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失踪夫、夫が失踪した。なぜなんだ?  作者: 井埜利博(いのりはく)
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深川探偵事務所にて

  三

「ごめんください」

 私はドアの外で大きな声を出した。ノックして入るのを少し躊躇ったのだ。探偵事務所なんて入ったことがない。この事務所が入っている雑居ビルも古臭くて、何となく胡散臭い感じがしたからだ。


「はぁーい」とドアの中の遠くの方で若い女性の声がした。直ぐにドアが開けられ、顔を出した。


「どなた?」と不思議な顔をした二十歳くらいの女性だった。そして、

「お客さん?」と訊かれた。


「そうです。頼みごとがありましてお伺いしたのですが……」

 私は顔を出したのが若い女性だったので少し安心して覚悟を決めた。


「はい、はい、はい」と部屋の奥から中年の男性が出て来た。


「どうぞ、どうぞ、お入りください。(はな)、お茶!」と言って私を事務所の中に引き入れた。

  昨日、ネットでいくつかの探偵会社を調べた。深川(ふかがわ)探偵事務所、ネットでは深川新美(しんみ)所長の顔写真入りで出ていて品川の自宅に近かったので、ここを選んだ。


 実物は写真より老けていた。黒縁の眼鏡をかけ、髪の毛もぼさぼさ、顎の髯もきちんと剃っていない感じだ。おそらく写真は十年くらい前に撮ったものなのであろうか。こんな男で春平を探してもらえるのだろうかとさえ思った。


「それで?」とその男が訊いてきた。


「私は山根沢真里花と申します。実は夫が一週間前から家に帰って来ないのです。それで調べてもらいたくて……」


「なるほど。失踪ですか? では詳しくお話ししてもらいましょうか」


『失踪だなんて……、はっきり言わないで欲しい』と思ったが口には出さなかった。もちろんだが。失踪ではなく行方不明なのだ。その違いはいなくなったことに本人の意思が存在するかしないかの違いなのだ。明らかに意思が存在する場合は失踪、災害や事故に巻き込まれたなど意思の存在が不明な場合は行方不明とする。するとこの場合は行方不明なのだ。私は心中、そう思っていた。


 ところで、私がこの探偵事務所を選んだのは、深川所長の経歴だった。

 

 この事務所を開く前は警視庁捜査一課に在籍していたからだ。何で辞めたのかまでは知らないが、捜査一課の刑事であれば何かと捜索の方法に関しては熟知しているだろうと思ったからだ。


 ところが、警視庁の刑事として予想していた風貌とは百八十度違った。見た感じは黒色の丸い眼鏡を掛け、無精髭、背も低く、うだつが上がらなそうな親父だった。事務所に入って『間違った』と思った。

私は訊かれるままに今までの経過について細かく説明した。


「うむ……。そういうことですか」と深川は唸った。そして右手で顎を(いじ)った。


「どう思いますか?」


「分かりません」と深川ははっきり言った。『何と頼りない。他の探偵事務所へ行こうかしら』とも思った。


「お父さん、あっ、間違った。所長! まずはその大学時代の女性、墨田彩芽さんと親友の銀山一郎さんを調べましょう」とその華とかいうお茶くみの女性が口を挟んだ。


「あぁ、すみません。この子私の娘、華と言います」と深川はその女性の方を指してそう言った。自慢げにだ。


「よろしくお願いしまぁーす。父のヘルプをしています」


 華は私に向かって舌を出してお茶目に敬礼した。その行為が私には何となく可愛らしく映った。


「華はまだ大学生なんですよ」と深川は嬉しそうに話した。


「そうなんですか。どちらの大学に通っているの?」


「失踪したご主人と同じです」

 だから、失踪じゃぁないつうの。その答えを訊き直した。


「はい? 東大?」


「そうです。法学部」

 私は驚いた。見た感じはギャルのような恰好をしていた可愛い子だから。私の東大女子のイメージとは全く違っていた。


「こいつはねぇ、小さい頃から勉強ばっかりしていてねぇ。こんな奴は嫁には行けないね、絶対」

それは深川の気持ちとは裏腹の言葉だと思った。しかし、私は華のヘルプがあればどうにかなりそうだと思った。


「山根沢さん、大丈夫ですよ、まずは友達関係から洗ってみますよ。こういう場合、警察は動かないんですよ。捜索願は当然出してありますよね?」


「はい。既に済ませました」


「分かりました。山根沢さんも今の仕事を続けながらの捜索ですから、一人ではどうにもなりませんよね。ご心配でしょうね。やってみます。何か分かりましたらご連絡いたします。そちらも何か手掛かりのようなものがあれば、その都度、電話かメールでお知らせください」


「そうですね。ではラインを交換しましょう」と言って私は深川所長と華のラインを登録し、事務所を後にした。

   *

 事務所では私が去った後、深川新美と華は話し合っていた。

「お父さん、どう思う?」


「分からんがねぇ、そういう場合は、妻に言えないような女性がいて、帰れないとかが多いね。あるいは事件か事故か? どこかで死んでいるとかかなぁ」


「お父さん、発想が古いわ」


「古いも新しいもないよ。こういうのって今も昔も変わらんよ。警視庁の統計を見ることだな。それに失踪者の数が年間八万人もいるんだ。警察は緊急性のものでなければ動かないんだよ。誘拐された時のように身代金の要求もないしね」


 私が思うに、深川はまずは友人関係から調べようと考えたに違いない。深川としては、この一週間の間に何かしらの結果を出さなければならない。なぜならそれ以上の期間がかかると経費の点で依頼者もしびれを切らすことが多いからだ。


 その後直ぐ、私は彼からこの先一週間の見積もりを手渡された。私はそれを見ても顔色を全く変えなかった。


 深川とすれば、今までのクライアントは渡された見積書を確認すると必ず口を歪めた。思ったより料金が高いからだろう。そういう場合は、もう少し低料金でもできると口を添えると安心したように『ではお願いします』と言ってくる算段であった。しかし、私は資金に余裕があったため、この料金設定には意識して全く動揺している様子を見せなかった。


 一方、深川は失踪した当事者の履歴などを見返して確認したところ、何か頭の中に残っているものを感じた。『山根沢春平、住所が東京都品川区、東大卒業の外務省官僚……』これって、前に警視庁に在籍していた時に見覚えのある苗字、職業だ。山根沢、東大卒、外務省……。山根沢ってそう多くはない苗字だ。しかも深川にとっては心地よい名前ではない。昔の嫌な思い出が頭の中に(よぎ)っていた。



次は第二章です。

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