第十話◇瀬を早み、恋動き出す日。〜伊集院桜子視点
◇◇伊集院桜子視点
――次の日の放課後。
私は朱里さんと一緒に慶一郎様のプレゼントを買いに渋谷に来ておりました。
「ほらっ!桜子!これなんてどう?」
朱里さんが手に取っていたのは、紺色のとてもお洒落な万年筆でした。
「まあっ、素敵っ!さすが朱里さんだわ。
…ただ、万年筆は三年前もあげたのよね…。
どうしましょう。」
そう言って考え込んでいると、ふと斜め向かいの棚でカチカチと銀色の球が揺れているのが見えました。
「あ、ニュートンのゆりかごのオブジェじゃん。
――へぇ、こうやって見ると、なんだかお洒落だね。」
思わず私は釘付けになってしまいます。
「…力が伝わり、戻ってくる…なんだかロマンチックですわね。」
「だねぇ。実際は空気抵抗とか摩擦で止まっちゃうけど、真空状態なら動き続けるみたいだしね。」
朱里さんのその言葉に私はカッと目を見開きます。
「…これにしますわっ!」
(私と慶一郎様の恋がずっと動き続けるように願掛けですわ!)
「うん。決まって良かったじゃん。」
――店員さんにラッピングをして頂きいそいそと朱里さんの元へ戻ろうとしていた時のことです。
「ねえ!君、超可愛いね!俺、菊乃森女子学園の子って初めて見たー。」
そう言われて知らない男性に手首を掴まれました。
「っ?!痛っ、」
慣れない男性に思わずパニックになっていると、彼はニヤニヤと私の顔を覗き込んできます。
どうしてでしょう、慶一郎様に触れられた時は凄くドキドキして甘やかな気持ちになったのに、今は恐怖しか感じません。
「は、離して下さいましっ!」
――私がそう言った瞬間でした。
「ちょっと!あなた、私の友達に何してるの?!」
朱里さんが男性から私を引き剥がして下さいました。
「…へえ。友達も超可愛いじゃん。
一緒に三人でホテルでも行く?」
「っな!!あなたなんかと行くわけっ、」
――朱里さんがそう言い返した時でした。
「…お兄さん、ホテルの語源である『ホスペス』はラテン語で十字軍の為の休憩所という意味であることをご存知でしょうか。」
振り向くと帝都学院の制服を着た男の子がクイッと眼鏡を上げていました。
「なっ!!なんだお前は!」
ナンパしてきた男性は思わずと言った感じでツッこんでおりました。
「ちなみにこれはご存知でしょうが、十字軍とは当時聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するためにキリスト教徒を中心に発足されました。
ホスペスとは主に、エルサレムまでの長旅を強いられる巡礼者及び兵士達の保護の為に作られたものなのです。」
そんな事を言いながら眼鏡の男の子は死角になっている所から必死でジェスチャーで『行けっ!』と言ってくださっていました。
「お前は何を言いたいんだ!」
「…つまりホスペスへ誘うということは、聖地に行きたいという意思表示でもある。
…ということで僕が明治神宮に連れて行ってあげよう。」
そのお顔は涼しいのに、ジェスチャーは必死で、どこか可笑しくて頼もしいものでした。
「いや、なんでお前と男二人で神社に行かなきゃいけねぇんだよ!」
私と朱里さんは頷き合い、頭を下げてから腕を掴んできた男性が何か言っている間にスタコラ逃げ出しました。
――やがて声を殺しながら雑踏をすり抜けて、ようやく明るい通りに出ることができました。
「っはぁ、いきなり桜子の手ー掴んできたからめっちゃびっくりしたんだけど!」
「…助けてくれた方にお礼も言えずに逃げてきてしまいましたわね。」
すると朱里さんが思い出したのか、楽しそうに笑いました。
「てか、あの人ホスペスの話とかいきなりし出してめっちゃウケるんだけど!
本当にあの男と二人で明治神宮行ったのかな?
ねえ、帝都学院の制服だったよね?!財前君の友達だったりして!」
「うふふ、確かに面白い方でしたね。
今度慶一郎さんに聞いてみます。」
――私達は電車で最寄駅まで一緒に行った後、それぞれの家の送迎の車に乗って家路に着いたのでした。
◇◇
『桜子さん。
お元気ですか。
最近、貴女を想う時間が増えました。
一日の中で桜子さんを考えている時間を積分したら、確実に面積が『1』を超えてしまいそうです。
これはつまり、僕の中であなたの存在が“定数”ではなく“変数”になったということです。
…こんな風に感情を数式で表してしまう自分が恥ずかしいのですが、あなたに会いたいという結果だけは、いつも同じ値に収束します。
――慶一郎』
私は帰ってきてから届いていた慶一郎様のお手紙を拝読いたしました。
読んだ途端、ジワジワと顔が熱を持っていきます。
(これって私の事を考えてくださっている時間が『1』日を超えてしまいそうだと…!!
