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五話【夢と朝】

 ───ミーーン、ミーーン、ミーーン。

 セミの鳴き声が、うすらうすら聞こえてくる。

 振動は細かく、鼓膜を通り衝撃は蠕動(ぜんどう)する。


 溶けるほど暖かい、夏の風。

 灼けるほど熱い、マブシい陽光。

 照らされて熱された地面(じめん)


 吹き荒れる風に、草原は靡いて独りでに笑う。

 そんな大自然(げんそう)の中で、一人の少年は笑っていた。

 それは、草原に唯一佇む一輪の花のよう。

 綺麗な花は、風に靡かれながら狂い咲く。

 踊って、踊る。


『楽しい────楽しいよ! ────』

 ……彼は語りかける。

 ……かれはかたりかける。

 ……カレハカタリカケル。


 ────……一体、誰に?


 その草原には、少年以外誰もいない。

 気が付けば、日はオチテ……。草原は深淵へと浸る。

 夜の草原は、その周りを囲む鬱蒼とする木々が覆って。

 更に、一層暗く闇に浸る。


 その少年は、今更に気が付いた。

 ああ、もう夜なんだと。

 ああ、寒いと。


 森は黒く、生命から温度をジリジリと奪ってゆく。

 寒くて、凍える。そこから温かくなって、燃える。

 なんだろう、この感覚は。


 少年は、不思議に思う。

 森の中で寝ころんで、思う。


『僕は一体、何をしていたんだろう?』


 世界は凍える。

 森は風で振動し、木々は枯れ死ぬ。


 少年も生命。森から、徐々に、命を奪われてゆく。

 体温は下ってゆく、落ちてゆく。

 下落する。命はこうして絶たれてゆく。


 でも、少年は理解していない。

 ────その時、何者かが現れた。

 現れて、ウメイタ。


『ウ――ッ────グルワァッン!!!』

『あ……?』


 だれかが、少年を迎えに来たみたい。

 どこに連れていく気なのかは、分からない。

 少年は思う。ひとりじゃなくなった。

 抱きついて、あげよう。


 でも、ウゴケナイ。

 体が凍えて、もう手遅れだと言っていた。


『グゥゥゥゥゥゥゥーーーン!!』

 何者かが、(うめ)く。少年は笑う。


『……』


 その何者かは。否、その獣は牙を露出させて、少年に近づいてゆく。

 赤い眼光と、ギラリと白く光る鋭利すぎるといえる獣牙。

 少年は動けない。少しだけ逃げたい、逃げたい、逃げたい。


 だけど、逃げれない。

 ────ああ。


 現実逃避する時間も、楽観する時間も、諦める時間も。

 少年には、与えられていない。


 ソノ獣は。

 その狼は、グルルと牙を軋ませた後に、少年へ飛びついた。

 その赤い眼光は獲物(えもの)をただひたすら本能的に見つめて、飛びついた。

 だが、野生の勘は狼に警告した。


『それでは、ダメだと。直後、死ぬと』


 だが、野生の狼は既に加速していた。

 今更、急速停止する事など不可能だ。

 尚、そんな事を理解する知能を、この野獣(オオカミ)は持ち合わせていないが。


 一秒後。

 静寂が走る森の一端で。

 ……深い朱色が、緑の景色を制した。

 べちゃべちゃべちゃと、綺麗で、ウツクシい音が奏でられた。


 少年の視界も、野獣の視界も、一面赤く染められた。


 少年は思う。

 ────ああ、なんて暖かいんだと。

 思う。何が起こったのか、分からないけれど。

 暖かい、暖かい、暖かい、暖かい。

 少年は、アンシンした。


 何故だろう。

 なぜだろう。

 ナゼダロウ。


 少年は、アンシンしたのだ。

 その虚ろな眼で、空を、虚空を、宇宙を眺めながら。

 アンシンしたのだ。赤く染まった全身など、見る気もせず。

 カレハアンシンしたのだ。


 何故だろう。

 なぜだろう。

 ナゼダロウ。



 少年は、今は見る影もない、自分が─した、狼の肉塊を右腕で抱いて寝ているというのに。

