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一頁目 咲き誇る花の噺

۴. ۵


咲き誇る花の国にて






 その国の中心部となる広間には様々な露店が並び、人々の声が響いていた。

 楽しげな笑い声が、客を呼び寄せる元気な覇気のある声が、子供達の高い声が、それを諌める親の声が。全てが混ざりあい雑音ともなんとも言えない音となる。

 そんな音の中を人々にぶつからないように十分に注意をしながら歩く少女と青年がいた。

 少女は他の女の体型と比べ小柄。

 質素な真っ白いワンピースを着ている。そのワンピースは一見薄い素材のようにも見えるがそれは軍にも使われると名高い丈夫な素材で出来ていた。また、そのデザインも質素にも見えるが軍服と似た作りになっている。その上をまるで少女の体の細さを強調するかのように軽い小物が入るほどのポーチが付いた黒いベルトを締めていた。

 帽子は被っておらず、代わりとでもいうように目を隠すように柔らかい素材でできているであろう布を着けていた。目が隠れているため、正確な表情と感情は分からないが口許が楽しげに緩めているということはこの国を楽しんでいるのだろう。


「もし、そこのお姉さん」

 声は少年よりも高く、けれども少女よりも高くない鈴の鳴るような澄んだ声だった。

「あら、お姉さんだなんてお世辞でも嬉しいわね。結構私、おばさんよ」

 露店にいる女は少女の言葉を聞いて嬉しそうに、けれども満更でもなさそうに笑った。

「いえ、お世辞ではありませんよ。お若く見えます」

 少女はワンピースの上に着ている足元まで届くほどの厚く長いフードの付いた外套を着ており、そのフードをおろしながらそう答えた。

 それと同時にフードから緩く1つの三つ編みをしている長い髪が溢れた。それはまるで雪が溶け、草花が顔を出す春の訪れのように毛先に向かって白から濃い緑へとなっていた。

 顔を見てみればまだ年端もいかないけれども独特な色気のある整った顔があった。そのような顔が相まってか、少女とも呼べるが成人した女性のようにも見えた。

「…あら、貴女旅人さん?」

 この国では見ない顔に髪色だと不思議に思った女は少女にそう問うた。

「はい、先程この国に来たところです。セラフィナイトと言います。此方は一緒に旅をしている相棒のエーデルワイスです」

 少女──セラフィナイトはそう言い、胸に手を当て、軽く頭を下げる礼をした。

「……」

 紹介された青年──エーデルワイスは何も喋らず、軽く頭を下げた。

「何か食べていくかしら?」

「では、せっかくなのでこの国のお勧めのものを」

 ちょっと待ててね、と言いながら女はがさごそと自分の愛する国にやって来た旅人に出すものを用意し始めた。その間にセラフィナイトが興味深そうに周りを見ているのを見て、手を一度止め、

「ねぇ、旅人さん。此所は良い所でしょう?」

 誇らしげにそう聞いた。

 セラフィナイトはまるで眩しいものを見たかのように目を細め、

「はい、とても良いところですね」

 微笑みながらそう答えた。

「人が(みな)、笑顔で元気に走り回り、貧富の差も酷くない。路地裏で人が死ぬこともないですし、見たところ国全体の設備に随分と気にかけられているようです。そして、何より戦争すらしていない。…とても良い所ですね、此所は」

「ええ、ええ! そうなのよ! この国は自然を愛する国! 私の最も愛す国!」

 女は身を乗り出してそう興奮したように先程よりも声量を大きくしてそう言った。

「お姉さん、折角作った美味しそうな商品が落ちそうですよ。それに、あまり乗り出し過ぎると危ないです」

 セラフィナイトは困ったように薄く笑いながら先程と変わらぬ落ち着いた声量で今にも落ちそうな商品を受け止めた。

「あ、あら…ごめんなさい。旅人さんがこの国の良さを良く分かってくれるから、つい…」

「大丈夫ですよ。お姉さんのお陰で私が見た通り…いえそれ以上にこの国が良いところだと分かりました」

 顔を恥ずかしそうに顔を染めた女にセラフィナイトは商品を渡しながらそう答えた。

「ところで、それで出来上がりでしょうか?」

「あ、ええ、そうね。後はこのソースをかけて……はい、出来たわ」

「ありがとうこざいます。…これは凄いですね。初めて見るものです」

「ええ、この国での名物なの。きっと他の国では食べれないでしょうね。…旅人さんのにはオマケをしておいたわ」

 目が隠れているのにも関わらずまるではっきりと見えているかのようにそう感想を述べるセラフィナイトに女はこそっ、と悪戯をする子供のような笑みを浮かべて小声でそう言い、

「是非、もっとこの国の良さを見て行ってね」

 大きく手を振った。


「ヴァイスも食べる?」

 人々の笑い声が響く広間を歩きながら先程買ったものを摘まむ。そして、黙々と隣に歩いている相棒を愛称でそう声をかけ、皿を向けた。

「………」

 皿を向けられた相棒である男は他の男と比べ、上背があった。それはただでさえ小柄なセラフィナイトの隣にいるからか余計に高く見える。

 そしてこれまた反対とでも言うように、セラフィナイトは白を基準とした服を着ているのに対しエーデルワイスは黒を基準とした服に身を包んでいた。

 厚く長い生地のズボンに長袖のシャツ、そしてその上に着物のような長い袖のあるかわった形の黒い外套を着ていた。しかし、ただ黒いだけではなかった。袖だけでなく前身頃(まえみごろ)にもざっくりと藍色の地に金や赤で 観世水(かんぜすい)の上を飛ぶ白い鶴が描かれているなどの細かな装飾もあった。

 ズボンは黒いベルトでしめられており、そこに幾つかのポーチ、それと黒い鞘に入っている打刀を差していた。慣れたように歩いているため、長い間使っているのだろう。多少の傷はありながらも丁寧に手入れをされているのが見てとれた。

