二十一話【新始日常】
俺は今、自室のベットで寝転がっている。
あれから、家に帰って弁当を食べて、風呂に入って、ジャージに着替えて……今に至るというわけだ。
「疲れた、な」
今日も疲れた。
色々な事があって、疲れる事尽くしで。
頭が混乱して死んでいないのが、不思議である。
……まぁ、なんというか。この数日で色々な事を経験しすぎて、現実味がないからなのだろう。
刹那に点滅する交流のシーリングライトを見つめながら、想起する。
目を瞑れば、ここ数日で体験した事象がさっきの事かと錯覚するほど鮮明に映り込んできた。ソフィアの笑顔も、ファクトのあの醜い笑顔も、シルファの怖い笑顔も。
……他にも、様々な風景、世界が、人物が。
「はーあ、体がどぶのように重い。やってられないですよなぁ、こんなの」
疲れにうんざりしながら、俺は右腕を天に伸ばした。
チクリと刺さる様な痛みを右腕に感じながら手を広げ、天井から降り注ぐ光の雨に衝突させる。
すれば、手は黒く見えた。
─────俺は、これからどう生きていけばいいのだろうか。
少しばかりの不安が残る。
俺は人間だ。それに対して、彼女たちは人外的な存在だ。
その差は、どうやって埋める事が出来ない。
それは、前の体験で実感している。
……果たして、俺の持つ”右腕のチカラ”で。どれだけ戦えるのか。
分からない。予想もつかない。
「あーーやめだやめ、そんな事考えるのは……良くないだろ。右腕の力だって、すぐに分かるさ」
ベットに置いておいた照明操作のリモコンで、照明のスイッチを切る。
そして、右腕を降ろして目を瞑った。
嫌な事は、不安な事は、寝て忘れよう。……それが、一番良い解決方法だろうさ。
俺は、深い眠りについた。
◇◇◇
酷く冷えた風と陽光に当てられて、目が覚めた。
……今日はちゃんと、深い眠りにつけた気がする。
目を開けば、暖かな空気を纏う天井を正視した。
「……ん。もう、朝か」
俺はベットからゆっくりと起き上がり、辺りを見渡す。
凍える様な十一月の空気。今朝はより寒い。まず包帯でぐるぐる巻きになっている己の腹を見て、安堵の息を吐く。……怪我は治りかけている。
部屋の窓を開けて外を覗けば、天は白で染まっていた。
純白ではなく、黒がぽつぽつと。
所謂、暗雲である。今にも雨が降りそうで、お世辞にも天気がいいとは言えない。……ま、こんな日も生きていればあるもんだ。
取り敢えず、学校の登下校中に雨が降らない事を願うばかり。
─────すると、背後から。
「おっはー、ワタル♪」
と、白い悪魔の声が聞こえてきた。
突然の呼びかけに驚いて、俺は自室の扉へ振り返ると同時に床に転びながら返事する。
「う、うおっ⁉ ……おは、よう。ソフィア」
「げっ、ワタルどうしたの?」
「……い、いや。ただ単に驚いただけだよ」
「そう?」
俺は咳払いしながら、立ち上がった。
……全く、朝から脅かしてきやがって。
目を細めて、彼女を優しく睨む。
「む、なによその顔」
「ふん。自覚がないようだな、─────白い悪魔」
「なっ⁉ だから、私は悪魔なんかじゃないって!!!」
彼女は白い髪をひらひらと風に靡かせながら、抗議する。
だが無意味だ。……自分の中での彼女のイメージ像はもう、『白い悪魔』と確定しているのだ。
「悪いな、それは聞き入れられない。なにせもう、お前は俺のスマホを破壊した時点で『白い悪魔』とイメージは確定していたからな」
「ぐ、ぐぬぬ……! 小癪なぁっ!!!! 確かにワタルのスマホを壊してしまったのは私が悪いかもしれないけど、それ以外なら私はちゃんと天使で良い子なんだからぁ!!!!!」
彼女は犬かと思うほどキャンキャン騒ぐ。
「あー、はいはい」
それを、俺は両手で自身の耳を塞いで聞き流した。
それを見ると、彼女は更に喚いた。恐ろしく白く美しい肌の頬を、ふっくらと風船みたいに膨らませながら。……彼女は、喚いた。
「取り敢えず。私は、白い悪魔なんかじゃないんだからね!」
「分かってるよ、白い悪魔サン」
「あーーもう、!!! ワタルってば最低ね!!」
─────こんな日常が、続けばいいのに。
そう、心の内では心底思う。だけど、そんな普遍的な日常は既に崩壊している。俺の手にある日常はもう、それじゃない。
苦笑しながら、ソフィアに話しかける。
「まぁ、ソフィア。俺は今日も学校なんだ。取り敢えず着替えるから、一階に行っててくれ」