 ナゼダロウ。なぜだろう。何故だろう。



 ◇◇◇


「っ……⁉」

 ……覚醒した。

 俺は、飛び上がる様にベットから立ち上がり、両手両足を確認する。

 多汗。額から注ぐ自らの雨が止まない。


「はぁ…………はぁ…………なんだ、今のは」

 ……静かに、思い出す。

 頭が痛い。脳にノイズが走る。


 なんだ。

 さっきのは……。

 誰か知らない少年の世界。誰も知らない少年の世界。

 あの世界は、あまりにも狂っていた。狂い過ぎていた。

 ……嫌な、厭な夢。


 夢だと思っても、部屋の空気は朝から最悪で。とても重苦しいものだった。

 ったく、昨日から疲れているというのに……全く、疲れが取れている気がしない。逆に、疲れが増えたんじゃないだろうか。


「仕方がない……あれは悪い夢だ。悪夢だ。気を取り直して、風呂にでも入ろう」


 そうだ。昨日、風呂に入ってないし。

 風呂に入らなければ、風呂に入って、体も心も浄化しよう。

 最近は町も不穏な雰囲気だし、こんな夢も見るぐらいあり得るだろう。


 しゃーない、切り替えよう。

 机に置かれたデジタル時計は午前六時を示していた。時間は十分ある。


「よしっ」


 制服とスマホを持って、ジャージ姿で洗面所に向かう。

 洗面所の奥にあるのが、この志摩家の風呂である。

 ちゃちゃっと風呂に入って、学校に行こう。


 うちの浴槽は、至って一般的なサイズである。

 大きくもなく、小さくもなくといったところ。


「寒っ⁉」


 外気が壁越しに、俺の温度を奪わんと暴れる。

 ……ああ、いち早く温まりたい。

 昨日の湯船を温めて、俺は風呂に入るのだった。


 こんなんじゃ凍え死んじまう。


 ザバーンっ! と、大きな音が志摩家に響いた。


 ◇◇◇


「さて、と」

 風呂から出て、事前に用意しておいたバスタオルで体に付着した水分を拭き取る。

 そのまま、制服へと着替えた。


 ぴっしりとした服装に着替えた直後。

 居間の隣にある台所から、皿を洗う音が聞こえ始める。

 皿と皿が少しぶつかう音、水が流れる音、ゴシゴシとたてるたわしの音。


 母さんも起きたのだろうか。


「……今日は寒いけど、良い朝だな」


 十一月上旬の今日。十一月という事もあり、かなりの寒さである。

 秋を感じさせる寒さ、とでも言おうか。

 四季の変化を感じた後、俺は居間へと足を延ばした。


 ああ、今日は良い朝である。

 空気が澄んでいて、気持ちがいい。肌寒い外気ではあったが、寒すぎるわけではない。昇ってきた太陽のおかげで、温められて外の気温は丁度良くなっているのだ。


 ああ、実に今日は良い朝である。


「……ふぃー」

 居間へ入って、座布団を敷いてその上に鎮座する。

 母さんは、台所で朝飯を調理している最中だった。


 さて、どうしようか。

 暇である。俺は居間の壁に備え付けられた古臭い、壁掛け時計を見た。

 時刻は、午前六時半を指している。

 高校のホームルームは午前八時十分から。

 高校まで、ゆっくり行って一時間、少し速くいけば四十分程で着ける。


 まだ時間はある。その間、なにしようか。

 ……スマホでも見るか。

 それとも、テレビでも見て時間を潰すか。


 テレビ……、そう言えば今日は珍しく付いていない。

 いつもならテレビ魔である母さんが、毎朝テレビをつけっぱなしで見ているイメージがあったのだが。今朝はついていなかった。


 なんでだろうか。

 昨日、テレビをつけっぱなしで学校に行ってしまった事に負い目でも感じているのだろうか。


「んな、馬鹿な」


 いやいや、そんな事は有り得ない。と、自分の中で、自分の推測を否定する。

 母さんに限って、そんな事は有り得ないしな。

 どうしようか。スマホを見るか、テレビを見るか。

 迷うところだな。