 外套のフードにより髪色も口許まで隠れているため顔も分からない。手も黒い皮手袋で覆っていて肌の色すら分からない。

 唯一見えるのはアメジストのような薄い紫の瞳。エーデルワイスはちらりと皿にその瞳を向けたが、すぐに興味を失ったように視線を反らした。

「美味しいよ…?」

 セラフィナイトが自分のスプーンとは違う新しいスプーンを渡しながら再度声をかけると、

「あっ」

「……甘い」

 短く発した声は低く、静かだった。

「もう、ヴァイス。ちゃんと渡したんだからそっち使ってよ」

「…残りはセラフィが食うといい」

「聞いてないし…」

 呆れたようにじとっとした目で見るセラフィナイトにエーデルワイスは視線を外し、何処か遠くを見た。

「…甘いのは当たり前でしょ」

 一口掬って口に運んで目を輝かせた。それをさっきまで何処か遠くを見ていたエーデルワイスがじっと見ているのを見てやや不機嫌そうにぶらぶらとスプーンを口にくわえながら、

「──だってこれは花なんだから」

 そう言った。

 自然を愛するとは良く言ったものだと言うように国が花で溢れかえっていた。

 そこかしこに様々な色の花が咲き誇っており、蔦のある花が殆どの建物に巻き付き、小ぶりだったり大輪だったり、様々な種類の花が顔を覗かせていた。国全体が花特有の蜜のような、緑のような甘い香りで包まれていた。

 セラフィナイトが持っていた皿も紙やプラスチックで出来ている物ではなく人の顔程ある大きな葉がまるで折り紙のように組み立てられていた。その葉は地面に捨ててもそのまま肥料となるまさに自然に優しいものだった。

 そして、その葉で作られた皿には色とりどりな花が盛られていた。それはまるで子供がごっこ遊びをする時に出てくる食事のようでありながらも、花の形を型どったキラキラと輝く宝石を詰め込んだ食べれる宝石箱のようにも見えた。

「珍しいよね、こんなに綺麗で美味しい花が食べれる国って。話には聞いてはいたけど…えっと……食用花(エディブル・フラワー)…? って本当に全部食べられるんだね」

「…食用花は植物の花を食材として用いる。普通は味ではなく食卓の彩りを目的として使用されるものを指す」

「へー…。普通は味はしないの?」

「…するにはするが……」

「あっ、…また」

 呆れたように見るセラフィナイトの視線をものともせず、説明をしながら花を口に含んだ。しかし、すぐ顔をしかめた。

「……甘い」

「だからさっきも言ったでしょ。花なんだから──」

「違う」

「え?」

 僅かに驚いたような表情で再度見るセラフィナイトにエーデルワイスは一つの花を指した。

「…スナップドラゴン……いやキンギョソウと言った方が分かりやすいか」

 それは成る程、名前の通り。と、でも思えるような金魚を連想させる愛嬌のあるふっくらとした花形の花。

 しかし、それは竜にも見えて竜を見立ててスナップドラゴンと呼ばれている理由も分かる花。盛られているのは様々な色があったが全て淡い色の花だ。

「…これは甘さの後に苦みを感じる花だ。だがこれは…」

「あ、甘い。苦くならない」

 エーデルワイスが指した花を食べたセラフィナイトがそう言って僅かに首を傾げた。

「…それと、この花」

「これ?」

 肯定と答えるように僅かに首を縦に振ったエーデルワイスが次に指した花はスナップドラゴンと比べやや小ぶりな花。比べてみれば淡い色ではなく濃い色を中心とした色。

「…これはほのかに甘味、苦みがあると言われてはいるが……正直な話、香りはいいが不味いどころか苦い。花として食えたもんじゃねェ」

「…これも甘い」

「…嗚呼」

 だからこれは可笑しい、とでも言うように僅かに顔を歪めた。

「…うーん。花についてはそこまで詳しくないけど、このかかっているソース……ううん、蜜…?は多分知ってるよ。食べたことはなかったけど…」

 まるで蜂蜜のように透き通るように透明感を持つ黄金色に、細かく刻んだ色とりどりの花が混ぜ混んである蜜だけを舐め、「やっぱり甘いね」と、誰に言うとでもなく言い、最も人の集まるこの国の中心に位置する広間で立ち止まった。

「あ、やっぱり」

 予想的中。

 そう言うようにセラフィナイトの唇は緩やかに弧を描いていた。

 そこには花があった。

 周りの小さな花から大きい花まである中で一際目立つそれはおおよそ二m程の大きさ。色は全体的に赤色でありながらも外側は緑かかった黄緑。その花だけを見ればラナンキュラスのようにも見えた。

 何枚も何枚も重なった花びら。それらは透明感を持っており、血のように赤い花脈が透けて見え、赤いこともありながらまるで燃えざかる炎のようだった。

 茎はずっしりと大きく人の腕程の太さがあり、触れてしまえばナイフのようにすっぱり切れるであろう薔薇のように鋭い棘があった。葉は表は緑で裏は赤く、細長かった。

「……」

 エーデルワイスは暫く興味深そうに見ていたが、セラフィナイトが歩き出せば直ぐにその興味も失われたようだ。彼にとって花はそこまで興味のあるものではなかった。

 セラフィナイトは、その大きな花の周りをぐるりと歩いていく。

 大きな花は真ん中の花が最も大きく、それを中心にしてその花より大きくはないけれどもそれなりに大きい幾つかの花が咲いていた。一見一輪ずつ咲いているようにも見えるがよくよく見てみれば大きい花から全て菊で繋がっていた。

