九話【沈魚落雁】
「────おまえ、は」
その瞬間。
鼓動が高まる。
拍動は大きく。
────どくん。と、心臓が震える。
俺の視界の先。
……居間の入り口には、ソイツが立っていた。
……右手を腰に当てて、ソイツは立っていた。
……屈託のない笑顔で、ソイツは立っていた。
ソイツの名前は知らない。
しかし、ソイツは何故か俺の名前を知っていた。
「? ……ね、私ってお前なんて名前じゃないんですけどー」
口をとがらせて、ソイツは不機嫌そうになってそう言う。
……コイツは、知っている。
紛れもなく、昨夜、オレが出会ったオンナ。
白鳥の様に美しい、オンナ。
心臓の鼓動が、より鮮明に大きく膨れ上がる。
……なんで、コイツが志摩家にいる?
意味が分からない。状況がつかめない。
「っ、なんでここにいるんだ」
ソイツはつまらなさそうに、ずっとコチラを見てくる。俺の問いには答えない。
そして、ソイツは腕を組んで、ため息を吐いて。
衝撃の事実を告げる。
「……全く、なんか知らないけどこの家にいると疲れるわ。せっかく、この家に居候し始めたていうのにね」
「そ、そうか……それは悪かっ────じゃなくてだな、お前今、なんて言った⁉」
俺たちのマイホームに、志摩家に、居候?
馬鹿な。状況が更に分からなくなったぞ。
俺は、普通に動揺する。
女は、更に不機嫌そうになる。
何故だろうか。……もしかして、お前呼びしたからか?
でも、仕方がないじゃないか。なにせ、俺はあんたの名前を知らない。
心の中で、言い訳を続ける。
「お前……じゃないって、……まぁ、いいわ。ともかく、私は今。この家に居候する身になったから、よろしくね?」
「……意味が分からん。全くもって意味が分からん。もっとだな、具体的に鮮明に話してくれ」
「────もう細かいわね、人間って」
ソイツは意味不明なコトバを重ねる。
俺はただこの状況とか、なんでコイツが志摩家で居候する身になったのか、その経緯を知りたいだけなのだが。
ともかく、大雑把でもいいから経緯を知りたい。
俺は、彼女に視線を強く向ける。
「……分かった。細かくなくてもいい、端的にでもいいから、大雑把でもいいからなんで居候する身になったのか経緯を教えてほしい」
「む。原因は貴方、ワタルにあるんだけど。……いいわ、特別に教えてあげる」
女は目を細めて、俺の視線にカウンターを食らわした後。
志摩家に居候する事になった、その原因をしゃべり始めてくれた。
「ま、そもそも論。私がこの家に居候する事になった原因、発端は貴方にあると自覚しなさい?」
「わからないな。なんで、そうなるんだよ」
そうだそうだ。何かの間違いだ。言い掛かりだよチクショー。
女はそんな俺を見て困惑又は軽蔑し、続ける。
「あのね。ワタル? まずね私は、あんな所で気絶した貴方を死なせない為に、わざわざ少ないヒントから家を探しまくって、貴方を家まで送り届けてあげたのよ?」
「……あ」
その時に、今更になって気が付いて合点がいく。
やはり、俺の予想は正しかったのか。そう思う。
それと同時に────。
刺々しい彼女の視線をぶつけられる。
「なーのーにー? どこかの能天気な人は、命の恩人に対して? なんでお前がここにいるとか、聞いてきたり。お前呼ばわりとか。なにより、私が話しかけたら普通に引いてしー? 私、ちょっとショックだなぁって」
「……う」
それは、ダメだ。
ごめんなさい、ぼくがわるかったです。しか、言えなくなるではないか。
全く、この人は、何が目的なんだ?
取り敢えず謝ってから、聞こうとしよう。
「そ、それに関しては謝る。……悪かった。でも、なんで分からない。なんでそれで、君がうちで居候する事になるんだ」
「それはね。貴方を家に送り届ける時に、貴方のお母さん……? に出会ってね、まずは今日泊まっていけって言われて────そして、家がないからいつも野営してるて話をしたらね、じゃあこの家に居てて良いって言われたのよ」
「はぁ────? いや、待て。ちょっと、待て。それは、俺の母さんてのは。志摩優子の事か⁉」
思わず、わざわざ彼女の話を制止させ、声を荒げて聞き返す。
母さん、昨日学校にいなかった母さん。コイツは、その俺の母さんと出会ったと言うのか?
