part05 道場で記念撮影
「シークレット・フォーミュラ2」は「シークレット・フォーミュラ(https://ncode.syosetu.com/n0091gc/)」の続きです。
<登場人物>
・東京: 林愛良:武道家、スポーツインストラクター、蕭師匠を尊敬している。
・東京: 坂本崇高:空手家、スポーツインストラクター、愛良と幼なじみ。
・香港: 蕭師匠:古く続く武道流派の師匠。息子たちが小さい頃に、難病の妻に先立たれている。
・香港: 蕭明龍:表向きには師匠の長男ということになっている。実際は師匠の甥(師匠の弟の長男)。
・香港: 蕭明陽:実際は師匠の長男だが、師匠の次男で明龍の弟ということになっている。
・台湾: 張忠誠:武術ライター。
「シークレット・フォーミュラ」
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明龍が道場のドアを開き、師匠が愛良を伴って入って来た。
わあ、と門弟たちのどよめきが起こる。門弟たちは「やはり師匠の貫禄は凄い」と師匠を称える。
笑顔の師匠と愛良に、館内の清掃をしていた明陽、崇高、忠誠そして稽古中の門弟たちの視線が集まる。
愛良、スタイルいいなあ、おい、と明陽は忠誠の腕に肘を突きながら言う。
「愛良、ドレスすごく似合ってるよ!」遠くから忠誠が叫ぶと、遠慮がちに愛良を見ていた門弟から一斉に、ヒューヒュー!と口笛や歓声が飛ぶ。
「おい、愛良はやっぱり凄い女だぞ」明陽が、道場のモップがけをしている崇高に言う。「隣にいるだけで親父が3倍かっこよく見える」
「ああ、あれで師匠に葉巻くわえさせたら最強だな。大ボス登場って感じだ」手を止めて崇高は答える。
「愛良、まるでモデルか女優みたいに綺麗じゃないか。しかも、色っぽくなったなあ」祭壇の掃除をしていた忠誠は、供えてあるマンゴーフルーツを手に取って、しきりに撫でながらぼうっとした目で言う。「だけど、彼女は本当に師匠が好きなのかな。だとしたら俺は師匠に嫉妬しか湧かないよ。尊敬はしてるけど」
忠誠はマンゴーの匂いをクンクン嗅いでうっとりしている。
「ああ、愛良、君の香りはまるで楽園のようだ」忠誠はマンゴーを撫でまわしたり甘噛みしたりする。
「お前、黒を推して正解だったな」明陽が忠誠のマンゴーを奪い取って言う。「愛良が一番セクシーに見えるのは、黒だ。赤や紫じゃない」明陽はマンゴーを撫でながら目を閉じて、ああ、俺の愛良、お前の唇は俺のものだ、と言いながらチュッとキスをする。
「あのドレスの締まり具合は最高だよな?忠誠?」明陽はそう聞きながら忠誠にマンゴーを突き返すと、今度はパッションフルーツを掴んで鼻息を荒げ、撫でたり指で突っついたりする。
「ああ。愛良とチャイナドレスの組み合わせは最高にいいぞ」忠誠は、今度は祭壇の桃を取って、撫でたりキスしたりしながら言う。「だがスリットの位置が低くなっているのは頂けないな。カタログだと太ももより上だった気がするが」
「さすが忠誠。着目点にぶれがないな。本当だ。愛良め、スリットを気にして詰めやがったな。おう忠誠、構わん、実際の高さまで引き裂いて来い」忠誠の背中を押す明陽。
「やだよ、君が行けばいいだろ」お前が行けよ、と2人でどつき合いになる。崇高は2人に「さっきから何馬鹿なことを言ってるんだ?愛良が見てるぞ」と言う。
明陽は愛良に向かって手を振りながら切なそうに「愛良、愛良!手を振ってくれよ!」と叫ぶと、何のことか分からない愛良は、とりあえず手を振り返す。
すると、明陽は上を向いて、わをーん!と遠吠えし、愛良が俺に手を振ったぞ!と忠誠に言う。
それを見た忠誠は「愛良!俺にも手を振って!両手で振って!」と両手を思い切り振りながら言うと愛良は、どうしたのよ、と言いながらとりあえず両手を振ってやる。忠誠も明陽と対になるように上を向いて、わをーんわをーん、と遠吠えし、2人の遠吠え合戦になる。