「もし、お兄さん。少々お話よろしいでしょうか?」

 その大きな花には木の板と柱で土台が作られており、その上にモスグリーンのツナギの作業着姿をした男が数人何か作業をしていた。

「ああ、いいよ。君達は…旅人さんかな?こんななりで申し訳ないけど、ようこそ我が国へ」

「ええ、丁寧にありがとうございます。今は…何かお仕事をされていた所でしょうに、すみません。お邪魔だったでしょう」

「いいよ、いいよ。ちょうど休みにするところだったからね」

 笑顔で手を振り、二、三言仲間に声をかけて近くの椅子に座った。

「何を知りたいのかな?」

 手で向かい合う椅子を進めながらそう聞いた。

「この花について、です」

 進められた椅子に座ってそう答えた。エーデルワイスは座らずセラフィナイトの側に立った。

「この花についてかい?」

「はい」

「そうだね、気になるだろうね。何せ此所に移住して来た人達も最初は驚いていたしね」

「はい、私も驚きました。いえ、それはこの花だけに限らず綺麗な花が辺り一面に咲いているこの国にもですが」

 セラフィナイトは、男の仕事仲間であろう人に出された花の浮いた紅茶に口をつけながら笑顔で、

「それに、こんな綺麗で美味しい花の飲食が出来ますし」

 そう付け加えた。

「そうだろうね、こんな事が出来るのは我が国だけだと思っているよ」

「…何故甘い」

「ん?」

 今まで黙りこくっていた旅人の男に突然そう聞かれ、男はそう聞き返した。

「…この国の花は本来甘い筈のない花まで甘い。…どういう事だ」

「ああ…! この国の花についてかい?」

 エーデルワイスは、僅かに首を振って肯定した。

「うんうん、気になるよね。それはね…この国に流れている水に秘密があるんだよ」

 男はそれを聞いて満足そうに首を大きく振ってから、内緒話でもするようにそっと言った。

「水に、ですか?」

「そう、水にね」

 そう言いながら男は、建物の見えない急な高さのある山の頂上を指差した。

「この国の水はね、全部彼処の山の頂上にある川から引いているんだよ」

「…あの山にある川だけでこの国の水が補えるのですか?」

 セラフィナイトは僅かに首を傾げ、不思議そうにそう聞いた。

「うん、普通はそう思うだろうね。でもね、あの山にある川は凄く大きいんだ。此所からは見えないけどね。頂上はまるで湖のような水が円状に広がってるんだよ。それが滝のように落ちて、大きな大きな川になってるんだ。それに、この国にはありがたいことに雨の神様の加護にも恵まれていてね、この国が出来てから一度も水不足になったことはないんだよ」

「…カミサマ、ねぇ」

「そう、神様だよ。雨の神様だけじゃなくて太陽の神様、それに花の神様の加護もあってね。私達はそうやって神様の加護を受けて生きてきているんだ」

 嘲笑うような笑いを声に乗せ、そう言ったエーデルワイスに気を悪くした様子を微塵も感じさせない笑顔で説明する男。

「そう言えば…此所は教会が多かったですね。少しだけですが拝見しました。ステンドグラスや白の煉瓦(レンガ)、それに大きな金の鐘の建物ですよね。どれも趣旨が凝らされていて見事でした」

「おや、見てくれたんだね。旅人さんにも誉めてもらえるなんて嬉しいなぁ」

 男はまるで自分の事を褒められたかのように恥ずかしそうな顔をし、頭を掻いた。

「教会はね、花に続くこの国の観光名物何だよ。それに、教会だけでなくさっき話した山の川もそうなんだ」

「綺麗なのですか?」

「そりゃあ、勿論。まるで天国のような美しさだよ。川のそこまで見えるほどの透明感。魚はいないけどそのまま生水で飲める甘く美味しい水。夏でも冬でも変わらぬ冷たさ。そして、一番の見所はやっぱり川の底に咲く花だね」

「花…? 川の中に花があるのですか?」

「…梅花藻(バイカモ)か」

 梅花藻とは、多年生の沈水植物であり、白色の花弁を5枚つけた花が水上で開花する花の事である。

「いいや、違うよ」

 けれど、男は笑顔でその言葉を否定した。

「川に咲いている花の名前は青龍花(セイリュウカ)。青い龍に、花。四神の青龍から名付けられているんだ。その名前の通り、青い龍のような花びらで一年中咲いていてね、川の流れによってひらひら動くんだ」

「青龍花、ですか。…聞いたことがありませんね」

「………」

「この国を出ていく前に一度は見ておいた方がいいよ」

 近くにあった店に置いてあったパンフレットを手渡ししながらそう進めた。

「そうですね…。他ではあまり見れなそうですし、とても綺麗ですね。この国を出る前に行ってみることにします」

 セラフィナイトは色々な角度で撮られている写真を見てほぉ、と感心の息をはいた。そして、季節によって区切られて書かれている説明を軽く目を通しながら捲っていき、ぱたんとパンフレットと閉じて最後にそう答えた。

「それと旅人さん、この国に来たならお土産に花を買っていくといいよ。この国の花は全部、農薬不使用栽培だからね。体に害は全くないよ。最近は… 乾燥花(ドライフラワー)だったっけな。店に日持ちする花も売っていたよ」

「それはいいですね。是非、買ってみます。しかし、」

 セラフィナイトは、そう言いながら上を見た。何処までも続くような青い空が見えた。周りは賑わい、けれども命を奪い合うような事は微塵も起こらなそうだった。

 暖かい風がセラフィナイトの髪を揺らして、花を揺らした。一際甘い蜜の匂いがした。

「──本当にいい国ですね、此所は」

 その顔は心底幸せそうで、これ以上にない程柔らかい笑みだった。

「そうなんだ!! 分かってくれるんだね!? 旅人さん!! この国の素晴らしさが! 一年中様々な色彩の花が咲き誇る美しいこの国がッ!!」

 突然男は頬を赤く染めて手を大きく広げ、そう叫ぶように熱心に説く。感情が高ぶっているのかだんだんとセラフィナイトに近づいていく。

 セラフィナイトは嫌な顔を一つもせず、ただ、先程とは変わった困ったようにはにかんだ笑みを浮かべてた。

「…それで」

 エーデルワイスが音もなくセラフィナイトと男の間に割り込んだ。

 セラフィナイトの肩を抱きしめるように抱き、いつの間に外したのか皮手袋を取った片手が男の顔が触れるぎりぎりのところで止めていた。それはまるで一度も日に当たった事がないかのような雪のように白い肌だった。

