part01 再訪問
「シークレット・フォーミュラ2」は「シークレット・フォーミュラ(https://ncode.syosetu.com/n0091gc/)」の続きです。
<登場人物>
・東京: 林愛良:武道家、スポーツインストラクター、蕭師匠を尊敬している。
・東京: 坂本崇高:空手家、スポーツインストラクター、愛良と幼なじみ。
・香港: 蕭師匠:古く続く武道流派の師匠。息子たちが小さい頃に、難病の妻に先立たれている。
・香港: 蕭明龍:表向きには師匠の長男ということになっている。実際は師匠の甥(師匠の弟の長男)。
・香港: 蕭明陽:実際は師匠の長男だが、師匠の次男で明龍の弟ということになっている。
・台湾: 張忠誠:武術ライター。
「シークレット・フォーミュラ」
https://ncode.syosetu.com/n0091gc/
兄と交代する形で新しく武館の館長となり、門弟の教育にいそしむ明陽の元へ、小さいダンボールが届けられた。
受取人は兄の明龍、送り主は通販会社で、品名は化粧品だった。
「よし、お前ら今から自習!」
明陽は門弟たちにそう言うと、兄への届け物を持って2階に上がっていく。
明陽は、兄の部屋の前でドアをノックしようとしてやめ、向きを変えて居間に入った。
もう一度品名を見たり、箱の匂いをくんくん嗅いだりする。
「化粧品?何の化粧品だよ。化粧品だけじゃ分かんないよ」明陽は小包を振ってみてから、カッターナイフを探して開封すると、中には黒いボトルが印刷された小箱が入っていた。
「何をしている」
「うわあ!」
明陽が振り向くと、明龍が立っていた。
「お前、それ俺あての荷物だろ!勝手に開けるなよ!」怒鳴る明龍。
「だって、化粧品って書いてあったから、兄貴の可愛い愛良ちゃんに口紅でも買ってあげたのかなと思って」明陽はあわてて兄に箱を差し出しながら言う。
「じゃあ勝手に開けないで、何が入っているのか俺に聞けよ」
しかもお前今、仕事中のはずなのに何で2階にいるんだよ、と兄に咎められて逃げる明陽。
「だって、伝票には化粧品って書いてあっても、実はいやらしい下着が入ってる場合があるじゃん。箱も軽いからさ。兄貴は愛良にどんなセクシー下着を買ってやったのか見てやろうとしたんだよ」
騒ぎを聞きつけて師匠もやって来た。
「親父、兄貴が愛良に変なもの買ってるよ」
「変なものって何だよ」明龍が弟を蹴る真似をしながら箱を奪い、中から商品の黒いボトルを出す。
「それ、あれだろ?」明陽はにやにやしながら兄を見る。「変なことに使うやつだろ」
明龍は弟を突き飛ばす。
「お前、こんな簡単な英語も読めないのか?Mouth washって書いてあるだろ」
明龍は弟の顔の前にボトルを突き出した。
「何だ、口ゆすぐやつ?くっだらねえ、中身よりボトルのデザイン料の方が高いってやつだろ。いくらしたんだよ。だいたいこれ、見るからに口ゆすぐ液体のパッケージじゃないだろ。怪しいな」
麻薬の隠語じゃないのかぁ?と言って兄に殴られそうになっている明陽。
「入荷待ちで、やっと送られて来たよ」明龍は瓶に鼻を近づけて香りを嗅いだ。「ああ、いい香りだ。待った甲斐があった」
明陽も鼻を近づける。柑橘系の、上品でさわやかな香りがした。
「いい香りだけど、これで口ゆすぐと口からずっとこの香りがしてんの?」
「そんな訳ないだろ」
「はあ?じゃ何でこんなもん買うんだよ」
明龍は師匠にも嗅がせてやる。師匠も、ああ、いい香りだね、こういうの高いんだろう?と聞き、明龍はポイントを使ったから安く買えたんですよ、と答えている。
「ネットでこれを見つけて、ずっと欲しかったんだ」評判がいいんだぜ、と明龍は得意げに弟に言う。
「兄貴もとうとう大量消費社会の愚かな購買者になりつつあるか。それで愛良にキスして彼女に何て言ってもらいたいんだ?明龍のキス、いい香りがしてうっとりしちゃう、もっとキスして、ってか?」
「まあ、彼女がたくさんキスして欲しいって言ってくれるなら、してあげるけど」