「おい、次は何やってもらう?投げキッス?」「お尻振ってもらおう、お尻!」忠誠は自分の尻を思い切り左右に振る。「馬鹿言うなドスケベ、髪をかき上げながらウィンクはどうだ?」と明陽は自分の髪をかき上げながら忠誠にウィンクし、2人だけで盛り上がっている。
そんな2人を見て呆れている崇高。
「お前は何でうちの親父に嫉妬しないんだよ」明陽は崇高に聞く。「悔しくないのか?棺桶に片足突っ込んだジジイにあんないい女を取られて。見ろよ、最高にいい女じゃん。あれ、お前の女だったんだろ?」
「ああ、確かにいい女だ。ドレスが色っぽいなあ。でも師匠には貫禄がありすぎて、嫉妬する気にもならないよ。愛良も嬉しそうだし」
「あっそう」こいつは愛良に影響されて、本気で親父に心酔し始めたぞ、と明陽は忠誠に言う。ひょっとしてもう彼女いるんじゃないの?と忠誠は崇高に聞こえるように言ってみたが、崇高からの反応はなかった。
崇高はモップを置いて師匠と愛良のもとへ歩いて行った。
「やあ、崇高、よく似合ってるね」
師匠が崇高に言い、崇高はありがとうございます、と答える。
「愛良、綺麗だよ。良かったな。ドレスも化粧も似合ってる。最初、お前だって全く分からなくて驚いたよ」
「ありがとう。私そんなに変身しちゃった?あなたも素敵よ。その服ぴったりじゃない。まるで師匠のお弟子さんになったみたい」
髪も決まってる、とヘアオイルを多めにつけた崇高の髪を指差す。
師匠は、良かったらいつでもうちで学びなさい、と言っていると、明陽と忠誠もやって来る。
「いいじゃんその服、お前、スタイルいいな」明陽が照れながら愛良に言う。「お前、色っぽくなっちゃったから、親父が興奮しちまわないか心配だよ」
「カタログで見た時より、生地が高級そうだね」忠誠が言う。
「そうなの。すごく綺麗でしょう?汚さないように気をつけなきゃ。でも、伸縮性があって着心地がとってもいいの。さすが高級品だわ。あなたたちも体型にぴったり合ってるけど、採寸してもらったの?」
「そう。俺たちはこっちでやってもらったんだ」崇高は言う。「採寸と着付けは短時間で終わったんだよ。すごく着心地がいいし、細身でスタイルも良く見えるだろ?」実際の丈より少し短くしてもらったんですよ、と忠誠もやって来て師匠に言う。
「ええ。みんなスマートで、すごく素敵よ」愛良は笑う。
「ところでお前、何でスリットを詰めちゃったんだよ」明陽が愛良に聞く。
「スリット?詰めてなんかないわよ」愛良は左右のスリットを確認する。
「嘘だ!だってカタログの写真はもっと上のほうまであったぞ、なあ?」明陽は忠誠に同意を求めると、忠誠もうなずいている。
「そう言えばそうだったかもしれないけど、私は何もしてもらってないもの」でもほら、カタログと実物では、ここの装飾が違うのには気付いたわよ、と愛良は首元の装飾を指差す。
「あ、確かにそうだ」忠誠は言う。「その装飾、色とデザインがちょっと違うね。俺も覚えてるよ」
何だと、ちくしょう、カタログ写真と届いたものが違うなんて詐欺じゃないか、兄貴!返品だ!と怒りながら兄を呼ぶ明陽。
「みんなでこんなにお洒落して出かけられるなんて、本当に嬉しいわ」愛良は明陽のことなど気にせず師匠に言う。
師匠は優しい目をして愛良を見つめ、うなずく。
さっきは何で遠吠えなんかしてたの、と愛良に聞かれ、忠誠と明陽は、いやあ俺たちの野生が目を覚ましたんだよな、と答えている。
「みんな、稽古中、邪魔して済まないね」師匠が弟子たちに言う。
