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第一話 赤いチェックのネルシャツ

「いいご身分だねえ……」


 スマホの画面に映る鼻の下を伸ばした男の顔を見て、親指に思わず力が入った。

 お忍びでファンミーティングに顔を出し、女性ファンに抱きつかれながら記念写真を撮るこの男。このディレクターこそが現場炎上のあらゆる原因だっていうのに、


「大体ぜぇ〜〜〜んぶ鎮火してるのはアタシだっつーの!」


 余りに大きな独り言で我に返る。

 いやはや、でかい声出したってHPのムダ使いだ。ふー、と深く息を吐き出して寝不足の気だるい体に鞭を打ち、くたびれたソファから抜け出した。



【ゲーム開発プロマネやってます!アラサー女子、オタクのテスターと一緒にゲームの世界に入っちゃった?!】



「あ、あ、あの、水瀬さん、」


 軽く髪の毛だけ梳いてリフレッシュルームを出るや否やおどおどした様子で声をかけてきたのはテスターの山田だ。

 仕事はできるのになぜいつもそんなに自信がなさそうなのか。男だろピシッとしろ背筋伸ばせ、などと言えば今の時代セクハラパワハラと騒がれるので口をつぐむが、とにかくパッとしない奴だった。


「休憩されてたのにその、すすすすすみません、えっと、」

「いいよ、急ぎの用件でしょ? 何かあった?」

「そそそそれが、今朝のビルドで至急直したこのバグなんですけど」


 山田の席まで促されて画面を覗き込む。あー嫌な予感。これ直ってないと明日のアップデートに間に合わない。既に目の前が暗くなる。


「条件によってはまだ再現するみたいです。発生するとクエスト成功してもマップから抜けられないのでかなり致命的なんですが、その条件というのがここで……」


 バグの説明になると急に饒舌になる山田のコントローラーを握る手をぼんやり見ていた。いや、ぼんやりしている場合ではないのだが、このところの深夜勤務がたたったか、なんだか目眩がして、


「……え?! ちょ、ちょ、ちょっと、水瀬さん!」


 とっさに山田のネルシャツの袖を掴む。ぐにゃりと曲がる天井と、バカみたいに分厚い山田のメガネがちらりとまぶたの裏に浮かんだ、気がした。







「み! 水瀬さん! 起きてくださいよぉ!」


 何だか背中が、腰が、痛い。ゴツゴツする。

 頭が働かず状況が把握できぬまま腰をさすると、頭上でよかった! と聞き慣れた声がした。

 ゆっくりと周りを見回す。暗くてよく見えないが、寒々しい土の上に横たわっているのが分かる。子供の頃遠足で行った鍾乳洞のような突起が複数天井から吊り下がっていた。


「……水瀬さん、けけ、け、け」

「毛?」

「いや、ちが、け、ケガないですか?」


 山田、意外と優しい。特に怪我らしいものはなかったが、それより、


「大丈夫。だけど、ここは?」

「北の火山の洞窟みたいです」


 三十秒ほど考え込んでしまった。随分聞き覚えのあるワードだと思ったら、


「……明日配信する追加マップの?」

「はい」


 再び三十秒の間。


「寝ぼけてる?」

「ね、寝ぼけてません、っていうか、わぁっ、あの、これ、これ腰に巻いてください、ちょっと! こ、こっち来るな」


 起き上がった私に後ずさりしながら投げてよこしたのは彼の羽織っていたネルシャツだった。どうでもいいけど冬場はどうしてみんな赤いチェックのネルシャツを着るんだろう。


「こっち来るなって何よ!」

「すすす、スカート、が!」


 ん? と自分の下半身に目を向けると、ヨレヨレのタイトスカートはすっかりずり上がってしまっていた。ああ、ノーメイク寝不足げっそりアラサーBBAの太腿なんて見たって嬉しくもないだろうに、ウブというか、何というか。

 確かにみっともないのでありがたくネルシャツは拝借し、もう一度聞いた。


「ゲームの中のマップって、そんなバカな話。さっき会社で見てたテレビの中に落ちたってか〜? 今頃殺人事件でも起きてるかもね」

「それ別のゲームです! しかも古い!

……いいからちょっとこれ見てください」


 山田の指差す方向には、これまたよく見覚えのあるアイテムが鎮座している。

 クエストの報酬、封印された王様の剣。こいつのグラフィックが最後の最後にあのディレクターにダメ出しされて差し替えになったせいでマスターチェックがやり直しに……ムービーの差し替え時間がなくてみんなめちゃくちゃ大変な思いして……


「み、水瀬さん、顔が怖いです」

「あ、ごめん。なんか色々思い出しちゃって。

……てかうわぁ〜マジであの王様の剣……これ実体あるのかな」


「え?! あ! ダメですよ!」


 山田が止めるのと同時につい好奇心で触れてしまったそれは、エフェクトチームがこれまた何度もリテイクされながら作った特別なキラキラエフェクトと共に私の手にすっと収まった。