「もう。……しょうがないわね。後、私は本当に白い悪魔なんかじゃないから!!」
彼女はそう言って、部屋から出ていった。
俺は独りになる。……そして、大きく白い息をは吐いた。
ああ、ナンダコレは。
胸中にあるのは、謎の不安だった。
それがどこから来るものなのかは不明。
ただ、ただ、不安が俺を襲う。
「考えても仕方がないか。というか、そんな事で不安になってたら……この先、やってけないだろ志摩弥」
俺は自分に戒め。そして、制服に着替えて、一階へと向かった。
◇◇◇
一階に降りると、ふんわりとした匂いが鼻をくすぐる。
匂いは吸えば吸うほど甘味を増して、不思議な匂い。匂いの正体は一体─────と、俺は一階を散策すると。
台所には、料理をする白い悪魔の姿があった。
どうやら、彼女は料理をしているらしい。甘味の匂いが、台所の前に立つとより一層強まった為に匂いの正体はコレだと確信する。
だが疑問に思うコトが。
「あれ、ソフィア? 料理しているのか……? お前、昨日。料理は出来ないとか言ってなかったけ?」
「え? あ、うん。そうだよ、料理は出来ない。でも、出来ないままだと居候する身じゃ失礼でしょう? だから、始めてのチャレンジだけどワタルにと朝食を作ってるの!」
「そうか……そりゃ、ありがたい。でも大変だろうし、俺も手伝おうか?」
そういう事らしい。
それはなんとも微笑ましくて、ありがたい事か。
自分も料理は出来るが、めんどくさいからといつもしなかった。今日も、それはどこか気だるくて食べないで行こうと思っていたし、ありがたいのだ。
……でも任せっきりもダメだろと思って、声を伸ばして提案した。
腹は、空腹の警鐘を鳴らす。
「あ! 大丈夫だよ、ワタル。私は自分で料理は出来る様にならなきゃダメだから、私もワタルの手助けをしたいんだ! だから、ワタルの手を借りたら反則だよ。居間でちょっと待っててね、もう少しで出来るから」
「……そうか。分かった」
だが提案は断られた。
ま、ソフィアが俺の為に頑張ってくれるのは嬉しいと思う。
今にも手伝いたい気分と言えば、今やそうなってしまっているかもしれないがその気持ちを抑えて……。
俺は台所を後にした。
廊下へと出て居間に向かう。廊下は恐ろしい程に寒い、その所為も相まってか体が動きにくいのだ。
……溜息が、信じられないほど出てくる。
居間に入って、青色の座布団を敷いて座った。
……静寂が、己の周りに舞い降りてきた。
まるで、深い森に。深い海に。点在するかの様に。
恐ろしい静寂。あの廃病院で体感した威圧感と同じぐらいの静けさ。
だけど、これは違う。
「たまには、こういう時間を過ごすのも……良いもんだよな」
この静寂は、安心出来るから。
落ち着いた今朝を迎えた俺は吞気に欠伸をする。
何もしない、そんな独り団欒。
こういう雰囲気も、たまにはあってもいい。
そんな気分の俺は、脱力して体をうんと伸ばした。
「時間は…………六時二十分、か」
壁掛け時計を見て、時間を確認する。
そして安堵の息と共に、目を瞑る。
大丈夫だ。まだ、時間には全然余裕がある。
……というか。俺、いつから早起きになったのだろうか。
中学の頃はいつも七時起きだったんだけどな。
そんな俺を畳の匂いは立冬の匂いが合わさって、嗅覚をかじった。
据えた匂いとでもいうのだろうか。世間一般でいうと、”好みが分かれる匂い”であろう。俺はその匂いが好きだ。
◇◇◇
五分後。台所から皿を持って、ソフィアがやってきた。
だが俺はその時、己の眼を疑った。
「うえっ、ひぶっ……ワタル~」
「えーーと、ソフィアリードさん?」
その理由。それは至って単純で。
眼前に映るソフィアは、何故か泣いていたのだ。俺も思わず困惑した、こんなソフィアを見た事がなかったから。
「……どうしたんだ? ソフィア……さん」
「ひぐっ、ふぇ……。あのね、ワタル。……これ」
理由を追及するが、どうやら彼女はそれに答える力もないようで。
彼女は持ってきた皿を泣きながら、俺に突き出してきた。
それは料理。それは黒塊。それは、目玉……焼き……?
ソレを見た俺は脳内の電線がパチパチと音を奏で、情報過多でショートした。
「お、おお、おおおおおッ!!!!!」
よく分からくなって、取り敢えず大きく声を上げる。
成程、これが天使の作る料理か。
成程、これが世界を理解する概念の視る世界か。
成程、これが─────この世の中の真理心象かッ!!