「このドスケベ。馬鹿だね、そうやって騙されて必要もないものを買わされて、通販会社の社長も笑いが止まらないよ。それでポイントがついて、また下らないもの買うんだろ?」
明龍は弟の言うことなど気にせず、また香りを嗅ぎながら、師匠も試してみます?と聞き、師匠は、私には若すぎる香りだなあ、と答えている。
「兄貴、もし愛良が兄貴の彼女になったら、どういうデートがしたいの?」
そこちゃんとしとかないと、永遠に悪の組織から不要な商品を買わされ続けるぞ、と兄に説教する明陽。
「何だよ、お前こそどういうデートがしたいんだ?」どうせ、飲みに行ってそのままホテルに行くのがデートだと思ってるだろう、と思いながら明龍は聞く。
「俺?俺はね…」明陽は少し考えた。「例えば俺が愛良と一緒に東京に住んでるとするじゃん?お、愛良、今日は休みかい?そうよ明陽、お天気がいいから2人でどこかに出かけない?最近あなたと全然デートしてないんだもん。どうした愛良。昨晩あんなに可愛がってやったのに、もう今日はデートのおねだりかい?仕方ない奴め。そうだなあ、もうすぐお昼だから、近くの公園で桜を見ながらお弁当でも食べようか?明陽、素敵。私あなたのためにお弁当作るわね。こうして仲の良い恋人同士は、東京のゴミ1つ落ちていない、犬のクソすら落ちていない綺麗な公園でベンチに座り、お弁当を食べるんだよ。おいしいよ愛良。本当?私、あなたのためにもっとおいしいお弁当を作るわ。明陽大好き。俺もだよ愛良。チュッ。これが俺の理想の休日の過ごし方だな」
明龍と師匠は、ぽかんとして明陽の大根演技を眺めていた。
「何だよ?」
「俺、お前の頭の中って小学生並みだとは思ってたけど、幼稚園児だな。それ、子供が母親に弁当作ってもらって公園に遊びに行く光景みたいじゃないか?あと、さっきの愛良は実物と全然イメージが違うぞ。お前の台詞もおかしい。脚本を一から練り直せ」
やっぱり弟に役者は無理です、と明龍は師匠に言い、師匠は深くうなずいている。
じゃあ兄貴はどんなデートがしたいのか言ってみろよ!と、役者魂まで馬鹿にされた明陽は語気を荒げる。
「俺ならまず愛良にドレスを買ってやって、それを着てもらうんだ」明龍は言う。「色っぽいやつをね。それから俺が運転する車で、高級ホテルに行く。どこでもいいよ、香港の夜景が綺麗に見える所ならね。それで、予約してあったホテルの高層階にあるレストランに、彼女をエスコートするんだ。テーブルは個室で、夜景がよく見える窓際だね。席につくと、シェフがメニューを持ってまず俺に挨拶にくる。それで料理の説明を一通りしてもらって、シェフは下がる。それからシャンパンで乾杯」あ、乾杯の前に、シェフに俺たちの乾杯の写真を取ってもらおう、と想像を膨らませる明龍。
「いいのかよ、帰り、飲酒運転になるぞ」
「馬鹿、デートなんだから、そのホテルに泊まるに決まってるだろ。レストランでは静かに音楽が流れる中、愛良と会話を楽しみながら食事して、それから部屋に行くよ。眺めのいいスイートルームにね。愛良は俺にメロメロになっちゃうだろうなあ」
明龍はため息をついて、またボトルの香りを嗅ぎ、まるでもうそれが現実になったかのように満足げに遠くを見つめる。
「それで?途中で終わるなよ。一緒に部屋に入ったらどうするんだ」
「そうだな、愛良は目をうるませて、早く抱かれたくて俺のことを見つめてくるだろうね。それで、俺の腕とかに触ってくる。いっそのこと抱きついてくれてもいいけどね」
「ストップ!」兄貴はまだまだ甘いな、と言いながら明陽は待ったをかける。
「愛良は一筋縄ではいかない女だぜ?部屋に入った途端、彼女は言うんだ。ちょっと明龍、あなたがおいしいって言うからついてきたのに、さっきのお料理全然おいしくなかったわ!どういうこと?期待して損しちゃった!」
今まで付き合った彼女にそう言われて来たんだろうな、と思いつつ明龍は「食事で満足できなかった?じゃ、俺が今からベッドで満足させてあげるよ、って言うけど?」と冷静に返す。
