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 ビーンズを探していたのだ。

 文化祭の出し物のバッグを作るのに、それを使ったほうが綺麗に仕上がるのではないかと思って。

 だから祖母と寧々の寝室になっている二階の和室の押入れを開けた。以前買ったものの残りを、そこにしまっていたはずだったから。

 普段はあまり開けない、鏡台に半分隠れている襖を引く。

 そこで、それを見つけてしまった。


「これって……」


 初めはどこか見覚えがあると思っただけだった。しかし記憶を探ってみるとすぐに引っ掛かった。柚香にとってそれは苦い思い出だったから。


「でも何でおばあちゃんの家にあるんだろう」


 それは元々柚香の母が、友達と旅行へ行った時に、柚香へのお土産として買ってきたぬいぐるみだった。

 それを柚香がいらないと言って怒ったものだ。

 母が亡くなる半年くらい前のことで、思い出す度に柚香は胸が痛くなる。

 柴犬をデフォルメして江戸時代の浪人のような格好をさせた、いわゆるご当地キャラ。ゆるキャラらしくちょっと間抜けな顔をしているのに、表情はなぜかニヒルという、可愛いのかどうか謎なぬいぐるみだった。


 温泉と紅葉狩りで有名な古城がある観光地へ行ってきたと母は言っていた。

 そこでちょうどこのご当地キャラの専門ショップがニューオープンしていて、数量限定で販売していたものを、せっかくだから柚香に買ってきたと、笑顔で言ったのだ。

 それに柚香は腹が立ってしまった。


 ――どうして。わたしが犬嫌いなの知ってるでしょう!


 母はその時あっ、と今気がついたという顔をした。

 それに更に腹が立ったのだ。

 柚香は何も、母親に自分のことを何でも理解していてほしいと思っていたわけじゃない。しかしその時はそれが許せなかったのだ。

 その頃の母はなぜか柚香に過保護になっていた。いや、もしかしたらあれは依存だったかもしれない。

 何でも柚香のことを知りたがっていた。学校で何をしていたか。友達がどんな子たちなのか。遊びに行く場所のことも細かく聞いてきて、遅くなれば必ず迎えに来てくれた。

 できるだけ一緒にいたがって、スーパーへの買い物は当たり前のように同行して、柚香が自分の部屋にこもることも嫌がった。

 鬱陶しく思わなかったわけではない。でも一人っ子で父親もほとんど家にいなかった柚香は、そもそも母親と二人でいることがとても多い子供だった。それがまた増えたところで、あまり苦にはならなかった。

 でもあんなに柚香のことを何でも知りたがっていたのに、友達なら誰でも知っていて、柚香へのプレゼントやお土産には絶対に選ばないように配慮してくれている犬のキャラクターグッズを、母が買ってきたことが許せなかった。

 柚香が子供の頃に野良犬に追いかけられて、とても恐い思いをしたせいで、キャラクターであろうと身につけたくないのだと知っていたはずなのに。こんなにあっさり大嫌いなものを忘れられるとは思わなかった。


 ――信じられない。こんなこと忘れるなんて。


 確かそんな言葉を投げつけた。

 怒っていただけで、傷付けてやろうなどという意図はなかった。でも母にとっては大きな打撃だったのだろう。

 今にも泣きそうなくらい悲しげな顔でぬいぐるみを見つめていた。

 母親にそんな顔をさせてしまったことに驚いて、その時柚香は部屋に逃げてしまった。自分は悪くない。心の中でそんな言い訳をして。

 だってあんな束縛親みたいなことをしていたのに、柚香のことを何でも知りたがったのに、こんな簡単なことを間違えるなら、何でそんな知りたがりだったのよ。そう思った。

 でも母は肝心なことを忘れていたのだとしても、柚香をただ喜ばせたかっただけだった。

 後に見つけた旅行写真で、そのぬいぐるみの着ぐるみと母と友人が、とても楽しそうに笑っている様子が写っていたのだ。あまり目にすることがないくらいに楽しそうな笑顔だった。

