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十九話【夕飯作る元気はない】

 体が、反吐が出るほどに重い。

 脚も腕も動かそうとすれば拒絶反応を起こす。だけど、そこでただ座っている訳にもいかず。俺は立ち上がり、緩慢な動作で志摩家のドアを開いた。


「ただいま、ソフィア……」

 吐きそうな錯覚を抱くと共に、小さくそう呟く。


 疲れた。

 今日も、色々な事があった。

 ……最悪の一日でもあったかもしれない。

 なにせ、学校を無断で逃げ出したと思ったら、今度は学校に遅刻してきて、それに加えてそのまま気絶してしまったのだから。


 こんなんじゃあ、高校が卒業出来るかすら怪しくなる。

 だが大丈夫だ、と暗唱する。まだ、二年残ってるしな。

 大丈夫─────な、はずだ。


「おかえり……ワタル! なんか声色が重いけど、何かあったの?」

「ん? ああ、まぁ……な。また学校で倒れちまってな。どうやら、ファクトに食らった攻撃がかなり痛かったらしい」

「え⁉ それで……大丈夫だったの⁉」

「んん、まぁ、応急処置ぐらいはしてもらったさ」


 俺が帰るや否や、ソフィア。コイツは、家の奥から走ってやってきた。コイツ、もしかして……一日中、この家にいたのだろうか? 

 彼女は心配そうな視線を俺に送るが、俺はそれを拒否する。


 別に、心配するほどの傷ではない。

 そんなのは、大袈裟すぎる。


「……」

「大丈夫だって、ソフィア。あと一日もすれば、傷は完璧に癒えるだろうし。……な?」


 呼吸が荒れて今にも倒れそうな吐き気を抑えながら、俺は彼女に応答する。

 彼女は未だに心配だ、と言うかのような視線を送ってきていた。

 ……大丈夫、だというのに。


「ま、取り敢えず。今日は少し疲れた、居間で休ませてくれないか?」

「え? ……あ、うん。そうね、怪我も完璧には癒えていないのだし、疲れてるんだったら安静にするのが一番よ」

「その通り」

 ソフィアの返答が少し鈍いが、気にしない。


 俺は靴を脱いで、志摩家に上がる。

 そしてそのまま、重すぎる脚をヨタヨタと動かして居間に入り、端っこに座った。

 瞬間。ドサリと、今までの麻痺していた蓄積された疲労が俺を襲う。


「う、ぐ……」


 同時に、電撃に似た衝撃が脳内を駆けた。

 ここ最近の疲れが、まだ取れていない証拠か。

 それとも、人の身にて出過ぎた行動を取った罰か。

 原因はよく分からない。


「はぁ…………くそ、疲れが溜まってるのか」

「大丈夫そう、ワタル? 辛そうに見えるけど……」

「いいや、我慢できる範囲だし、大丈夫だよ」


 またもや心配してくれるソフィアを、手で制止する。

 正直、この発言は噓だ。我慢出来る訳がない疲労の渦。

 ……俺はそれに、巻き込まれている。


 だが、それを言ってもただソフィアに罪悪感を植え付けるだけ。

 それで、俺の現状が改善されるわけではない。

 言うだけデメリットなのだから、そりゃ言わない方がいいだろう。


「本当に? ……私、心配なんだけど」

「─────大丈夫だってさ、俺は人間で、しかも体力はないけども。生命力はゴキブリ並ぐらいだぞ?」

「え? ご、ごごご……ごき……ゴキブリ……?」


 その時だった。彼女の声があからさまに動揺の感情が混じった。

 なんでだろうか。ゴキブリ、という語句に反応している様だが。

 何か、ゴキブリ関係であったのだろうか。


「急にどうした、ソフィア?」

「い、いいや。なんでもないわよ⁉ 別にワタルの部屋で遊んでいた時にゴキブリを見つけて、びっくりしちゃったとか……別に、そんなことないし」

「そういう、事か」


 溜息が出てくる。

 なんだこいつは、どんだけ分かりやすいんだ。

 その発言は、そうなっちゃったんですよと説明しているのと同意義だぞ。

 その発言には、呆れどころか笑みさえも零れた。


「ま、大丈夫そうな良いわ!!!!!」

「─────」

「あ。それと……だけど。私、ご飯作れないんだけど。……ワタルのお母さんも今はいないしさ、誰が夕飯を作るの? 大丈夫でもワタルだって、疲れ過ぎててご飯を作れる成ではないわよね?」

