終戦翌日の航空祭
お待たせしました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。なお言うまでもありませんが、この作品の内容は全てフィクションです。
「そうか、負けか」
「誠に残念ですが」
副官が慚愧に絶えないという顔で俯く。
「まあ、元々勝ち目のない戦いだったんだ。これ以上続けても国が滅ぶだけだ。それどころか、ソ連のような火事場泥棒どもに余計な得物を差し出すだけにしかならん。本土に直接上陸されていない今位が潮時ってことだな」
私はカレンダーを見る。日めくりのそれは、今日が日本時間の8月14日であることを示していた。
大東亜戦争が始まって3年8カ月、支那事変から数えれば8年と1カ月。むしろよく今日まで我が国は戦ってきたものだ。小さな子供の中には、産まれてからずっと戦争と言う子も多い。
しかしその結果は、国土の大半を灰燼に帰しての敗北。あまりにも救いがない結末だ。
「救いがないのは我々と言う存在もか」
私は苦笑するしかなかった。私が司令を務めるこの基地は。東シナ海に浮かぶ孤島で、本土決戦の際は九州に上陸するであろう連合軍に一撃を加えることが予定されていた。
しかし、連合軍の圧倒的な海空戦力の前に、本土決戦の前の段階で主要な飛行場や基地は打撃を受け続けており、温存している貴重な戦力すらすりつぶしている有様だ。そのため、軍では各地に小規模な疎開用飛行場を作り、戦力を分散秘匿。本土決戦の際に一気に出撃させる策を練っていた。
この基地もその一つと言えるが、他の基地と大きく違う点がいくつもある。
まず一つ目は、この基地はそもそも本土決戦用に作られた基地ではないということだ。この基地はもともと、戦前に偽装の研究のために作られた基地なのだ。
戦前海軍で計画されていた、太平洋を東へ侵攻してくる米艦隊を迎撃する漸減作戦。その漸減作戦が万が一失敗、或いは米艦隊が太平洋上を迂回して、直接小笠原方面から帝都を攻撃する場合、或いはマーシャル方面の島々を堅実に占領しながら東進する場合。そうした事態に対して、味方艦隊の進出までの時間稼ぎを目的とした攻撃を行うには、島々に奇襲遊撃が可能な航空ならびに高速潜水艦による迎撃部隊を置くことが有効と考えられた。
そのため、小さな島嶼に基地を置く計画が出るとともに、その基地を如何に敵に発見されないようにするかという研究が始まった。
この島はその研究の舞台となった島だ。大きさや地形が手頃であり、住民が少なかったことと、他の有人島や本土からの距離が程よかったことが決め手になった。
まず海軍が島を買収して住民を退去させた。続いて、飛行場、砲台、小型潜水艦基地の建設が始まった。
この工事がミソであった。というのも、ただ単に飛行場や砲台や小型潜水艦基地を建設したのではなかった。これらは建設時に、将来の基地建設時の擬装研究に使われたのだ。具体的には、空中、海上から一目では基地と判明しない程度の擬装が施された。いや、厳密にはそのための研究が繰り返された。
そうして大東亜戦争開戦までに、満足いく成果も出せて、研究は成功と言うこととなったのが、はっきり言ってその研究結果は上層部からまるっきり評価されなかった。
原因は開戦直後の日本の連戦連勝。攻めて攻めて攻めまくっている時期に、守りの手段である擬装など、全く必要でなかった。加えて、空中と海上からわからないほどに精巧な偽装を行うというのは、つまりはそれだけ人員とコストが掛かるということを意味する。
実験を何年もかけて、一つの基地だけに行うならともかくとして、幾つもの基地に同様の擬装を行おうものなら、相当な予算が必要となる。
結局、この基地で得られた様々な研究結果はほとんど活かされなかった。しかも、それが戦争に勝ってる内、攻勢の段階だけだったら、我々も少しは救いを感じたかもしれない。
ところが、戦争後半。我が軍は守勢に立たされた。ソロモン諸島、中部太平洋。戦争は島を取り合う戦いとなった。となれば、この島での研究結果を活かせる・・・と言う話にならなかった。というのも、米軍の侵攻が急すぎて、いずれの基地でも擬装などを行う余裕も資材もなかったからだ。
