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失踪夫、夫が失踪した。なぜなんだ?  作者: 井埜利博(いのりはく)
3/45

やっぱり本当に失踪したのか

 二

 結婚式からちょうど一か月経った頃だ。月曜日の夜、午後六時に私は帰宅した。もちろん春平は帰っていない。


 春平は、月曜日はいつも省内で食事をとり帰宅すると直ぐに風呂に入り、風呂から出てビールを飲みながら書斎で一人、クラッシック音楽をかけて聴くのが楽しみらしかった。


 そのため今日も私は春平の帰るのを待って、何かつまみを作ろうとキッチンに立った。


『まあ、いいか。帰って来てから作ればいいわ』とテレビを見ながら、ソファーで横になって眠ってしまった。


 ブーブーと携帯のバイブレーションの音で目が覚めた。着信は夫からだった。


「もしもし」と電話に出たが、夫からは何も返答はない。


「もしもし、もしもし、あなた?」


「……」無言でプツッと電話は切れた。折り返しの電話をしたが、何度かけても呼び出し音だけで応答はなかった。


 時計を見たら十一時だ。春平は忙しい時は時々午前様になることもあったので、今日も仕事なのだろうと思っていた。


 しかし、午前一時になっても帰宅しなかった。遅くなる時は必ず何かしらの連絡があったが、今日は全く連絡がない。


『どうしたのかしら。何かあったのかしら。あるいは外務省の後輩や先輩らと飲んでいるのかも……。あの人にとっては珍しいことだわ』


 珍しいという意味は、今まで結婚前であっても私に黙って一晩、居所を知らせないでいたことはなかった真面目男だった。そういう所が気に入って結婚したと言って良いくらいだ。女の臭いをさせないどちらかといえば草食系男子だった。


 結局、春平はその日は帰らなかった。翌朝になっても何の連絡もなく、戻って来なかった。


 こうなると普通なら春平の身に何かが起きたと考える。しかし、あちこち親戚や知り合いに電話をして取り乱した様子を見せたくはなかった。


 そのうちにひょこっと帰ってくるかも知れないと思いながら、仕方がなく私は通常通り勤務のため朝食を簡単に済ませ、自宅から出勤した。


 その間、何度も携帯で春平を呼び出したが、呼び出し音はするものの応答はなく、留守番電話へとつながった。


 その次の日も帰って来なかった。それでも私はいつも通り職場へ行った。


「山根沢さん、お電話よ。二番ね」と会社の机に向かっている時に同僚から声を掛けられた。


「はい、山根沢ですが……」と電話を替わって答えた。


「あぁ、山根沢さんの奥様ですか? 私は外務省総合外交政策室の金森(かなもり)です」


「はい」


「実はご主人が二日前からこちらに出勤していないのです。何か病気で来られないのかなと思いましてお電話させて頂いたのですが……」と金森は申し訳なさそうに話した。


「そうなんですか。主人は家にも帰ってないのです。何も連絡がなくて私も困惑しているのです。こちらからどうしたのかお伺いしようと思っていたのですが……。職場で何かあったのでしょうか?」


「いぇ、私たちにも分からないのです。先週までは全く普通に勤務していました。どこか身体が悪いとか、様子が変だとか、そんな感じではなかったです。普段と変わりがなかったですよ」と金森は春平と最も親しくしていた同僚だったので、信頼できる話だと思った。


 電話では春平の仕事場での様子は普段と変わらないようだった。確か金森は春平の一年後輩だと聞いていた。明日にでも仕事を休んで外務省を訪ねてみようと思った。


 電話で金森武(たけし)と室長の田代(たしろ)祐司(ゆうじ)に話を聞かせて欲しい旨を話し、翌日出掛けて行った。


「月曜日から主人は帰って来ないのです。心当たりがあれば教えて欲しいのですが……」と声が震えているのが自分でも分かった。


「そうなんですか。我々も全く分からないのですよ。仕事の上でも彼はよく頑張っていましたし、何も失敗はなく、キャリアとしてこの先は有望だと誰もが思っていたのです」と田代室長は言った。