「シマ……ユウコ? うーーん、多分、その人だと思うけど」
「そ、そうか。なら、母さんはどこにいたんだ⁉」
更に聞き返す。
それだ。これが重要なのだ。
一体全体、母さんはどこに居たのか。
それ一点に、意識は釘付けられる。
俺の勢いのよい気迫に驚いたのか分からないが、少し驚いたのか、ちょっとばかし彼女は後退して言う。
「えっ? 普通に、この家にいたんだけど……」
「は? 馬鹿な、そんなはず……。いや、そうなのか」
直後、視界が真っ白になる。
なん、で、だ。俺の学校無断退場は、ムダだったのだろうか?
灯台下暗し。その言葉が、今の俺にはとても軽快に突き刺さる。
ああ、俺はなんて馬鹿だったのだ。
自分を侮辱し、そして安心する。
母さんが無事で、ホントウに良かった。
「そ、そうか……今、どこにいるか知ってるか?」
でも、学校に来ていなかったということは。
急に熱でも出たりしてしまったのだろう。
なら、今も自分の部屋で寝込んでいるだろうが────。
「早朝に出かけっていったよ? なんか、仕事があるってね」
「仕事? 今日は土曜だぞ? 俺の母さんは教職だが、部活動の顧問て訳でもないから。今日の仕事は、休みのはずなんだけど……」
「そうなの? でも、出かけていったけど」
そ、そうか。
……母さんにも、何か私情があるのだろう。
ならば。家族だろうと、余計な詮索はしない方がいい。
そちらの方が、母さんからしても嬉しいだろうしな。
「そうか。……なるほどな、お前が何故うちで居候するのか、その経緯は理解した」
「……じーーーーーー」
「あ? どうした、お前」
オレが普通に話していると、ソイツは”私、あなたの何かに対して文句があるんですけど”と言うかの様な視線を向けてきていた。
俺は、何も掛ける言葉が見つからず。ただただ、そんな彼女を傍観いているだけ。
すると、彼女の方が先に諦めた。
「……はぁ。貴方って、ほんっっっっとうに失礼な人ね!」
「きゅ、急にどういう事だよ。お前の方こそ、気が動転し過ぎてるんじゃあないか?」
きゅ、急に失礼とは。何事だ。
「はぁぁ⁉ 絶対に、貴方には言われたくないわ! ほぼ初対面の人にお前呼ばわりとか失礼と思わないの」
「……ぐぬぬ、すまなかった。なにせ、名前を教えてもらってなかったからな」
その言葉は、到底反論しようのないモノだった。
確かに、ほぼ初対面の”コイツ”に、おまえ呼ばわりは失礼だったかもしれない。
深く反省する。
「────ま、いいわ。どうせ私も、少しの間はここで滞在することになったかもしれないし。自己紹介ぐらいは、済ませておきましょう」
彼女と死闘し。
オレが完敗する。
すまなかった、と思ってはいる。
すまんかった。とな。
取り敢えず、そんな言い訳するより自己紹介が先だ。
俺はまず、自分の名前を言う。
「えーーと、俺は志摩弥。高校一年生のガキだよ」
「ふーーん、ワタルってその容姿からしてもうちょっと幼いかと思ってた」
「へいへい、幼くてすいませんでしたよ。それより、おまえ……じゃなくて、君の名前を教えてくれ」
────────外気に冷やされた風が、俺らに吹き付ける。
世界が凍結する。己の身体が凍結する。
しかし、その中で、彼女だけは凍る事はなかった。
彼女は、いつか見た過去の記憶、の生暖かさに似ている。
ふと、謎の感傷に浸る。ふと、世界の中に生きる過去を覚える。
あの時の、生暖かさを鮮明に、俺は覚えてい────る────。
絶対零度の凍える世界の中、彼女だけが独白に立つ。
その眼光は、志摩弥なんかを見据えてはいない。
なるほど、と理解する。
彼女の美しさは、ソコなのか。と。
彼女は再び、先程の屈託のない満面の笑みを浮かべて、言った。
「私の名前は”ソフィアリード・グローリー”。ただの天源種よ」
そう。ニッコリ、と。
彼女は笑う。否、その表現は相応しくない。
彼女は、笑う様に微笑んだ。
────どく、ん。心臓の鼓動が今もなお高まり続ける。
一秒は、永遠に等しくと引き延ばされる。
今までにも感じた事がない程の、体感時間の遅さ。
まるで、終わりは見えない。
その一秒にいる間。オレは一秒先には、到達出来ない。
勿論、それは事実ではないが。
本当に、その一秒は、長く、深く、暖かく、明るく、感じた。
────どく、ん。心臓の鼓動がまたも高まる。