 静かに話すその声は、変わらぬ声色なのにどこか苛立たし気で不愉快な声色でもあった。

「え?」

 男は突然の事に僅かに上ずった声でそう返した。

「…話の続きだ」

「あ、ああ、そうだったね。えっと…何処まで話したかな」

「…あの山の川の話までだ」

 エーデルワイスは、くいっと顎で山を示した。

「ああっ!」

 男は思い出したように声を上げた。そして、まるで母親の大事な皿を割ってしまった後のような罰の悪い顔でセラフィナイトに頭を下げた。

「ごめんよ、旅人さん。君を怖がらせてしまったらしい。旅人さんがこの国の良さをよく分かってくれるたから少し熱が入ってしまって…」

「いいえ、大丈夫ですよ。…それにしても、先程のお姉さんもですが、この国の人はこの国の事がお好きなのですね。とても…羨ましいです」

 セラフィナイトは、笑顔で男にそう話していながらも手は再び椅子の近くに戻った黒い服を不安気に掴んでいた。

「…ヴァイス、だからそんなに怒らないで。私は何もされてないから」

「…………」

 エーデルワイスは皮手袋を着け直しながらセラフィナイトを横目で見ると、ふい、とそっぽを向いた。

「ヴァイス…」

「………」

「ねぇ、ヴァイスったら」

「…………」

「…怒ってる?」

「……怒ってない」

「嘘」

「………」

 アメジストの瞳がじっと少女を見抜いた。

「………」

 見えないはずの布の奥の瞳が男を見抜いた。

「…………、……悪かった」

 先に折れたのはエーデルワイスの方だった。

 そうようやく絞り出したかのように言ったその言葉は男に対しての謝罪か、はたまたセラフィナイトか。

「…すみません。私達の方こそお兄さんを怖がらせてしまって」

 セラフィナイトはそう言いながら軽く頭を下げた。

 エーデルワイスは、それで用が済んだ、とでも言うように、話したきりまた興味をなくした様子で何処か遠くを見ていた。

「い、いいや。別にいいよ。私の方が先に旅人さんを怖がらせてしまっていたからね。ね、えっと…──」

「エーデルワイスです。すみません、申し遅れていましたね。私はセラフィナイトと言います」

「いいや、別に気にしてないよ。もしかして名前で呼んだ方がいいかな?」

「いいえ、どちらでもいいです。お兄さんのお好きなように」

「じゃあ、セラフィナイト、さんで。エーデルワイスさんはただ何か私がセラフィナイトさんに危害を加えるように見えたんだろう。違うかな?」

「………」

 その問いにエーデルワイスは何も答えず、男を一瞥したきりまた視線をずらした。

「あはは、もしかして人見知りさんなのかな?」

 男は笑顔でそう言った。怒っている様子ではなかった。

「そうそう、話の続きだったね。その青龍花が川の中に咲いているから甘いんだ」

「もしかして、その花の蜜が流れているのですか?」

「そう! 正解さ。青龍花は柔らかい花なんだ。強い川の流れが来たら甘い蜜が流れる。そして、川の水は甘い水になる。だから、」

「その水を使って成長した花は甘くなる、ですか?」

「そう、正解。凄いね、旅人さん」

 男は、感心したようにぱちぱちと手を叩きながら笑顔で言った。

「だから、この国の花は本来甘くないはずの花も甘いんだ。私達の国はその花を輸出──売っているんだ。私達の国の花は珍しいからね。お陰でありがたいことにとでも儲かっているよ」

「なるほど…そんな唐栗が」

「あははっ、唐栗って程じゃあないよ。どうだったかな? エーデルワイスさん。この私の答えは君の問いを満足させれる答えだったかな?」

「……」

 エーデルワイスは答えず、僅かに首を縦に振った。

「そう、よかった。それで…えっと、セラフィナイトさんはこの花について聞きたいんだよね?」

「はい」

「うん、いいよ。私はこの花については詳しいと思っているよ。何たって、私はこの花についての事で働いているからね」

「それは…この花の蜜を取っているのですか?」

「よく分かったね。…いいや、そう言やぁ、セラフィナイトさん達は見ていたね。それで近くにいた私に声をかけた」

「はい、そうです。とても気になったので。だから、近くにいたお兄さんに声をかけました。それにしても…良かったです。お兄さんが優しい人で。私達は旅をしているものですから、聞いても答えてくれない人、とても怒られる方も勿論いました。ですから、良かったです。お兄さんが優しく、余所者である私達を歓迎して、この国について話してくれるような人で」

「ううん…そこまで言われると何だか照れるなぁ」

 そう言いながらも満更でもない顔で男は笑った。

 セラフィナイトはそんな男をカップ越しに見て、花の紅茶を一口飲んだ。

「おっと、話の続きをしなくちゃね。私はどうやら昔から話が脱線してしまう性でね。そう気を悪くしないでくれるかな?」

「勿論です」

「ああ、良かった」

 男は、ほっと安心したように息をはくと話を続けた。

「それでね、この花はね、急に現れたんだ。ある日、拳台の大きさの芽が出ていてね。それは、今まで私達が見たこともないような芽だった。勿論私達は初めは驚いたさ。でも、この国は何たって花の国。誰もが喜んだんだ。

 どんな花だろう? 綺麗なのかな? もしかしたら美味しい花かもよ? 毒かもしれないよ? ──何だっていいさ、それが花である限り。そう、誰もが今か今かと待ち望んだんだ」

 そこで、一度言葉を切り、自分の前に置いてある花の紅茶を手に取り、一口飲んだ。

「そして、やっと咲いた! 誰もが驚いた。誰もが息を飲んだ。誰もが笑顔になった。それほど綺麗な…綺麗な花だったんだ。名前は決められてないけど、敢えて言うならば、“神の花”。花の神様が私達に与えてくれたんだって思っていたからね。

 丁度この国の中心に咲いていたから暫くは新聞でもテレビでも引っ張りだこ。若いカップルのデートの待ち合わせにもなったりしたんだよ。そう、ある日突然咲い花がこの国の象徴(シンボル)になったんだ。

 それでね、それだけじゃなかったんだ。それはね…暫く経ってこの国の花の研究者が言ったんだ。『この花は素晴らしい!』そう興奮した声でね」

「素晴らしい、ですか?」

「うん、私達も最初は何を今更? とか思ったんだ。だって凄く綺麗だったからね。でもね、花の研究者が言ったのはこの花はとても美味しいって事。それはもう、頬が蕩けるぐらいにね。半信半疑だったさ。だって殆どの花には毒は付き物だろう? …まぁ、この国の毒花はとても難しい薬の調薬にも使われる程の凄さはあるらしいけどね。その分、勿論値も跳ね上がるけど。毒花だけじゃなくて、薬草も同じようにね。

 ああ、ちょっと話がそれたね。それでね、この花は美味しいだけじゃなかったんだ。勿論美味しかったんだけどね、それだけじゃなくてこの花の蜜には凄い効果があったんだ!」

「凄い効果、ですか…」

「そうッ! 凄い効果が!! 何と…この蜜、一舐めしてしまえばたちまち若返るんだ! 勿論若返るのは少しだけ。でもね、でもね、毎日食べ続けていれば全盛期に。若いままでいられるんだよッ! 素晴らしいことだと思わないかい!? セラフィナイトさんッ!」