 ……いつもスマホばかり見ているし、今日は久しぶりにまじまじとテレビでも見てみようか。

 という事で、俺は目の前のテーブルに置かれたリモコンを取って、テレビの電源を付けた。


『先日、或間町で起きた怪奇事件ですが───身元不明だった溺死体の、身元が判明いたしまし……』

 番組を変える。


『いやぁ、あの事件。怖いですねぇ……私の母も或間町に住んでるので、注意してねと伝えたのですが……』

『原因不明なのが、怖いですね』

 番組を変える。


『本日未明、警察は或間町で起きている怪奇事件について声明を発表しました。「この溺死体が発見された或間町駅付近では河はない為、誰かが殺害した後運んだのではないかと事件性について疑っている」とのことで……』

 番組を変える。


『昨夜、或間町駅で不審な高身長の人物が徘徊していたとの噂があ────』

 テレビを、消す。

 そして。


「はぁ…………」

 つまんなく、大きなため息を吐いた。


 全く……久しぶりにテレビを見たが。

 それはもう、同じ事件についてのニュースばかりであった。

 或間町にて起きている怪奇事件、その真相に迫る! って見出しでな。

 ……ああ、背筋がゾクリとする。

 冷ややかな汗が、背筋を伝って落ちてゆく。


 厭な予感だ。……ま、この町でそんな恐ろしい事件が起きているのだ。そんな予感ぐらいするもんだろうさ。自分を落ち着かせる。


「────」

 スマホも見る気分ではなくなっていたので、学校用のカバンを自室から持ってきて。そこに仕舞った。よし、後暇な時間は精神統一でもして過ごそうじゃあないか。


 大きく、自然の空気を吸い込んで、吐く。

 大自然の空気は美味しい。

 空気を吸って、吐いて。と、

 精神統一を繰り返していると、母さんが両手に皿を持って現れた。


「やっほーい弥ー、おはようー」

「ああ、おはよう」

「またも、塩対応! 母さん、悲しい!!」

 そういうが、母さんは全然悲しそうにはしていない。


「はい! これが今日の朝食よ!」

 母さんは、俺の座る目の前のテーブルに、皿を置いた。

 その皿にのっているのは、おそらく朝食のド定番である『目玉焼きとサラダ』であった。


 焼けた卵の匂いが、ふんわり香る。

 その匂いを嗅げば、嗅ぐほど食欲がそそられる。

 どちらかというと小食側につく俺も、この料理の前には無力。


 無様に、俺は腹を鳴らした。

 ぐぅ、とお腹が空いたと叫ぶように。


「ありがとう母さん。美味しそうだ。……いただきます」


 すぐさま両手を合わせて、食事に取り掛かる。

 持ってきてもらった箸で、全力で目玉焼きと、とろけた卵に付けた野菜(サラダ)を口に含ませる。

 嗚呼、美味しい。


 卵の黄身のとろりとした感触と、野菜(サラダ)達のシャキシャキとした食感が絶妙にマッチする。……美味しい、美味しすぎる。

 少し自分が手を加えれば、一瞬で崩れてしまいそうな程絶妙なバランスだ。


「……美味い!」

 そのまま、すぐに俺は朝食を平らげた。

 短時間で、美味しく頂く。

 それが、朝食道に生きる者の秘訣さ……、なんてな。


 朝食を食べ終わり、時間は午前七時を回っていた。

 さて、と一息ついた後。学校のカバンを持って、家を後にする。


「行ってきます、母さん」

「ええ、私も後で追いかけてあげる」

「……」

 怖いです母さん。


 俺は玄関の引き戸を開けて、外に出た。

 すると、一気に風が俺に衝突してきて体感温度が一層低くなる。

 ああ、寒い。


 自転車の前カゴに、カバンを乗せ、

「さみー」

 そう変えられない宿命(じじつ)に、文句を垂らしながら自転車にまたがる。


 ────そして、ペダルを勢い良く踏んで学校へと向かうのだった。

 今日は、いつもより寒い気がする。

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