八話【鮮血世界】
「────」
世界の色彩が変化する。
俺の右腕を起点として。一、赤黒い赫灼の電撃走り。
二、赤色に染まる風が虚空を越えて吹き荒れる。
────心臓の拍動が、停滞する。
右腕が、痛い。
違う、痛みは消えた。
ソコニ残っているのは、不思議な感覚。
ああ、なんだこれは。
────終、世界が赤く染まる。
憎悪が、醜悪が、罪過が、憤怒が、全てが、終わりのセカイを駆け抜けた。
「””””””””””””””””””””” ?」
真紅の空。
鮮血の大地。
────空は赤く、地は赤く。
染まった。
ナニモ分からない世界は、血に染まった。
……ナンダコレハ。
一体それが、何の血なのかは分からない。
果たして、これが血すらも分からない。
いや、これは血だ。確証がある。
これが血でないならば、こんなにもこの世界は血生臭くない。
空虚な、ナニモカモガ崩壊する世界。
無限に広がる血の空間。
「ナ、ニガ────?????」
起こった、と言いかけて止める。
否、言い切れなかった。
吐血する。
……ナンダコレハ。
「……げ、ほぉ……っ」
喉が痛む。喉が傷ついている。
痛い、何もしゃべれない。
何もしゃべりたくない。
更に吐血する、そしてまた吐血する。
肉体的限界。生物の理論値。疲労の限界値。
それら全てに、俺は既に到達していた。
しかし、俺の右腕は止まらない。
何故か。
なぜか。
ナゼカ。
それはワカラナイ。
右腕は動く、痛みでなく不思議な感覚に包まれながら。
右腕はまるで、今にも破裂しそうな感覚だった。
だがしかし。自制の意志に反して、自己の反能動的に、そして本能的に、右腕は動く。
……ナンダコレハ。
────心臓の拍動が、稼働する。
ソレは、眼前の化物に照準を合わせて。
理性を越えて、本能が叫ぶ。
「────死ね」
喉が破裂する。
視界は澄んでいる。
いつもの視界の歪曲はない。
なんとも驚く程にクリアだった。
そして、己の右腕は、己の魔の手は、黒い手を振り払い眼前の獲物を捉える。
刹那。それは人間には到底不可能である速度で繰り出され、黒塊を貫いた。
ソレ、その正体は間違いなく俺の右腕。
さっきまで能動的に、俺の意識下で動いていた右腕。
それが、俺の理性に反して今動いたのだ。
「”””””””””””””””””””””””””””””””ァァァァァィ!?!?!?!?!?!?」
俺の右腕がソレを穿つと同時刻。
バケモノは轟音の断末魔をあげていた。
そして、その化物はまもなく跡形もなく破裂する。
右腕をその黒いゴミから、無意識に引き抜く。
────ピキ。ピキピキピキ。
……バリん。
黒塊にヒビが入って、割れた。
なんとも脆い生き物だ。
いや、コイツは生き物ではないのかもしれない。
なんともコイツは冷たく、醜い存在だった。
そして────。
コイツを倒した瞬間、俺の右腕の感覚は元に戻って。
血の世界が壊れて、元の景色に回帰する。
危機感は、海の波が去るようにとても静かに抜けてゆく。
その所為か、脱力しきってしまいその場で倒れた。
「……げほっ!」
地べたに倒れて、また吐血する。
……喉が痛い。だが大丈夫だ。
まだ、喉が痛い程度ですんでいるのだから。
喉が壊れている事もない、アレは幻痛だったのだ。
その安堵感に、俺は外であることを忘れて車道のど真ん中で目をつむる。
幸い、車通りが少なかったから轢かれる事はなかったが。
ま、そんなのは建前で。
本音。というか、本当は。ただ、本当に疲労しきっていて体が動かなくなってしまったから立ち上がれない訳なのだが。
これほどの疲労は、今までに感じた事ない。
ああ、疲れた。
今のがナンダッタノカ、それは考える余地もない。
俺には、そんな思考。今は出来ない。
ああ、疲れた。
「────」
呼吸を深く、自然と人工物を通り過ぎた外気を吸い込む。
外気は口内を通り、傷ついた喉を刺激する。
ああ、痛い。
「────」
そんな中、足音を感じ取った。
深淵に染まる森の静寂を突き破るかの様に、堂々とした足取りで誰かがコチラへやってきた。……次から次へと。
一体、なんなんだ。
また、化け物とかじゃあないだろうな?
