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プロローグ

 雨が止む瞬間を見たかったのだと思う。

 だから少女は耳を澄ましていたのだ。まるで自分の存在を主張しているかのような雨音が、小さくなっていくのを聞き逃さないために。

 夕暮れ前に降りだした雨は、普段耳にしているよりも大きな音だったが、どしゃ降りというわけでもなかった。なぜなのか、その理由がわからない彼女は不思議がった。

 音を反響させる、壁に覆われた場所にいることが原因だと知ったのは、ずっと後のことだ。

 そこは、少女の言葉を借りるならば、たくさんの店とガラスの屋根でできたトンネルだった。隙間の多いトンネルは、雨音を入り込ませ、何度も壁に打たせてから逃がしていく。

 タイルを敷き詰めた道の真ん中に立っていた少女は、何気なく首を反り返らせた。

 ガラス越しに雲間が見えた。

 宵と錯覚してしまいそうなくらい、暗い色の雲で覆われていた空に茜色がさしていた。

 ああ、止むかもしれない。

 期待に胸を膨らませた少女は、顔を正面へと戻した。

 途端に意識していなかった周囲の人の声が、よく聞こえてくる。


「じゃあ、またねー」

「うん、また今度」


 手を振りながら反対方向へ歩いていく傘を持った人たち。


「ありがとうございましたー」


 気の早い店員が店じまいの作業を中断して客を見送る。


「今帰り?」

「うん、もう帰るよ」


 顔見知りを見つけた通行人が挨拶をする。

 少女は首を巡らせて、その声のした方向を見た。

 知らない人だという予想を確認するだけの、あまり意味のない動作をしてから、近くにいるはずの人物を探す。少女がその人を見つける前に上のほうから声を掛けられた。


「どうしたの? ぼうっとして」


 振り向くと少女にとっては大人と呼べる年齢の女性が立っていた。指摘されてもまだぼんやりしていた少女は、黙って彼女の顔を眺める。

 知らない人のはずだった。

 なのにそうは思えなくて、不信感も警戒心も生まれなかった少女は、彼女の次の言葉を待つ。


「不思議なものでも見ちゃったかな。今は雨上がりだからね」

「あめ、やんだの?」


 少女は目を見開いた。


「うん。止んでるよ。ほら、夕日が見えるでしょう?」


 彼女が指差したのはトンネルの入口──ささひら商店街と書かれた看板の向こうの光景だった。少女は驚いて口を開ける。いつの間にか、清々しいほどに素早く、雨雲は空の主役を赤金色に輝く太陽へと譲り渡していた。

 信じられないという顔をする少女を見て、女性は優しく微笑んだ。


「ねぇ、知ってる? この商店街は雨上がりに、不思議なものが見えることがあるんだよ。そこにいるはずのないものが」


 がっかりしていた少女だったが、移り気な年頃である。なぞなぞのように問い掛けられて、すぐに意識がそちらへ向かってしまった。だが少し考えてみたものの、わからない。早速降参する。


「知らない。なぁにそれ?」


 女性の言い方は少女には少し難しくて、なんとなくしか理解できなかったからというのもある。しかしそれでも答えは知りたかった。


「何だと思う?」

「わかんない」


 今度は考える間もなく答えた少女に彼女は苦笑した。


「じゃあ、特別に教えてあげよう。それはね、懐かしい自分だよ」

「じぶん?」

「そう、さっき今の君より小さな君を見なかった?」


 少女は彼女に声を掛けられる前のことを思い出してみてから首を振った。


「じゃあこの商店街にいればそのうち会えるかもね。ずっと先のことになるかもしれないけど。大人になった君が今の君に会うかもしれないし、歳を取った君が若かった君に会うかもしれない」

 

 目を細めて懐かしそうに彼女は言った。

 その口振りは何だかとても楽しい出来事について語っているかのように見えて、だからだろう、少女は素直にそれを信じた。


「おねーさんは会った?」

「私? 会ったよ。とても懐かしい気持ちになった。大事なことを思い出せたような気がしたよ」

「ふぅん、よかったね?」


 ただ彼女の表情から、それがいいことなのだろうと少女は判断した。


「うん、君も会えるといいね。こんな雨上がりの、雲がどこかへ行ってしまったような空をした日に、またここへ来てごらん。きっと会えるから」

「わかった」


 少女は真面目に頷いた。

 深く考えれば、そうしたいと思えるような理由など持っていなかったのに、それが重要なことのような気がしていた。


「うん、じゃあ、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」

「え、えぇっと……あ!」


 一緒にいたはずの人を目で探した少女は、彼女のすぐ後ろに、その人を見つけた。ずっとそこ立っていたのに、という顔をして腰に手を当てている。

 笑顔で駆け寄ると、その人は仕方がないというように頬を緩ませて両手を広げてくれる。躊躇いなくその手の中へ飛び込んで甘えた。

 少女の後ろで優しい声がする。


「じゃあ、またね」


 

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