「いいえ」

 セラフィナイトは、はっきりと言った。

 興奮気味に身を乗り出しつつ語った男に対し、一言少しだけ冷めた声で。

「え?」

「私は人間は老いるから良いのだと思います。老いて、それを次へと繋ぐ。か細くいつ消えてしまうかもしれないそれを必死に手繰り寄せて次へ、次へと受け継いでいく。私はそれが好きです」

「…老いて、死んでしまうかも知れないんだよ?」

 男は、心底不思議そうにそう聞いた。

「はい、それでいいです」

 先程と同じように、セラフィナイトは柔らかい花のような笑みを浮かべてはっきりと言った。

「老いて死に、次の子へと繋ぐ。それを繰り返して、繰り返して、生きていく。それに…生命の輪から離れるのはあまりお勧め出来ません」

「う~ん、どうやら、私達とセラフィナイトさんでは価値観が違うみたいだね。うん、そうだ。セラフィナイトさん、私は何歳ぐらいに見えるかな?」

「え…?」

「大体でいいよ」

「そう、ですね。20…歳程でしょうか」

「残念。私は本当はもう70なんだよ。この花が見つけられたのは私が20の時。今は私も結構なおじさんでね、孫もいるんだ」

「………」

 セラフィナイトは何も言わなかった。何も言わず、じっと男の話を聞いていた。

「母も祖母も生きている。まぁ、病には勝てないけどね。だけど、それも徐々に良くなっている。この国の資源は豊富だし、土地もまだまだある。それに、さっき言った通り、他の国からのお金も期待できる。どう? いいことじゃないかな? 急に老死して死ぬことはない。愛する家族と共にいられるんだ。悪くはないだろう?」

「いいえ」「…いいや」

 セラフィナイトだけでなく先程までじっと男の話を聞いていたエーデルワイスも声を揃えてはっきりと否定した。

「私は人間のその姿を見るのはあまり好きではありません。本来の人間のその姿を見るのが好きです。だから、私はヴァイスと二人で旅をしています」

 セラフィナイトは、そう言い、

「…俺もその考えは嫌いだ」

 エーデルワイスは、それに同調して言った。

「そう、か……」

 男は、寂しそうに笑った。


「お話ありがとうございました」

 セラフィナイトは椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げ、そうお礼を言った。

「…もう、出て行くのかい?」

「いいえ、この国の宿泊所に、そうですね…一泊程滞在してからにします」

「…うん、うん。そうだね。この国はいい国だからね。じっくりと見て行くといいよ」

「はい、そうするつもりです。ありがとうございました。紅茶、とても美味しかったです」

 再度礼を述べ、男に背を向けて歩き始めたセラフィナイトが“神の花”と呼ばれる花の前でぴたりと立ち止まり、

「──ところでこの花、この国に何時から現れたのですか?」

 そう聞いた。

「え?」

「出来るだけ正確にお願いします」

「…そうだね、今でもはっきりと覚えているよ。丁度彼女の誕生日の日だったからね」

 男は、照れくさそうに笑い、

「現れたのは、西暦1187年5月4日──今から53年8ヶ月124日前だよ」

 そう答えた。




「綺麗…」

「………」

 セラフィナイトとエーデルワイスは山にいた。

 この国の観光地でもある大きな湖が広がるそこは何処までも続くかの如く広大だった。

「本当に青龍みたいだね」

「…嗚呼」

 湖と川を見てみればそこには水とは違う青が広がっていた。

 全てが全く同じ色ではない青の花が風が吹いたことにより出来た波に押され、揺らした。それはまるで青龍が空を飛んでいるようだった。少しずつ色の異なる鱗を動かし、空を駆け飛ぶ龍に。