「今夜は私たち、つまり私と息子たち、林愛良、坂本崇高、張忠誠の6名は、武術家の親睦会に出席してくる。それで私たちはこういう格好をしているんだが、せっかくの機会だから、皆で写真を撮ろうと思うんだ。写真は館内に飾るつもりだが、入っていいと思う人は一緒にどうかな?ちょうど皆、お揃いの武館Tシャツを着ているね。もちろん、私服に着替えてもいいよ。髪や服を整えたい人たちは今のうちにやってくれ。10分たったら皆で集合写真を取ろう」
明龍は、時間通りに武館にやって来た写真屋を招き入れる。
写真屋がアシスタントと共にライトやパソコンの準備をしていると、明陽が様子を見にやって来た。
「おい、写真屋。小道具は?」
「は?小道具?」
「花束とか扇子とか、俺の女に持たせる道具はないのかって聞いてるんだよ」
「あの、オプションで設定して頂かなかったので…」
「何がオプションだよ、サービスが悪いな」
「お前の段取りが悪いんだろ」明龍は弟を叱る。
「扇子なら私物ですがこんなものがありますが…」写真屋が扇子を差し出す。
「だからこんなシケた扇子じゃなく、方世玉が持ってるような、撮影用の白くてでっかいやつだよ。使えないな」
人の持ち物にけちをつけるな!と明龍は弟を叱り、彼の言うことは気にしないで下さい、と写真屋に謝っている。
やがて写真屋は準備を完了させたので、明龍にいつでも写真が撮れることを知らせた。
「誰が最初に愛良と写真を撮るんだ?」明龍が男たちを見て言う。え?1人1人と撮ってくれるの?みんなで撮るんじゃなく?と明陽は嬉しそうに兄に聞く。
「じゃあ、明陽。お前が最初だ」
「俺?何で。みんなで撮ろうぜ?」
「お前何緊張してんだよ」崇高が笑いながら明陽に言う。
「別に緊張なんかしてないぞ」
「うぶな奴!」忠誠が崇高と言い合いながら笑っている。「愛良が色っぽくなっちゃったもんだから、恥ずかしいんだよな?」崇高は明陽をからかう。
門弟たちは、師範の彼女なんでしょう?と囃し立てて笑っている。
「黙れお前ら。おい愛良、じゃあ一緒に撮るぞ」
明陽は愛良を連れて、祭壇の前に立つ。皆の注目を浴びて、緊張する2人。
「だめだ、2人とも表情が固いぞ」明龍が弟に言う。「お前の得意なジョークで愛良を笑わせてやれよ」
「ええ?」
明陽と愛良は顔を見合わせる。
「そうだな」愛良に背を向けて明陽は少し考えてから、急に振り返った。
「おお!すっごく色っぽくていい女がいる!と思って、よく見たら俺の嫁じゃん!」
愛良は爆笑する。
「今撮れ、今!」
明陽は大笑いする愛良の肩を抱いて写真屋に指示する。
「連続で撮れ!」
写真屋までつられて笑いながら連写する。
「よしよし」
明陽は愛良に、写真を見ようぜ、と言って写真屋のパソコンの前に来る。
「さすが本業だな。よく撮れてる。角度なんか最高じゃん」
写真の中に収まる2人は、これ以上にないくらい仲がよさそうに見える笑顔だった。
「よし、お前腕がいいな、もう一枚撮るぞ」
明陽は写真屋にお世辞を言ってから、私物の扇子を奪って愛良に渡す。
「これで方世玉みたいに構えてみろ」
「方世玉みたいな構えって?」愛良は扇子を開く。
「とにかくポーズを取ってみろって。俺は洪煕官になるから」
愛良はとりあえずポーズを取ると、明陽も対象になるように構える。
門弟たちがヒューヒュー言っている中、写真屋が連写する。
「何だかあの2人、兄弟みたいに見えることがあるんだよな」忠誠は独り言のように崇高に言う。
「ああ、何故か顔が似てるように見えることもあるし、仲の良さが兄弟みたいに思えることもある」
出会ったばかりなのにね、と忠誠は笑う。
「次は誰だ?」明陽は聞く。お前が指名しろ、と明龍は弟に言う。
「じゃあ、忠誠だな」
「え?俺!」びびってんじゃねえぞ、と明陽は面白そうに言う。
「俺はいいよ。恥ずかしい。みんなで撮ろうよ」「そう言うなって!」
明陽は忠誠を引っ張って愛良の所に連れて来る。
「嫌だな、みんなの見てる前なんて緊張するじゃないか」「だろ?お前、俺の時はなんて言った?」
