1 ひとりきりの旅路
亜雷岬は、17歳の普通の女子高生だった。剣道部の稽古に汗を流し、友人たちと笑い合う日常は平穏そのものだった。だが、その日――帰宅した彼女の手にそっと握られていたのは、父からの見慣れない書置きだった。
「お前を一人にしてすまない。決して探すな。」
その一文が胸に重くのしかかる。言葉の裏に隠された深い悲しみと覚悟が、岬の心を締めつけた。どうして父は自分を置いて去ってしまったのか。何があったのか。理解しようとすればするほど、胸の奥の不安は膨らんでいった。
彼女は、幼い頃から一度も開けてはいけないと言われていた父の書斎の扉を前に立ち尽くした。そこには何か、答えがあるかもしれない――。迷いながらも、震える手で扉の重厚な取っ手を握り締め、ゆっくりと押し開けた。
扉の向こうに広がっていたのは、見知らぬ異世界の光景だった。
「どこ……ここ?」
自分が通って来たはずの扉は、振り返っても既にない。学校帰りで父の書斎に入ったので、手にも何も持たずただ制服姿の自分だけ。
石畳の街路には馬車が静かに揺れ、屋根の上を伝書鳩が優雅に舞う。城壁に囲まれた王都は、まるで絵画のように華やかで、通りには活気が満ちていた。
とぼとぼと歩き、人々とは違う土地に不釣り合いな自分の姿に皆、こちらを見てはひそひそと話している。その言葉には異世界とは感じず、素直に岬の耳に入ってくる。
『変わった格好してるわね』『どこか別の土地から来た子かしら』
岬は不思議な懐かしさに胸が震えた。まだ理由も分からずに感じるこの感覚は、一体何なのか――。彼女の記憶の底に眠る、見知らぬ過去の影が揺らめくようだった。
『そう言えば……この前、魔の森から王都に魔獣が現れたそうよ』『それね……どうもソレ……占星術で時期と時間を当ててたらしいわ』
(魔獣……?占星術とかあるんだ……)
岬は聞き耳を立てながら、この世界の情報を把握していく。
魔法の存在しないこの世界。時折、深い森や山の彼方から魔獣が姿を現し、村や街を脅かすという噂。
「まずは父さんを探さないと……」
この広大な世界からたった一人を探すなど、無謀でしかなかったが胸の奥で、ひとつの決意が芽生えていた。周りの人の噂話に出てくる『王都』そこにはこの土地の中心であり、様々な情報が飛び交うと言っていた。
(まずは王都を目指そう……)
異世界の扉をくぐったその瞬間から、彼女の世界は変わった。平凡だった日常は崩れ去り、運命に導かれるままに、新たな人生の幕が静かに開かれたのだ。