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 両手足を投げ出し、床で大の字になっている寧々がぐっすりと眠っていることを確認する。無防備な寝顔は辛いことなど何もないかのように健やかだ。

 公園から帰って昼食を食べた後、疲れたのか寧々はことんと電池が切れたように眠ってしまった。午後はどうやって過ごそうかと思い悩んでいた柚香は拍子抜けして、思わずその気持ちよさそうな寝顔につられて一緒に眠ってしまった。

 その後もまだ寧々が起きないのでスマホゲームでダラダラと遊び、冷蔵庫の中身を確認しつつカルピスを飲んでから、店に繋がっている居間の引き戸を引いた。ちょうど近くにいた祖母を呼ぶ。


「おばあちゃん、寧々が起きたら買い物行って来ようか?」

「あら、夕飯の材料何もなかった?」

「ないことはないけど……寧々が何を食べれるのかよくわかんないしカレーにしようかと思って」


 躊躇いながらそう言うと、祖母は少し驚いたような顔をした。

 日曜日の夜に柚香が夕飯を作ることはほとんどなかった。土曜日と平日のうちのどこかで一日、それが柚香の料理サイクルだった。同級生に比べれば柚香は断然家事の手伝いをしている方ではある。友達の中には全く何もしないという子も何人かいるくらいなのだから。

 しかし祖母が働いていることを思えば、今までは祖母が何でもやってくれているからといって甘えすぎていた。元からもう少し家の手伝いもしなくてはいけないと思っていたので、柚香はこれを期に生活態度を改めることにしたのだ。


「じゃあ、お願いするわね。商店街で間に合うかしら?」

「子供用のカレールー買わなきゃいけないからスーパー行ってくるよ。そんなに遠くないから大丈夫だと思う。野菜はあるから荷物も少ないだろうし」


 寧々と行くなら歩くしかないし、時間もかかるだろう。柚香は一瞬本気で自転車につける幼児用の後ろ座席を買って貰おうかと考えた。


「そう、なら甘いものでも一緒に買っておいで」

「……おばあちゃん、そうやってすぐに甘やかす」

「そんなことないわよ」

「あるよ」


 柚香はため息を吐きたくなった。確かにこれくらいなら甘やかしていることにはならないかもしれないが、祖母は柚香が自分から動かない限りは、家事だって全部一人でやってしまうのだ。

 さすがに寧々の世話には音を上げていたが、そんなんだから息子があんなんになってしまうんだよと言いたくなる。父親のことを話題には出したくなかったから黙っていたが。

 他に要るものがないか確認してから戸を閉めて振り返ると、寝そべったままの寧々と目が合って少し驚いた。


「起きたの?」


 コクンと頷く。


「お買い物行く?」


 再びコクンと頷く。寝惚けているのだろうか。その割には目はパッチリと開いているが。


「じゃあ、起きて」


 すると寧々は両手をこちらに差し伸べてきた。起こしてと言っているらしい。起き抜けだからかちょっと甘えた空気を出していた。

 柚香はそっと手を引っ張って起こすと、微笑を漏らした。


「すごい髪」


 まだ柔らかい髪質だからか、昼寝しただけだというのに、寧々の寝グセは酷いことになっていた。


「後ろ向いて。結ってあげるから」


 慣れているのか寧々はそれだけで理解して、背を向けて三角座りをした。

 いつもしているように二つに分けて括るだけにしようかと思ったが、気を変えて三編みにする。あまり髪を長くしたことがない柚香にはこれくらいしかできない。


「はい、できたよ」

「かわいい?」


 寧々が期待を込めて聞いてくる。出来栄えが気になるのか、三編みを手で触っている。


「可愛いよ」


 仕上がりに自信があったわけではないが、可愛いことには違いないのでそう答える。柚香は寧々を一番近くにあった玄関の鏡の前まで連れて行った。


「ほら」


 鏡で自分の姿をじっと見つめた後、寧々は振り返って柚香を見上げた。


「えへへー」


 嬉しそうにニコニコと笑う。

 単純だなぁ。

 そう思いながら柚香はつられて笑っていた。



「なにかうのー?」


 スーパーの入り口で柚香の上着の袖を引っ張りながら寧々が聞く。


「カレーだよ」

「おかしは?」

「いいよ。買っても」

「やったぁ!」


 手を叩いて喜ぶ寧々の声が急に大きくなって、柚香は慌ててシーっと人差し指を口に当てた。何が面白いのか寧々は柚香の真似をして同じように人差し指を口に当てるとくすくすと笑う。


「もう……」


 大きな声を出すなと言いたかったのだとわかっているのか聞きたくなるが、こんな顔をされたら何も言えなくなってしまう。


「まずカレーを探すからね。あとドレッシングと」


 野菜や鮮魚コーナーには用がないので、中央あたりの棚の通路に入る。


「カレーさがすの?」

「そうだよ。寧々も探して」

「わかったよー」


 変な調子をつけて返事をする寧々が辺りをきょろきょろと見渡すが、言ったそばから柚香が見つけてしまった。


「あ、あった。子供用はこれしかないね」

「あー!」

「ちょっと、寧々、静かに!」


 ついさっきのことをもう忘れてしまったのか、またも叫ぶ寧々に柚香は疲れそうになる。


「ねねが! ねねちゃんがいれる!」


 一応は声を落とした寧々が、柚香の持っているカレールーに手を伸ばそうとする。


「これ? どうしたいの」


 恐る恐る手渡すと、寧々は柚香がぶら下げるように持っていた買い物かごの中に放り込んだ。


「はい」


 それだけで満足そうな顔をする。ただ買い物かごに入れたかっただけらしい。

 何が楽しいのだろうと思うが、子供がこういったことをしたがるのは、納得できないわけではない。何せおぼろ気な記憶ながら、経験があることだ。今考えるととてもしょうもないのだが。