忠誠は恥ずかしそうに愛良を見る。
「だって、どんなポーズで撮ってもらえばいいか分からないよ」
愛良、女優さんみたい、とお世辞を言いながら緊張して笑う忠誠。
「何だっていいんだよ。向かい合えばいいじゃん、はいよ」明陽は2人を向かい合わせてやる。
愛良は微笑みながら皆の方を見る。「こんなポーズでもいいんじゃない?」
「うん、そうだね」と崇高が愛良に返事をした時、忠誠は意を決したように愛良の前に指輪を差し出す真似をしてひざまずいた。
おおー!と周囲がどよめく。
カメラのシャッターが切られる音。
「受け取って下さい!」忠誠がなりきってプロポーズをしているので、門弟たちはくすくす笑い始める。
「馬鹿、受け取ってじゃなくて、結婚して下さいだろ?肝心なことをちゃんと言えよ!」
そう言いながら明陽まで、忠誠の隣でひざまずき、競うように愛良に指輪を差し出すポーズを取るので、周囲が大爆笑し、愛良も笑う。
「顔はカメラの方に向けて!誰がプロポーズしてるか分からないだろ?」明陽は無理矢理、忠誠の顔をカメラの方へ向けさせ、忠誠は痛いよ、と言いながら笑っている。写真屋も笑いながらシャッターを切る。
「はあ、緊張したな」「おう」2人は立ち上がると、肩を組んで下がっていく。
「次、崇高な」忠誠は指名する。
「うん」と、特に緊張するでもなく愛良の方へ行く崇高。
「あれ?あいつやけに落ち着いてるな」「もうポーズを考えてあるのかな」と言い合う明陽と忠誠。
愛良が、どんなことをするのかと崇高を見ていると、崇高は構えた。
ヒュー!と門弟が口笛を吹く。
「今からここに蹴りを入れるから、お前は腕で防ぐんだぞ」
崇高は愛良の肩辺りを手で示す。
「高兄かっこいいよ!」とまた門弟がかけ声をかける。
崇高は満足そうに笑って構えると、愛良も構えるようなポーズを取る。
ヒューヒュー!と歓声が飛び、崇高は愛良にゆっくり蹴りを入れ、写真屋はシャッターを切る。
愛良は崇高に合わせて、よけたり防御したりする。
「何だよまるで映画のポスターじゃん」カメラに繋がっているパソコンの画面を見ながら明陽が不満そうに言い、愛良に、そこで崇高にヘッドロックしろ、と指導するが、愛良は、そんなことしないわよ、と返す。
「高兄と良姐は付き合ってんのかな?」と門弟たちが話している所へ、明陽は「付き合ってない付き合ってない、崇高は絶対に彼女いるし、愛良は俺の女だしな」と大ホラを吹いている。
「いい写真だな」明龍も画面を見ながら忠誠に言う。「次はきっと君だよ」忠誠は明龍に言う。
愛良と崇高が戦っているような写真がいくつか撮影され、2人は撮れた写真をパソコンで確認し、すごくよく撮れてるね、と写真屋の腕前に感心している。
「次は明龍ね」崇高は明龍に言う。
「俺、考えてなかったな」と言いながら明龍は愛良と祭壇の前へ行く。
並んで立つだけで絵になる2人に、また門弟たちから歓声が飛ぶ。
「龍兄、そのままでいいですよ!」
「愛良は何か取りたいポーズとかあるの?」明龍は聞くが、愛良は別にないわ、と首を振る。
「肩、抱いてもいい?」「ええ」
明龍は愛良に寄り添って肩を抱く。シャッターは静かに切られ、悩ましそうなため息が門弟たちから漏れる。
「妬けるなあ、美男美女だよ」「龍兄はいつ愛良さんに告白するんですか?」門弟の誰かが尋ねる。
もうしたけど振られたんだよ、と明陽が代わりに答え、さっきの門弟の真似をしながらインタビュアーがマイクを持っているような仕草をして「龍兄は2度目の告白はいつするんですか?」と質問する。
「次に愛良と2人っきりになった時にするよ」と明龍が答えるので、おお!と門弟がどよめく。
「じゃあ3回目の告白はいつするんですか?」とまた明陽が門弟になりきって尋ねる。
「何言ってるんだ?2回目で落とすから3回目はないよ」