血流は遅く、思考は長く、眼はフレームレートを落とす。
一秒。どうだろう。
もしかすると、一秒にすら満たないかもしれない。
だけど、それはきっと。
一秒にすら満たない永遠。
────思考が霧散する。
────思考は停滞する。
────思考を放棄する。
その美しさに見惚れるのは、まさに必然。
人間、否。生物ならばそれは必然。
絶対的で、普遍的な、美しさ。
それが、ここにあった。
────眩しい。
彼女を見ているだけで、廃人になってしまいそう。
脳が破壊され、溶けてしまいそう。
まるで、それは、本当に、天使の様に、美しかった────。
「────あ」
「ん? どうしたの、ワタル。あ、というかちゃんと私の名前覚えた? ……これから、お前呼ばわりはしないこと! ね?」
「────え? あ、ああ」
ふと、我に帰る。
あぶない、頭がどっかに飛んでしまいそうだった。
危うく、昇天するところだった。
オレはまだ、生きているというのにな。
おい、というか待てよ俺。
さっき、意味の分からないコトバが彼女から告げられた訳なのだが。
「なぁソフィアリード……」
「別にソフィア、でいいわ」
「えーと、ソフィア。ただのてんし……って、どういう事だ?」
オレは昨夜にもあった違和感について聞く。
昨夜。ソフィアは、俺が人間だと聞いて口をふさぐほど驚いていた。
そして今。てんし、などとよく分からない事を言った。
その違和感。
────その事に、ついて。
それに対して、彼女は言う。
「え? そのまんまなんだけど、も。天使よ天使! 正確には天源種だけど」
「は、はぁ…………」
うーーーーん、よく分からない。
でも九分九厘、噓だろう。
だって、天使とか。有り得ない。
なんだそりゃ。って次元の話だ。
「信じられないな」
「────え? 人間社会で”天使”は流通している言葉だって、話を聞いたんだけど」
「それ、情報源だよ。……まぁ確かに、天使って言葉は普及している語句だとは、思うが……」
「じゃあなんで、信じられないの? 人間って、もしかして馬鹿?」
お前に馬鹿と言われる筋合いはない────と言おうとしたが、やめた。
なんで信じられないの。
その理由はあまりにも単純すぎる。
普通、人間社会でそう言うやつは所謂【厨二病】というジャンルにカテゴリされるし。天使っぽいところを見たことないし、なにより全く風格がないというか……。
「いや、なぁ。実感が湧かないというか、な? 天使っていっても具体的にどんなヤツなのかは知らないし……そもそも人間社会において基本的に天使ってのは人間の空想だからな」
「む。今の言葉、少しかちーんってきたんだけど私」
「……あ、そうか。それは悪かったな」
天使、か。
天使、ね。
どれだけ考えても、やはり実感は湧かない。
天使というと、どんなイメージが浮かぶだろうか。
翼が生えていて、頭上に光のリングが浮いていて……。
人間社会の空想の天使とコイツでは、イメージが大分離れている。
一致するところが、見当たらない。
「でも、お前。天使っぽくないぞ」
「天使っぽくない……て、ワタル。それ、凄い侮辱よ」
「……いやでも、さ」
ソフィアの表情は、心なしか曇っていた。
彼女は俺の眼をじっと見つめて、その後にまたまたため息を吐いた。
これで、今日何度目なのだろうか。
小さく呟く様に”またお前って……”と聞こえてくる。
そろそろ申し訳なくなってきたぞ。
ソフィアは、言う。
「まぁ確かに、私は天使っぽくないかもね」
「ん、それはどういう意味だ?」
「私は完全……いや、純血の天使ではないの。所謂、人間と天使のハーフ? っていう。えーーと、現代風でいうと半人半天使的な?」
「なる、ほどな……」
取り敢えず、頷く。
そんなに現代風か? というツッコミはナシで考える。
それはまだ信じられるものではないが、取り敢えず冗談交じりと捉えて信じておいてやろう。なにせソフィアは、命の恩人だ。
そんな彼女を適当に扱うのは、流石に失礼というものがあるし。
「ま、そういう事でよろぴー♪て感じかな」
「うん。全然似合ってない、その言葉。ソフィアが言うのは、似合わないぞ」
……なんというか、ソフィアが勿体ない。ていうのだろうか。
……待て待て、オレは何を考えている。馬鹿、馬鹿志摩弥!!!
