10 灯る誓い、揺れる心
王都――ディ=エルナート。
高くそびえる城壁と、青空に伸びる尖塔。
石畳を駆ける馬車、賑わいの市場、色とりどりの布がはためく通り。
「……すごい……おとぎ話の中にいるみたい」
岬は感嘆の声を漏らし、目を見開いた。
旅の間、泥にまみれた山道や寂れた村ばかり見ていたせいか、この煌びやかな光景に、現実感がなかった。
「浮かれるなよ。ああ見えてこの街も腹黒いやつばっかだ」
後ろから言った遊天の声は、どこか硬い。
「……浮かれてなんかない」
岬は、背中に下げた荷物の重さを感じながら言い返す。
でも、心のどこかに確かにあったのだ。
この場所に、何か“答え”があるのではないかという期待が。
王都は、岬の父・烈牙がかつて身を置いた場所でもあった。
そして、今や「亜雷の娘」である自分が、追われる立場であることを岬は知っている。
「亜雷の娘が来た、だと?」
その報告を受けたのは、王子レオン・ディ=エルナート。
金の髪に蒼の瞳。高貴な気配と冷静な知略を纏う第二王子は、重厚な椅子から静かに立ち上がる。
「……名を?」
「“亜雷 岬”。年は十七……烈牙の娘と見られます」
「……そうか」
視線を落としたレオンの瞳の奥に、かすかな痛みが走った。
烈牙――かつて王に背を向け、姿を消した男。
その娘が、今、ここに来たという。
「会わせろ。俺の目で確かめる」
その声は、静かに熱を帯びていた。
王都に身を置いた岬は、目に映るものすべてに戸惑い、時に怯えた。
煌びやかな装飾、気位の高い令嬢たちの嘲笑、表面だけの微笑。
「こんな世界、私の居場所じゃない」
ある夜、岬は独り部屋の窓辺でつぶやいた。
けれど――
「じゃあ、お前はどこにいるべきなんだ?」
背後から聞こえたのは、遊天の声。
「戦ってばかりの村か? 血の匂いが染みついた廃村か? ……それとも、どこにもいられないまま、さまようのか?」
岬は答えられなかった。
ただ、彼の言葉が胸に刺さった。
「……私は、戦いたいわけじゃない。でも、逃げたくもない」
「だったら、立て」
遊天の目がまっすぐに岬を射抜く。
「お前は烈牙の娘で、“亜雷”の生き残りで、……俺の大事な人間だ」
――「妹だ」とは、言わなかった。
その沈黙が、岬の胸に小さく火を灯した。
レオンと岬が対面したのは、王宮の庭園。
香る花と水の音、外の喧騒が遠い世界のように思えた。
「君が、亜雷 岬か」
レオンの声は穏やかだった。
彼は岬の顔をじっと見つめると、微笑を浮かべた。
「――ずいぶんと、“人らしい”瞳をしている」
「え……?」
「亜雷という一族は、“預言者”として恐れられた。感情を捨て、ただ未来を読み、命じられたことだけを伝える存在……。だが、君は違う」
岬は言葉を失う。
そして、彼の言葉の続きに、心が震えた。
「君は、“未来”に呑まれるためにここへ来たのではない。“未来を選ぶ”ために来たのだ」
その夜、王都の外れ。屋根裏の宿にて。
遊天はひとり、夜空を見上げていた。
窓の外では、王都の灯が星のように瞬いている。
「……あいつ、変わってきたな」
誰に向けるでもなく呟く声に、かすかな寂しさが滲む。
――あいつの目は、もう俺だけを見てない。
岬の中に芽生え始めた強さ。
そして、レオンの言葉に揺らぐ岬の心。
「妹かどうかなんて、もうどうでもいいって思ってたのにな」
唇を噛む。
手を伸ばしても、届かない気がする。
守るだけでは、もう足りない――
「俺は……あいつをどうしたいんだ……?」
彼の胸の奥で、何かが静かに揺れていた。
それは、誰よりも岬自身が欲しかった言葉だった。