……んな訳あるか。
どうやら、この料理から察するに彼女は料理を作るのに失敗したらしい。
目玉焼きを作ろうとしていたのであろう痕跡が見られるが、それらは無惨にも黒く焦げて固まっていた。
「これは……焼き過ぎたのか?」
「うぇ……ひぐっ……う、うん」
彼女は泣きじゃくりながら、肯定する。
……ふむ。改めて、俺はその料理を見つめた。
眼下の皿に盛られたのは、黒い塊。
─────否。それはちょっと黒いだけの目玉……焼き。
あまりにも無謀な自分への催眠。
固唾を、思いっきり飲み込む。
「─────ありがとうな、ソフィア。頑張って作ってくれて、ありがたく頂くよ」
「え?」
その言葉に、彼女は目を丸く。
俺は居間の机にある箸置きから箸を持って、その料理に挑んだ。
……いや、その表現はちとよろしくない。
俺はその料理を美味しく頂こうとする。
「いただきます」
「あの……いや、ワタル? 無理して、食べなくていいんだよ?」
「─────お前が作ってくれた料理を水の泡にすることなんて、出来るワケねぇだろがッ!!!!」
皿を持ち上げて、一気にその目玉焼きを口に滑らせた。
マナーが悪いなんて罵声は重々承知。……箸を持った意味も特になし。
─────ただ、俺は料理を美味しく頂く。
その事象を成功させる事に、専念した。
「はむっ、はむっ、は…………む、っ」
焦げの味に焦げの味。何処からか分からない、砂の食感。
世界は絶望する。沈殿し、世界は崩壊する。
……口の中に入るそれは、まさに宇宙そのもの。
「─────」
言葉はいつまで経ってもも出現せず。
死にそうになる。この黒い塊は、端的に言って凄く苦い。
……だが、だが、それではダメだから。
俺はソレを飲み込んだ。
「う、んッ。……ああ、食った、食ったぞ。ソフィア、美味しい料理をありがとう」
「え、ええぇ……。ワタル、凄く顔色悪いけど、大丈夫そう?」
「ああ、問題なんてないぞ」
心なしか、体の奥底にあった色々な悪、汚物がこの料理のおかげで浄化された気がする。……事実はただ一つ。『相殺された』だけであるが。
多汗に陥りながらも、俺は立ち上がった。
このまま座っていると、今にも気絶してしまいそうだ。
「ソフィア。今回の料理がさ、失敗だと思うんなら。……後で俺がビシバシ指導してやる。俺はな、一応料理に関しては少しだけカジッてるんだ」
「お、おおお!! そうなんだねワタル!」
「ああ、俺は少しだけなら……料理が出来るぞ!!」
とは言っても簡単な焼きそばやら、カツ丼やらしか作れないけども。
ま、そんな事はどうでもよくて。
もうすぐで登校しないと間に合わないし、早く行こう。
「よし、もう時間だから……俺は行くぞ」
俺は事前に居間に持ってきた学校のカバンを持って、玄関へと向かう。
外に出ようと玄関の扉に手を掛けた時、彼女は聞いてきた。
「ねぇ、ワタル?」
「どうした、ソフィア?」
彼女の声色は、ちと暗い。
それに違和感を覚えた自分は振り返り、彼女を見た。
そこに立つは白鳥の如く美しい一人の少女。
心なしか、どこか寂しげな表情だ。
「あの、忘れて……ないよね……?」
「え? 忘れたって……何をだ?」
「昨日の、約束……のコト」
彼女の言葉を聞いて、理解る。
もしかして、俺が『彼女に協力する』と昨夜に約束したコトをもう忘れたとでも思っているのだろうか。そんな事、あるはずがないというのに。
「ああ、ちゃんときっしり覚えてるさ。お前に協力するなんて約束、そんな軽く出来る訳ないだろう。俺もちゃんと思いがあって、約束したコトなんだから。……大丈夫だよ、安心しろソフィア」
「う、うん。そうだよね……ありがとう、ワタル。…………嬉しいわ!」
だが、その言葉はまだ寂しげで。
違和感が消える事はない。
「んん? どうした、ソフィア。お前らしくないな。……もしかして、気分でも悪いのか?」
「え? いや、そんなことはないだけどさ。……どことなく、なんでか分からないけど。厭な予感がするんだ。いつか、唐突に目の前からワタルがいなくなってしまうんじゃないかなって」
「は? ……んな訳、ないだろ。逆に俺の方こそ、お前が消えてしまわないか心配だよ」
なんだ、そんなくだらない事を迷っていたのか。
だから俺は返答する。自然体で、本心を。
「……はは、なんだか変に心配してた私が馬鹿みたいにだわ。いってらっしゃい、ワタル! 気を付けてね!」
「ああ、もちろん。いってきます」
すると、彼女はいつも通りのテンションに戻ってくれた。
だから、俺は一言告げて外に出て自転車に乗り、学校に向かった。