「…この国を出るか」

 セラフィナイトはちゃぽん、と湖に手を入れながら花を触り、川の流れを感じながら、

「うん。次の国で売れそうな物はある程度買えたし、消耗品の補充もした。それに、此所で見たい所は全部回ったしね」

 そう答えた。

「……止めておけ」

 立ち上がったセラフィナイトにエーデルワイスが静かに言った。

「…何で、私がしようと思うことが分かったの?」

「…長い付き合いだ」

「……そうだね、長い付き合いだったね」

 強い風が吹き、セラフィナイトの髪が広がった。風に流れる髪を押さえながらそう嬉しそうに、しかしどこか寂しそうに笑った。

「…それに、」

「それに?」

 セラフィナイトは自分を見て、言葉を切ったエーデルワイスに言葉を促した。

 エーデルワイスはやや躊躇って、

「…俺は、セラフィよりもセラフィの事をよく分かっているつもりだ」

 そう言った。

「「………」」

 暫くなんとも言えない空気が流れた。

「………、……もしかして私、口説かれてる?」

 風に揺れる花を見ながら、セラフィナイトはそう聞いた。

「…どうだろうな。…お前には、どう見える?」

 水に揺れる花を見ながら、エーデルワイスはそう答えた。唇は愉快そうに弧を描いている。

「………」

「……まぁ、答えなくてもいい」

「えっと…それは──」

「…俺は何度でも言い、何度でも、いつまでもお前と共にいるからな」

 目を細め笑うエーデルワイスからは鋭く、長い犬歯が見えた。

「…それと、()()は彼奴らの問題だ。セラフィ、お前が口を出す必要はない」

「で、も…さ」

「…俺は知らないが、セラフィはアレの正体を知っているんだろう。だかな、旅人である俺らが言っても信じる人間は極僅か。ならば、言わぬが吉だ」

 視線を横にずらし、言い淀むセラフィナイトを皮手袋に包まれた両手でエーデルワイスが掴む。かちり、と布の下の瞳と視線が合わさる。

「…俺はお前を危険な目などには合わせたくない。お前は賢い。……だから、分かるだろう。俺を心配させてくれるなよ、セラフィ」

 目を細め笑う瞳はどこまでも冷たく、底が見えない程無機質な紫の瞳。

「……分かったよ」

 セラフィナイトはじっとエーデルワイスを見てからそう答えた。

「でも…()()だけはしておこうかな。それぐらいはいいでしょ? ヴァイス」

 風が巻きおこり、青龍花と呼ばれる花が風に身を預けるように大きく揺れた。

 その花を背に呆れたように顔を歪める男を見て、少女は静かに笑っていた。




「あら、旅人さん。もうこの国を出るのかしら?」

 セラフィナイトはその声に振り返り、軽く礼をして笑顔を向けた。

「はい、お姉さんの言っていた通り、とてもいい国でした」

「分かってくれて嬉しいわ」

 女も笑顔を返しながらそう言った。

「あ、セラフィナイトさん。出て行ってしまうんだね」

 買い物でもしていたらしいセラフィナイト達に花について教えた男が大きな紙袋を抱えて駆け寄ってきた。

「お勧めの場所を教えてくださりありがとうございました、お兄さん。何処も良い場所でした」

 人混みからそう声をかけてくれた二人にセラフィナイトはもう一度頭を下げ、礼を言った。そして、

「お礼といってはなんですが、これを差し上げます」

 背負っていた鞄から一冊の本を取り出した。

 それは、皮張りの本。濃い緑の皮に金の蔦と花が金色で彫られていた。辞書程の大きさのその本には持ってみればずしりとそれなりの重さがあった。

 そう、その本はそれなりの重さと大きさがあった。しかし、セラフィナイトの背負っている鞄は始めも、本を取り出した後も、形が変わっていなかった。普通、そんな物をいれていたら鞄の形が変わってしまうだろう。加えて、セラフィナイトは特別重い物を持っているそんな素振りは見せなかった。

 やはり、鞄は始めのようにあまり物が入っていないかのように膨らんでいなかった。同時に歩いている時も物が当たり合う、そんな音も聞こえなかった。

 そう、それはまるで初めから何も入っていないようだった。宇宙の中に物を投げ込んだかのように。

「植物図鑑かしら?」

「はい、他国のものですが…。よく読んでおくといいですよ」

 女が、セラフィナイトの渡した本──植物図鑑のページを捲ってみるとそこには鮮やかな絵の具で描かれた花の絵。そして、細やかな花の説明がついていた。

「……どちらを選ぶかは貴方(がた)次第です」

 女の手にある植物図鑑を興奮したように横から見ている男と食い入るように見ている女。そして、そんな二人の様子を見て集まってきた国の者。

 どうやら、この国の者はセラフィナイト達が考えるより遥かに花が好きらしい。

 それを見ながらセラフィナイトはそう言う。

 その声を聞いたのは僅かな者。しかし、その者達はは本に熱中してしてセラフィナイトの声を気にも止めなかった。

「──どうか、後悔のない選択を…」






「…ねぇ、本当にあれで良かったのかな?」

「……本人次第だ」

 国から出て、暫く歩いてからぽつりぽつりと二人は話し始めた。

「美味しかったね、あの花」

「…俺には甘過ぎた」

 声を弾ませ話すセラフィナイトに顔をしかめ、返すエーデルワイス。

「花、いっぱい買っちゃったよ。次の国で高く売れるといいな」

 セラフィナイトは背負っていた鞄から幾つかの袋詰めと瓶詰めがされた色とりどりな花を取り出した。やはり、その鞄に入りきらないようなものだった。

「…交渉は俺がやる」

「……たまには私がやってもいいと思わない?」

「…思わない。…お前はすぐ騙される」

「騙されないよ」

 セラフィナイトは拗ねたようにそっぽを向いた。

「…そうか」

「じゃあ!」

 セラフィナイトはぱっと笑顔を浮かべた。

「…だが、お前はやるべきではない」

 間一髪入れず、エーデルワイスは真っ直ぐとセラフィナイトを見て言い切った。特段大きい声ではなく、けれども反論を許さないような声で。

「…もし荒事になって、お前が怪我をしたらどうする」

「大丈夫だって。()()()()()()

