22 【滅びの谷】 父との再会
――王都の混乱が過ぎ、空気が静かになったころ。
岬と遊天は、旅の終着点のような場所――東の果て、「滅びの谷」へと向かった。
誰も近づかなくなった森。獣の気配も、風の音さえもどこか遠い。
かつて亜雷族が根を張り、共に生きていたという地は、もう“生”の気配を失っていた。
道なき道を抜け、濃霧の中を歩く。
やがて、苔むした石段の先に、崩れかけた祠がぽつりと現れる。
「ここ……」
岬が祠に近づいたそのときだった。
――ズ……ッ
空気がわずかに震え、祠の奥の石壁が淡く光を放つ。
「……来たか、岬」
その声は、空間のどこからともなく響いた。
深く、穏やかで、けれど威厳に満ちている。
祠の奥に浮かび上がったのは、長老・ゼイナの魂の残響。
すでにこの世を去ったはずの彼が、“予知の地”と呼ばれるこの場所にだけ、命を繋いでいた。
「お前が“未来の目”を継ぐ者か。烈牙の娘、そして……我らの希望よ」
ゼイナの声とともに、さらに祠の奥でもう一つの光がゆらめく。
それは人の形を成し――炎のように揺れながら、男の姿を象った。
「……岬」
その声は、懐かしく、そして胸の奥を焼くように切なかった。
「お父さん……っ」
――夢にまで見た、父の声だった。
歳月を刻んだ険しい顔立ち。だが、瞳の奥には変わらぬ優しさがあった。
「ここは、過去と未来の狭間。魂だけが辿り着ける場所だ。……お前に、話したいことがある」
岬は、込み上げる涙を抑えきれず、父へと歩み寄った。
「どうして……! 私を置いていったの……!? 遊天を一人にして……お母さんを、あんなに弱っていたのに……!」
その言葉は、涙とともにぶつけた怒りと悲しみ。
烈牙はしばし目を閉じ、静かに語り出した。
「お前は“未来を見る力”を持って生まれた。
長老ゼイナがその力を見出し、“次の目”として選んだ娘だ。
だがその力は、王国にとって――“支配の鍵”となりうるものだった」
彼の声が重く、静かに響く。
「だから、お前だけは絶対に渡せなかった。
俺は……お前を守るために、母を……そして遊天を、託して、あの世界へ行くことを選んだ」
「そんなの……そんな理由で全部、背負って……!」
岬の声は震える。
けれど、胸のどこかで、理解したくないはずの言葉がすとんと落ちてきた。
――守るためだった。
そして、ゼイナの声が重なるように告げる。
「岬、お前は“過去を断ち、未来を選ぶ者”。
お前の選択一つで、この世界の均衡は大きく揺らぐ。
だからこそ、問おう。――お前は、どんな未来を望む?」
岬は、指先を強く握りしめた。
「そんなこと……私にできるの……?」
「できるとも」
ゼイナは確信を込めて言った。
「未来を変えるのは、“心”だ。……お前の心で、未来を選べばいい」
その言葉が、岬の胸に静かに降りてくる。
背後で立ち尽くしていた遊天が、絞り出すように言葉を発した。
「……あんたを……ずっと、憎んでたよ」
烈牙は静かにうなずく。
「母さんを一人にして、俺を置いていった。……あの時、何があったのかも、何を思ってたのかも、全部わからなかった」
遊天の拳が震えていた。
「でも、今、あんたの目を見て思った。
岬を見るその目が……誰よりも真っ直ぐで、優しくて……憎めなくなったんだよ、クソ親父」
彼の声はかすれながらも、確かに強かった。
「俺は……岬を守る。今度こそ、ちゃんと。誰にも奪わせねぇ。
あんたの代わりに、俺が――岬の剣になる」
烈牙の表情が、微かに緩んだ。
「……頼んだぞ、遊天。……お前は、お前にしかなれぬ“剣”だ」
そして、岬に向けてもう一度だけ、父は言った。
「岬――未来はお前のものだ。
“誰かの選んだ道”じゃない、“お前自身が選ぶ道”を信じろ」
ふたりに微笑みかけるように、光は静かに揺れ、やがて祠の中から風のように消えていく。
手を伸ばしても、もうその温もりには届かない。
だけど、岬の胸の中には――確かな想いが灯った。
「……ありがとう。お父さん」
遊天が黙って岬の隣に立ち、そっと彼女の肩を支える。
そのとき岬はようやく、確かに感じていた。
彼は兄であり、かけがえのない家族だと――
そして自分は、誰かの娘であり、未来を“選ぶ者”であることを。