完敗の明陽を、にこにこして眺める師匠。何笑ってんだよ、と怒る明陽。
「だって愛良は、忠誠が連れて行ったレストランでも、後で吐いてしまったのに忠誠を悪く言わなかっただろう?それどころか、自分の体調が悪かったから、って言ってたじゃないか。愛良が料理に文句言う訳がないだろう」
「親父、今のはね、武道家としての兄貴がどんな場面でも臨機応変に敵に反撃できるよう、デートに例えて俺が試してやっただけなんだよ」親父もよくそういう例え話するじゃん、と明陽は言う。
「何でお前が俺を試すんだよ」俺が試すぞ、と言いながら明龍は弟に構えてみせる。
「それで愛良をベッドに押し倒して終わりかよ?高級ホテルでもやることは普通だな」明陽は兄に言う。
「そうだな、俺は綺麗な夜景をもっと2人で見ていたいのに、愛良はとにかく俺に抱かれたくて俺の腕に自分の腕をからませてきたり、胸に触ったりしてくるから、愛良、ちょっと待ってよ、まず一緒にシャワーを浴びようよ、と言いながらお互いに服を脱いで、シャワールームでいちゃつく」
何で愛良がそんなに積極的になるんだよ、とつっこむ明陽。
「彼女にはその間、気分を高めてほしいから、ちょっといやらしい会話でもしようかな。そして香りのいいシャワージェルで彼女の体を洗ってやろう。それから彼女が我慢できなくなったところで、ベッドで本番だよ」
「あっそう、本番はどうでもいいから本番のあとは?」
「そうだなあ、ベッドの中でちょっとお喋りしてから、2人でバスルームに行くね。バスルームには大きめのバスタブがあって、パノラマで夜景が見られる大きな窓がついているといい。時間が経ってるから、朝日が見えてもいいね。そこでバスタブにお湯を張って、そうだなあ、シャンパン風呂でもいいし、泡風呂でもいいし、そんな風呂に2人で入りながら、またキスしたりして愛し合うよ。ボディオイルでマッサージしてやってもいいかな。とにかくお風呂に浸かりながらまた楽しむんだ。それから朝食はルームサービスを頼む。俺が椅子に座り、愛良を俺の膝の上に乗せる。愛良は、今度は私があなたを楽しませてあげる、とか言いながら俺にいろいろ食べさせてくれるんだ。どうだ、いいだろ?」
明陽が兄の妄想に嫉妬していると、師匠は、お前たちは若いからいいな、羨ましいよと笑う。
「何だよ、俺の妄想のほうが健全じゃん。弁当食べるだけなんだから。兄貴は女とやることしか考えてないな。俺の心の清らかさも理解できないんだろう。親父も兄貴同様、愛良にはドス黒い欲情しか抱いていないだろうから、俺が一番まともだな」
「お前は発想が子供なんだよ。大人の男女がデートするんだから、ホテルに行って好きなだけ楽しめばいいじゃないか」
「いいけどさ。親父は?」
「別に恋人だったら、食事しようがホテルに行こうが、いいんじゃないか?」師匠は笑いながら答える。
「違うよ、親父は愛良とデートするならどうしたいんだって話」
「私は別に、そんなこと考えたことはないよ」
「嘘つけ。親父だって愛良のこと、好きなんだろ」
「ああ好きだよ」
「じゃあ質問を変えるぞ。親父は心の中で、愛良のことを何て呼んでるの?」
お前、変なこと聞くなよ、と明龍は弟をたしなめる。
「私の可愛い愛良、と呼んでるよ。どうした、おかしいかな?」
明陽が変な顔をしたので、師匠は微笑みながら聞く。
「私は、人にお前たちのことを言う時だって、私の可愛い息子たち、と言っているよ。だからおかしくないだろう?」
「いや、だって、親父。親父も愛良に惚れてるってことか?」
「彼女は素敵な女性だから、もちろん大好きだよ」
「へえ?3人とも同じ女を好きになるなんて、初めてだよな?」明陽は兄に聞いた。
「初めてじゃないよ」明龍は言う。「俺の初恋の人はお前のお母さんだった。だから伯母さんが師匠と仲良さそうにしてると嫉妬したし、伯母さんがお前を可愛がっている時は、息子としてじゃなく、男として嫉妬したよ。俺にとって伯母さんは理想の女性だったからね。可愛くて優しくて」
「え?兄貴、俺のお袋に惚れてたの?初めて聞いた」