「…そういう話ではない」

 エーデルワイスは低く唸るように言いながら、セラフィナイトの片腕を持ち上げた。

 エーデルワイスの方が背が高いため、必然的にセラフィナイトは釣り上げられた魚のように宙ぶらりんとなる。

「…お前は弱い」

「弱くない」

「…俺に簡単に腕を取られる癖にか」

 腕をそのまま上へ持ち上げると、セラフィナイトの顔はエーデルワイスの顔と同じ位置へとなる。

「信用しているからだよ、ヴァイス」

「……俺を信用か。…噛まれても知らねェぞ、セラフィ」

 エーデルワイスは尚も穏やかな声で話すセラフィナイトにガウッ、と噛みつく振りをし、ゆっくりと降ろした。

「でも、君はしないでしょう?」

「……さぁ、どうだろうな」

 エーデルワイスは僅かに唇を歪ませ、笑った。

「…何故すぐ分かったんだ」

 そして、すぐ話題を切り替えるようにセラフィナイトに質問を振った。

「あの花の事?」

 肯定。

「本を持ってたのもあるけど…昔、薔薇のお姐さんから聞いた事があったの。一舐めするだけでたちどころに若返る魔法のような蜜の話を」

「…あの女狐か」

 エーデルワイスは、その答えに苦々し気に顔をしかめた。

「言い方!」

「…ならば淫婦だ」

「間違ってはないけど…間違ってはないけどね。言い方…」

 仁辺もなく言うエーデルワイスに頭を抱えるセラフィナイト。しかし、はっきりと違うと言い切れない自分にも頭を抱えたくなった。

「…アイツもよく言っていた。…刀葉林(ようとうりん)の女だと」

「“アイツ”って、薔薇のお姐さんと一緒にいた男の人?」

「…嗚呼」

「私はあまり話した事がなかったけど…確か、凄く薔薇のお姐さんと仲が悪かったよね?薔薇のお姐さんも蛇蝎の如く嫌ってたし…」

 顎に軽く手を当て思い出しながら記憶を呼び起こすように話すセラフィナイトにエーデルワイスは如何にも嫌そうな顔をし、宙を睨み付けるように見て、

「…さぁな」

 続けて、

「…少なくともアイツはその女を異性として見ていた。…どうしよもなく糞な野郎であったが、他のどの女よりも入れ込んでいた」

 そんなエーデルワイスをセラフィナイトはぱちくりと瞬きをした後、

「今日はいつもより喋るね。特にその人の話だと。良い人、だったの?」

 僅かに首を傾げながらそう問うた。問うてから、そういえば初めて話題に出したな、と思い起こしていた。

「…“良い人”等と言う言葉から最も遠い男だ。…天上天下 唯我独尊。…残りの“三界皆苦 吾当安此”を全てアイツを生まれ落とした女の腹の中に置いてきたような奴だ」

 セラフィナイトはじっとエーデルワイスを見ながらまた一歩、歩を進める。

「…酒と博打と女が好きな絵に描いたような碌でなし。…その癖剣の腕は一人前。…どこをどうしたらあんな馬鹿でけェ刀を器用に扱えるんだか」

「ヴァイスより強いの?」

「………嗚呼。……何を笑っている、セラフィ」

 くすくすと笑い始めたセラフィナイトにエーデルワイスはやや気を害したように怒気を込めた声で聞く。

「ううん。なんだか、ヴァイスってその人の事が好きなんだなぁ、って分かって…そしたら、嬉しくなって。でも、少しだけおかしくて」

「…嫌いだ。……だが、俺を拾い、助け、そして…俺に生きる(ほうほう)を、護る意味(りゆう)を、戦う(てほん)を示したのも紛れもなくアイツだ」

「…そっか。じゃあ、私に取っての薔薇のお姐さんと同じなんだね」

 セラフィナイトは緩やかに笑いながらそう言った。少しだけ、目の前の男の話が聞けて嬉しかったのだ。

「……この話は止めだ。…それでその女から何を聞いたんだ」

 やや歩きを早くしたエーデルワイスにセラフィナイトは駆けながら着いていき、口を開く。

「荷物の内の一つに小さな瓶に入ったあの蜜と同じ蜜を見せてもらったの」

「…なんだ、アイツらも此所に立ち寄っていたのか」

「ううん。薔薇のお姐さんは此所には来てないと思うよ…多分。私に話してないかも知れないけど」

 セラフィナイトは曖昧に首を横に振って否定し、続けた。

「あの蜜と此所にあった蜜は同じ。ちゃんと()()から間違えないよ。そもそもこの蜜は──花は此所には生息していないはずだからね。もっと南の暑い所だよ」

 鞄から大きな瓶いっぱいに入った蜜を取り出し、南に指を指した。

 セラフィナイトが手に持っている瓶の蜜はそれが蜜の値段とは言えないであろう程高かったが、この蜜の価値を知っていれば寧ろ安い価格であった。

「何かの拍子か…多分、私達以外の旅人がその種子を持ち込んで来ちゃって、そして最悪な事にこの地にあって芽吹いてしまったんだろうね」

「…ただの花がそのような蜜を意味もなく生み出すのかおかしくて堪らない。…そう、あり得ない。…あまりにも都合が良過ぎる。…ならば、()()にも何かあるんだろう」

 まさかそこまで読んでいるとは思っていなかったセラフィナイトは驚いたように僅かに間を空けると「ご名答」と、言い、

「そう、この花は───」

 答えを告げようとした途端。


「──退けッ! セラフィ…!!」


 エーデルワイスが叫んだのと大きな音を立て、地面が割れたのはほぼ同時…いや、僅かにエーデルワイスの方が早かった。

「……ッ」

 間一髪避けたセラフィナイト。しかし、完全には避けきれず、地面から伸びた()()は彼女の目に巻いた布を切り裂き、白い肌に赤い線を残す。

「セラフィ…ッ!!」

 割れた地面から跳び退きながら空中で体を捻り、方向を変更。それと同時に刀を抜き地面から出てきたモノを認識。

 何が、と理解するより早く皮手袋が塵のようになくなり、現れた白い手が直接触れた刀身は鈍く輝く鉛色から黒く染まり変わる。そして、勢いをそのまま殺しもせず、着地と同時に刀を突き刺す。

 地面から出てきたモノは断末魔のような声を出し、刀が刺さった辺りから黒ずみ、そして跡形もなく消えた。

 しかし、エーデルワイスは確かな手応えを感じれば、それを振り返りもせず、先程まで隣で歩いていた少女の名を鋭く叫ぶ。

「…大丈夫。少しかすっただけ。これぐらいなら少しもたたず、」

 ()()()()()()セラフィナイトに直ぐ様駆け寄り、血の滲み出た肌を指でそっと拭う。

 …からからから。

「──治るから」

 次の瞬間には切り傷は傷痕一つなく治ってた。

「…何故知っていたのに気を配らなかった」

 しかし、エーデルワイスはセラフィナイトの顎を掴み、静かに問いかける。

「あ…ははは。流石に此所までは追いかけて来ないと思ってたから、かな」

 気まずそうに目線だけをずらすセラフィナイトにエーデルワイスはため息を一つついた。

「…今回は俺の不注意でもあった。…しかし、()()としてもどこまでそれが可能なのか分からない。…だから、俺は気をつけろと言ったはずだが?」

「………ごめんなさい」

 セラフィナイトはしょんぼりと身を縮めた。流石に今回ばかりは自分に否があったので。

 エーデルワイスはそれを暫くじっと見てから目の前の少女が反省している事を見てとった。そして、掴んでいた顎から手を離した。

「…それで」

「…ん。この花はね──」

 セラフィナイトは話しながら直ぐ様その場を飛躍する。いや、比喩ではなく本当に大きくそして高く翔んだ。


「───肉食植物だよ」


 ばさり、と大きく翼が羽ばたく。それは、太陽を遮るように翼を伸ばし、風に吹かれ幾つかの羽が周りへ舞う。

 ───少女の背には大きな翼が生え、宙を翔んでいた。

そして、そんな少女を追いかけるか如く尚も地面から出てくるのは先程まで国の中心にあった鋭い棘の生えた茎…いや蔓であった。

 それを遥か上から見下ろす少女。ゆっくりと開けた瞳は──セラフィナイト(天使の瞳)

 色は穏やかでそれでいて美しい翠。しかし、その瞳はそれと同時に人形の瞳のようにも見えた。宝石にも見えるそれはまるで硝子を削って出来たよう。いっそ透明に見える程に透き通った翠が太陽に当たれば、小さな歯車が回っているようにも見えた。

 その瞳をつうと細めれば、風が吹き、少女のワンピースが翼によって巻き起こされた風によって大きく膨らんだ。

瞬間、少女を地面へと引きずり込もうと伸びていた蔦は地面へと縫い付けられていた。

「…お見事」

 すっと伸びた脚。そこには黒いダガーベルトが付けられていた。そして、大小様々な大きさの何本ものダガーナイフが。

「油とマッチある? もしくは炎の魔石」

 手に新しい皮手袋をつけ、刀を鞘に戻しながら声をかけたエーデルワイスにセラフィナイトは翼をゆっくりと動かし、地面に着地をしながらそう聞いた。

「…炎が、弱点か」

「そう。ヴァイスがやるのもいいけど、燃やした方がいいから」

 「あ、魔石は私が持ってたね」そう言いながらベルトについているポーチを探り、皮の袋を取り出した。そして、小石ほどの大きさの赤い石を手に取り、

「──燃やせ(flamma)

