33 災いのはじまり
王都に不穏な空気が立ち込めたのは、雷鳴のような鐘の音からだった。
市場では悲鳴が上がり、兵士たちが一斉に街路へと展開されていく。
空は不自然な黒雲に覆われ、空気がどこか粘ついている。
その中心にいたのは、ラヴィーナ。
彼女は神殿の高台から街を見下ろし、冷たい微笑を浮かべていた。
「さあ……“禁忌の契約”よ。応えなさい。この地に古き力を呼び戻し、あの娘を――“異端”を討ち滅ぼして」
手にした禁書が風にめくれるたび、王都の地脈が歪み、地下に封じられていた古の魔獣が目を覚ました。
街の路地裏から這い出したそれは、禍々しい黒煙をまとい、人の声で泣き、笑い、咆哮する。
「ラヴィーナ様、王都が……!」
側近が怯える中、ラヴィーナは静かに言った。
「岬・亜雷よ……お前は王国にとって“希望”ではない。“異物”なのよ。私が正す。秩序のために」
王宮に報せが届いたのは、ほんの数分後。
災厄はあっという間に街の一角を炎に包み、人々は逃げ惑っていた。
遊天は剣を抜き、瓦礫の間を駆ける。
「市民を守れ!」と叫びながら、倒れた子どもを抱き上げ、燃え崩れる民家に飛び込む。
「岬――
兄としての直感が胸を締めつける。
彼女がどこかでこの混乱に巻き込まれている。そう思っただけで、喉が焼けそうだった。
王宮では、騎士団が出動命令を待つ中、レオンが頭を抱えていた。
「このままでは王都が持たない……!」
だが、ラヴィーナは王家と繋がる名家の出。
彼女を直接糾弾することは、政治的な自爆を意味した。
それでも――
(私は……岬を守ると、誓った)
レオンは玉座の間に足を踏み入れ、王の前で膝をつき、言い放つ。
「王命をお与えください。私はこの災厄を断ち切りに参ります。すべての責任は、この身にて引き受けましょう」
王は沈黙し、やがてゆっくりと頷いた。
街の中心、崩れた広場で。
岬は、魔獣に囲まれ、怯える民の盾となって立っていた。
「来ないで……っ! 私が、あなたたちを……!」
だが、剣を構えるその腕は震えていた。足も、心も。
(私は、“力”なんて……ただの娘でしかない)
そのとき――
「岬、思い出せ!」
振り返れば、遊天が立っていた。
「お前は“見える”はずだろ! 未来を。俺たちを繋ぐ“心”を!」
そして、頭上から光が降り注いだ。
空に浮かぶように現れた炎の紋章――それは、かつて父・烈牙が見せた“未来の眼”の証。
岬の胸に、熱が走る。
「……これが……私の中にある、力?」
光の奔流が体を包み、剣が炎を帯びる。
彼女の周囲にあった魔獣たちは、その光に焼かれるように後退し、広場に静寂が戻る。
岬は、民たちの前に立ち、力強く声を上げた。
「私は、岬・亜雷。……王都を守る、この国の一人です」
民たちはその姿に息を呑み、やがて――拍手が起こった。
恐怖と混乱の中に、確かな“希望”の灯がともった瞬間だった。
王都は混乱の最中にある。
ラヴィーナの陰謀は未だ全貌を見せておらず、岬の存在が人々の信仰となり始めることで、新たな政治的波乱も生まれようとしていた。
遊天は、「妹を守る剣」としての決意を固め、
レオンは、「公の立場を越え、愛する者を選ぶ者」として覚悟を決めた。
そして岬――彼女はもう、ただの少女ではなかった。
人々の心を動かし、“未来を選ぶ者”として歩み始めていた。