 だから本当に母はただ喜ばせたくて、うっかり忘れていただけだったのだ。

 柚香は後で謝ろうかと悩んでいたが、母が無理に普段通りの態度を取っているのを見ると、勇気が持てなくてやめてしまった。ぬいぐるみはそれ以来見ていない。


 亡くなってから思い出して後悔してしまうたくさんのことの中でも、それは上位に位置するものだった。

 柴犬浪人はそれが四年以上前に買ったとは思えないくらいに綺麗な状態で、ずっと押入れに入っていたのだろうかと首を傾げる。これがその時のぬいぐるみであることは、オープン記念数量限定と書かれた、値札とは別のタグが付いたままになっているのでわかる。

 でも以前この押入れの襖を開けた時には見なかった。それに柚香がいらないと言ったからといって、ぬいぐるみを母が祖母にあげるというのも変な話だ。

 少し気になった柚香は、ぬいぐるみを持って階段を下りた。

 夕食の支度をしている祖母の背中に声をかける。


「ねぇ、おばあちゃん」

「はい?」


 鍋をかき混ぜながら、祖母は振り向かずに返事だけした。


「このぬいぐるみどうしたの?」

「ん?」


 こちらを向いた祖母はすぐに思い出せなかったのか、じっと見つめてから眉間に皺を寄せて、火を消して近寄ってきた。


「なあに、それ?」

「何って、おばあちゃんの部屋の押入れの中に入っていたものだよ」


 困惑顔で柚香が答えると、ようやく思い出したのか、あぁと言う。


「寧々のぬいぐるみね」

「え?」


 あまりに予想外の答えに、柚香は口が開いたままになる。


「え? 寧々? これお母さんからもらったものじゃないの?」

「おばあちゃんがお母さんからぬいぐるみもらったってしょうがないでしょう」

「いや、そうだけど……。寧々?」


 柚香は後ろでテレビアニメを見ていた寧々に声をかける。

 こちらを向いた寧々は、目を見開いて大声を出した。


「あー、それだめだよぅ!」


 駆け寄って柚香の手からぬいぐるみを取り上げる。


「それ、寧々のなの?」

「ちがうよ、ママの。これはちゃんとしまっとかなくちゃいけないの」


 寧々はそう言って元の場所に戻そうというのか、階段を上り始めた。


「ママの……?」


 ますます混乱した柚香は、寧々についていく。まさかこのマイナーなご当地キャラが好きで、寧々の母親は専門ショップまで数量限定のぬいぐるみをわざわざ買いに行ったのだろうか。

 その場所は柚香が母と暮らしていた家からもほどほどに遠いが、寧々が以前暮らしていた場所からはもっと遠いはずだった。

 オープン店限定ではあるものの、ネットで買った可能性がないわけではないが、それにしてもこんなマイナーなキャラが好きなのだとしたら変わっている。

 柚香の母親のようにたまたまそこへ旅行へ行った時に、売っていたから買っただけかもしれないが、それだけで寧々がちゃんとしまっておかなくちゃいけないなんて言うだろうか。


「寧々のママがその犬さん好きなの?」

「うん、これママのだいじなの」


 ぬいぐるみを抱えながら一段ずつ上る寧々はしんどそうだが、柚香が代わりに持とうかと聞いても嫌がった。


「ママ、他にもその犬さんのグッズ持ってた? えーと、犬さんのペンとかノートとか鞄とか」


 寧々は振り返って首を傾げた。


「……ないよ?」


 自信がなさそうに否定するのではっきりとはわからないが、そのキャラのグッズをたくさん持ってたということはなさそうだった。

 ではなぜなのか。

 これ以上は考えたくないと思った。でも頭は勝手に思考する。

 腕が痛い。柚香は知らずに自分の腕を強く掴んでいた。

 こんな偶然あるだろうか。

 柚香の母親が旅行先でたまたま買ったぬいぐるみを、寧々の母親が持っているなんて。それも売っている数も期間も、限定されているものを。

 もし寧々の母親がそのキャラクターのファンならば、柚香も笑ってそんなこともあるかもしれないと言える。

 でも、そうでないなら。


「しまっておかなくちゃいけないなんて、ママはそのぬいぐるみすごく大事にしてたんだね」

「うん、ねねちゃんがあそぼうとしてもだめっておこるんだよ。だいじだからだめって」

「そう。どこで買ったんだろ。それとももらったのかな?」

「もらったんだよ! もらったからだいじなんだって」


 まるでそのことだけはしっかり覚えているとでもいうように、寧々は断言した。

 嫌な予感がどんどん大きくなることに、柚香は目眩を覚えた。




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