さっきよりももっと大きなどよめきが起こる。うわ、あんな台詞、俺も言ってみたいわ、とか、龍兄の名言集にまた1つ言葉が加わったな、とか口々に言っている。
「次は師匠、どうぞ」
明龍は師匠に、愛良の方へ来るよう手招きする。
「ええ?私?どんなポーズがいいのか分からないよ」
師匠はそわそわしながら写真屋に、どんな構図がいいかな?と意見を求める。
「そうですね、あそこにあんなに素晴らしい掛け軸があるじゃないですか」
写真屋は師匠が書いた掛け軸のあたりを指差す。
「あの椅子に師匠が腰掛けて、愛良さんが斜め後ろに立つ、というのはいかがでしょう」
それから写真屋は、そうすれば、ご夫婦っぽく写りますよ、と耳打ちする。
師匠は嬉しそうにうなずきながらその場に歩いて行って腰掛け、愛良、こっちへおいで、と手招きする。
愛良は、まるで大好きな祖父に呼ばれた孫娘のように嬉しそうに師匠のほうへ行く。
「写真屋さんがいいアイデアをくれたよ」
師匠が椅子に腰掛けると、写真屋は愛良の立つ位置を指示し、椅子の背もたれに手を添えるよう言う。
「夫婦だ」「間違いない」「長年連れ添った夫婦だよ」「全く違和感ない」門弟たちが口々に言っている間、今度は師匠が立って愛良が椅子に座る構図で写真が撮られる。
「素晴らしい。とても良い写真を撮ってくれたね。ありがとう」
師匠はパソコンで写真を確認し、写真屋に礼を言う。
最後に門弟たちを加えた写真が何枚か撮られ、撮影会は終了した。
武道家の親睦会場へ向かう車の中。
運転手の隣は明龍、真ん中が明陽、崇高、忠誠、そして後部座席が師匠と愛良だった。
明陽は後ろを振り返って笑顔で愛良に手を振る。
「前を向きなさい」師匠は言う。「子供じゃあるまいし」
「監視してんだよ。俺の愛良がエロジジイの被害に遭わないようにな」
「変なこと言わないでね。大丈夫よ。ちゃんと座って」愛良が言う。
「お前は分かってないんだよ。親父はお前のそのスリットの先を狙ってるんだから」
愛良は吹き出す。
「やめなさい、本当に馬鹿な子だ」師匠が怒る。
「お前が気づいていないだけで、おいぼれにはその程度のスリットでも目の毒になるんだぞ。目立たないようにしとけよ」
「別に見えてなんかないわよ」
愛良がスリット部分の様子を確かめてから師匠を見ると、師匠は、見てません、とばかりに横を向く。
明陽が座席でがさごそし始めたので、愛良や明陽の隣の崇高が何をしているのかと成り行きを見守っていると、明陽はストールを手に取り、愛良に投げた。
愛良はストールを首に巻いてから、これが何?という顔をして明陽を見る。
「馬鹿、首に巻いてどうするんだよ。それで脚を隠せって言ってんの。俺のだけどお前にそれ、やるから」
「見えてないって言ってるでしょ」愛良はストールを畳んで膝の上に乗せた。
「こんな女ものの柄のなんかよく持ってるわね」
「前の女にもらったやつだけどな」
「お前、よくそんなもの愛良にやるな」崇高は呆れながら言う。
「もらったというか、くれたくせに別れる時に、高かったんだから返せって言われたのを返してやらないって言って俺がもらったんだよ。思い出したら腹が立ってきた。どうせあれだって、そいつが前の彼氏にもらったものを、いらないから俺にくれたんだろうよ。あなたにあげる、プレゼントよ、って。明らかに女ものだろこれ」
「何て名前の彼女?」
明龍が弟に聞く。
「忘れたよ。ギューギューちゃんじゃないかな」
「初めて聞く名前だ」弟は女癖が悪くてね、と聞こえるように隣の忠誠に言う明龍。
「それ、なんとかってブランドのだから、とにかくお前にやるよ」
「ありがと」
師匠は小声で、ごめんよ、息子が変なものを君にやったりして、と謝る。
「あれ?」明陽は崇高ごしに忠誠を見る。「そう言えばお前、何でさっき車乗る時、勝手にそこに座っちゃったの?」
