二十五話【略奪構築Ⅱ】
「いやぁ、ワタル。カッコ良かったよ、凄く!」
「ははは……そんな事言われると、照れる……な」
俺を見据える天使の黄金なる瞳は、全くの穢れが見えなかった。
抱きついていた腕を俺は離し、彼女を立ち上がらせる。立ち上がった彼女は服についた土埃を、手で叩いて払い落とす。
あーーもう、土で汚れちゃったわ。なんて事を口にしていた。
─────どうやら、もう心配はいらないらしい。
……そうか。コイツが消えるなんて、有り得ないか。だって天使だもんな。ああ、うん、そうだ。
俺のアレは行き過ぎた杞憂だったのだ。
「ん、まぁ。お前が無事なら、それに越したことはないし。良かったよ」
「…………」
不思議と彼女からの返答はなかった。その代わりに何故か、びっくりしたかの様に目を丸くする白い悪魔。
どうしたのだろうか。
「意外……ね……」
「え?」
「んんっ、なんでもないわ! さ、せっかくワタルが悪魔を倒してくれたんだし、その痕跡でも見てみましょう」
「あ。ああ、そうだな」
だが、彼女は咳払いして話を再開する。
「─────」
もう日は完全に落ちて、辺りは深淵に染まっていた。暗闇の木々は、非常に物騒だ。だがそれをかき分けながら、先程まで悪魔がいた場所に彼女は歩く。
だから、眩暈に襲われる俺も彼女の後についていって。
悪魔を、俺が消した場所についた。
日本刀は背負っていた長細い袋に戻し、ただその場所を観察する。
「どうした、ソフィア?」
「─────むむ」
彼女はその場で腰を下ろし、右手の人差し指で地面に触れた。そこには、一見なにもない、ないしは土だけだ。だが……そこは先程悪魔が出現して、そして俺がその悪魔を消した場所。
つまるところ、ここから悪魔の来た痕跡を探そうというのが……多分、ソフィアの最初に考え付いていた案なのだろうが。
「なんか、変だわ」
どうやら、それは上手くいかなかったらしい。彼女は不機嫌そうに、自身の曲げた膝を地面に頬杖をつく。
空気はずんと重い。
「なんか変って、具体的に?」
「そうね。言うなれば……、痕跡が全く見つからない。いいや、ないわ。完全に消えた」
続けて、彼女はそんなおかしな事を言った。
痕跡が全く見つからない。なんて事がありうるのか? そんなの、おかしい。だってさっき、俺が倒したんじゃないか。その破片とか? が散らばっていても、全くおかしくないのに。
同時に、俺も困惑してしまった。
分からないな、何が起きているのか。
「そりゃあ、おかしいな。だって、さっき俺が悪魔を倒したんだしさ」
「うん、そうよね……」
「もしかしてだけど……、さっきのは悪魔なんかじゃなかったり?」
一つ。あり得る話をしよう。
例えば、この世界に悪魔と似た存在がいたとして。
今回襲ってきたヤツが、ソレだとしたら。こんな事も、あり得るだろう。
「いいや、そりゃ有り得ないわよ。だって、さっきまで悪魔の匂いが漂っていたんだから」
だが、その回答は違うと一蹴されてしまった。
どうやら、違うらしい。ならば、答えは一つしかないではないだろうか─────。
─────俺にはまだ一つ、心当たりがある。
「なぁ。もしかして、それさ。俺の腕の力が関係してるかもしれない……」
「はい? 腕の力って、七色紡ぎの天腕のこと?」
「ああ。俺、自分の持つ力がさ。どんなもんなのか、断片的にだけど理解出来たんだよ」
……己の痛む右腕を視界の中心へ移動し、云う。
眼を瞑れば、先程の走馬灯が今かと蘇ってきて。吐き気が俺を襲う。これは紛れもない、真実なのだろう。
俺とは、志摩弥とは、一体なんなのか。
より一層、分からなくなる。
「ワタルの腕の力……分かったの?」
「……そう、とは言いかねるが大体合ってる」
彼女は、深いその瞳を俺へと差し向けた。
唇が震える。怖いとでも、心がそう思っているのだろうか。だけど、そんなの事は俺に考えてはいけないことだ。俺程度の人間が恐怖なんて、感じちゃダメだ。
