第11話 公子でなければ
グレイスの言ったことを真に受けたらしいエトランジュは、その後、教官としての私を訪ねてくることはあっても、公国でのことを話題にしたりはしなかった。
礼儀作法の正しい指導を素直に受けて、帰って行く。
私の指導をカリキュラムに多めに組み込むことも、さけて組み込まないこともなく。
どうしてかな。
なんだかこれって、さけられるより辛い気がするよ。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、触れられない。
想いを伝えることもできないまま、二か月後には私は公国に戻って、エトランジュは二度と、公国には戻らないのかもしれない。
休みの日には、ルーカスや光の使徒たちが庭園で楽しそうにエトランジュと遊んでいるのを、教官室の窓辺から見守るだけで。
その日も、そうだった。
いつもと違ったのは、エトランジュが二階の窓辺から眺める私に気がついて、目が合ったということ。
エトランジュの緩く波打つ銀の髪を風が揺らした。
エトランジュは白い麦わら帽子を握ったまま、まだ、私を見詰めていた。
「あっ――」
そのエトランジュの腕をふいに取ったルーカスが、強引にキスしようとするのを見て、思わず声を上げたけど。
ルーカスの違反行為は、その場にいた光の使徒たちからのフルボッコを受けて、未然に防がれた。
**――*――**
「ガゼル様」
心臓に悪いなと思って、光だけ入れようとレースのカーテンだけ閉めて、しばらくした頃。
休みの日に、エトランジュが初めて私を訪ねた。
「よかったら、ガゼル様もご一緒に庭園で息抜きなさいませんか?」
いつ以来だろう、エトランジュの手を取れたのは。
遠慮がちに差し出されたエトランジュの手を、静かに取った。
優しくて冷たい。さらっとした肌触り。
「――ごめんね。体調が優れないと言って、グレイス様を断っているから」
角を立てずにグレイスを断って、エトランジュを誘うすべが見つからなくて。
寂しげに視線を下げたエトランジュが、きゅっと、つないだ手に力を込めた。
「あの、そんなに悪いわけじゃないなら、庭園の風を受けた方が気分もよくなられるかもしれません。グレイス様も誘いましょう」
「――……そうだね、ありがとう」
正直、気は進まなかったけど。
つないだ手を口許に引き寄せて、羽のように軽いキスをしてみたら、エトランジュの頬が桜色に染まって、可愛らしかった。
「あ、の」
「なに?」
片手でエトランジュの手を握ったまま、もう片方の手を、トンと廊下の壁について、エトランジュを壁際に追い詰めてみた。
「あ……あ、の、ガゼルさ……」
初めてのキスのように――
重ねた唇の甘さに酔った。もしかしたら、初めてのキスより、もっと。
いつもは冷たい、エトランジュの白磁の肌が熱に浮かされて紅潮する。
長くて深いキスの後、ぼろぼろに泣き崩れたエトランジュにささやいた。
「ねぇ、エトランジュ。私と駆け落ちしない?」
公子だから、グレイスを断れないんだ。
公子でなければ――
エトランジュが、公子でない私でもいいと言ってくれるのなら。
目を見開いたエトランジュから、返事を聞く前に。
横顔を強く殴打されて、殴り飛ばされた。
「ガゼル様! ルーカス、駄目、やめて!!」
「エトランジュ、グレイスとおまえと二股かけるような男を庇うな! この俺がまだキスできないのに、ガゼル、貴様よくも――!!」
「ルーカス、駄目! 私がガゼル様を好きなの! これ以上、ガゼル様に何かしたら、二度と、ルーカスと口をきかない!!」
ルーカスから私を庇って、私に抱きついてきたエトランジュが叫んだ。
私もまた、そのエトランジュを強く抱き締めると、キっと、ルーカスをにらんだ。
「グレイスはどうした、ガゼル。グレイスとはどこまでいった」
「――グレイス様には何もしていません。私が望んだ婚約じゃない、あなたに何がわかる! 帝国から圧力をかけられて、望まぬ婚約でも承諾しなければならない小国の公子の立場がどんなものか――あなたにわかるのか!!」
ほお、と、ルーカスが面白そうな顔をした。
「グレイスがいらないか? それが本心で、おまえが俺に頭を下げて頼むなら、帝国からの圧力がかからないように、グレイスとおまえの縁談を破談にするくらい、わけはないが?」