「そうですか。では外務省の仕事上のことではないのですね?」


「そういう理由ではないように思いますが」


「うむ……。そうですか」


 私は少しがっかりした。何か仕事上のことで帰れない事情があるならば、それはそれで解決できるのにと思った。


「奥様、訊きにくいのですが、女性関係などのトラブルはなかったのでしょうか?」と田代の上目使いの視線。


「それはないと思います。夫はそんな暇はなかったと思います」


「そうですかぁ、そうですよね。彼は真面目な男ですからね」


「金森さんは何か気が付いたことはなかったですか?」


 私は視線を田代から金森へ向けた。


「いぇ、私も心当たりはないんですよ。申し訳ありません」


 結局、職場での手掛かりは何も得られなかった。


 外務省の同僚たちは皆、顔つきは同情していたような感じではあったが、もしかしたら『競争相手が一人減った』などと思っているのかも知れない。そう思ったら急に腹立たしくなった。


 その帰りに実家に帰った。春平のことを両親に話したら、心から心配していたのが分かった。外務省の同僚たちの態度とは違う。


「春平さんのこと、あなた、何か心当たりはないの? 他の女性がいるなんてことはないのかしら?」と母の雅子が口を滑らした。しかし、影の女性の存在を疑うのは常道だ。当たり前の質問だ。


「おまえ、余計なことを言うな! まったく」と父の幸太郎は雅子を叱った。


「いいのよ。お父さん。絶対ないなんてこともないのだから……」


「結婚したての男が失踪なんて……、考えられないわ。本当にどうしたのかしら」と雅子。


「今日で三日目よ。ひょこりと帰って来るなんてこともあるかも知れないわね?」と私も気休めを言って両親を和ませようと思った。


「でも、全く何の連絡もないんだろ? 電話もない。職場にも全く無断で欠勤だ。何か事故にでもあったのかも知れんな?」と父幸太郎。


「一度、無言電話があったわ。もしもしと言っても何も答えずに電話は切れたのよ。その電話は春平さんからだったのよ」


「そうか」


「春平さんのお母様にも念のため訊いてみたけど、全く心当たりはないそうよ」


「真里花、おまえ、そろそろ警察に届けた方がいいんじゃぁないか? おまえにも全く心当たりはないんだろう? 女性問題でもなく、仕事上の問題もない。そうすると何か事件か事故かなどではないかなぁ?」


「やめてよ、お父さん、事故だなんて……」


「ごめん。そうだな。しかしやはり警察に届けた方がいいなぁ」


「そうね。明日警察へ行くわ」


 翌日、私は警察へ向かった。所轄警察は品川署である。


 警察で対応してくれた警察官は、

「とにかく家出人が多くてね。お話を聞くと事故とか誘拐とかそういった証拠はないようですよね。ご主人の年齢ですと女性の問題が結構多いんですよ。なかなか言い難いですが、奥さんに隠れて女性がいて、帰るに帰れなくなるなんてことが良くあるんですよね」と言った。


