第十三話◇ 万有引力より強いものに気づいた帰り道。〜財前慶一郎視点
◇◇財前慶一郎視点
「…そろそろ日が沈んで来たので帰りましょうか。」
僕は離れがたい気持ちを押し殺して桜子さんに告げる。すると彼女が目を見開いた後、潤んだ目で見つめてくる。
「そうです、ね…。
…あの!!ギリギリまで手を繋いでいてもいいですか?
…離れたくないです。」
その表情に、胸が痛いほどにぎゅうっと締め付けられる。
「っ、勿論です。あの、最寄駅まで送ります。」
僕の言葉に彼女は綺麗な黒目がちな目を見開く。
「で、でも、慶一郎様が遠回りになってしまいますわ、ご迷惑では…。」
「いいんです。混んでいますし、桜子さんに何かあったら僕が嫌なので。」
その言葉に彼女は目を見開いてから恥ずかしそうに僕の手を握り返してきた。
「…では、降りるまでずっと手を繋いでいられますわね。」
(っああ、もうっ!さっきから桜子さんがいちいち可愛すぎるんだがっ!)
僕達は指を絡め合わせたまま駅へ向かって歩いた。
彼女が僕の方を見つめるだけで、手のひらが熱くなる。
(…この手を離したくない。)
――電車に乗り込んだ瞬間だった。
ガタンと車体が揺れ、桜子さんの細い身体がふらりと傾く。
「っきゃ!」
「っ、危ない!」
気づけば僕は腕を回して彼女の事を支えていた。
抱き寄せた彼女からふわりといい匂いがして、公共の場であるというのに理性がぐらりと揺らめく。
きちんと四之宮に薦められたサプリを飲んできたというのに前頭前野の働きが酷く鈍っている。
「慶一郎様…、ありがとうございます…っ」
「いえ…っ。大丈夫ですか…?」
至近距離で見つめられ、思わず生唾を呑み込む。
(ち、近い…っ。)
周囲に少し空きがあったので、僕は桜子さんをそっと座席に座らせた。
「桜子さん、座っていてください。
…僕は立っていますから。」
「っ、で、でも…!!」
彼女が申し訳なさそうな顔で僕の事を見上げてくる。
「――いいんです。貴女の前でくらいカッコつけさせて下さい。」
僕は繋いだ手を離さなかった。
むしろ、指を絡める力を少しだけ強めてしまった。
すると彼女がビクリと肩を震わせる。
(…っ、反則だ。)
電車が揺れるたびにスリっと指を這わせる度に彼女の表情が微かに歪んできゅっと握り返される。
その度に心臓と理性が爆発しそうになる。
――まるでイケないことをしているような気分になってしまう。
やがて次の駅のアナウンスが流れた。
「……もうすぐ、降りる駅ですね。」
彼女が寂しそうに呟く。
僕は思わずしゃがみ込み、彼女と目線を合わせた。
「またすぐに会えます。
……もうすぐ桜子さんのお誕生日ですから。」
桜子さんの頬が一瞬で真っ赤になった。
(……可愛すぎる……)
「…はい……っ」
降車のベルが鳴り、僕達は手を繋いだまま改札へと歩きだした。
「――それでは、また来月。」
「…はい。」
僕がそう言うと彼女がペコリとお辞儀をして改札を潜っていく。
急に重なり合っていた指先が離れてしまい、とても寂しく感じてしまう。
「「あ…。」」
指が離れた瞬間、二人同時に声を漏らしてしまい思わずクスッと笑ってしまう。
「…気をつけて帰って下さいね。きちんとお家の方に迎えにきて頂いて下さい。」
「はい。慶一郎様もお気をつけて。」
僕は彼女が見えなくなるまでずっと手を振り続けるのだった。
◇◇
家に帰ってから机の上に置いた『ニュートンのゆりかご』のオブジェを見ながら思わずニヤついてしまう。
(……可愛かった。可愛すぎた。あれは反則だろう…。)
僕は椅子に腰を下ろした瞬間、思わず顔を覆った。
さっきまで手を繋いでいた感覚がまだ掌に残っている。
――指先がじん、と熱い。
(…桜子さんは今、何をしているのだろう。)
ニュートンのゆりかごを軽く弾くと、カチリと規則的な音が響く。