「え?だって明龍は助手席に乗り込んだし、師匠は愛良をエスコートしてるから当然、後部座席に座るだろうと思ったから、俺は先にここに乗ったんだよ」忠誠は答える。
「お前、そんなことを一瞬で判断できるなんて頭良すぎない?兄貴にそこへ座るよう指示されたのかと思ったよ。お前がそこに座るから、崇高も続けて座っちゃって、それで俺も何も考えずにここに座っちゃったじゃないかよ」
あら?そんなに師匠の隣がいいなら私が席を代わるわよ、と愛良は言う。
「何で親父が愛良をエスコートするなんて勝手に決めちゃうの?」と明陽は今さらながら兄に不満を言い、じゃあ今度お前がどこかレストランに連れて行ってあげればいいじゃん、と明龍は答えている。
「愛良」崇高が振り向いて言う。「窓開けるけどいい?外の風、きっと気持ちいいぞ」
「ええ、お願い」愛良が言い、崇高は明陽に窓を開けてもらうと、後ろの座席に風が入って来る。
「さすがお前は紳士だな」明陽が崇高を褒める。「お前は女の体を気遣うことができる、いい男だ。男らしい。お前は脱毛とか美容法なんか興味ないもんな?」
「俺なんかが美容に興味持ったらおかしいよ。明龍や師匠なら分かる」
「そうやってホストを立てるとこなんかほんと、男前だよ」やっぱり崇高は彼女いるぞ、と明陽が忠誠に言うと、忠誠は、だよな?と頷いている。それを見た崇高は、いないよ、と答える。
やがて、車が夜景の綺麗な場所に差し掛かった。
「愛良、ほら、あっちを観てごらん。素晴らしいだろう?」師匠が身を乗り出すように車外の夜景を指差す。
「本当、素敵。綺麗!」愛良が喜んで皆と風景を楽しんでから、ふと師匠を振り返ると、涙ぐんでいるようだった師匠は愛良と目を合わせずに反対側を見てしまった。
師匠、と愛良が言うと、師匠は恥ずかしそうに愛良を見て、微笑んだ。
「奥さんのこと、思い出したのね」きっと、本当は奥さんに観せたかった、あるいは昔一緒に観ていた風景だったのではないか、と愛良は思った。
「君は勘がいいね。そうだよ。でも、気にしないで」
「愛良、香港っていい所だろ」師匠がそれ以上言う前に、明陽が愛良を振り返って言う。
「ええ。綺麗ね」
「一緒に住もうよ。いいだろ?」
愛良は笑いながら首を振り、何言ってるのよ、私日本で働いてるのよ、と言う。
「私も一緒に住めたら嬉しいんだが」師匠は言う。「君にはお仕事があるから、きっと無理だろうね」
「そうなの。ごめんなさい。スポーツクラブで普通にパーソナル・インストラクターをやってたら、いつの間にか売れっ子になっちゃったの。今は少ないお客さんに集中して教えてるわ。週3日程度の勤務たから楽よ。お休みが多い分、修行に専念できるしね」
「客から言い寄られたりしないのか?」明陽は聞く。
「うちはトラブルが起きないように、お客さんには同性のインストラクターがつくことになってるの。それに、お客さんのほうにも禁止事項の同意書を書いてもらうから、トラブルはないわよ」
「へえ、どんな客?金持ち?」忠誠が聞く。
「ええ。事業をされてる人とか、私はTVを見ないから知らないけどTVに出てる有名な人とか。守秘義務があるから社外の人にはこれ以上は言えないわ」
崇高も?と明陽は崇高に聞く。
「俺はただのインストラクターだよ。愛良がしている仕事とは全然違うんだ。ジムで教えることもあるし、空手のクラスもあるからその時は空手の先生、あとは、不定期だけど都内のホテルに派遣されて、宿泊客にも教えてる」
「面倒臭い客もいるだろ?」と明陽に聞かれ崇高は、うーん、まあお客さんに関してどうのこうのっていうのは、外部の人には言ってはいけないことになってるんだよ。社内では特定のお客さん情報は共有するけどね、と説明する。
しばらくして車は目的地のレストランの駐車場に到着した。