─────俺は、もう。
「俺の力はさ……多分、『奪う』力なんだと思う」
ただ、告げる。
言葉通りのその力。
七色紡ぎの天腕に宿る奪う、略奪の力。
過去未来さえも超越する、その力。
「成程……ね。個人的に、合点がいったわ」
なにがなるほどなのか。俺には分からない。
だけど、そんな俺に彼女は笑う。
「─────」
「理解したわ。貴方のその力。七色紡ぎの天腕……四色目。【”略奪構築”】」
「四色目……?」
「ん? ああ、多分。そこに特異的な意味はないわ。ただ、分かったのよ。……貴方程度の人間に、なんでわざわざ名乗るほど、模索者共が接触してきたのか」
……貴方程度の人間に。地味にキツイ言葉に俺は傷つきながら、事実だと暗唱する。というか、俺は一般人でいたかったとも言っていい。ずっと一般人のままでもいいんだ。願わくば、この少女と共に。だが、それは傲慢だ。
「貴方のその力はね……。確かに、奇跡操作なんて呼び名に値する力だわ」
「そ、そうなのか?」
「ええ。ま、私もその使用者をワタル以外に見たことないし、これは過去に父から聞いた話だけど。─────その力は、この世界に存在しうる概念、物体ならば力ある限りなんでも奪えるそうよ」
「え、あ────?」
思わず、何も出てこなかった。
この世界に存在しうる概念、物体ならば力ある限りなんでも奪える。つまり、だ。……力? 魔力? 生命力? 忍耐力? があれば、この世界の過去だって、真理そのものだって、ヒトの……いいや、セイメイさえ奪えるというのか。
それは、あまりにも想像を超える力だ。
「ま、今のワタル。……いいや、人間の体ではなんでも奪えるといえど、許容範囲みたいなのを超えたら死ぬでしょうけどね。例えば、この世に存在する全ての魂とか、この世の全てとか、普遍的な概念とか……そういうのを奪ったとしても、人間程度の体で内包出来るものじゃない。あ、人間の事を侮辱しているワケではなくてね?」
「そんなの、分かってる……」
「ただ、なんでも奪えるからといって。あまり酷使しないこと! それを伝えてたかったのよ」
ああ、なるほど。頷いた。
……それにしても、この腕の力。知れば知るほど、使えば使うほど恐ろしく感じてくる。己の力で身を亡ぼすコトだって、あり得るワケだ。
この世の全てなんか略奪した時には、ただ死ぬだけで許されるのか─────。
それは、想像を絶するモノだろう。
喉が、舌が、渇く。
自身の力に慄き、のっぴきならない恐怖はどう対処すればいいのだろうか。……その答えは、見つかる事はないだろう。
手を胸に当てて、
「……分かった」
それだけ、応えた。
分かっている。こんな力、本当は使いたくないぐらいだ。
だけど、この世界に迷い込んだ以上は彼女を守るためには、彼女の足手まといにならないためには使うしかない。
自分の為には、極力使わない。
使う事があるとすれば─────。
「それなら、安心ね! ちゃんと、約束守ってよね」
「大丈夫。この約束も、ちゃんと守るさ」
それは、”人の為”に。
◇◇◇
俺たちは森林公園を後にした。
あの後、かなり痕跡を探したが─────全ての痕跡が、きれいさっぱり消えていたらしい。彼女が考察するに、俺の腕の力があの悪魔の『存在していた証明』そのものの一部を奪ったのではないかと言っていた。
真相は分からない。
だがそれも、あり得る話だ。
自分の力が……怖い。
そして。森林公園を後にして。
結界式魔術をソフィアが解除して、そのまま家に帰宅しようと─────今に至るワケだが。
俺とソフィアは、二人で夜道を歩いていた。もう既に日は完全に沈んでいて、それどころか雨粒がぽつりぽつりと俺たちを掠ってゆく。
「寒いな」
「そう、ね。……体が震えそう」
─────雨は、これから悪化してきそうな予感だ。
出来るならば、早く帰った方がいいかもしれない。雨で風邪なんかひいたら、悪魔退治どころの話ではないのだし。
「取り敢えず、急いで帰った方がいいだろうな」