「まぁ、それは……否定しない」


 それは、その通りだから否定しない。

 だって……流石に今の俺の力では、夕飯を作ることなど叶わないからな。

 その時、一つの疑念が浮かぶ。


 じゃあ、誰が今夜の夕飯を作るのか? ……と。

 ソフィアはご飯が作れないといってるし、どうすればいいのだか。

 そう思う俺だったが、ソフィアは一つの提案してきた。


「じゃあ、私。近くのコンビニにでも行って、お弁当買って来るわ!」

 と。おお、ソフィアにしては珍しいナイスアイディアである。


「それは、良いかもな」

「決まりね、お金は私が出すから! じゃ、早速行ってくるわ!!」

「いや……まて。俺も金は出すぞ? あまり金はないが、部屋にある貯金箱とか、他にもゴキブリを入れておいた箪笥にだな、へそくりがあるんだ……!」


 流石に、ソフィアにお金を出してもらうのは忍びない。

 だから、立ち上がって今にも家から飛び出していきそうなソフィアの対して俺が隠したかった事を暴露して止めた。

 仕方がない。こういうしかなかったのだ。


 その言葉を聞いたソフィアは、ピタリと体を止めて。

 コチラへと振り返ってきた。


「ごき、ごき……今、ワタル。なんて言った?」

 そして、ソフィアは恐ろしい剣幕で俺を脅迫してくる。


 それに一瞬怯んだ俺は、仕方がないと白状する。

 また、だ。また、ゴキブリという言葉を出すと彼女の様子がおかしくなる。

 ……もしかして、両親をゴキブリに殺されたのか?

 それ、どこの火星だよ。


 ま、まぁ。正直に言おう。


 心なしか居間(へや)の照明が少しばかし薄暗く変化したような気がした。

 それどころか、外の風はいつの間にか音を立てるほど大きくなっている。

 そして、悪寒が背中をゾワゾワと走った。


「あのだな……俺、実は箪笥にへそくり(SNS関連)で稼いだ収入をこっそりとしまってるところがあるんだが。それがバレたら、母さんに全て酒代にあてられるから。そうならないように、隠蔽するためと外敵を追い払う為に、行きたゴキブリを入れっぱなしにしてたんだよ」


 全て、包み隠さず白状した。

 ……俺は目を瞑る。

 予測できる怒号。雨の様にぶつりと刺さるであろう殺意。

 それを推測して、俺は現実逃避をしたのだ。


 だがしかし、それはいつまでも経っても訪れないで────。

 眼を開いてみれば、眼前で白い悪魔は涙目で肩をぷるぷる震わしている姿が映り込んだ。


「えーーーと、ソフィアリードさん?」

「この、バカヤローーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!」


 油断禁物とはこのことか。

 眼を開いたその直後、予測していた怒号が吹き飛んできた。

 鼓膜が破裂するかと思うほどの大絶叫が、志摩家に響き渡るのを俺は観測する。


 ◇◇◇


「で、買ってくるお弁当のお金の話だけど。私が出すよ」

「いいや、俺が出す」

「えーー、なんか申し訳ないというかなんというか……」

「じゃあ分かった。それぞれで、それぞれの分の弁当のお金を支払おう、それでいいだろ?」

「う、うん」


 あれから数分後。俺は鼓膜破壊系悪魔のソフィアと共に、夕飯をどうするかと話し合っていた。至って真面目な話だ。

 ソフィアと二人で居間に座布団を敷いて座り、話し合う最中である。


「あれ、でもさ……」

 彼女は俺に問いかけてきた。


「ワタル。その考えでいくと、貴方もコンビニに行って、自分でお弁当を選ばなきゃいけないんじゃあないの?」

「あ。まぁ、そうだな。……でも別に問題じゃあないだろ。俺がついていけば良いだけの話なんだから」

「それじゃあ、本末転倒じゃない。ワタルが夕飯作る元気がないから、コンビニ弁当で済まそうって話なのに。体調だって、まだ悪いんでしょう?」

「うぐ……」


 反論の余地がない。

 いやでも、ゆっくり休んだから体調は改善されてきたし……もう外は真っ暗闇。

 そんな中、いたいけな少女を独りで出歩かせるのもどうかと思う。見放せない。もし性の獣や、悪魔に襲われたらどうするんだ?

 対抗出来るのだろうか? 


