー!!!誰ですかっ!」
初めて朱里さんの方から恋の話を聞けて、なんだかとても嬉しくなってしまいます。
私はワクワクしながら尋ねました。
「もしかして、同じクラスの方ですかっ?!」
すると朱里さんが首を振ります。
「違うんだ。…あのね。私、四之宮君のこと好きになっちゃった。…どうしよう。」
顔を赤らめる朱里さんに思わず驚いてしまいます。
「え、ええええええー?!四之宮さんですか?!」
「…うん。どうすれば良いと思う?」
そう言われて私は固まってしまいました。