 そう呟いた。

 現れたのは炎。魔石と呼ばれる石と同じく赤く紅く燃え上がる炎。

 それをふっと息を吹けば現れた炎は蔦に移り、そして一瞬で大きな炎となった。先程と同じように断末魔が響き、みるみると黒ずんでいき──そして灰すらもなく消えた。

「…あの書物に書いてあったのか」

「それもあるけど、これも薔薇のお姐さんから聞いたの」

 すっかり消えた蔦を見届けてからセラフィナイトはその問いに答えた。瞳をすっと細めて、声真似をしながら。

「『搾り取るだけ搾り取ったら、さっさと燃やして灰にしな』──って」

 少しの沈黙。そして、

「………まさか変わらずのあの姿は…蜜を食していたからか」

 合点がついたようにエーデルワイスがぽつりと言葉を漏らした。

「そうかもしれないけど、」

 セラフィナイトは一歩、歩を進めて笑った。

「あれは()()だって」

 そんな少女を追いかけ、青年も「…呪い…か」と、そう呟いた。呟きながらその女の事を思い返していた。呪われていると言われてもそう思えないような艶やかな笑みを浮かべた女が過ぎ、やはり嘘なのではと思った。

 けれども、セラフィナイトが言った事なのでそういう事にした。考える度に自分が嫌いな男と重なって見えるのでこれ以上考えたくないのも勿論、セラフィナイトの言う事を基本的に否とは思わず、そして言わないので。

「詳しくは私も教えてもらってないけどね。だから、旅をしているって言ってたよ」

 目を閉じれば思い出す。優しく、そして誰よりも強かった親代わりの女のことを。

「じゃあ、次は私が聞いていい?」

「……」

 エーデルワイスは何も言葉にしなかったが、セラフィナイトはそれを肯定ととり、疑問を口にする。

「ねぇ、何でヴァイスはあのお兄さんにあんな事したの? 敵意はなかったよ」

「…気に食わない」

「……それだけ?」

「………」

「こらっ、ヴァイス。無視しない」

「……」

「歩くの早くなるし…」

 逃げるように足を速くした青年の足跡をなぞるように少女は追いかけた。




 何処からかからからがらがら音が聞こえた。

 それらは機械から発される音で、人間からは到底出すことは出来ない音であった。


───機巧人形(アルキナ)と、そう呼ばれる者共がいる。

 機巧人形(アルキナ)人間(ヒト)であり、されど、人間(ヒト)では非ず。それと同時に機巧(カラクリ)であり、されど機巧(カラクリ)に非ず。

 機巧人形(アルキナ)は心臓を動かさない。けれども、心臓の代わりに彼らを動かすのは歯車。心臓を必要としない機巧人形(アルキナ)は歯車を廻す。

 機巧人形(アルキナ)からはいつだって、カラカラガラガラ…歯車と歯車が廻る音が聞こえる。

 機巧人形(アルキナ)はヒトによって違い、見目も異なる。そう、例えば───少女であったり、青年であったり、そもヒトではなかったり。

 されど、彼等は死なない。死ねはしない。永遠に等しい時を過ごす。

 故に彼らは旅をする。終わりなき時を満たすために。

 故に彼らは旅をする。その瞳に美しいものを写すために。

 故に彼らは旅をする。己が何であるかを知るために。



「次は何処に行く?」

「…何処へでも。…お前と…共にあれるのであれば」


固有名;セラフィナイト

種族;純血の機巧人形(アルキナ)

性別;女

能力;【(ツバサ)()(モノ)


固有名;エーデルワイス

種族;機巧人形(アルキナ)

性別;男

能力;【破壊(ハカイ)スル(モノ)






 花の国。

 大きな花が咲くそんな国の中心に置かれた本が風に吹かれ、ぱらぱらとページが捲れる。




【焔蜜 -えんか-】


 その名の通り焔のような花びらを持ち花を咲かす。甘い若返りの効果を持つ蜜を出す。しかし、成分は不明。どのような原理なのかも同様。されど、一説によると獲物を新鮮なまま保管しておく為とされる。

 その名の通り、焔のような花びらを持つためそう呼ばれるが、同時に炎が弱点だという理由もある。獲物を喰らっており中に油を溜め込んでいるため、火を移してしまえば直ぐに燃えて灰すら残らない。種子などは飛ばない。なので、見つけた場合は直ぐ様燃やすことを勧める。燃やしさえすれば、差程脅威もない比較的安全な植物である。

 周りに掌ほどの小さな花が咲くが、本体はその中心にある最も大きい花である。高さは基本、一mだが、その地に十分な栄養があれば二m程まで成長こともある。

 ラナンキュラスと間違えられる場合も多いが、色は外側は黄緑で中心は赤という派手な色合いとなっており透明感がある。

 茎は非常に太く、斧などを持ち出しても伐れない場合が多い。また棘は非常に鋭く、人の肉さえも容易に引き裂く。

 葉は細長く、表は緑で裏は赤く、薄いがそれなりの重量を持っている。

 六十年程経つと、行動を開始する。

 それまではあまり動かないが、太い茎の下の根は国ひとつを取り囲むほど伸ばされた根が道を作り、そしてやや細い茎が獲物を掴む。その際、棘が肉を裂き身動きを封じる。そして、中心の大きな花へと届けられる。何枚にも重なった花びらの中心には棘と同じく鋭い牙が隠されており、それで獲物を細かく噛み砕きそして喰らい、栄養とする。

 一度行動を始めたら早いのが特徴で七日もすれば国はたちどころに滅びるとされている。

 元は小さな虫を喰らい、栄養としていたが、人間でさえも生きていくのが過酷な土地で育つ為か、やがて足らなくなり小動物を、大型動物を、果てにはその地に生きている者を全て喰らうようになったと言われている。しかし、そこでその味を占めたのかそれを中心に喰らうようになったとされる。

 つまるところ、焔蜜とは人間を喰らう肉食植物である。




†††



 老いはせぬ蜜が目の前にあったとして、貴方はそれを食しますか?


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