 そして。


 ピッ、ピッ、ピッ、と電子音がどこからともなく響いてくる。視界の片隅にデジタルカウンター、残り、十四分五十七秒。


「み、水瀬さーん、忘れたんですか? 剣抜いちゃったら十五分でダンジョンから出ないとこのクエスト、失敗で、」

「うっそ……そうだったわ……失敗するとどうなるんだろ」

「わ、分かりませんけどとにかく出ましょう、急いで」


 駆けだす山田にとりあえずついていくしかない。確か追いかけてくる敵のスピードはかなりのものだった筈だ。


「水瀬さんこっち!」


 先にここのスイッチ押してから敵をこの影でやり過ごすんです、と囁く山田の、でかでかとアニソンフェス名がプリントされた背中が何だか頼もしく見えた。

 さっき私達が走っていた道を狼のようなモンスターが風のように駆け抜けていくのを横目に山田は続ける。


「次はあの影で一旦待って、それからその先の開けた場所に出たら戦闘しましょう。僕が敵の出てくる順番と位置を教えますから、その剣の遠隔攻撃で。頭を狙えば二発で倒せます。いいですか」

「遠隔攻撃って……どうすれば……?」


 互いに顔を見合わせる。メガネに映る間抜けな自分の顔と見つめ合っていたら、ふと山田が口を開いた。


「主人公が技を出すモーションを真似してみるのは?」

「あ、そ、そうね? えーっと、…………、」

「こうですよ、こうやって、こう!」


 ビシ! ビシッ! とSEが聞こえてきそうなほどにキレッキレで山田はモーションを再現した。これ、絶対家で練習してるっしょ……


「早く真似してみてください。こうやって、こう!」

「あ、うん、こうやって、こう?」


 ビカビカッと派手なエフェクトと共に稲光が走って、例の遠隔攻撃が本当に出た。山田、ホント頼りになるな?!


 準備万端。目配せして頷くと、ドヤ顔の山田に促されて走り出した。まずは冷静に、ここで三匹通り過ぎるのを待って、そして。


「行きますよ。三、二、一……」


 山田の提案で待ち伏せして戦闘することにしたその場所の、見通しのいい岩の上で構える。


「まずは右手の上段から二匹です。そこ! それを倒したら今度は正面! いいですよ! 次は上です!! あと三匹!」


 なんと的確な指示だろう。私がテストプレイした時は全て倒すのに四苦八苦したのに、


「左! 最後右です! やった、あとはとにかく出口へ!」


 ……いつの間にか全ての敵を退けていた。なんとあっけない、そして、敵の姿をゆっくり見る暇もなかった。


「追ってくるやつは振り切ったほうが早いので相手しないで逃げましょう」

「ってこのまま出口行って開くの?」

「必要なスイッチ全部押してきました」

「……まだ五分以上残ってるじゃん。あんたウチのバイトテスターなんかやめて攻略Wikiでも書いてたほうが儲かるんじゃないの」


 やがて軽口を叩く余裕もなくハァ、ハァと息を切らして全力疾走し、辿り着く地上階。確か、ゲームの中そのままなら、こうやって剣を空に向けてかざせば……


「あ、そういえば条件によってはクエスト成功してもマップから抜けられないんだっけ……?」


 コングラチュレイション! と耳慣れたSEが私達を称えてくれる。一気に目の前が明るく照らされて、体がふわりと浮くようだ。


「大丈夫です、それ、一人パーティの時しか再現しないので、」


「はーーーーー! マジかぁ、山田、あんたがいてくれてホントよかったわ」


 なんだか心地いい。レベルアップの音がする。パラメーター割り振れって? そりゃやっぱり、素早さでしょ…………、







「は!!!! 寝すぎ!!! た!!!」


 手元のスマホを見ると休憩の終了時間はとっくに過ぎている。いくら残業続きとはいえ、まずい。明日はアップデートの日なのに。

 急いで起き上がると、リフレッシュルームの入口で様子を伺っていたと思われる山田が、間髪入れずに声をかけてきた。


「休憩されてたのにその、すすすすすみません、えっと、」

「いいよ、急ぎの用件でしょ? 何かあった?」

「そそそそれが、今朝のビルドで至急直したバグなんですけど」


ってか山田、冬なのになんで半袖Tシャツなんだろ。しかもアニソンフェスの。


「パーティが一人の時にだけまだ再現するようだったので至急直してもらってビルド回しました。あと一時間で再検証できると思います」


「はーーーーー! マジかぁ、山田、あんたがいてくれてホントよかったわ」


 ああ、よかった。このバグの行方が明日のアップデートの可否を左右するが、山田に任せておけば大丈夫、大丈夫。気が抜けて再びソファに倒れこむ。その辺にあった毛布を手繰り寄せ、もうちょっと休憩、と呟くと山田はごゆっくり、と返して席へ戻っていった。


 ところで、こんな赤いチェックの毛布、この部屋にあったっけ……、まあ、いいか、

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