第4話 渓流
公園に行った後、渓流を見に行って。
エトランジュの笑顔と、軽やかな笑い声の心地好さ。
つないだ手の優しさ。
何をしたわけでもないのに、ただ、景色を見に行っただけで、エトランジュが冒険だとはしゃいで目をキラキラさせるから。
少なくとも、エトランジュにとっては大冒険らしかった。
私とはぐれたら帰れないと思っているから、絶対に、手を離さないし。
渓流に並んで座って、足を浸しながら聞いてみた。
「エトランジュは、婚約の話は聞いているの?」
私の名に反応しなかったから、たぶん、聞いていないだろうけど。
それまで、笑顔の絶えなかったエトランジュが可愛らしく眉を寄せて、頬を膨らませた。
「ルーカスはいやだもん」
「え?」
「だから、聖サファイアに逃げるの」
「ルーカスって?」
「幼馴染の皇子様。わがままなんだもん。ルーカスに狙われてるから、エトランジュは、脱兎のごとく逃げるんだよ! ぴょーんって」
エトランジュがぴょんぴょん、跳ぶ真似をして見せた拍子に、足を滑らせた。
「エトランジュ!」
「きゃ」
なんとか、抱きとめて庇ってあげられたから、怪我はしてないと思うけど。
二人ともびしょ濡れになってしまって。
ちょっとこれ、公邸までの帰り道が恥ずかしいな。
「ガゼル、ごめんなさい」
泣きそうな顔で、エトランジュが謝ったから。
「なら、少しだけこうさせて」
エトランジュを渓流から引き上げた後、岸辺で抱き締めた。
「んっ……あ、ガゼ……」
魔が差して、エトランジュの白い首筋に口づけを落としたら、腕の中で、エトランジュがびくっと震えた。
絶え絶えの息遣いに、嗜虐欲をくすぐられてしまって。
そのまま強めに吸ったら、エトランジュが悲鳴を上げた。
「ガゼル、ガゼ――」
こんなことは、初めて。
エトランジュの綺麗な声しか聞こえない。
もっと、エトランジュの透き通る声が私の名を呼ぶのを聞きたいと思ったのに。
私がキスしたから、聞こえなくなった。
**――*――**
エトランジュの澄んだ翠の瞳から、ぽろぽろ涙が零れた。
「ごめん、ここまでするつもりじゃなかったんだけど――」
何か言おうとするように、エトランジュが微かに口許を震わせたけど、声にならない。そのまま、その場にしゃがみ込んで泣き出してしまったエトランジュを抱き上げて、なだめようとして背中を叩いた。
どれくらいの間、そうしていたんだろう。
私にしがみついて泣いていたエトランジュが、ようやく涙を拭う頃には、風が冷たくなっていて。
一度、してしまったし。
それなら、二度でも三度でも同じだよね。
泣きやみかけたエトランジュに、二度、三度、キスして抱き締めた。
その度に、エトランジュが震えて、絶え絶えの息遣いで、私にしがみつくしぐさが可愛らしくて。
同じように聖女と呼ばれていても、グレイスとは全然違う。
十年、婚約していても、グレイスに触れたいと思ったことはなかったから。
今なら、グレイスがどうして私につまらないと言ったのか、その理由がわかる気がした。
エトランジュと見詰めあうと、理性がきかなくなって、とんでもないこと、してしまって。これじゃ、エトランジュは私の傍にいて退屈するヒマなんてないよね。
だけど、私はどうしたいんだろう。
エトランジュの気持ちも、私自身の気持ちも確かめずに、こんな真似をして。
ただ――
ルーカスはいやだもんってエトランジュが言った時に、その人にも、誰にも渡したくない、誰かにとられる前に私のものにしたいと思ってしまったんだ。
「ガゼル…様……」
エトランジュが責める目をして私を見た。
「結婚する前に、キスしたらいけないんだよ……!」
「――……そうだね」
可愛い。いろんな意味で。
「エトランジュは、キスは初めて?」
ゆでだこになってうなずくエトランジュが、さらに可愛い。
「私と結婚する?」
エトランジュが目を真ん丸にして私を見た。
「ガゼル様は、エトランジュの闇主になれますか……?」
「――……」
これ、すごく私がいけない。
知っていたのに。
エトランジュと結婚どころか、婚約する覚悟すらなく手を出すなんて。
私が答えられずにいたら、エトランジュが悲しそうに息を吐いて、私に言った。
「公邸に、帰れますか?」
「――おいで」
**――*――**
私はどうしたいんだろう。
グレイスに縛られた十年のことを思い出したら、エトランジュに答えられなかったんだ。
エトランジュを私の妃に迎えたいのか、私自身の気持ちがわからなかった。