オマケときて、どうも上層部では擬装に対しての関心が低かったらしく、この基地の研究結果が広く周知された形跡が全くなかった。ようやく、本土決戦目の前になって南西諸島や小笠原諸島の基地建設、本土近海の基地建設の際に活かそうとしたようだが、はっきり言って手遅れもいいところだった。
結局のところ、この基地で得られた擬装の研究結果は、この基地でしか用いられることはなく、しかも皮肉なことにこの基地を最後の最後まで連合軍の目から守り通し、その効果を実証した。
(私も最初見た時は、基地があるなんて信じられなかったからな)
私は船でこの島に赴任したが、擬装桟橋に着くまで、この島に飛行場や小型潜航艇基地、さらには砲台をも含んだ一大基地があることに全く気付けなかった。それ程までに、この島の擬装は完璧だった。
さらにその擬装は戦争中に深化し、退去させた島民に代わって基地所属将兵の家族が呼び寄せられ、あたかも本物の島民の如く、日常生活を送るように指示された。
そのため、島には今も家があり学校があり、漁港があり、そして郵便局があるように見える。と言うより、それらはほぼ全てが住んでいる住民が我々軍人の家族である点を除けば、普通の一般市民のように暮らしている。もちろん機密保持の観点から島の外との交流を一切絶っているのだが。
私の妻と子供たちも、この島に呼び寄せた。
いざ本土決戦となれば、家族もろとも果てる覚悟であった。だが、結局のところ本土決戦前に戦争が終わったので、それは杞憂となってしまった。
(で、戦争が終わったとなればどうするか・・・)
この島は結局のところ今日にいたるまで、一度たりとも米軍の空襲も、潜水艦による襲撃も受けていない。逆に本土決戦に備えて、多くとまではいかないまでも、比較的恵まれた戦力を有していた。
島内の秘密飛行場には各種合計30機余りの機体があり、もちろん完全な整備がなされている。特殊潜航艇と魚雷艇も4隻ずつあって、もちろん整備も補給も充分で稼働状態だ。乗員も訓練を十分に積んである。他に砲台に射塁(地上発射型の魚雷発射管)もある。
戦前から存在し、なおかつ敵の襲撃も受けてこなかったこの島は、備蓄物資も潤沢に残されていた。弾薬についても、本土決戦まで戦力を温存し、一切の戦闘が厳禁にされていたため、全く消耗していない。
(これを敵にそのまま引き渡すのは癪だな)
ポツダム宣言受諾である以上、軍は解体されるはずだ。そうなると、軍が保有する武装やその他一切は接収され破棄されるはずだ。
負けた以上、そうした事態を甘受するのはやむを得ない。とは頭の中でわかっていても、やはり昨日の敵に心血を注いで守り、必殺の一撃を加える筈だった武器や弾薬をむざむざ引き渡すのも癪だった。
(それにこの基地のことは敵味方にほとんど知られていないしな・・・)
この基地の存在は敵どころか味方にもほとんど知らされていない。機密保持の観点から、知っているのは九州方面の各司令部の司令長官クラスだけだ。
(と言うことは、闇に葬ることも可能か・・・)
なかったことにしてしまえば、敵も接収することは出来まい。
(それに、せっかく貯めこんだ物資をみすみす敵に渡すのも惜しい)
「副官」
「はい?」
「すまないが・・・」
俺は思いついたプランを副官に説明する。
「どうかな?」
「いいですね。やりましょう。このまま敵にむざむざ渡すよりは面白いです」
「うむ。でだ。君には貧乏くじを引かせることとなるが、すぐに九州に飛んでくれ。第五航空艦隊と第六航空軍司令部に至急だ」
「了解です」
私は副官にそちらの方を頼むと、続いて各部隊の先任者に呼集を掛けた。
「・・・と言う訳で、残念ながら大日本帝国の降伏は確実となった。陛下の御聖断があらせられた以上、我々は矛を収めねばならない。しかしながら、今日まで臥薪嘗胆の想いで維持してきたこの基地を敵の手にむざむざ渡す気はない。そこで今言った通りに、最後の華を咲かせた後、この基地はその存在を消し去ろうと思うが、どうだろうか?」
「いいですね!」
「やりましょう!」
「アメ公にやるくらいだったら、最後にパーッとやりましょう!」
