乳母の懺悔
私はしがない平民だった。
ある時、私たちの暮らす地域の領主たるお方に御子が生まれた。
近い時期に子を産んでいたため母乳が出る私は、その御子さまの乳母に抜擢された。
「幸運なことでございました」
キューケンさま。
とても綺麗な烏の濡れ羽色の髪。そして左目は珍しいアースアイで右目は黄金色のオッドアイ。
赤子の頃から類い稀なる美貌を持っていて、五歳を迎える頃には圧倒的な美しさを身につけていた。
さらにそれだけでなく、キューケンさまは知的にも優れていた。
同じ年頃の他の子供などよりよほど優れていた。全ての分野において、常に天才と言われるほどの知識をお持ちだった。
「そんな自分の主人を…私はこともあろうに、恐れてしまったのです」
怖かった。
ただ怖かった。
あの完璧すぎる幼子が。
「そんな我が主人には、やがて弟君が出来ました」
どこまでも普通の色。
どこまでも普通の見た目。
どこまでも普通の成長速度。
「どこまでも普通の御子である後継さまにみんなが心底安心して、それと同時に我が主人は余計に忌み嫌われる形となり」
そして領主さまから私に、我が主人をどこかに捨ててこいとの命令が下された。
そして私は、我が身可愛さにその命令を受け入れた。
「我が主人は今、パラディース教のある山にいます。上手くすればパラディース教の者たちに拾われることでしょう」
けれどそれでも、我が罪は拭えない。
「私は、せめて私だけはお嬢様の味方であるべきでした。お嬢様は聡明だから、私の感情にも…忌み嫌い、恐る気持ちもわかっていたはずです。酷なことをしてしまいました」
そう、それだから。
「お嬢様は最後まで、私を慰めてくださいました。」
『いいんだよ』
『いいんだよ、なにも間違ってない』
『…優しいね』
『それは罪ではないよ』
まるで天使のように、私の罪を受け入れ許してくださったそのお方は。
『…お嬢様、あなた様は一体どこまで把握なさっているのです?』
そう聞いたらあんまりにもな答えが返ってきて。
『ここに捨てられたこと?親に捨てられたこと?自分が化け物扱いされていること?どこまでって、どのこと?』
『…ああ、やはり。あなた様は、人の手に負えないなにかなのでしょうね。』
そんな酷い言葉が口から出てしまった。
『…そうかな?…そうかも』
『そのお年でそれだけ冷静に状況を把握できるのは、異常です』
『そっか』
『そしてこの状況で取り乱さないのも』
『そうかもね?』
どう転んでも最後の会話になるというのに、そんな言葉をぶつけてしまった。
最後にパラディース教のことを教えて、さようならの挨拶をして。
そうして私は、一番離してはいけない手を完全に離してしまったのです。
「…なるほど、それは罪深い。ですが懺悔をなされた貴女は今、その罪を天に赦されました。今日も良い夢を」
「…はい」
守秘義務の塊である教会の神父に懺悔したところでなんの意味もないのに。
私はやはり意気地なしだ。
領主さまからたくさんの退職金をもらって、あとは家に帰るだけ。
それなのに足は重い。
…私のしたことは、それほどのものだったのだ。