 柚香は寧々の気が済むまで好きにさせることにした。買う予定のものを手渡してかごに入れてもらう。必要なものを探し終えると子供向けのお菓子コーナーへ行った。


「何がいいの?」

「んーんとねぇ」


 寧々は真剣な顔でお菓子を見比べている。なかなか決まらないのか短い距離を行ったり来たりしてせわしない。これは長くなるだろうかと心配しているうちに寧々はお菓子を一つ手に取った。


「これにする!」


 子供向けの小さめのスナック菓子だったので柚香は頷いた。


「いいよ」


 しかし寧々はそれをいくつか持って駆け寄ってくる。思わず顔をしかめそうになった。ここは一つにしなさいと怒るべきだろうか。迷っているうちに寧々はお菓子を一つずつかごの中へ入れた。


「ねねちゃんとーゆずちゃんとーおばあちゃんの!」


 当たり前のようにそう言って見上げてきた寧々に、柚香は言葉を失った。

 無邪気な顔から目を逸らしたくなる。なんだかとても恥ずかしいような、頭を撫でたくなってしまうような、そんな気持ちが沸き上がってきた。

 わたしとおばあちゃんの分はいらないだなんて言えない。


「ありがとう……」


 柚香はぼそぼそとお礼を言った。



 帰り道で柚香はぼんやりと考えていた。

 あの家に寧々がやって来て、まだたったの四日目だ。しかし寧々はこれからあの家で暮らすのだと教えられていただろう。

 寧々の中でゆっくりと「新しい家族」が形作られている。さっきのことはそれを象徴しているように思えた。

 深い意味などなく、無意識だったのかもしれない。ただこのところずっと一緒にいるのが柚香と祖母だから三人分。それだけ。

 でも寧々は「ママのぶん」とは言わなかった。そしてそれは深く追及してはいけないことなのだ。寧々にとってこれはいいことのはずなのだから。いつまでも無くなってしまったものにしがみついてはいられない。

 しかしそれは柚香がしがみついていたものが少しずつ崩れ去っていくことでもあった。覚悟などしていない、手離すつもりのなかったもの。寧々のように、母親そのものではなく、ある意味ではそれよりも大切だったもの。それをどうしようもなく、ただ崩れていくのを見ているしかできない。

 仕方がない。もう諦めるしかない。

 柚香はそういうことが世の中にはたくさんあるのだとなんとなくわかってきた。いなくなってしまった人がもう戻ることがないように。少しずつ受け入れていくしかない。

 寧々のことを可愛いと思ってしまった柚香にはそれしかできないのだ。


「ゆずちゃん、まっかだよー」


 空を指差して寧々が言う。


「そうだね。夕焼けだよ。きれいだね」

「すごいねぇ」


 感嘆の声を上げる寧々の言葉通り、アーケードの入口を背にして見る秋空が燃えるような茜色に染まっていてとても美しい。薄い膜のような雲でさえ色が染み込んでいるようだ。「夕焼け小焼け」を口ずさみたくなるような空だった。

 柚香の記憶の何かが刺激された。

 ずっと昔、同じようにアーケードを歩いていて、同じくらい綺麗な夕焼けを見ていた。何てことのない、何度もあったような記憶。

 でも何てことないからこそ、大切な記憶だったような気がする。


「どうしたの?」


 よく知った涼やかな女性の声が聞こえてきて振り返る。


「ぼうっとしちゃって」


 佐和がいつものダークブラウンのエプロンを脱いだ、ラフな格好で立っていた。既視感が強くなる。


「……ちょっと思い出していて。昔、ここで変なことを聞いたなあって」

「変なこと?」

「何だっけ。えーと、この商店街は不思議な商店街だって。懐かしい自分に会えるって。何か特別な時にだけ……どんな時だったかな」

「雨上がり?」


 その話は知っている。そんなニュアンスで佐和が尋ねた。


「そうだったかな? そうだったかも。佐和さんも知ってるの?」

「知る人ぞ知るこの商店街の都市伝説だよ。誰がいつから言い出したのかはわからないけど。実際に見たって言っている人も何人かいるよ。でもちょっとわかる気がする。商店街ってなんか懐かしい気分になるから、そこら辺の店の中から昔の自分がふっと出てきそうなんだよね」


 佐和は遠くを見るようにアーケードの中を見渡してから、柚香の隣に目を落とした。


「その子が寧々ちゃん?」

「あ、そうです。寧々、ほら、こんにちわって」


 寧々は柚香の足の陰に隠れて顔だけ出す。


「……こんちは」


 目線を合わせるために佐和が膝を曲げた。


「はい。こんにちは。寧々ちゃん、柚香と仲良くしてあげてね」

「ちょっと佐和さん」


 柚香が抗議の声を上げると、佐和は微かに笑った。



 

 


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