幸いなことに、反対の意見はほとんど出なかった。もっとも全くではなかったが。
「そんなことして大丈夫でしょうか?戦争終了後司令のお立場を悪くしませんか?」
「大丈夫大丈夫。まあ、もし戦争犯罪人にでもされたら、その時はその時だ。それよりも、俺は帝国海軍軍人として最後に自分やお前たち、今日まで苦労をともにした家族のために動きたい」
「わかりました。そこまで司令がおっしゃるのであれば、ついていきます」
よし、これで基地内の意志は一つに出来た。
こうして、我々はその準備に掛かった。いつも以上に念には念を入れて装備を整備して置き、また段取りの打ち合わせもやはり念入りに行った。
そして翌日、8月15日の正午。我々は一同基地内の滑走路に集合し、陛下自らお言葉、玉音放送を平身低頭で聴取した。心構えは出来ていたとはいえ、やはり胸に去来する物は大きかった。
我々でもこれなのだから、何も知らされていない民間人たちはどう思うか。
「司令官。先ほどの陛下の放送は事実なのですか?」
「日本が戦争に負けたというのは本当なんですか!?」
基地を出て村に行くと、待っていた村人たちが一斉に詰め寄ってきた。
玉音放送自体は陛下が直接声を吹き込まれたものであるが、何分わかりずらい単語を使っていた。その後に別途補足の放送があったはずだが、それでもこの慌てようである。軍人の家族であるのだが、もう少し冷静に・・・いや、軍人の家族だからこそ信じられないのかもしれない。
「それについて、これからお話しします」
とりあえず、私は民間人の代表者を集会所に集めて向き合った。建物の周囲をグルッと村人たちが囲んで、私の言葉を固唾を飲んで待っている。つらいことであるが、言わなくてはならない。
日本の無条件降伏。やはりこれは大きな衝撃であったようだ。皆一様に項垂れ、泣き出す者もいた。
「おそらくこの基地も敵の接収の対象になるでしょう。しかしながら、私はこの基地をみすみす敵に引き渡す気などありません」
「では、どうするのですか?」
「幸いこの島の存在を知る者は、軍関係者でもわずかです。そこで、昨日軍使を出してこの基地の記録の抹消や口外無用を関係者に依頼いたしました。これで、この基地が接収される可能性は低くなります」
「じゃあ、我々は島を引き払うということですか?」
「そう言うことになります。もちろん、当面必要な資金や糧食などは備蓄分から提供いたしますので、御安心ください。我々軍が不甲斐ないばかりに皆様には本当に御迷惑をお掛けします。まことに申し訳ない」
私は民間人たちに頭を下げた。ポーズではない。本当に心の底からだ。
「司令官さん、頭を上げてください。司令官が我々のために気を遣っていただいたことは、島民の誰もがわかっていることです」
「そうです。司令官さんのせいじゃないですよ」
「ありがとうございます。それで、我々軍から島民の皆様に、最後に気持ちばかりのお礼と言うことで、明日祭を行いたいと思います」
「祭ですか?」
「不謹慎と思われるかもしれませんが、ポツダム宣言通りに行けば、いずれ軍は解体されて海軍も陸軍もなくなるでしょう。だからその前に、私としては我が軍が揃えた武器などを使い、少しでも島民の皆さんに楽しんでいただき、今後の糧にしていただきたいと思っています」
「そんなことして大丈夫ですか?」
「責任は私が取ります」
こうして、この島で最初で最後の市民向けの公開行事を我々は行うこととなった。
パイロットたちは整備兵と共に機体の整備を万全にし、潜航艇や魚雷艇の乗員たちも艇に民間人が乗り込みやすいように、手製の足場などを作る。また主計兵たちは備蓄された食材の一部を使用して、腕によりをかけて料理を作る。
「皆楽しそうだな」
「そりゃこんな催しなんて何年もやってませんから」
「戦争に負けたのは残念ですが。日頃の訓練の成果や自分たちの仕事を島民たちに見せられることを、自分は嬉しく思います」
敗戦に意気消沈しないかと思ったが、皆最後の見せ場にやる気充分だな。
こうして夜通しで準備が進められ、翌昭和20年8月16日、この島で最初で最後となる民間人向けの軍施設公開の催しが開催された。