少しばかし不安になる。
スタスタスタ。そんな擬音が似合う音で、軽快なステップで、ソレはコチラに歩み寄ってきた。
人がこんな所で倒れているというのに、驚きのコエすらあげないとは……。
やはり、さっきの化け物と同じやつがまた来たんだろうか。
だが、それは些細な問題だ。
何故ならば。それならば、志摩弥の未来が”死”に確定するだけ、それだけなのだから。
だがしかし、予想とはそれはズレた。
ソレは、俺の視界に無理矢理映り込んでくる。
「ねー君、痛そうにしてるけど大丈夫?」
「……げふぉっ!」
コイツの能天気な声に驚愕して再び吐血する。
ソレは、先程の化け物なんかではなく、ヒトだった。
白鳥の毛の様に美しい白髪。
この世界の全てを見通せるんじゃないかと思うほど純粋で綺麗な黄金の瞳。
白のパフスリーブに、黒のキャミワンピース。
それはまるで天使みたいな、美少女だった。
「ねぇ早く起きなさいよ? ……もう壊れてる箇所も治ってるんでしょ? んん? 早く、ねーー。私待ってるんだけど」
……この、能天気な声を除けばな。
というか『壊れた箇所も治ってるんでしょ?』って。
どういう意味だ。
俺は呆然と、意味が分からずにただ目を点にして、コイツを見ていることしかできなかった。動くには、自分の身体はあまりにも疲れすぎている。
「……って貴方、見たことない顔ね。誰?」
「────」
意味が、分からない。
そりゃあ、見たことない顔だろうと思わずツッコミを入れたくなる。
なにせ、俺はこの人と初対面なのだから。
知らない。誰なんだ、一体。
「────げほぉっ」
「んんん?」
彼女は怪訝そうに眉をひそめ、俺の吐血し体外に放出された血を見つめる。
この人は、いったい何がしたいのだろうか。
この人も、頭のネジが数本外れているんだろうか。
だが彼女は唐突に、急に実に真剣な声に切り替えて。
俺に、問いてきた。
「────貴方、もしかして人間?」
とな。
ははは。意味が分からない。
馬鹿なのだろうかコイツは。
厨二病なのだろうか。
それとも、コイツも化け物なのだろうか。
────意味が分からない。
だが、取り敢えず俺は力を精一杯振り絞って首を縦に振る。
すると、今度は彼女が目を点にした。
「噓……」
彼女は口を抑えて、一歩、後退。
今がどんな状況なのか。それは、俺には到底把握できたものではない。
彼女は多分、それはなんともな超常的な思考をしてるに違いない。
「あ、んた……なに、もの、だ」
傷ついた喉を精一杯稼働させた。
口内に血の味を覚えさせながら、震えた声を振り絞る。
少女は、黙っている。
コチラの質問には、答える気がないのか。
それとも、単に聞こえていないだけなのか。
取り敢えず、今わかることは────。
彼女が、俺を蔑みの視線で見つめている事。
それだけ。
「……?」
「その感じ、貴方ってほんとに人間なのね。……でも、その割には────────って感じだし」
その時だろう。
だんだんんと、自分の意識が深い海底へと沈んでゆくのに気がつく。
起きているのも、もう限界らしい。
視界が徐々に、暗転する。
感覚器官の機能が徐々に、停止してゆく。
「あ、ねぇ。もしかして、もう寝ちゃうの?」
「────」
ダメだ。
眠い、でもダメだ。
ここで寝たら、多分、凍死する。
ここで寝たら、ダメだ。
外気はもう氷点下まで冷えているだろう。
もう眠くて感覚がマヒして、分からないが、そうだろう。
ならば、寝たら、凍死一直線だ。
そう、己に言い聞かせる。
だけど、ダメだ。
身体は、既に動かなくなっていた。
動かせるのは、目と口だけ。
だが、その機能もまもなく停止する。
「────ある、ま」
だから、もう一度。俺は声を振り絞る。
少ない余力を振り絞る。
────すると、喉に、激痛が走った。
気絶する程の痛み。地獄に堕ちて、灼熱のマグマに浸かったかの様な痛み。普通なら、こんな痛みなんて受けたいとは思わないのだが……。
今、この時だけはありがたい。なにせこの痛みのおかげで、睡眠の渦に巻き込まれなくて済むのだから。
「……? ある────ま? 或間町の事?」
「あ……ああ、そう────だ」
喉が潰れる。
声が萎れる。