 何か真剣に捜査をしようと思わせるような態度を表さなかった。


「女性ですか? それはないと思いますが……」


「奥さんは皆そう言いますよ。でもねぇ……」


「ありません」と話の途中できっぱり答えた。


 しかし、心の中では一抹の不安はあった。春平の様な経歴で、あの容姿なのだから……。私に内緒にしていた女性がいても不思議はない。


 今まで春平は過去に付き合った女性のことを自分に話したことはなかった。自分からもそれを深く突っ込んで訊いたことはない。春平のことを信じていたからだ。


 そう考えると、失踪の理由が女性の問題なのかも知れないとその方に傾いて行った。女性問題を訊くには友人が最もいい。春平の家族ももしかしたら知っているかも知れない。


 翌日、大学時代の親友と聞いていた銀山(かなやま)一郎(いちろう)に連絡を取って話を聞いた。銀山は春平とは同期で日本橋兜町にある証券会社に勤務していた。


 私の泣きつくような電話で銀山は仕事中にも拘わらず、私の話を聞くために時間を空けてくれて、会社近くのコーヒーショップで待ち合わせをした。


「真里花さん、すみません、三十分ほど上司に時間をもらいました」と銀山は時間はあまり取れないことを最初に口にした。


「銀山さん、結婚式以来ですね。春平がいなくなったのはご存じでしたか?」


「えぇ、聞きました」


「そうですか? どなたから聞いたのですか?」


「そういう噂って直ぐに広まりますよ。自分も山根沢くんが何故っていう思いです」


「何でもいいのです。何か手掛かりのようなことはないでしょうか?」藁をも掴む思いで訊いた。


「自分にも分からないのですよ。あなたとの結婚を楽しみにしていたようですからねぇ。まさかいなくなるとは思ってもみませんでしたよ」


 銀山は春平がいなくなったのは自分のせいだと思わせるかのように恐縮して話した。それだけ私の心中を慮っていたようだった。


「結婚前や学生時代に私の他に付き合っていた女性はいましたか?」私としては恥ずかしい質問ではあったが、訊いてみた。


「いやぁ、どうなんですかねぇ」銀山は言い難そうだった。銀山の歪んだ顔の表情で私は直ぐに『そういう女性がいたんだ』と悟った。


「正直にお話しください。今となっては真実を知りたいだけなんです」


「そうですよね。まぁ、一人いましたよ」


「それっていつ頃のことなんですか?」


「大学時代です。東大法学部時代の同級生だったんですよ」


「名前は分かりますか?」


「ちょっと待ってくださいよ」と銀山はそう言って自分の携帯電話を取り出し、何度かタップして、携帯の画像を見せくれた。


 その画像には銀山と春平を両脇にして、真ん中にその女がピースをして映っていた。髪の長い綺麗な子だった。後ろには富士山と湖が見える場所だ。何かキャンプ場の様に見えた。


「この子ですよ。墨田(すみだ)(あや)()です。彩芽とは大学時代から付き合っていましたが、しばらくしてから別れたって聞きましたが……」と銀山は指さした。


「そうですか。この写真って何処で撮ったものなんですか?」


「あぁ、これね。本栖湖のキャンプ場ですよ。湖が綺麗でね。時々自分たちは何度かキャンプに行ったんですよ。山根沢くんはあそこが好きでね」


 私は春平からそんなことは聞いたこともなかった。何でも知っていると思ったのに夫婦なんてそんなものなのかと自分の世間知らずさを思い知らされた。


「そうですか。それじゃぁ、その墨田彩芽さんに話を聞かなければなりませんね?」


「そうできればいいのですが……」


「と言いますと?」


「彼女は交通事故で亡くなったんですよ。このキャンプ場で写真を撮った後、一か月くらいしてからです」


「そうだったのですか」


 私は春平と彩芽の間には何かあったのではないかと感じた。あの写真の中での二人の雰囲気はそれを示すものだった。


「あの二人は愛し合っていたのですね? 正直に教えてください。銀山さん!」


「お察しの通りです。恋人同士でした」


 しかし、彩芽は既にこの世からいなくなっているのだ。それに十年以上も前の話だ。今度の春平の失踪とは無関係だろう。二人で何処かに逃げたなんてことはあり得ないことだ。


 春平が失踪してから既に明日で一週間になる。私もこれ以上自分の仕事を放って置く訳にはいかない。


 上司に頼んで休職させてもらった。今までの自分の調べではこれと言った手掛かりはない。何故なんだろう? 私との生活が余程不満だったのだろうか? そんなふうに感じたことはない。あるいはどこかで事件に巻き込まれて死んでいるのか? 警察は何か事件だとの証拠がないと捜索してくれない。



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