昨日までと同じく、夏の暑さ厳しいのに変わりはないが、やはりどこか違う空気を纏った気分がした。
戦時下、いつ敵が来てもおかしくないピリピリとした空気がなくなり、明日への不安や安堵、惜別。そんな感情が複雑に入り混じったような。そんな空気だ。
とは言え、時間は進んでいく。時計が朝の9時を指した所で、私は部下たちに命じた。
「さあ諸君。始めようじゃないか」
「「「了解!」」」
最初で最後のお祭が始まった。昨日まで民間人に堅く閉ざされていた基地内部へと通じる入り口が次々と解放された。
「さあどうぞ、お入りください」
「内部は狭いです!危険物を貯蔵している個所もあるので、兵士の誘導に絶対に従ってください!」
警備役の兵隊が額に汗を浮かべながら叫んでいる。とは言え、この島の民間人は基地要員の関係者だ。皆軍人の親族として、やることはしっかりとわかっているようだった。
もちろん、小さな子供などは何が起きるかわからないので、油断もできないが。
にしても、まさかこの基地の通路を子供が走り回る日が来るとは思わなかった。
「スゲエ!」
「本物の秘密基地だ!」
隠蔽された飛行場にやって来た子供たちが目を輝かせている。実際外からは、わからないように徹底的に擬装してあるし、中から見ると洞窟の中に半分以上の滑走路や格納庫があるから、本当に秘密基地だ。
「これって新型機!?」
子供たちはさらに並べられている機体に集まる。
「我が海軍最新の戦闘機「紫電改」だぞ。今日はコクピットに乗せてやるぞ」
「本当に!?」
「やった!」
「坊主に嬢ちゃん。「紫電改」もいいが、零戦も見てかないか?こいつは開戦以来の主力機だぞ」
「攻撃機だって負けてないぞ。この「流星」は戦闘機並みのスピードが出る帝国海軍の秘密兵器だ!」
傍らに並ぶパイロットたちが、自分たちの機体の自慢をしている。昨日までは軍機扱いで民間人を近づけることさえ考えられなかったというのに、今日はコクピットにまで乗せている。
これでいい。どうせ最初で最後の晴れ舞台だ。
飛行場だけではない。砲台や潜航艇基地、そして電探基地に至るまで、今日は民間人に開放している。
俺たちは負けた。連合軍の質量ともに優れた軍備の前に完敗した。それは否定しようがない事実であり、日本を今日の亡国に追い込んでしまった責任もある。
それでも、昨日まで戦い続けた大日本帝国海軍は世界でも一流の軍隊である。その証はしっかりと残しておきたい。例えこの島の住民たちだけだったとしても。
「ねえねえ、兵隊さん!」
「何だ坊主?」
「この飛行機飛べないの?」
一人の少年がパイロットを見上げながらそんなことを聞いてきた。
「いや、飛べるぞ」
「だったら飛ばしてよ!」
すると子供たちが騒ぎ始めた。
「そうだよそうだよ!」
「飛ぶとこみたいよ!」
確かに、滑走路の場所を秘匿するために、飛行訓練時は住民たちに屋内待機として、飛行機飛ばすところ見せてないからな。子供たちが見たくなる気持ちもわかる。
「司令・・・」
パイロットたちが私の顔を窺う。う~ん。これは問題だ。正直言えば私だって彼らに思う存分飛行させてやりたい。民間人の皆様にもその雄姿をお見せしたい。燃料もあるし、整備だってしっかりとしてある。
しかしながら、戦争が終わったとはいえどこに米軍の目があるかわからない。不用意に飛行させてこの基地が発見されるようなことがあれば、計画そのものが水泡に帰してしまう。
(しかし・・・)
子供たちのキラキラした目、それにパイロットたちの「頼んます司令!」と口にはしないが顔で訴えているその言葉に、私は抗う術を持たなかった。
「いいだろう。飛行を許可する。ただし、電探で島の周囲に米軍の反応がないこと。ならびに島の上空から離れた空行くには絶対に移動しないこと。これが条件だ」
私がそう口にした瞬間、ワーっと歓声が上がった。
「電探より、島の周囲50海里内に機影、艦影認められず!」
「各監視哨より敵発見の報告なし!」
「水中聴音機に反応なし!」
島の周囲の空中、水上、海中にいずれも接敵なしの報告が入る。
「司令!」
「うむ」
