いい匂い
好きだ、って、思った。
強烈に、鮮明に。
自覚してしまえば、あとは簡単。ハマっていくだけ。
戻れない所まで突き進んで、もうアナタしか見えない!!ってなったのに、肝心の返事は、
"NO"
(ふ−ん…。あ、そう。フるんだ?フっちゃうんだ?あ−…しかもゴメンってなんだよ。謝られたいんじゃないんですけど−…)
フラれた。
完全に、フラれた。
「好きです」って言ったら、
「無理です」って言われた。もっと、他に選べる言葉があるだろうが、と思った。
悔しくて平気なフリをしていたけれど、本当はギリギリだった。一人になると決まって涙が流れた。
(…好きだったのになぁ…)
この世に生まれて22年。
初めての挑戦は失敗に終わった。
恋は、甘いことばかりではないと知った。恋愛小説だって、主人公は"この世の終わり"みたいなどん底まで落ちたりしてるのに、自分自身、あえて印象づけないように読み流してたんだと思う。心臓の動悸が心地よくて、やたらと甘ったるいのが恋愛だなんて、ずいぶん勝手な解釈だ。
深く深く誰かを好きになるなんて、もっと大人になってからのことだと思っていた。恋をするには、私はまだ、あまりにも幼稚なような気がした。
始まりは絶望。
って、ちょっと大袈裟だけど。
確かに私は、絶望していた。
社会人3年目にして思いきって転職した会社で、素晴らしい男に出会った。
私より1年先輩のその男は、顔良し、スタイル良し、背は高くないけれど、仕事ができておまけに優しい。
付き合っていた男と別れて半年。そろそろ1人がつまらなくなってきていた頃だった。
無理矢理ではあったものの、携帯の番号とメールアドレスも交換した。
仕事の用事にかこつけて電話をし、だんだんと彼についての話にすり替える。そこで仕入れた情報は、メモを取って記憶する。そう、私は必死だった。
「今夜、空いてる?」
最初にそう声を掛けてきたのは彼だった。
私は驚きのあまり、手にしていた書類をハラハラと散らかした。
「空いてますけど?」
とりあえずそう答えて、バラまいた紙を拾う。さぁ、次は?なに?なにがしたいの?一枚一枚拾い上げながら、次の言葉を一言一句聞き逃すまいと聴覚の全神経を彼に集中させていた。
「部長と総務課の課長が、呑みに行こうって。女の子いた方がいいかなっておもったから」
「あ−…そうなんですか」
「店、まだだから、7時に駅前に」
「…わかりました」
彼が去った後、大きくため息をついたのは言うまでもない。
何の罪もない部長と課長が、邪魔くさくて仕方なく思えた。
何が好きって、見た目も確かに好きだ。
だけど、彼を思い出す時、真っ先に浮かぶ、"匂い"。
微かなコロンの香りに、煙草の匂いと、たぶん、汗の匂い。3つが絶妙なバランスで混ざって、私の脳を痺れさせた。
過去に付き合ってきた男に、それはなかった。だから今、私は彼を追いかけている。
正直、追うのは面倒だと思う。その時その時、好きだと言ってきた奴と、あるいは言われないけどなんとなくそんな雰囲気になった奴と、付き合ってきた。
慣れない、どうしたらいいのかわからない。でもあの匂いの中に、私はいたい。これがわからない他の女が寄り付く前に、自分だけの匂いにしたかった。
(7時に駅前…)
時計を確認すると、6時15分を指していた。
駅まで10分以内に行ける。残ってる雑務を片付けて、軽く化粧を直してる時間もある。
二人じゃないしな、と思う気持ちをぐっと押し込んで、机に向かう。
5分前に着いた。
駅前の通りは仕事終わりのおっさん、OL、学生らしき人達で賑わっていた。
(酔わないようにしなきゃな…)
私は酒癖があまり良くない。以前、社内の忘年会でガンガン飲んで、二次会のカラオケで騒ぐだけ騒いだせいで気持ち悪くなり、トイレまで間に合わないと言って個室のごみ箱に胃の中身戻した後、ソファーを陣取って朝まで爆睡したことがあった。
最悪なことに、その場に彼はいた。しかしその後も飲み会がある時は声をかけてくれる。
(ほんと、気を付けよう)
再び決意する。これ以上醜態を晒したくはない。
そんな思い出に浸っていると、人混みの中に見馴れた顔を見つけた。
遅れてごめん、と、近付いてきた彼からは、やはり例の匂いがして、表情が緩む。
「部長達、もう店入ってるってさ」
そう言われてついていったのは、チェーン店の大衆向けの居酒屋。
「ホッピーが飲みたかったらしいよ」
確かに、入り口にはデカデカとホッピーと書かれたのぼりが立っている。
「おぉ!遅いぞ!!座れ座れ!!」
先に入っていたという上司の二人は、すでに出来上がっていた。
店員を呼んで、生ビールとつまむものをいくつか注文する。ここからは場の流れに任せる。にこにこ笑って、時々酔っ払いの二人に酒を注いであげたり。それだけでいい。