今日はもう夜が深くなっていくだけだ。それに雨になると、偏頭痛持ちの俺にしてみればかなりキツイ事になるだけだ。
ならば、早く帰って早く寝る。それに越したことはない。
「─────」
暗い夜道を闊歩する。
今、ここで、悪魔が襲ってきたら。倒せる気がしない。……そんな妄想は、いつしかどんどん広がってきている。ダメだ、志摩弥。
ネイティブ思考ほど良くないものはない。
帰路を急いだ。
◇◇◇
いつしか雨が強くなる。
……家までは、後四キロメートル付近までは来たのだが。そこから先へ歩めるほどの降っている雨は優しくなかった。
横殴りの雨が、俺たちを襲う。
「なぁ、ソフィア。最悪……じゃないか?」
「はぁ、なんでこの世界に雨なんて存在するんだろうね?」
二人同時に、ため息を吐いた。
俺達は今、住宅地にある小さな公園の一角にあるガゼボで身をひそめている。耳を澄ませば、ぼうぼうと神槍想起す暴風のメロディーが途切れ途切れに聞こえてきた。
……偏頭痛で頭が痛い。いいや、それだけが理由ではないかもしれない。
「はあ、明日は学校だってのにさ。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだか」
「本当にそうよね! もう、最悪よ!」
「─────」
隣に座る白い悪魔も、かなりの不機嫌さを放っている。
どうやら、相当に雨が嫌いらしい。まぁ思えば、自分自身にももこういう不穏な天気というのはあまり好けないものが心の奥底にあると自覚しているのだが。
それにしても、森林公園の次は。住宅地の公園……と。
なんだろうか。俺は公園に好まれているのだろうか?
疑問に思う。
「はぁ」
遠目で雨を傍観していると、自然な溜息混じりの欠伸が出た。
眠い。……公園に立つ丸形の高い時計を見れば、時刻は既に八時を回っていた。……もう、そんなに時間が経ったのか。ないしは、まだその程度しか経っていないのか。
どちらも、思った。
─────学校を出たのが確か、四時半頃だったか。
それから今。約三時間半。
長いようにも、短いようにも捉えられる。絶妙な時間経過。
「はぁ」
また、溜息混じりの欠伸が出た。
視界は雨に打たれて衝撃を露にする住宅地の屋根に埋まりつくしてた。または、公園に降る雨粒に震える砂粒達。
─────見れば見るほど、目が離せなくなる。
まるで蠕動し続ける、蛆虫だ。
「ぐ、あ……」
そう考えると気味が悪くて、少しの吐き気が俺を襲う。元々、多分力を酷使した事による眩暈と、偏頭痛があったというのにも関わらず、ソレは更にと容赦なく振るわれた。
視界がぐらんと反転するかと思うほどの吐き気。
それは、収まらない。
「あ、あ、れ……?」
力なく呟く。
体は紅潮し、熱気で雨を覆った。
アツイ。アツイ。アツイ。錯覚。
……枯れる。
「あ、あ……あ」
気が付けば、体は凍る程冷たくて。ひんやりと、脳内に冷気が通過する。吐き気は時間経過と共に増してきて。
ただ座るだけでも、ただ呼吸するだけでも、ただ生きているだけでも困難だった。
湿度百パーセント。ただ、喉が渇く。
「そ……ふぃ、あ」
原因不明。なんでこんなことになったのか、自分でもわからない。
原因不明。その吐き気に、俺はただ耐え続ける。だがそれは無意味だ。
すぐに、決壊する。
危機感を覚え。蛆虫のごとく鈍い動作で、隣に座るソフィアへと手を伸ばした。……届かない。いいや、届くはずの距離だというのに。俺の腕は、思うように動かなかっただけ。
届かない。
視界は揺らぐ。体は熱いようで、冷たくて。
─────同時に。視た。
ガゼボの外。水の槍が降り注ぐ、外に立つ女性を。
公園に立つその女の顔は見えない。……遠くて、見えない。
その女はコチラを一瞥した後に、ニヤリと微笑んだ様に見えて。
「あ……?」
そのまま、赤と黒が混じった色の翼を広げて音もなく消えていた。
─────見覚えのある、オンナ。
音が世界に宿る。