私はただ一言口にして頷いた。これだけすれば、後は部下たちが勝手にやってくれる。
「コンターック!」
既に始動準備を終えていた零戦と「紫電改」が1機ずつ、発動機を始動する。本当はもっと多くの機体を出してやりたいところだが、目立つ行為は出来るだけ避けたい。そのため、2機だけの出動となった。
「司令、我々も行きましょう」
「ああ」
副官と共に、我々は地下飛行場から外に出る。そしてそのまま、島の高台へと歩みを進める。
「おお。こりゃ本当にお祭だな」
そこには既に多くの島民たちが集まり、今か今かとその時を待っていた。
その直後、遠くから爆音が聞こえてきた。おそらく2機が発進したのだろう。それを裏付けるように、海面に近い低高度を飛行する2機の機影が見えた。2機は一端島から離れるように飛んで行ったが、間もなく上昇を開始して島の上空に戻ってきた。
「「「おお!」」」
島民たちが大空を舞う海鷲の姿に歓声を上げる。今日の今日まで拝むことが叶わなかったその雄姿。たった2機であるが、それでも彼らの目には新鮮かつ勇壮に映ったことだろう。
2機は急上昇、急旋回、編隊旋回に宙返りと言った特殊飛行を島民たちに披露する。その姿を島民たちも首を持ち上げて、眺めている。
つい昨日まで、この空は敵に掌握されて、島民たちはいつ来るかわからない敵機の姿に、不安げに上空を見ていたものだ。
しかし今日は違う。堂々と胴体と翼に日の丸を描いた2機の荒鷲たちの姿に見入っている。
誰もが目を輝かせる姿に、私は感無量であった。
とはいえ、あまり長く飛行させていては被発見率を高めるだけなので、飛行はわずか30分ほどで終了し、2機の戦闘機は飛行場に帰投した。
本当に短い飛行であったが、見ていた誰もが満足気な表情を浮かべていた。
これでいい。確かに戦争には負けた。海軍もいずれ消滅する。守るべき国も国民も守り切れなかった。それでも、大日本帝国海軍は優秀な軍隊だった。その事実だけは、絶対に消えない。私はじめこの島の将兵の誰もが、そしてその姿を見ていた島民の誰もが深くそのことを心に刻んだのだから。
実機による飛行は短時間で終わったが、基地における公開は砲台や潜航艇などとともに終日行われた。もちろん、盛況を博したことは言うまでもない。
ただ一番人気だったのは、食堂で出したカレーライスのようであったが。
こうして、この島最初で最後の基地祭は大成功で終わった。
そして予定通り、私は隊員と島民たちに備蓄されていた物資や資金を分配し、復員を命じた。彼らがどこまで秘密を守るかはわからない。それでも、私は彼らが見せたあの目を信じることにした。
その結果がどうなるかは、これらかの歴史が証明してくれるだろう。
「結果的に約束は守られたわけなんですね。戦後70年以上も」
「その通り。父が信じたとおり、隊員たちも島民たちも、誰一人この島のことは喋らなかった。この島の存在は、この島で時間を共に過ごした人間の心の中だけにとどめられたのです」
「そのおかげで、旧海軍の基地が丸々一つ、今日にいたるまで保たれたわけですな」
「そのとおり。まあ、父をはじめとする一部の人間は、何度かこの島に渡って基地内部の飛行機とかを整備していたようですね。父はそのために、戦後会社を興して島を買い取ったのですから」
「あなたとしては、御父上の決断をどう思われますか?」
「そうですね。一部の人からは軍国主義を温存したとか、国家の財産を無断で流用したとか、まあ散々な言われ様です。でも私としては父の決断を責める気にはなれません。何せ私自身あの終戦翌日の航空祭を、目を輝かせて楽しんだ一人なんですから」
そう笑う老人の前には、机に置かれた様々な資料。多くは最近その存在が公になり、世界を驚かせた日本海軍の秘密基地発見に関する新聞や雑誌の数々だが、一番上に乗っているのは古ぼけた白黒写真。老人がまだ少年だった夏の日、戦闘機の操縦席に座って今日と同じ満面の笑みを浮かべている一枚だった。
御意見・御感想お待ちしています。
なお秘密基地のモデルは、作者がこれまでに読んだ様々な作品に登場した秘密基地などのイメージをごちゃ混ぜにした感じで、特に特定のものはありません。