「待ってなさい。私がエスコートするからね」
師匠はまず車を降り、次に降りる愛良に手を貸そうとする。
愛良は夢見心地の表情で車から降り、師匠を見ながら腕を借りる。
「愛良がもう親父にメロメロだ」見つめ合う2人を見て、明陽が忠誠に言った。
「ああ、師匠もね。何だよ愛良も。師匠には表情からして全然違うんだもの。俺たちは完全に線引きされてるよな」と忠誠は答える。
崇高だけは師匠に嫉妬することなく、「師匠、かっこいいなあ」と言っている。そんな崇高を見て明陽は、あいつ絶対彼女いるよ、だから親父に嫉妬しないんだよ、と忠誠に言い、忠誠もうんうんうなずいている。
「あっ」
全員が歩き出した時、愛良が急に小さい声で叫んだので、男たちが愛良のほうを見ると、さっきとはうって変わって彼女は急に泣き出しそうな顔になっていた。
「無意識に口紅をぬぐっちゃった」
愛良は手についた口紅を師匠に見せている。
「どうしよう、ここ、変になってるでしょ」
愛良は、心配してそばにやってきた明龍に言う。明龍は愛良の口元をよく見た。
「いや、大丈夫だよ。さっきもらった口紅持ってきてるだろ。そうだ、ちょっとあっちへ移動して塗りなおせばいい。師匠はちょっと待ってて下さい」
「ごめんなさい」
明龍は、不慣れな靴で歩きにくそうにしている愛良を建物のそばに連れて行く。
「お前、普段化粧しないからな」崇高が愛良の隣を歩きながら言う。
「気をつけなきゃ。良かったわ、暗闇で」
明龍は建物の影に来ると「まず落ち着いて、口紅あるだろ?」と暗闇でバッグの中身を探す愛良に聞く。
「でもどうしよう、鏡なんか持ってないもの」
「さっきもらったファンデーションは?普通、コンパクトには鏡がついてるだろ」
「あ、そうだった」愛良は照れ隠しに笑う。「ごめんなさい。持ってるわ」
「荷物、持つよ」明龍は愛良のバッグを受け取る。
「お前、そんなことも男に言われないと分からないくらい化粧から遠ざかってんのかよ」ついてきた明陽はつっこむ。
愛良がコンパクトを取り出すと、明龍はスマートフォンの光で愛良を照らしてやる。
「ありがとう。せっかくメイクさんが輪郭をきちんと描いてくれたのに」と愛良は言い、見ないでね、と言いながら、手早く口紅を塗り直す。
「はい。いいわよ」
男たちは愛良を振り返る。
「ちょっと厚塗りになってるぞ」明陽は言う。「おれのここに唇を押し当ててみろ。ちょうどよくなるから」明陽は自分の頬を指差す。
「結構よ」愛良は、つんとすまして言う。
「何だよ、さっきまで泣きそうな顔で大騒ぎしておいて」
みんなが師匠の元に戻ると、「お前、食べる時は気をつけろよ」と崇高は愛良に言う。分かってるわ、と言い返す愛良。
「あとは、ごめんなさい、師匠」愛良は師匠に言う。「こういう高い靴も本当は苦手なの。いつもスニーカーだから。試着の時も転びそうになってたくらいだから、もちろん歩けるんだけど、席まであなたの腕を貸してね」愛良は嬉しそうに師匠の腕に掴まる。
「最後までエスコートするよ」師匠も喜んで答える。
「何だお前。化粧もしなけりゃヒールも履かないのかよ」明陽は言う。「ずいぶん色気のない女だな。だからもてないんだよ」
「女はね、もてると困るのよ。大してもてないくらいがちょうどいいの」と愛良は明陽をあしらう。
「今日はよく似合ってるよ、愛良。本当に素晴らしい」
師匠が微笑みながら言うので、愛良はまた幸せそうな顔になる。
建物の中に入り、師匠が名前を記帳し、一行はテーブルに案内される。
「シークレット・フォーミュラ2」は「シークレット・フォーミュラ」の続きです。
「シークレット・フォーミュラ」
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更新頻度:
なるべく1ヶ月に1度を目標に連載投稿していく予定です。