その度に、桜子さんの笑顔まで跳ね返ってくる気がした。
僕は今日の喜びを伝える為に桜子さんに手紙を認める事にした。
『桜子さん。
本日は帝都学院にまでお越し下さりありがとうございました。
あなたが来てくださったお陰で僕がこの世に生を受けて以来一番素晴らしい誕生日となりました。
脳科学的に言えば 『特別な出来事に触れるとドーパミンの放出量が上昇する』そうです。
――そして今日、僕の脳はおそらく“人生最大値”のドーパミンを記録しました。
理由はもちろん、あなたが来て下さったからです。
そして、万有引力は距離が近いほど強く働きます。
今日あなたが僕の名前を呼んで駆け寄ってくれた瞬間、どんな重力よりも強く僕の心はあなたに引かれました。
即ちこれら全てを総合した答えは、やはり 『あなたが好きだ』という一点に収束します。
次に会える日を、心から楽しみにしています。
――慶一郎。』
僕は便箋を封筒に入れて切手を貼ると、幸せな気持ちで眠りに就くのだった。
◇◇
次の日学校に行くと、野次馬に来ていたクラスメイト達に冷やかされた。だが全く不快ではなく、寧ろ少し誇らしかった。
「おはようっ、財前!昨日あの後伊集院さんとどこに行ったんだ?」
ワクワクした顔の宮西に問われて僕は頷く。
「近くの大きなトチノキのある公園に散歩に行って帰ったが。」
すると、何故か宮西と和田が絶望した顔をする。
「へ?!そ、そんだけ?!嘘だよな?!」
「ヤッてないの?!久しぶりに会ったんだろ?!」
その言葉に僕は目を見開く。
「っな!僕の大事な桜子さんを邪な目で見るな!
それに彼女と交配するに当たって僕が何の準備もなく進める筈がないだろう!」
「…いや、お前交配って…。植物じゃないんだからよ…。」
僕達のやり取りを見ていた四之宮が眼鏡をクイッと上げた。
「くくっ、ふははは!!
――宮西!和田!
賭けは僕の勝ちだな!!
二人とも、僕に千円ずつよこせ。」
すると、二人が『くそっ!』と言いながら四之宮に金を渡した。
「…お前ら、一体何を賭けてたんだ?」
僕の言葉に和田が悪びれもせず答える。
「えー、財前が童貞卒業したかどうかに決まってんじゃん。」
僕が思わず固まる横で、四之宮が得意げに言った。
「…財前にはいくつかの特性がある。
一.こだわりが強い。
二.プライドが高く、物事を段階的に進めたがる。
三.伊集院さんを異様に大事にしている。
以上三点より、“伊集院さんの予期しない訪問があった場合、羽目を外す確率は極めて低い”と導ける。
故に僕は、財前がまだ童貞であるという結論に至った。」
「…いや、お前ら、人の女性経験を賭けのネタにするなよ…。」
――僕は思わず溜息を吐くと、興奮した宮西が詰め寄ってきた。
「いや、でも絶対キスくらいしてんだろ!」
その言葉に僕は昨日の事を思い出し、ジワジワと顔が赤くなる。
「うわ!これ絶対してんじゃんっ。
…うわぁ、童貞かどうかじゃなくて、キスしたかどうかを賭ければ良かったー!!」
そう言って悔しそうに机を叩く和田に僕は思わずツッコミを入れる。
「…お前ら僕を一体何だと思ってるんだ?!」
◇◇
――数日後、僕は父に呼び出された。
「慶一郎。
来月七日、いよいよ伊集院家のご令嬢と婚約の儀を行う予定だ。
――場所は伊集院邸だ。
主に親族のみで執り行う事となる。」
その言葉に僕の胸はどうしようもない程高鳴る。
「畏まりました。必ずや両家の架け橋となれるよう、心して臨みます。」
すると、父は満足そうに頷いた。
「…ああ。頼んだぞ。
伊集院家のご令嬢は菊乃森でも優秀な成績を修めていらっしゃるらしい。
きっとお前の良いパートナーとなって下さるだろう。」
(――ああ、遂に、公認の場で桜子さんと堂々とお会いする事が出来る…!!)
僕は逸る気持ちを抑えきれずにギュッと両手を握り締めるのだった。