飲み始めて数時間。
おっさん二人はベロベロになって、意味不明な会話をしている。彼はそんな光景をニコニコしながら見ていた。私はダラダラとお新香盛り合わせをつまみながら、
(ちょっとほっぺが赤くなってるな−…)
などと、こっそり彼を観察していた。見てるのがバレたら…と思い、時々視線を游がせた。
このままずっとまったりしていたい。そう思った矢先に、おっさん二人が
「カラオケ行くぞ−」と騒ぎだした。
どーぞ二人で行ってきて下さい私はここで彼と二人で飲んでますから、とも言えず、荷物をまとめて伝票を持った。
とりあえず彼と割り勘して会計を済ませる。もちろん明日の朝一、おはようございますと言うより先に、酔っ払い上司二人に請求するつもりだ。
外に出ると夜風が心地よかった。アルコールで上がった体温を穏やかにしてくれる。
「カラオケ、どうする?」
「…今日は、帰ります。明日も仕事だし」
もう少し、彼といたい。しかしそうした所で何があるわけでもない。それならせめて、落ち着いた気持ちのまま眠りにつきたかった。
「おー!何してんだ!早く行くぞ!!」
肩を組んだおっさんが大声で手を振って呼んでいる。
「それじゃあ、お疲れ様でした」
私はそう言い残して背を向けた。
駅からマンションまで、歩いて15分かかる。飲んだ日はだいたいタクシーに乗るけれど、今日は歩きたい気分だった。パンプスのヒールがカツンカツンと軽快に鳴った。
間もなく23時になる。
帰ったらシャワーを浴びて、念のため胃薬を飲んで寝てしまおう。
そんなことを考えながらサクサク歩いていると、背後から足音が聞こえた。
速さからして、走っているようだ。しかもどんどん近づいてくる。
夜中に、人通りの少ない道、というか、歩いてるのは私だけ。色々な想像が頭を駆け巡って、心臓が大きく跳ね出した。
(まさか、いや…ただのランニング中のおっさんかもしんないし…!でも…違うかもしんないし…ヤバい…もうダメかも…!!タクシー乗っときゃ良かった!まだ死にたくない!この若さで!?勘弁してよ!ぎゃ−…!!)
あまりに怖くて、足が止まってしまった。
そして足音は、私のすぐ後ろで止まった。
恐る恐る振り返る。
と、
見覚えのある後頭部があって、膝に手を当てて肩で大きく息をしていた。
(……?あれ?)
そーっと覗き込む。
心臓は、まだバクバクしている。
「…―さん、歩くの早いねぇ…」
そう言って顔をあげたのは、さっき別れたはずの彼だった。
「え…あ…あれ?カラオケ、行ったんじゃ、な…いんで…すか…?」
「あー…あの二人、タクシーに押し込んできた。これ以上飲ませたら明日仕事になんないでしょ?」
「あ…あは、あはは…そう、ですよね…はは…なんだ…」
通り魔じゃなくて良かったのと、また彼に会えたのが嬉しかったのとで、さっきまでの緊張が解けてその場に座り込んだ。
「…よかったぁ……刺されなくてー…」
「なに!?刺され…え!?なんかあったの!?」
「あはは…なんでもないです」
よいしょ、と立ち上がったら、パンプスが片方脱げてよろけてしまった。
やばい、と思ったけど、転ばずに、ふわっと、あの、いい匂い。
「…大丈夫?」
「…は、はい…」
「酔ってんの?」
「あ…だ…大丈夫です」
彼に、支えられていた。
とっさに、ぱっと離れた。あまりの恥ずかしさに下を向く。
(…やっぱり酔ってるかも)
「…ねぇ」
と話掛けられて、顔をあげると、唇に柔らかい感触。
(……ん?)
頭に?が沢山浮かんだ。
「ここから近いの?」
「…はい」
「ちゃんと帰れる?」
「……はい」
「じゃあ、また明日」
「………はい……」
バイバイと手を振って、彼を見送った。
(…―!!)
さっきの感触がなんだったのか、気付いた時には彼の後ろ姿は小さくなっていた。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
ゆっくり思い出してみる。
離れ際に、確かに聞いた。
『好きになっちゃった−』
誰を?
何を?
私を?
22年生きてきた中で、今一番、混乱している。
落ち着け落ち着け。
そう自分に言い聞かせて、バッグから携帯を取り出す。電話帳を開いて彼の名前を探した。
少し迷って、発信した。
呼び出し音が鳴り始める。落ち着かないまま、出るのを待つ。
『もしもし』
「あ…あの……」
『―どうしたの?』
「…いい匂い、ですね……!!」
お疲れ様でした。読んで下さってありがとうございます!何が言いたいのかとか、テーマみたいのはありません← ただ、実話も少し入ってます。どこかって?ヒントは、グロッキーなエピソード…!次はもうちょっとマシなのが書きたいなぁ…それでは!