師匠も驚いて、そうだったのか?と明龍に聞く。
「うん、正直言うと、女性として好きだったよ。子供ながらに師匠や自分の母親に遠慮して、伯母さんのことを一人の女性として見てる、なんて言えなかったからなあ。でもずっと好きだったんだ。伯母さんはひょっとしたら気づいてたんじゃないかな?」
そんな年上の女を好きになるなんて、兄貴だってマザコンじゃん、と思う明陽。
「親父は愛良をどんな風に好きなんだよ。まさか武道家として尊敬しているだけって話じゃないだろう。女性として好きなんだろ?」
「どうしても言わせたいのか?」師匠は、出し惜しみするような顔で笑いながら息子を見る。
「だって、今度愛良がこっちに来たら、俺たち敵同士になるんだぜ。どの程度本気なのか言ってもらわないと」
「お前が勝手に俺と師匠を敵視してるだけだけどな」と明龍が言う。
明陽は、どうなの?という顔で父親を見る。
「どの程度好きかと聞かれたら、彼女と残りの生涯を共にしたいと思うほど好きだ、と答えるしかないね」師匠は静かに言った。
「それ、結婚したいってこと?」明陽は驚いて聞き返した。「親父、まさか愛良に結婚を申し込んだりしないよな?やめろよ?もしそんなことしたら、彼女のことだから、迷わず親父の言うこと聞いちゃうよ。あいつ、結婚願望はないとか言ってたけど、親父には従順で絶対に逆らわないんだから。でも年齢が違いすぎるだろ。結婚したいなんて、絶対にだめだ」
「なあ明陽」師匠は言った。「空港で彼女を胸に抱いた時、私は自分の気持ちが偽れないことを悟ったんだよ。出会ったばかりのはずなのに、彼女を一度抱きしめてしまったら、離すことができなかった。日本に帰したくなかったし、ずっと抱きしめていたかった。だけど、この気持ちは彼女には言わないから、お前たちも私が今言ったことは、彼女には言わないでほしい」
だから安心しなさい、と師匠は息子に言う。「私はこの歳だ。私がそんなことを言ったら、まるで老後の介護をさせるために一緒になるようなものだからね。私も父や祖父が老いていく様子を見ていて、歳を取ることがどういうことかをよく分かっているつもりだ。彼女に私の世話などさせたくない。私は私の気持ちとして、純粋に、彼女と一緒になりたくらい好きだ、ということだよ。気持ちに年齢は関係ないだろう?私がそんな風に彼女のことが好きなのは事実だが、実際に結婚できるとは思っていないし、彼女にふさわしい男は明龍だと思っているよ」でも、そう思ったところで、彼女は崇高のことが好きかもしれないけどね、と師匠は付け足す。
「そうだよ、もともとは崇高のものなんだから、俺たちがいくら結婚したかろうが恋人にしたかろうが、無駄なんだけどな」明陽が兄を見ながら言う。
「崇高のものじゃないだろ」明龍が言う。
「分からないだろ?あの2人は仲がいいんだからさ、今まさに崇高と愛良が日本で合体してるかもしれないだろ。兄貴のマウスウォッシュが無駄になるな。あーあ、金と時間を浪費したね」
「俺が欲しくて買ったんだから、浪費でも何でもない」
今度だって、愛良だけ来りゃいいのに、崇高も、忠誠も来るんだもんなあ、とさも不満そうに明陽は言う。
「いいか、お前が気をつけなければいけないことは」明龍が怖い顔をして弟を睨む。「愛良に失礼な態度は絶対に取らないことだ。いいか?今度は1週間滞在してくれるんだ。その間に愛良の気分を台無しにさせるようなことは一切言うなよ。また来たいと思ってもらえるようにするんだ」
何偉そうに命令するんだよ、と明陽は文句を言う。
「我がまま言って彼女を困らせないように。彼女が好きなんだろ?」師匠は言う。
「分かったようるさいなあ。だけど俺は俺らしく行くからな」
「お前らしく行くとだめなんだよ。お前はすぐ愛良にいやらしいことを言うんだから」
「兄貴だって愛良にいやらしいこと言ってたじゃん。いやらしいのは男の本性だからいいだろ」
「それは分かってる。だけどそれをお前が下心丸出しで言うなって言ってるんだ。そういう態度は崇高や忠誠だって嫌がるぞ」
