第十四話◇ 婚約の儀と、止まらない恋心〜伊集院桜子視点
◇◇伊集院桜子視点
「――桜子お嬢様。準備が出来ましたよ。」
山内さんの言葉に私は顔をあげます。
「…まあ。とても素敵に仕上げて下さって有り難うございます。」
今日はいよいよ私の十八歳の誕生日。
――慶一郎様と私の婚約の儀です。
私が幼い頃から行事の際にいつもスタイリングして下さっている美容師の横山さんが和やかに笑います。
「いえ。お嬢様はとてもお美しいので、セットしていてとても楽しかったです。」
「まあ。横山さんの腕がとても良いのでそう思えるだけですわ。いつも本当にありがとうございます。」
薄化粧をしていつもより数ミリ程長くなったまつ毛。
着付けられた伊集院家こだわりの友禅染は薄桃色に梅の花、金彩のデザインです。
アップスタイルにして頂いた髪には美しい小梅の髪飾りがあしらわれています。
(…慶一郎様は、なんて言って下さるかしら。)
私は今日お会いできる事を思うと胸に温かい気持ちが溢れてきます。
…胸が、苦しいほどに高鳴っています。
美しい袖をそっと握ってみても、手の震えが止まりません。
でもこの震えは、緊張だけではなく――
(……早く、慶一郎様にお会いしたい。)
そんな期待のせいなのだと、自分でも分かっていました。
「桜子さん。準備は出来たかしら?」
振り返ると母がにこやかな顔で立っていました。
「はい。本日はこのような機会を頂きましてありがとうございます。」
「いいえ。もう少しで財前家の方達がいらっしゃるわ。お出迎えの準備をしましょう。」
その言葉に私は笑顔で頷きます。
「っはい!」
私はドキドキしながら慶一郎様がいらっしゃるのをお待ちするのでした。
◇◇
暫くすると、我が家の前にレクサスLSがエンジン音ひとつ立てずにゆっくりと停車しました。
(…っ、慶一郎様!)
駆け出したい気持ちを必死で抑えながら彼が出てくるのを見守ります。
先に降り立った財前家の執事が静かにドアを開けます。
すると、財前家の当主で慶一郎様のお父様である理人様が車をお降りになりました。
続いてお母様である由里子様、ご嫡男でお兄様である怜一郎様が順番にお降りになります。
「財前さん、ようこそお越し下さいました。」
父、雅臣が和やかに理人様と握手をします。
「やあ、伊集院さん。お久しぶりです。」
「…由里子様、何年経っても相変わらずお美しいですわ。怜一郎様もご立派になられて。
現在MBAの取得の為にアメリカに留学されていると伺いましたわ。」
母、美智子が声をかけると怜一郎様も頷いて下さいました。
「ええ。たまたま日本に戻ってきておりまして。
弟の晴れ姿を見る事が出来てよかったです。」
すると、由里子様が母と私にお声をかけて下さいました。
「美智子様。ご無沙汰しております。
…まあ、桜子さん。とてもお綺麗だわ。」
「有り難う御座います。
由里子様の装いもとてもお美しいですわ。
本日はお越し下さり感謝致します。」
――そして、最後に現れたのは、端正な袴姿の慶一郎様でした。
彼を見た瞬間、場の空気がふっと澄んだように感じました。
「…ご無沙汰しております。
皆さん本日はこのような機会を与えて下さりありがとうございます。」
慶一郎様は車をお降りになってから深く頭を下げた後、緊張した表情をされました。
「…慶一郎様。お待ちしておりましたわ。」
私が勇気を出してお声をかけると、目を見開いて一瞬固まってしまいました。
その後ハッとしたような顔をされてから、蕩けるような甘い眼差しで私の方を見つめました。
――その瞬間、私の胸が痛いほどぎゅうっと締め付けられます。
(…っ、慶一郎様、)
「お久しぶりです、桜子さん。
――まるで『オイラーの等式』の如く、最高にお美しいですね。」
その言葉に胸がどうしようもない程高鳴ります。
「…まあ。慶一郎様も……『源氏の君』のように、お美しいですわ。」
頰を染める私達を周りの方達は暖かい目で見守って下さっています。
「――皆さん、どうぞお入り下さい。」
山内さんの言葉で私達は玄関を潜り、客間へと移動します。
廊下から見える紫陽花の咲き乱れる庭園に財前家の方達が感嘆の声を上げました。
「まあ!!とても素敵な庭園ね。」
由里子様の言葉に母が頷きます。
「ええ。毎年美しく咲くのですわ。あとでご案内させて頂きます。」
客間に着いた私達は父こだわりの欅の一枚板で作られた座卓を挟んで両家が向かい合うように座りました。
山内さんがそっと襖を閉め、静けさが満ちます。庭園の鹿威しの『カコーン』という音だけがやけに鮮明に響きます。
「皆様。ようこそいらっしゃいました。
――本日は、財前家、そして伊集院家。
両家にとって、とても大切な日でございます。
この度、娘・桜子と慶一郎君の婚約を、心より嬉しく思っております。」
父、雅臣の声はいつもより少し柔らかく、けれど厳かでした。
財前家のお父様——理人様も微笑んで頷きました。
「こちらこそこの度は慶一郎を婿に選んで下さり、誠に感謝しております。」
私は緊張しながらそのやり取りにじっと耳を傾けておりました。
――すると、ふと目の前にいらっしゃる慶一郎様と目が合いました。
そして、安心させるようにフワリと微笑んで下さり、嬉しくて転げ回りたい気分になってしまいます。
(っああ、慶一郎様。先日お会いした時も素敵すぎて直視出来なかったのに、今日は更に眩しいです…!)