「……ワタルって、失礼な人間よね。それとも、人間という種族全体がそんなにも失礼なの?」
「……さぁな、”天使が思う人間社会のイメージ”の決定を、こんな一般人の俺に押し付けないでくれよ。その質問、めっちゃ重いぞ」
「そう?」
人差し指を立てて、頬に当てて。
ソフィアはソレを熟考していた。
何を深く考える必要があるのか。
「ああ、それとワタル。────自分が一般人だと自負してるのは、勿論、冗談よね?」
だが次の瞬間。
彼女は俺の想像を超える真面目な声で、予想外の所を聞いてきた。
「え? ……なんだよ、俺が一般人を凌駕するぐらい失礼で驚いたのか?」
「いいえ、違うわ」
しかし、次の返答で理解る。
これは冗談なんて含まれていない、本気の、真面目な質問だ。
でも、どうだ?
オレは紛れもなく一般人だ。
どこにでもいる、紛れもなく普通な高校一年生だ。
「そ、そうか? 俺は普通の高校生だぞ?」
「んな訳ない。普通の高校生が、いくら下位の魔源種でも消失型破壊事なんて、できるわけがない。だってあれは、超高密度の魔力結晶なのよ?」
「ん? どうしたソフィア。全くもって意味が分からない。あくまって、何のことだよ」
────あく、ま?
思い当たる節を探す。
オレはそんなモノに、手を下したか?
記憶には、そんなモノはなかった。
否。あった。それは、存在した。
オレは、昨夜の黒塊を思い出す。
「あ……もしかして、そのアクマってあの黒いバケモノか?」
「……まぁ、そうね。で、ワタル。貴方は、どんな魔術師なの?」
空気が、凍る。
背筋が、凍る。
全てが、凍る。
ああ、悪寒がする。
これからイチミリでも身体を動かせば、その瞬間に俺の命はこの世に存在しないだろうと考える程に。今の彼女からは威圧感どころか、殺意すら帯びているようだ。
彼女は、なんだ。俺を、ナニカと疑っているのか?
俺がアクマだって、言うのか?
「どういう事だって、言ってるだろ? 魔術なんて、そんなのSFでもファンタジーでもないんだし。オレは知らないぞ」
「噓をつかないで、人間の通常的な肉体では、いくら下位な存在でも、魔源種なんて破壊出来る訳がないし。それに、もし本当の一般人がアクマに対峙したのなら。それは、跡形もなく消え去るわ」
「……そんな、ことは」
分からない。
分からない。
分からない。
それが、事実なのだろうか?
それが、真実なのだろうか?
確かに、だ。
オレはあのバケモノと対峙した時、理性は崩壊して。
自制すら効かなくなっていた、そして気が付いた頃には己の腕があの黒塊を貫いていたのだ。
その理屈は、分からない。
そして。これを言うべきか、否か。
迷う、これは迷うところだ。
……どうするべきか。
そして、少しの間をおいて俺は決める。
このチカラは本人の俺ですら、把握していないのだ。
だから、まだ言うべきじゃない。
だって、分からないのだから。
「……正直、オレには分かりかねる。もしかすると、一般人じゃないのかもしれない。だけど、俺は一般人でありたい」
「────人間お得意な曖昧な回答ね。まぁ今の追及は、こんな所にしてあげるわ」
「そうか、それは嬉しい。……なんか、ごめん。分からない事が多くて」
「いえ、別にいいわ。一般人には、分からない事だから」
────そう、か。
俺は、コトバを続けるのを止めた。
そこで会話は自然と途切れて、厭な雰囲気の中。
俺とソフィアは、無言で居間でテレビを見た。
テレビは、大体、或間町での怪奇事件のニュースばかり。
ああ、なんともつまらないな。
……スマホでも、見ようか。
ふとそう思い、いつものようにポケットに入っているスマホを手に取る。
しかし、俺の手はスマホを掴めなかった。
違う、そこには、スマホは存在しなかったのだ。
「……っあ」
そうだ、俺は昨日スマホが入ったカバンを学校に忘れてしまっていたのだった。
なんとも、不運。ツイテない。
これじゃあ暇つぶしニュースを見る事すら敵わん。
……インターネット依存症の志摩弥からすれば、それはもう由々しき事態。
生死に関わる大事件だ。
「────……どうするか。どうしようか」
あたふたと俺は慌てる。
学校に、学校の教室に置きっぱなしだろうか。
俺のカバン。
「どうしたのよ、ワタル。そんなに焦って」
「俺の命綱が入ったカバンをだな、学校に忘れちまったんだよ。昨夜は、学校から抜け出して色々してたからな」
「……はぁ。そのカバンてコレの事?」
俺が取り敢えず学校に行ってこようと、玄関に行ってスニーカーを履こうとしていると。
彼女は俺の背後で、そんな事を言っていた。
「……え?」
そのカバンて、コレの事?