あまりの激痛に、そんな錯覚すら覚えた。
「其処に、連れていって────く、れ」
「はぁ、なんで私が……って」
「────」
「ちょっと⁉ あなた、非常識すぎない‼ ……って、もう聞いてないし、本当に貴方って────なの」
女の声が微かに聞こえたが、もうそれに空返事する気力すら俺には残っていなかった。
意識は更に曇天に沈む。
視界が暗転し、外界からの感覚が全て遮断される。
────ああ、こんなにも心地良い睡眠は初めてだ。
不思議と、安堵感に包まれながら。
俺の意識は途絶えた。
◇◇◇
それは、古い古い夢の渦。
……そこには、誰もいない。
誰は一つもなくて、ぼくひとり。
くらくて、こわくて、おそろしい森の中で、ぼくひとり。
さむくて、つめたくて、木がうたってる中で、ぼくひとり。
ううん、ちがう。
そこには、ぼくひとりじゃない。
隣には、いるの。
────鮮血に染まる少年は、生暖かい隣を見る。
そこには、ね。
いるの、ぼくのともだちが。
だれもいなくなっちゃったぼくのところに、ね。
ひとり、一匹だけ、ぼくを来訪しにきたの。
でもね、なんか。それは、ね。
ぼくがだきしめてあげたら、ね。
つめたくなっちゃったの。
なんでだろう、なんでだろう、なんでだろう。
────鮮血に染まる少年は、生暖かい肉塊を見る。
なんでだろう。
ぼく、わるいことしちゃったかな。
この子は、だきしめられるのがキライだったのかな。
ふしぎ。
ふしぎ……不思議、だ。
────鮮血に染まる少年は、ソレを傍観する。
先程、数秒前まで生命いた死体を眺める。
今や存在価値すらない肉塊を眺める。
己を鮮血に染めた害獣を眺める。
ああ、なんでこの子はつめたくなっちゃんだろ。
不思議に、少年は、そう思う。
無邪気に、否。退廃的に。
自身が───した、ソレを見つめる。
少年は、ただ、それを見つめる。
ああ、つめたくなっちゃた。
どんどんそれは、つめたくなっちゃうの。
なんでだろう、もっといっぱいトモダチをつれてくれば、もっと暖かくできたのに。
なんでだろう。
なんでこの子しか、森にいないんだろう?
みんなが、ぼくをおそれてる。
おとなも、こどもも、ともだちも、けものも、むしも。
全てのセイメイが。
おそれている。
なんでだろう。
なんでだろう。
なんでだろう。
────鮮血に染まる少年は、眠る。
まもなく、たくさんのおとなたちがやってくる。
ぼくをおそれながら、あかりをもってやってくる。
ぼくをつかまえようと、こえをあげてやってくる。
なんでだろう。
でも。それは、多分、僕には分からない事なんだろう────。
◇◇◇
窓から吹く朝の風、窓から差し込む陽光が俺の意識を覚醒させた。
また、変なユメを見た。ああ、あんなのは悪いユメ。
そう気分を悪くしながら、俺はベットから立ち上がる。
「はぁ────って、なん、で」
そして気が付く。
俺は何故、自室のベットで寝ているのだろう。と、その違和感に。
確か、昨夜は。……脳裏をかき乱す昨夜の出来事を思い出す。
脳内に思い浮かぶは様々なモノ。
昼、学校を抜け出して母さんを探した。
夜、化け物に襲われて何故かそれは砕け散って、よく分からない能天気な女に出会って……。
頭痛。そして、車酔いの様な感覚が俺をオソウ。
全身が筋肉痛で、ツライ。
「……朝から、気分が悪いなんてな。俺はホントにツイてない」
自分の不運を、唇をかみしめながら恨んだ。
それよりも、だ。
なんで、俺はこの部屋で寝ているんだろうか。
昨夜の記憶が正しければ、亜矢場の地面で寝ていたはずなのだが。
記憶が、過去の記憶が混濁する。
「全く、やっぱり昨日の俺は。どこかおかしかったんだろうな」
心底そう思う。
理性を放棄して、学校を抜けだしたし。誰か覚えてないけど、誰かの自制の手も取らずに学校を抜けだした。その上、学校の制服のままであらゆる所を走り回り、母さんを探した。その時の記憶は、非常に曖昧だけど。
そして夜。凍死しかけながら、森を抜けだしたと思えば化け物に襲われて。
世界の色が赤く変わっていたりして、気づいたら化け物は消えていて。疲れて、その場に倒れたら……能天気な女と出会って。
……能天気な、女?