ジワジワと顔に熱が集まるのを感じつつ、ついつい下を向いてしまいそうになります。
(は、恥ずかしいです…!!)
「いや、それにしてもお似合いだな。
桜子さんは慶一郎に勿体無い程お美しい。
――そう思わないか?怜一郎。」
理人さんの言葉に怜一郎様が頷きます。
「はい。弟がこんなに美しい方と婚約するなんて羨ましい限りです。
…あーあ。僕が次男だったら桜子さんと婚約出来たかもしれないのに。」
その言葉に慶一郎様の視線が一瞬鋭くなります。
「…兄さん。いくら兄さんでも言っていい事と悪い事があると思います。」
そのやり取りを見ながら、母が微笑む。
「まあ、うふふ。
嬉しいですわ。自慢の娘をそんなに褒めて頂けて。」
両親達が和やかにお話しする中、父が私と慶一郎さんに声をかけました。
「――十二時の会食まであと一時間半ある。
桜子と慶一郎君は二階の桜子の部屋で二人でお話でもしてきなさい。
私達は家同士の話もしなければいけないからな。
――将来夫婦になるのだから積もる話もあるだろう。」
その言葉に私は思わず驚愕で目を見開きます。
「…宜しいのですか?」
「ええ。勿論よ。いってらっしゃい。」
母の言葉に私の胸は喜びで溢れていきます。
「っはい!それでは一旦失礼致します。」
私と慶一郎様は目を合わせて頷き合うと、お辞儀をして席を立ちました。
それを皆さんが微笑ましげに見ております。
本当は手を繋いで駆け出してしまいたい気持ちを懸命に抑えながら、にこやかに笑って静かに退出致しました。
「…慶一郎様。私の部屋にご案内しますわ。
――どうぞ、こちらへ。」
(っああもう、早く部屋に着かないかしら!)
私はなるべく平静を装いながら人目がなくなるまでスタスタと早足で歩いていきます。
慶一郎様は何も言わずに少し緊張したご様子であとに続いて下さいました。
「…こちらが私の部屋ですわ。」
――胸を高鳴らせながら二人で部屋に入ったその瞬間です。
「…桜子さん、僕の方を向いて。」
後ろから慶一郎様の声が聞こえて、私は緊張しながら恐る恐る振り向きました。
(ど、どうしましょう。格好良すぎて目を合わせられないです…。)
様々な感情が溢れて、思わず泣きそうになりながら慶一郎様を見つめます。
すると、慶一郎様が少し顔を歪めながらギュッと私を後ろから抱きしめ、耳元で低い声で囁きました。
「――やっと。
やっと、捕まえました。
桜子さん、凄く…、凄く会いたかったです。」
――その瞬間、私の感情を押さえ付けていた『理性』という名のダムが決壊し、溢れてどんどんと深くなっていきます。
(筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
ああ、どうしましょう。
…慶一郎様への想いが止まりません。)
私は後撰集に収録された陽成院の詠んだ句を心の中で反芻しながらそっと目を閉じるのでした。
参考:オイラーの公式とオイラーの等式
https://www.aps-web.jp/blog/105060/