「よく言うよ、兄貴だって毎日愛良を想像しながら、やることやってるんだろ」
明龍の鉄拳が飛び、明陽の体が吹っ飛んだ。
「やめなさい、お前たち…」
一発で口がきけなくなった明陽の体を引きずりながら、止めないで下さい、と言い残して弟を廊下に連れ出す明龍。
空港の到着ゲートから出て来る愛良と崇高。
2人が、迎えに来た明龍と師匠に気づいて手を振る。
「明陽は?忠誠も先に着いてるんでしょ?」
「ああ。明陽は昨日、実に下らないことをしたから罰として連れて来なかった。あいつが抜け出して来ないように忠誠に見張ってもらってるよ」
「下らない?何したの?」
「何でもないよ、兄弟喧嘩さ」師匠は言う。「気にしないでね。よく来たね、2人とも。元気そうで嬉しいよ」
4人は駐車場へ向かい、明龍の運転で道場へ帰る。
道場では明陽が気もそぞろに、門弟たちの稽古を見てやっている。
忠誠はそんな明陽を気にしながら、関公の祭壇の周りを掃除道具で磨いている。
ドアが開いて師匠、明龍、そして愛良と崇高が入って来た。
愛良が笑顔で明陽と忠誠に手を振る。
「愛良」
明陽が満面の笑みで愛良のほうへ行こうとすると、門弟たちもそれに気づいて「林師範だ」と騒ぎ始め、全員が彼女の元へ駆け寄って来た。
「林師範!」「林師範!」と握手をしたそうに手を差し出して来る。
愛良は嬉しそうに笑いながら、こんにちは、皆さん、と挨拶する。
それらをかき分けて先頭に来た明陽は、愛良に近づこうとする門弟たちを押しとどめた。
「何だお前ら!愛良にさわりたいだけのくせに。下がれよ」
そう言いながら愛良を振り返る。
「元気だった?」愛良が飛び込んでくるのを待つかのように、明陽は両手を広げた。
「ええ、元気よ」
「お前に会えて嬉しいよ」
「私もよ」
愛良が一向に明陽の胸に飛び込んで来ないので、明陽のほうから愛良に歩み寄り、肩を抱いて門弟たちに見せつける。
「お前たちは見てたと思うが、あの激しい戦闘では、俺が男らしく指3本でこいつを失神させてやったわけだが」
愛良は、何てこと言うのよ!と抗議する。
「まあ、そんなこんなで今じゃ俺の女だ」そう言って愛良を抱き寄せる。「お前ら俺の女に手を出すなよ?分かってるな?」
明龍と崇高は、愛良を離して逃げる明陽を小突きまわす。明陽は、あいつらが変な気起こさないように言っただけだよ!と言い訳をする。師匠は頭痛がするかのように額に手を当てながら首を振る。
私を倒すことができたらあなたの女になるわよ、って展開よくあるだろ!知らないのかよ、映画見ろよ!と明陽は男たちに叩かれながら言い訳を続けている。
門弟の1人が、「林師範、また来てくれて嬉しいです!」と愛良に声をかけた。
「皆さん、この間は心配かけてごめんなさいね。いろいろありがとう」
愛良は手を差し出してきた1人1人と握手し、私、倒されたら明陽の女になるなんて言ってないわよ、と言いながら笑っている。そのうち崇高まで握手を求められたり、崇高さんを高兄って呼んでもいいですか?と尋ねられたり、門弟たちが崇高に空手についての質問をしているうちに、交流が始まった。
「愛良」師匠が愛良の所へやって来た。
「本当にごめんね、息子が君に変なことを言って。あとで明龍に叱ってもらうから」
「あら、あなたが叱らないの?」
「私じゃ、あの子は聞かないんだよ。明龍の言うことなら聞くんだ」
ふうん、と言いながら愛良はふと壁に掛っている掛け軸を見た。
「あなたの署名だわ。この字、あなたが書いたのね」
「そうだよ、この字、私の名前だってよく読めたね」
そこへ明龍もやって来た。
「師匠は、最近は公表するのをやめちゃったけど、書道家でもあるんだよ。武道仲間に、書いてくれ書いてくれってあんまりせがまれるから、周囲には言わないことにしているんだ」
書道の動きも武道に通じるものがあるからと、昔は武道家も書道を習うのが奨励されていたんだよ、と師匠は言う。
「私の祖父も書道の先生だったの。今はもう忘れてしまったけど、難しい字体を色々教わったのよ。でも、こんなに美しい字が書けるなら、そりゃあ書いてくれってせがまれるでしょうね」
