第一話 聖女と運命の人
神聖アラバスタ教国は、平原と呼ばれる肥沃な大陸中央に存在する世界最古の国家である。
世が乱れ群雄が割拠する戦乱の時代も、文明の花開く平和な時代も、その姿を変えることなく人々の信仰を集め続ける聖地であった。
そんな神聖アラバスタの象徴的存在ともいえるのが、『聖女』と呼ばれる存在。
一世代に付き一人、王家に連なる血筋の中から誕生し、その配偶者が王となるのが数千年続くアラバスタ教国の掟であり守るべき伝統。
そんな『聖女』が十五歳を迎えると、伴侶を選ぶためのお見合いの儀が大陸中に告知され、各国の王族や貴族の子息が我こそはとアラバスタに集結する。国を挙げての祝祭期間に突入するのだ。
貴族だけではなく、一般の国民も聖女人気にあやかって、国内随所ではお見合いパーティーが開催されるのも一種の伝統行事。この時期のアラバスタの人口は、普段の数倍に膨れ上がる。
また、残念ながら聖女の伴侶に選ばれなかった者や、より良い相手を求める令嬢たちにとっても、交流や嫁ぎ先を探す場として重要な世紀のイベントとなってきた――――
――――そんな重要で記念すべき日を十日後に控えた初夏の昼下がり
神聖アラバスタ教国当代の『聖女』であるセイラは、昨日十五歳、成人の日を迎えたばかり。
「ねえラインハルト、近くの森でナツグミがルビーのように実っているんですって。ジャムを作りたいから一緒に採りに行ってくれないかしら?」
思い付いたように側に控える騎士に声をかけるセイラ。そのシロタエギクのような白銀の髪が初夏の陽気のような、眩しい笑顔に反射してキラキラと輝いている。
元々美しい少女であったが、今まさにその輝きはほんのりと大人の色香を纏い別次元の輝きへと進化しているように感じられた。
「かしこまりました、セイラさま」
ラインハルトは、そんなセイラに内心目を奪われつつも、極めて冷静、事務的に主の命に従う。
その細身だが鍛え上げられた身体は獰猛な肉食獣のようであり、一方で知的でクールな印象が強い甘く整った顔は、戦士というよりは、魔導士のようでもあって、その一挙手一投足が一枚の絵画のように様になっている。
本人はまったく気付いていないが、そのギャップにやられて恋焦がれる女官も数えきれないほどいたりするのだ。
籠一杯にナツグミを摘み終えたセイラは、風通しの良い森の木陰に腰を下ろし、護衛の騎士をそっと見上げる。
その金色の髪が風に吹かれる様は、まるで黄金色に熟した麦畑のようで、その深く青い瞳は、紺碧の空のようね、とセイラは一人納得する。
「ラインハルトも座って」
「ありがとうございます。万一に備えなければなりませんので、立ったままで失礼いたします」
ラインハルトは周囲を油断なく見渡しながら、やんわりと断りを入れる。
「本当に真面目なんだから。でもね、違うのよ、大事な話があるから聞いて欲しいのです」
真剣な表情で乞われれば、さすがのラインハルトも応じないわけにはいかない。
周囲に危険な気配がないことを確認してゆっくりと腰を下ろし、言葉の続きを待つ。
「私、昨日が誕生日だったでしょう?」
「はい、誠に喜ばしくおめでたい日でございました」
聖女にとって、十五歳になるということは特別な意味がある。ラインハルトも当然それを知っているからこそ、複雑な想いを抱きつつも決して表には出さないように心がける。
「それでね、私の運命の人……実はもう見つかっちゃったんですよね」
セイラの思いもよらぬ発言に頭が真っ白になって固まるラインハルト。
十五歳の誕生日を迎えた聖女は、一目会っただけで運命の人がわかるのだという。そして運命の人とは、将来の伴侶にほかならず、すなわち次期アラバスタの王となる人。
そんな大事な話を、一介の騎士である自分などが聞いて良かったのかと、ラインハルトはパニックに陥るとともに、密かにショックを受けていた。
その痛みの正体などとうに知っている彼ではあったが、それを口にすることは許されない。強靭な精神力で努めて冷静に受け止める。
「それで……そのお方は今どちらに?」
セイラの発言が本当なら、すぐにでも身柄を保護しなければならないが、それにしても昨日の今日か……国内の人物である可能性が高いが、ここアラバスタには、大陸中から人が集まっているし、聖女はその立場から、多くの人と日々顔を合わせている。外国人の線も捨てきれないなと、ラインハルトは思案する。
「今、目の前にいますよ」
セイラはラインハルトに視線を合わせると、微笑みかける。
「あ、あの……仰っている意味がわからないのですが……?」
ラインハルトは、一瞬何を言われたのかわからず、その彫刻のような端正で涼しげな顔を歪めて大いに困惑する。
「だからね、私の運命の人……ラインハルトだったのです。私と結婚してくださいますよね?」
ぐいっっと顔を近づけるセイラに、思わず顔を背けてしまうラインハルト。
「お、お言葉ですが、私は田舎男爵家の三男ですよ!? 公爵家の令嬢で、当代の『聖女』たるセイラさまとは身分が釣り合いません。それにお見合いの儀に合わせてすでに多くの関係者が我が国にやってきているのですよ?」
ラインハルトはこの歳にして近衛騎士団副騎士団長を任される将来有望な若者ではあるが、現時点では領地も持たない一介の騎士でしかない。
「あら、身分なんて気にする必要ないのですよ。過去には平民出身の王もいるのですから。それにお見合いの儀の参加者から選ばなくてはならない、なんてルールは無いじゃありませんか」
そう言ってラインハルトの反応など想定内とそよ風のように受け流す聖女セイラ。
実際、彼女の言う通り、聖女の伴侶はあくまでも聖女自身が決めるものであって、第三者に決められたり、強制されることはあってはならないと定められている。
お見合いの儀とは、あくまで聖女が運命の人を見つけやすいように、より多くの人に出会う機会をサポートするための場の一つでしかなく、過去には今回のセイラのように儀式が執り行われる前にあっさり決まってしまったこともあったし、逆に一度では見つからない場合もある。その場合は第二、第三のお見合いの儀が繰り返され、当然参加できるのは一度きりのため、貴族にお相手がいなければ、平民にもチャンスが訪れるということも過去にはあったのだ。