 性の獣に関してはただの人間だから、大丈夫だろうけども。あのファクトってやつと邂逅したら……死ぬ危険性すらある。


「いやでもな。独りで出掛けて、お前が悪魔に襲われたりして死んじまったりしたら……俺は、すごく困る」

「─────え?」


 自分でも意図しないで出た本音に気がついて、急いで口をふさぐ。……が、それは時すでに遅し。目の前にいる白い悪魔は、ニマニマとした奇妙な笑みを浮かべていた。


「いやぁ。まさかワタルに、そんな事を思われていたなんてなーーー、意外! これがあれね、人間社会でいう。ギャップ萌え的な?」

「うるさい!! 今のは…………幻聴だ! 聞き間違いだ!」


 一瞬にして体温が上昇して、鼓動が早まる。

 呂律が回り切らなくなる前に、俺は大声で彼女の”イジリ”を相殺した。

 ああ、くそう。なんで俺がこんな事でバカにされなければいけないのか。

 頭がクラクラする。


 彼女の白髪がいつもより、より一層明るく見えた。


「取り敢えずだ。俺はお前についていくぞ、危ないからな!!」

「おおーーーー」


 俺は勢いのまま立ち上がって、腕を組んで仁王立ちをかます。

 さ、そうだ。そうしよう。立ち上がると同時に少しクラクラしたが、きっとそれは気のせいだろう。


 もしそれが本当だとしても─────それはきっと、醜い劣情の所為。


「なんだか嬉しいな、ワタル! 貴方がいれば、私も安心ね!」

 彼女はそのまんま、自然体で、健気なその笑顔と共にそんな事を口にした。


 ああ、そんな直球に言われると。

 ちっとばかり、恥ずかしい。


 ◇◇◇


 流石に制服のまま外に出るのはダメだと思い、俺は灰色のパーカーに黒のコーチジャケットへと着替えて外に出た。玄関先では、自分から吐き出す白い息をまじまじと見つめている白い悪魔がいた。


 因みに、一応部屋に置いてあった日本刀は袋に入れて、背負ってきた。


「着替えてきたのね……って、ショッピングモールに出かけたときと同じ格好じゃない」

「……しょうがないだろ、俺はこれぐらいしか服を持ってないんだ。生憎、ファッションには疎くてだな」

「ふーーん、そうなの」


 確かに言われてみれば、俺はこの服ばかり着てるなと思う。

 なんだろう。多分、無意識の内にこの服装を気に入っているのだろう、俺は。

 まぁそんな事を話している暇はない。

 自分の体調が比較的改善されているうちに、コンビニで弁当を買ってこなければ。


「急ごうソフィア、夜は物騒だし。出来るだけ、外にいる時間は短い方がいいだろう」

「ん、そうね」


 俺は箪笥から持ってきた自分のへそくりのお金をポケットに突っ込んで、歩き始めた。


「さて、最寄りのコンビニは…………一キロ先ぐらいだな」

「案外遠いのね、疲れそうだけど……大丈夫?」

「これぐらいは流石にな、問題ない。あ、そうだ。ソフィア、どうせなら前みたいに翼を出して飛んで連れてってくれよ」

「はぁ?」


 魅力的な提案をする。

 それが出来れば、俺は楽出来るし、俺は休めるし、俺は彼女の美しい姿をお目にかかる事が出来る! ……って、メリットは自分に対してばかりではないか。


 目の前に立つ彼女は、何を馬鹿な事を言っている。と言い返すかのような目つきだ。


「ど、どうした? そんなにも嫌だったのか? ……それなら、謝る。ごめん」

 その姿を目に、俺は反射的に謝罪する。


 どうやら、その提案は彼女にとって。

 かなりの不都合さらしい。

 暗闇に照らされた彼女の表情が曇る。


「あのねぇ、ワタル? もしかして私のあの翼の事、軽視してない?」

「……どういう事だ? 軽視なんては、してないぞ」

 彼女は腕を組んで話し出した。


 どうやら、かなり怒っている様子。


「あの翼。名を天翼(てんよく)。……それはね、自分に貯蔵された魔力を用いて顕現する天使にのみ使える奇跡操作(マテリアル・コントロール)。簡単に言えば、天使が本気を出す時にだけ魅せる天使の象徴よ」

「なる、ほど」

「だから、それを安易に酷使すればかなりの疲労がくるし。私の天使としての尊厳さえも傷つく。ま、そして今、一番大きいのは……アイツに私が来てしまったって、バレテしまうから」


 ─────納得する。

 そりゃ、彼女もこれほどに怒る訳だ。

 罪悪感にまみれた俺は、もう一度謝罪する。


「そりゃ……ごめん。俺が悪かった、ソフィア。その翼がどれだけ凄いのか、俺はちゃんと理解していなかった」

「うん、理解してればそれで良いの。私も少しキツく言い過ぎたかもしれないし……」

「いいや、そんなことないよ。俺が悪かった」


 正直、謝ったところで俺が悪かった事実は変わらない。でも、俺は謝るしかない。

 何故か? それは、俺が悪かった。それだけだ。

 だから俺は謝る。それで何かが変わる訳ではないけど。

 ただ、謝罪する。


 それが俺に出来る事だ。

 そして、静かに俯く。……彼女はそんな事を言ってるが、内心かなり怒っているだろうし。軽視されていたと、傷ついたかもしれないし。

 ああ、俺は─────馬鹿か。


「あ。じゃあ……罪悪感にまみれて今にも鬱? になりそうなワタルに、私からも一つ提案!!」

「え?」


 だがしかし。そんな俺を見放すことはなく、彼女は告げた。


「さっき、私に失礼なコトを言って罰として。私たち天使についてと、私の敵といえる立場にある悪魔について知りなさい! 私が、今からコンビニにつくまで。ミッチリと教えてあげるわ!!」

 そう。……ソフィア先生による、天使悪魔についての講演開始の宣言を。


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