ぽつぽつと、雨の音が聞こえてきた。
気が付けば、雨は止んでいて。
「あ、れ……」
なんでか、先程までの頭痛や眩暈全てが俺の体内から何事もなかったかのように抜けていた。
「止んだね、雨。……はぁ、やっとこれで帰れるわ!」
隣に座る、何も変わりない白い悪魔は笑って言う。
─────何も、変わっていない。
俺はただ、ああ。と空返事だけをした。
◇◇◇
家に着いた。
今日も酷く疲れた。色々な事があった気がする。
今日は飯を取る気にはならない。
「……」
「……」
それぞれ、黙って家に入る。
眠気なんて、とうに消えていて。ただ、あの時に視た幻覚の様な背景だけが目に焼き付いていた。
……それが自分を離そうとしてくれない。
「─────あ、ワタル。今日、ご飯どうする?」
「今日は……」
いるか、いらないか。
どうしようか。……先程にも言ったが、本音を言えば。今日はご飯は要らなくてもいいという気分である。
……。
「今日は、要らない」
─────応える。
静かに、俺はソフィアの眼すら見ずに答えた。……あの女の姿を見てから、なんでか気持ち少し気分が悪いのだ。
「む。そう? でも、聞いてなんだけど……ご飯を食べる事は大事だよ? もしかしてワタル、調子が悪かったりする?」
「……いや、そういうわけではないんだけど……」
あの光景が目から離れない。
あの雨の中の、女の姿が。
……だが、”ご飯を食べる事は大事”それは正論である。俺もこんなことで啞然としてないで、早く切り替えるべきだろう。
俺は両手で自身の頬を叩いて、首を振るう。
「……ああ、気分転換だ! 食べる、食べるぞっ! 俺は夕飯をな!!」
「お、おおお!!!」
「……って。今、思ったんだけどさ」
誰が、ご飯を作るんだ?
─────その事実に、気がつく。
「誰がさ、夕飯を作るんだ?」
「あ」
その疑問に、彼女の今気が付いた様で単音の声を上げた。
だが、問題ないッ!! 何故ならば、この志摩家には一流シェフの白い悪魔(笑)ことソフィア・リードさんと志摩弥がいるのだから─────。
─────息をのんで。
彼女の瞳を直視する。
「……え、どうしようね。誰が料理作ろうか……って、え? どどど、どうしたのワタル? そんな急に……見つめてきちゃったりして」
汗が垂れた。
動揺する彼女を直視する。
ただ、彼女の両肩をがっちりと掴んで。
「え。どうしたの、ええ? ワタル、なんか変だよ」
「─────」
変なのは元より承知している。元来、人間とは変な生き物だッ!!! だから、こんなところで俺は止まらない。
更に、ニッコリと笑顔を作る。
自分では見ることが出来ないが─────さぞかし今の俺は、きっと素晴らしい笑顔をしているだろうッ!!!!!!!
「ええぇ……わ、わわわ。志摩弥さん? 生きてます?」
「─────決めた」
「はい?」
ぽつりと、呟く。
そう、決めた。だからこそ俺は提案する。
「ソフィア。今日の夕飯、一緒に作ろうじゃないか! ……俺がお前に、料理の何たるかを教えてやる!」
「─────??????」
彼女の目が点になる。ああ、多分……感動して嬉しがっているのだろう。─────そんなワケあるはずない、ただ困惑しているだけの表情だが。
ああ、そんなのは無視して。俺も送ろう。
最近、彼女には色々な事を教えてもらってばかりだったのだから、少しばかりは俺もソフィアに何かを教えてやりたい。
だからこそ─────俺は、そう提案した。
気分は上の空。既に上がりきっていて、深夜テンション。
時刻は九時四十分。
もう既に夜。……これから深夜。
そして、明日は水曜日。変わらず学校だ。
だからこそ、だからこそ……今、この時にやるべきだ。
「そうと決まれば……そうだな、丁度豚カツも冷蔵庫にあるし。カツ丼でも作ってみようソフィア!」
「えーーと、カツ丼?」
こうして。あまりにも唐突に、志摩弥によるレッツエンジョイ精神をモットーとしたクッキング番組が始まった。