その言葉が耳に刺さって、俺は背後へ振り返る。
するとそこには、俺の見慣れたカバンを持った白鳥がいた。
「……ああ、それそれ……って、なんでソフィア。お前が持ってるんだ。返してくれ、それ。ソレは俺の命綱が、生きる価値が入っているんだよ」
「っ……はぁ。まだお前呼ばわりです、か」
「あ。すまん! ソフィア。いや、ソフィアリード様!」
空気を吸うようにお前呼ばわりすると、再びソフィアに嫌悪の眼を向けられる。
直ぐさま俺は訂正する。そして、懇願。
早く返してください、本当に。
「むすぅ……」
しかし、彼女は一向にソレを俺に渡そうとしてこなかった。
渡してくれなかった。それどころか、良からぬ事を考えたのか彼女は密かに憫笑する。哀れなモノよ、と告げる様に。
「私、もしかして。今の状況って優位に立ってるのかな?」
ニヤリと、彼女は笑う。
ああ、まずい。
その笑い方は恐怖をそそる。
俺の生命線に、何かしでかすのではないかという恐怖を。
「────お、おい。ソフィア、ソフィアリード様? な、何をする気だ……」
「んふふ~? なっにも考えてないよー?」
噓だ。それは、誰でも簡単に見破れる噓だった。
わざと噓と気付かせる噓だ。
つまるところ、俺にナニカする為の噓だ。
ソフィアリード。彼女は笑いながら、カバンのチャックを開ける。
「私、ワタルのそのイノチヅナ? ってやつが、どんななのか気になるなー♪ なんてね」
「は? お前、何をやってる。おい、待て、待て!!」
「お前呼ばわりは、禁止って言ったでしょ?」
時すでに遅し。
ソイツはそのまま、カバンの向きを上下反転させた。
────まずい、それでは、まずい。
お前呼ばわりとか、そんなの心底どうでもいい。
「おい待てってば、その中には精密機械がはいっ────」
時すでに遅し。
その瞬間には、カバンの中身は全て地に下落し始めていた。
ああ、ダメだ。
それでは、ダメだ。
高さにして、一・五メートル。
普通なら大丈夫。だが、白い悪魔はいち早くその中身を閲覧しようとしたのか。
気が狂ったのか、カバンを更に上下に動かして中身を乱暴に落とした────。
────バンッ!!
大きな音がなって、俺の命は地に落ちる。
そこから、中身の一つ、”スマホ”を俺は注視する。
「────あ」
この家に、静寂と憤怒が走った。
その時になって白い悪魔はやっと我に返ったのか。
あ、と言う。
でももう、ダメだ。
それでは遅すぎた。
「……」
俺は何も言わずに、落下したスマホを拾い上げる。
液晶はことごとくに破壊され、微かにへこんでいる。
「あ。あのー。わ、ワタル?」
「……」
スマホの横に取り付けられた、電源ボタンをかちりと押し込む。
……反応なし。もう一度、試す。
……反応なし。もう一度、試す。
……反応なし。……繰り返す、反応なし。
充電は…………?
あるはずだ。昨日はほぼ使っておらず、昨日学校を抜け出す前に見た時は百パーセントだったのだから。
つまるところ、これが意味するコトは────。壊れた。
俺は、白い悪魔。ソフィアリード・グローリーに視線を当てて。
その純真な黄金の瞳を見つめる。
「あ、あの────うーん、ごめんね?」
「……すぅ」
ああ、彼女は実に申し訳なさそうにしている。
だがしかし、イノチヅナが切られた俺はもう、止めれない。
取り敢えず、言いたいことは言ってもいいはずだ。
その権利ぐらいは、俺にもあるはずだ。
……俺は、大きく息を吸い込む。
そして、吐き出す。
「何してくれてんじゃぁぁぁぁぁぁああああこの白い悪魔!!!!!」
セカイに、その怒号は響き渡った。