そういうことですわよね?!慶一郎様っ!!)
私はすぐに万年筆を手に取ると、お返事を書き始めます。
『慶一郎様
お元気ですか?
お手紙を拝読いたしました。
――そんなに私の事を考えてくださっているなんて、とても嬉しいです。
私も慶一郎様の事ばかり考えていたからか、この前夢の中で貴方にお会いする事が出来ました。
二人で手を繋いで紫陽花の咲く庭園を散歩したり、昨日は一緒に共学の子達のように学校帰りに一緒にカフェに行く夢を見ました。
早く夢が現実になれば嬉しいと思っております。
ところで、お互いに中間テストが終わりましたら慶一郎様のお誕生日ですね。
心ばかりですがお祝いをさせて頂ければと思っております。
お互い体調に気をつけてテストを頑張りましょう。
お会いできる日を、楽しみにしております。
桜子より。』
私は封筒に切手を貼ると、勉強に取り掛かり始めました。
『婚約の儀』の後にお会いするのを許して頂く為にも成績を下げるわけにはいかないのです。
私はテスト範囲の章ごとのポイントをまとめると、覚えるべき単語を赤字で書きとり、シートで隠して暗唱し、繰り返し問題集を解いていきます。
(――待っていて下さいっ!慶一郎様!
貴方にきちんと胸を張ってお会いする為に必ず結果を残してみせますわ!)
私はいつも以上に気合を入れて、万年筆を動かすのでした。
◇◇
「お疲れー!桜子凄ーい。
古文と現代文満点じゃん!
保健体育も今回一位だし!
総合も10位以内じゃん!」
朱里さんの言葉に思わず赤面してしまいます。
「…べっ、別に出題範囲が性教育だったからって訳ではありませんわっ!」
私は何となく朱里さんに色々と見透かされたような気がして恥ずかしくなってしまうのでした。
「…いや、別にそんな事言ってないんだけど。
ウケる。
それより、財前君の誕生日、今日だよね?そろそろ抜け出そっか。」
「――はい。清水の舞台から飛び降りるつもりで頑張りますわ!」
こうして私は本日、生まれて初めて授業をサボって、いよいよ帝都学院に向かうことになったのでした。
◇◇
電車を乗り継いで私と朱里さんは帝都学院の最寄駅までやってまいりました。
スマートフォンのマップを見ながら帝都学院高等部近くのファーストフード店になんとか辿り着きました。
「桜子ー。まだ時間あるからとりあえずここで時間潰そう?」
朱里さんに言われて、私は真剣な顔で頷きました。
コーヒーを飲む手が緊張で震えます。
「あ、朱里さん。きょ、今日の私、変ではないでしょうか?」
その言葉に朱里さんが笑顔で頷きます。
「大丈夫!いつも通りめちゃくちゃ可愛いよ?」
朱里さんはそう言って下さいますが、油断は禁物です。小さな手鏡などを見ながらお鼻にゴミなどがないか入念にチェックいたします。
「桜子、何やってんの。鼻くそなんて無いから安心しなよ。」
そう言いながら笑う朱里さんを私は鋭い目で見ます。
「朱里さんっ!淑女なんですから鼻くそなんて言ってはいけませんわっ!」
「はいはい。あ、もうすぐ出てくるんじゃない?」
その言葉に私はハッとします。
「っ、行きましょう。」
私達は慌ててファーストフード店を後にするのでした。
帝都学園の校門前に行くと、何やら凄くジロジロ見られました。
「っ、おい、あれ見ろよ。」
「菊乃森の子だ!」
「二人ともめっちゃ可愛くない?」
「おい、誰か話しかけろよ!」
けれど、極度に緊張した私には何を話しているかまでは耳に入ってきません。
私は三年生の校章バッチをつけている方にスゥッと息を吸って話しかけます。
「っあの!!」
するとその方は驚いたような顔で目を見開きました。
「はい?」
(えーい、ままよ!)
「すみません、財前慶一郎様に用事があるのですが!申し訳ございませんが、お呼び頂くことは出来ますでしょうか!!」
するとその方は驚いたように目を見開いたのでした。
(瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
障害があっても絶対に慶一郎様にお会いするのですっ!)
私は勅撰和歌集に収録された崇徳院が詠んだ句を心の中で反芻しながら必死に自分の手を握りしめるのでした。
参考:ホテリエガイド より
https://www.jhs.ac.jp/guide/glossary/3618.php