「あ────」
この状況を、俺は理解する。否、それはあくまで推測なのだが。
あの時の女が、わざわざ俺を家まで送ってくれた。のではないか、そんな考えが脳をよぎった。でも正直、それは有り得ない。
なにせ、あの人と俺は初対面だ。彼女がそんな事をする義理はないし、それにあの人は俺の家を知らないはずだ。
だから、この推測は間違っている。
間違っているのが確実なのに────何故、俺はそれが正しいと期待しているのだろうか。
今さっき、彼女を思い出した瞬間。
俺の脳裏から、彼女の姿は焼き付いて離れなくなっていた。
何故だろう。
それは、分かりきっていた。
当たり前だ。
あの人は、彼女は一般人を遥かに凌駕する美人だったからだ。
あの白い白鳥の様に整った地毛らしき白髪に、黄金のナニモカモガ透き通るような眼光。スタイルも良く、服も可愛い。
白のパフスリーブに、黒のキャミワンピース。……だったはずだ。
「……って俺、何考えてるんだ一体。初対面の人に欲情とか。性獣じゃないんだし」
俺は人間だ。
理性で自制出来る生物だ。
だから、そんな考えはヤメろ。
首を振って、彼女の姿を脳から追い出す。
────そんな淡い期待なんて、考える事はムダに等しい。
「よし」
喉がまだ少し痛む。
取り敢えず、水を飲みに一階に行こう。
そう思って、俺は薄汚れた制服からジャージに着替えて、自室から出た。
一階は静寂に包まれている。
今日は土曜日、学校はない。
……それにしても、静かだな。
「────」
一階の空気は、いつもと同様に酷く寒い。
そろそろこの志摩家にも、エアコンを設置してほしいものだ。
そんな愚痴を思考しながら、洗面所に歩み寄る。
洗面所は、玄関の横にある。玄関、それは外に一番隣接している場所だ。
つまり、冷たい外気に直接冷やされている場所だ。
だから、玄関に一歩近付くごとに体感温度が下がっていく。
裸足は冷やされた床に付着して、今にも凍り付いてしまいそうな予感。
「────」
洗面所に足を運ぶ。
やっと着いた、早く口内をゆすごう。
……ピンポーーン。
そう行動しようと、洗面所の蛇口に手をかけた直後。
家のインターフォンが鳴った。
「……え?」
宅配便だろうか。
いやいや、俺の母さんはアナログ派だから、ネット通販なんてしないし。
俺も何か、注文した覚えはない。
ならば、来訪者────だろう、か?
心臓の鼓動が、あからさまに加速した。
────どくん。拍動が大きく。
「……すぅ」
玄関前に立つ。
大きく息を吸って、息を吐く。
────待て待て、勝手にその気になるな。
淡い期待は捨てろ、と。
そう言ったはずだろう。
だと、いうのに。
なんで、俺は、こんなにも彼女と出会えないか期待しているのだろう。
彼女となんて、話した事なんてないのに。
片想いをする馬鹿みたいだな、今の俺。
俺は、ドアノブに手を掛けて。
大きく、勢いよくドアを開け────た。
そこには、立っていた。
……配達員が。
「宅配便でーす」
「……あ、ああ。はい」
……何を期待しているというのだ、俺は。
ったく、どんだけ俺は馬鹿なんだ。
「ここに、サインをしてもらって────」
「了解です」
俺は配達員から荷物を受け取り、用紙にボールペンで”志摩”とサインする。
「ありがとうございました-」
「……」
ドアが閉まる。
そこには、届いた荷物が置いてある。
長細い段ボールに、それは包まれている。長方形だ。
なんだろう。何を頼んだのだろうか。
「……はぁ」
そんな事よりも、落胆の方が大きかったが。
何を期待している。
……何を、期待しているのだ志摩弥。
そう思いながら、俺は喉が痛んでた事さえも忘れて居間に向かおうと、振り返ると────。固唾を呑む。
「あ、やっと起きたのね。えーと、ワタル?」
「……は?」
視線の先には、白鳥の様な女が腕を腰に当てて立っていた。