師匠は愛良に褒められて、誇らしげに微笑む。
「そうか、君のお爺さんも、書道をやっていたんだね」
「ええ、近所に公民館があって、大人や子供に教えていたの」
「これ師匠の字だったんですか」忠誠もやって来る。「凄いなあ。太い筆を使うんですね」
漢字が難しすぎて読めないや、と忠誠は笑う。
明陽は門弟に交じって崇高に空手を習いながらこちらの様子をうかがっていた。
「今も普通にこんな大きな筆で書いてらっしゃるの?」
愛良は師匠に聞く。
「いや、もうほとんどないね。これが古くなったらまた書き換えてもいいと思っているが。最近ではたまに、精神統一のために写経みたいなことをするだけだよ」
「君は書道なんてやってたっけ」忠誠は明龍に聞く。
「小さい頃は師匠に習ってたけど、今はしてないよ。俺、字はそんなにうまくないんだよ」
でもペン字は綺麗に書いてるよ、と師匠は言う。
「そうだ愛良、掛け軸に興味があるなら…」と師匠が言おうとした時、「親父」と明陽が顔をしかめながら師匠に近寄って来る。
「何だ変な顔をして」
「今、愛良に掛け軸を書いてプレゼントしてやろうと思ったろ。やめろよ?」
師匠は、うっと言葉につまる。「そんな、思ってないよ」師匠はあわてて否定する。
「いいか?愛良はな、都会の洗練されたキャリアウーマンなんだぞ。そんな都会のいい女が一人暮らししてる超モダンなマンションに、こんなだっさい中華風の掛け軸なんか似合わないんだからな。貰っても困るだけなんだぞ、絶対にやるなよ?」
「あげないよ、何を言い出すんだ、お前は」
愛良は2人のやりとりを見てくすくす笑っている。
「今、愛良に捧げる四字熟語は何かって考えてただろ?」
「か、考えてないよ」師匠は、黙りなさいお前、と息子を叱る。
「書くなよ?人在江湖とか書くなよ?」
「何を言ってるんだ、馬鹿な子だね」
愛良が笑い出すので、崇高もやって来て、今の言葉はどういう意味?と明陽に尋ねる。
「この身は俗世間にある、とかいう意味だよ」明陽は、な?と兄を見る。
「人在江湖、身不由己って言うんだ」明龍が付け足す。「自分の体は今、俗世間の中にあるから、己の自由にはならないって意味なんだよ」
「親父の今の心情を表してるよな」明陽は言う。
「あとはそうだな、光陰矢如、とかな」年寄りには身にしみる言葉だよな、と明陽はふざけて言う。
お前なら何て書くんだよ?と兄に問われて明陽は、神出鬼没かな?と答えている。
「そう言えば師匠、済みません、あなたの許可も取らないで空手の実演なんてしてしまいました」崇高が済まなそうに師匠に言う。
「許可なんかいらないよ」師匠は答える。「門弟たちが他の武術に興味を持つのはいいことだ。過去に何度かここの門弟のために別の流派の武道家を呼んで実演してもらったこともあったんだよ。良い勉強になるからね」
「もちろん俺たちは大歓迎だよ。もっと教えてくれよ」明陽は言う。
「お前は何を教えてくれる?」明陽は愛良に聞く。
「そうね、武道ばかりじゃなく、エアロビクスでもいいんじゃない?私は修行の合間に、5分ぐらいのエアロビクスを音楽を流しながらやることもあるのよ。以前は30人くらいの生徒さんを相手にエアロビのインストラクターもしてたの」
「いいね、教えてくれよ」
じゃあ今度、音楽とダンスを選んでおくわね。師匠もご一緒にいかが?と愛良は師匠に聞くと、師匠は、私なんかでもできるかなあ、と嬉しそうに答えている。
やがて門弟たちとの交流も終わり、客人たちは各客室に案内されたあと、夕食前に居間にやって来た。
「愛良、あれ冗談だからな、門弟の前で俺の女だって言ったの」明陽は愛良に言う。
「どうしたのよ急に」
崇高は忠誠に、あいつ言い訳してるよ、と言い、忠誠は笑いながらうなずいている。
「だってお前、怒ってないかなと思って」
