【Side】 エトランジュ ~遠い記憶の中に~
ガゼル様は、グレイス様のものだから。
忘れようとしたけど、そんなこと、できなかった。
ガゼル様の授業を取り過ぎないように気をつけて、それでも、ガゼル様のお部屋で過ごせる時間は嬉しかった。
どんな甘い会話もないけど、ガゼル様が私を見てくれる。私を呼んでくれる。
それだけで、嬉しかった。
だけど、二か月後には、ガゼル様は公国に戻ってしまって、もう二度と、会えなくなるのかもしれない。
せめて、お休みの日にくらいは、二人で一緒に過ごしたかったけど、ガゼル様はグレイス様のものだもの。
誘ったら、いけないよね。
ガゼル様から誘ってくれることもないのが、そういうことだよね。
そんな、あるお休みの日に。
教官室の窓辺から、庭園で遊ぶ私達を寂しげに眺めるガゼル様に気がついたの。
見詰めていたら、目が合って、そこを動けなくなったの。
いつかみたいに、ガゼル様のプラチナ・ブロンドがお日様の光を弾いて、幻想的な美しさできらめいてた。
会いたいな。
こんな、遠くから見詰め合うだけじゃなくて、手をつないで渓流に遊びに行きたい。
私が泣いてしまいそうになってた時だった。
「あっ――」
腕を急に強く引かれて、ルーカスに強引にキスされそうになったの。
あわてて抵抗したら、すぐに、光の使徒様たちがルーカスをやっつけてくれて、何もされなかったけど。
その間に、ガゼル様のお部屋の窓には白いカーテンが引かれてしまって、もう、ガゼル様のお姿は見えなくなっていたの。
**――*――**
ガゼル様に会えないのは、私がわがままで、グレイス様と一緒のガゼル様を見たくないからだよね。
グレイス様も一緒にって誘うなら、誘ってもいいはずなの。
私はガゼル様のお部屋を訪ねると、なけなしの勇気を振り絞って、声をかけた。
「ガゼル様」
すぐに、少し驚いた顔をしたガゼル様が出てきてくれた。
「よかったら、ガゼル様もご一緒に庭園で息抜きなさいませんか?」
差し出した手を、ガゼル様が優しく取ってくれた時には、私、嬉しくて泣いてしまうかと思った。
「――ごめんね。体調が優れないと言って、グレイス様を断っているから」
うん。
ガゼル様だけ誘ったら駄目って、わかってるの。
きゅっと、つないだ手に力を込めた。
「あの、そんなに悪いわけじゃないなら、庭園の風を受けた方が気分もよくなられるかもしれません。グレイス様も誘いましょう」
「――……そうだね、ありがとう」
よかった。
グレイス様と一緒のガゼル様は見たくないけど、でも、グレイス様の向こう側でも――
ガゼル様と一緒にいたい。
つないだ手を口許に引き寄せたガゼル様が、羽のように軽いキスをしてくれた。
「あ、の」
「なに?」
どうしよう、どうしよう。
胸が高鳴って、私、きっと、ゆでだこになってる。
ガゼル様が片手で私の手を取ったまま、もう片方の手を、トンと廊下の壁について、私を壁際に追い詰めた。
「あ……あ、の、ガゼルさ……」
初めてのキスのように――
どうして?
ガゼル様が私にキスしてきて、ガゼル様にキスされると、私が私じゃなくなるみたいで怖かったのに、重ねられた唇の甘さに痺れて、動けなくなった。
ガゼル様、どうして、私にキスするの?
初めてのキスの時だって!
私、されなければ、間違えなかったのに――
苦しいよ。
体の芯に熱をともされて、疼くの。きっと私、耳まで赤くなってる。
長くて深いキスの後、ぼろぼろに泣き崩れた私にガゼル様がささやいた。
「ねぇ、エトランジュ。私と駆け落ちしない?」
――駆け、落ち?
目を見開いてガゼル様を見たの。
だけど、私が何かを言う前に、飛び込んできたルーカスが、ガゼル様の横顔を強く殴打して、殴り飛ばした。
「ガゼル様! ルーカス、駄目、やめて!!」
「エトランジュ、グレイスとおまえと二股かけるような男を庇うな! この俺がまだキスできないのに、ガゼル、貴様よくも――!!」
「ルーカス、駄目! 私がガゼル様を好きなの! これ以上、ガゼル様に何かしたら、二度とルーカスと口をきかない!!」
ルーカスから庇おうとして、ガゼル様にしがみついたら、ガゼル様が強く抱き締めてくれた。
こんな時なのに、胸がときめいて、ガゼル様の腕の中が優しくて、私、すごく嬉しかった。
「グレイスはどうした、ガゼル。グレイスとはどこまでいった」
「――グレイス様には何もしていません。私が望んだ婚約じゃない、あなたに何がわかる! 帝国から圧力をかけられて、望まぬ婚約でも承諾しなければならない小国の公子の立場がどんなものか――あなたにわかるのか!!」
目を見開いて、ガゼル様を見たの。
ずっと、ガゼル様がどうして、寂しそうに私を見るのかわからなかった。
ガゼル様がどうして、グレイス様がいるのに、私にキスしたのかわからなかった。
私――
「グレイスがいらないか? それが本心で、おまえが俺に頭を下げて頼むなら、帝国からの圧力がかからないように、グレイスとおまえの縁談を破談にするくらいわけはないが?」
ガゼル様とは、ずっと前にも、会ったことがあるんじゃないかと思っていたの。
まだ、私が五歳か六歳だった頃にも、優しく笑いかけてくれた誰かの記憶があるの。綺麗なプラチナ・ブロンドがお日様の光を弾いてた。
小鳥たちがその子の手から、怖がりもせずにエサをもらっていて、優しいから逃げないんだって、いいなぁって思ったの。
ガゼル様だよね?
迎えに来てくれた、覚えていてくれたんだって、思ったの。