「怒らないわ」そう言って愛良は笑う。「あなた、門弟の前で偉そうにしているのかと思ったら、みんなに結構優しくしているそうね。みんなが教えてくれたわ、あなたがよく飲みに連れて行ってくれて、好きなものを注文させてくれるし、偉ぶってなくて、面白い話も聞かせてくれるって」
「面白い話?」
「女性に振られた話」
「ああ、そんなこと。あいつらが勝手に面白がってるだけだよ」
「私のこと、武道家として褒めてるって教えてくれたわ。ありがとう。あと、いつも冗談で私のこと、俺の女だって言ってるだけだから気にしないで、許してあげて下さいだって」
あいつら余計なこと言いやがって、と怒る明陽。
「お前、兄貴とまた勝負するのか?」
「ええ。私たちの間にいろいろと課題があるのよ」そうよね?と愛良は明龍を見ると明龍はうなずく。「師匠にも修行の相談に乗ってもらうわ」
「俺とは勝負してくれないのか?」
「真剣勝負をお望み?」
「当然だろ」
「いいわよ。準備が出来た時にいらっしゃい」
愛良は自信がありそうに明陽を見る。
「君たち、夕食で何かお酒飲む?」師匠がやって来て客人に聞く。
「愛良、君にいいものがあるんだ」明龍は愛良に言う。
「何?」
「ノンアルコールワイン。それならいいだろ?ロゼと白。持って来るよ」
明龍は行ってしまった。
「兄貴は意地でもお前とワインを飲みたいらしいな。お前たちも飲んでみろよ。本物のワインとはちょっと味が違うけど、まあ雰囲気だけは味わえるかな」
明陽は男2人にも、ワイン工場で作ってるノンアルコールワインなんだってさ、と勧める。
明龍はすぐに戻ってきて、ロゼ?白?と聞いて、愛良と崇高、忠誠にも注いでやる。
「ねえ、今日はみんな、お風呂に入るの楽しみにしてて」明龍が言う。「それぞれの部屋のバスルームに、いい香りの石鹸を置いておいた。愛良はトロピカルフルーツ、崇高はグリーンウッド、忠誠はシトラス系で、どれもすごくいい香りなんだ。帰りにその石鹸、持って帰っていいからね」
「ありがとう」愛良は言う。「ところで今はあなたが館長になったんですって?」愛良は明陽に聞く。
ああそうだよ、と明陽は答える。
「俺は館長なんだから、責任重大だよ。門弟1人1人に気を配らなくてはいけないし。うちの門弟は血気盛んな奴らが多いんだ。つまりだな、お前が俺の女だってことにしとけば、お前、付きまとわれる心配ないだろ?」
明陽が愛良に、付きまとわれたら嫌だろ?とさっきの言い訳をしている。
「おい、うちの門弟で犯罪はおろか、いざこざを起こした人間すらいないぞ。あえて言うなら問題を起こしたことがあるのはお前くらいだな。お前、愛良と崇高にずいぶん付きまとったしな」明龍が言う。
「失礼なことを言うなよ。単に、武道家の勘が働いたんだよ。つまり俺がしつこく付きまとったから、今こうして交流が始まったんだぜ?俺が探偵を雇わなかったら、兄貴は一生愛良に会えなかったんだ。俺に感謝しろよ」
弟の言葉に、明龍は反論できなくて黙る。
「そうだ愛良、聞いてくれよ」明陽が兄と父親を見ながら言う。「お前が帰国してから、この2人おかしくなっちゃってさ。2人でこそこそ、何をやってるかと思ったら親父がいきなり歯医者に通い出して、口腔ケアっていうの?あれにはまっちゃってさ、歯の洗浄とかホワイトニングとかやり始めたんだぜ、兄貴の手引きで。高い外国製の電動歯ブラシまで買ってんの。そうまでして口の中綺麗にして、何期待してんの、親父?」
「別に。虫歯になっていないか見てもらったついでに、私も歳を取って来たから、歯医者さんにいろいろ相談しただけだよ。人前に出た時に口の中が汚かったら恥ずかしいだろう?」
今のきっと、寝ないで考えた言い訳だぜ、と小声で愛良に言う明陽。
「師匠は煙草を吸わないし、もともと歯は綺麗なんだよ」明龍が言う。「だた、お茶をよく飲むから、お茶の着色があってそれを綺麗にしてもらったんだ。俺も一緒にやってもらったんだよ」
明龍はニッっと笑って白い歯を見せる。
「それからな、今、脱毛に行ってんだぜ、この爺さん」明陽は面白そうに言う。
おい、もういいだろう、と師匠が叱る。
「お前だって以前、俺に紹介させて優待料金で脱毛に通ってたじゃん」明龍が言い「弟は俺の通ってたサロンに行きたいって紹介させたんだぜ」と愛良たちに言う。
「あなたこそ、そんな所に通ってたの」愛良は明龍に聞き返す。俺はおしゃれに敏感だからね、と明龍はうなずく。
「そうだよ。兄貴が最初に、毛深いのを気にして胸の脱毛をやってたんだよ。まあ俺の周りの筋トレしてる男は大抵、胸とか背中の永久脱毛してるよな。見る?」
明陽は自分のTシャツをまくり上げてから、怒られる前に下げた。
「俺は若いからいいんだよ。老眼鏡がなきゃ本も読めない親父が、何で今さら脱毛に行くのかって話。親父は一体誰におっぱい撫でてもらいたいのかな?」
師匠は小声で、やめなさい、と言いながら「いや、歳を取るとね、いろいろ口臭とか体臭とか気になってくるから、明龍に相談していたんだよ」無駄毛が体臭の原因になるそうだからね、と言い訳する。
「愛良はこういう爺さんどう思うよ?」明陽は父親を鼻で笑う。
「あら、年齢が上がってもご自身の体に関心を払うのはいいことだと思うわ」
「でも、美容目的だぜ?」健康目的だよ、と師匠は口を挟むが明陽は構わず話を続ける。「親父は東洋医学の知識があることを鼻にかけてるが、今じゃ西洋の美容医学にどっぷりはまってる。東洋医学の敗北だよ、情けない。爺さんは爺さんらしく、鍼とかお灸止まりにしとけって」
「お化粧し始めたらちょっとびっくりするかもしれないけど、口腔ケアと体毛を整えるぐらいは別にいいんじゃない?男性でも年齢に関係なくやってほしいわ」
「お前が帰国してからというものさ、食事の時間はこの2人、いっつも美容の話をしてるんだぜ。以前は武術とか社会情勢の話しかしてなかったのに、今じゃデンタルフロスは糸と水流どっちがいいかとか、毛根の周期とか、シャンプーはどこがいいかとか、眉毛の整え方とか、お肌の張りとツヤがどうしたとか、そういう話しかしてないんだから、おかしいよな?武術家のくせに、いかに自分の外見を良くするかって話ばっか」
「そうなの?」愛良は笑う。
「そういえば師匠、以前より身綺麗になったみたい。お肌の色、明るくなったんじゃない?」
「分かる?ちょっとパックしてもらったんだよ」師匠は嬉しそうに答える。
武道家のジジイが顔にパックとかおぞましいわ、と言いながら明陽は「崇高はどうなの?お前まさか、何もやってないよな」と聞く。
「俺は特に何もやってないよ。もともと毛深くないし。ひげ剃って眉毛整えるくらいかな?眉毛専用のカットはさみを持ってるんだ。鏡を見ながらかっこいい眉の形を研究してるよ」
ほら、やっぱり崇高は男らしいな、と明陽は兄を見る。
「お前たちは若いからだよ」と師匠は言う。「私だって若い時は何もやってなかったんだから」
「君は毛深くないの?羨ましいな」明龍は崇高に言う。「俺なんかひげ剃るのも大変だし自己処理だと肌も荒れるから、ここらへん全部永久脱毛だよ」言いながら頬や首の辺りを手で示す。
「で、愛良、お前はどういう処理の仕方してんだ?」明陽はにやつきながら愛良に聞く。
「おい。お前、女性にする質問じゃないぞ。つまみ出されたいのか?」愛良、答えるなよ、と明龍は言う。
「だって女って、どこもかしこも全部脱毛すればいいと思ってるじゃないか。男はな、処理せず残しといてほしい場所があるんだよ。そこらへん、女として分かっといてもらいたいんだな」
「ねえ、じゃ武道家らしい話をしましょうよ」愛良が無視して言う。
「明龍、明日の朝も早く起きるんでしょう?私も早起きするわ。約束通り、私と勝負してくれるんでしょ?」
「うん。下で待ってるからね。いつでもいいよ。俺は5時からストレッチしてる。君は今日うちに着いたばかりで明日5時じゃ大変だろうから、寝坊してもいいんだよ」
じゃあ寝坊しなかったらその時間に下へ行くわ、と愛良は約束する。
「シークレット・フォーミュラ」
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なるべく1ヶ月に1度を目標に連載投稿していく予定です。