仇花
先に進めど日付は進まない……
闘祭の合間の休憩時間。
全く目立たない闘技場内部の端の方で、なにやら物騒な会話が為されていた。
「首尾はどうだ……」
「万事抜かりありません」
白髪眼帯の男に跪く、都の民に扮装した他国の間者。
他国にとって、都とは密偵の入りやすい国でしかなかった。
「しかし、呑気なものですね。我々との戦争を控えておきながら、この様な茶番を開催するとは」
「それだけ余裕があるという事だろう。あまり油断はするな、我々の目的は都の戦力の調査だ。ここで時間を消費し続けるのは愚策、方々に散った密偵達もそろそろ終える頃だ。合流し次第、国へ引き上げるぞ」
「御意に。しかし、化物揃いですね、刻印を使わずともあれだけの技を使えるというのは」
「問題なかろう」
白髪眼帯の男は腰の刀を鳴らし、側にいた蝿を切り落とす。剣が抜けるところは見えず、ただ納刀の音だけが響いた。
トーリャが使っていた技とよく似ているそれは、彼女の技術と互角かそれ以上の練度を感じさせている。
「所詮個人の〝技〟だ。〝太古の技術〟に勝てる道理がない」
その刀には、刻印特有の鍵穴の様な紋様が刻まれていた。
二人は口角を上げ、勝利を確信したかの様な笑みを浮かべる。
「ここに留まり続けるのもそろそろ怪しまれる頃か……場所を変えるぞ。我々が見つかっては元も子もない」
「ええ、既に勘付かれているのか、隠密らしき者達を何人か目撃しております」
「よし、ほかの密偵と合流したのち、国へ帰投する。集合場所に変わりはない。各員に通達せよ」
「はっ」
人影かスッと消え、白髪眼帯の男は、再び控えめに笑った。
「この戦……勝たねばならん。我々の、未来の為に」
この会話の尽くが盗聴されているとも知らずに。
◇
「対象、散開確認。一人は闘技場を出て仲間と合流する模様、もう一人も移動するかと」
遠くで様子を見ていた隠密が、小声で報告する。
「半数で追跡して下さい。集合場所を特定し、一気呵成に叩きます」
報告を聞いたシャルは、別の場所から伝令役の隠密に指示を出し、耳による偵察に専念する。
隠密は一斉に動き出し、屋根の上や狭い路地裏を進んで追跡する。
シャルの諜報網は半径一キロ。常に隠密をその網の中に入れて立ち回り、些細な言葉も見逃さない様にと神経を注いでいた。
「我が君に、間接的にでも牙を向けた報い、必ず受けさせます」
「何か……?」
「いえ、独り言です」
追従する伝令役の隠密と話しつつ、集中していると、隠密達の動きに変化が訪れた。
「隠密達の散開を確認しました。恐らく、敵の仲間を発見した模様。念の為、ここから半数を援護に回してください」
「了解です。散れッ! ……なかなか順調ですね」
隠密達が散ったことを確認した伝令役は、少し表情を柔らかくしてシャルに賛辞の言葉を送る。
シャルは一瞬だけ視線を流し、すぐに集中する。
「我が君の命令は、確実に完遂しなければなりませんから。それと、協力してくれてありがとうございます」
伝令役は少し驚いたような顔をして、さらに表情を柔らかくした。
「いえ、こちらもレイミーさんの指示なので。あの人、任務に失敗すると鬼の様にキレるんですよ」
周りの隠密達も、賛同し、話に乗っかる。
曰く、鬼の子である。
曰く、あの尻尾は家屋すら粉砕する膂力を持つ。
曰く、殺しても死なない最も厄介な取り立て屋。
最早慕われているのかどうかすら不明な、罵詈雑言……というか愚痴の数々。
本来なら耳障りなのだろうが、シャルの耳は難なく聞き分ける事ができるので、相槌を打ちながら話させる。
シャルは気付いているのだ。隠密達は少し緊張していたことに。
緊張の原因はハッキリしないが、どの道空回りさせるよりかはここで発散させる方がいいだろうと判断し、軽口を交わし合う。
「――ッ! 散開ッ!」
焦燥に満ちたシャルの声に、隠密達が身体を硬直させた。
刹那、屋根伝いに移動していた隠密を、地上からの剣閃が襲った。
「まさか、尾行に気付かなかった……? いえ、あの刀……十中八九〝刻印〟」
シャルは伝令役に、隠密の務めを果たして下さい。とだけ言い、地上の男と相対する。
周囲の人は蜘蛛の子を散らすように逃げ、あっという間に二人の空間が出来上がった。
「隠密か……チッ、道理で簡単に潜入出来た訳だ。最初から見られていたということか」
「ええ、全ては我が君の策謀。しかし性能の良さそうな〝刻印〟ですね」
「無駄話はここまでだ。隠密が仲間を呼んで戻って来ないとも限らない。なるべく早く眠ってもらおう」
「我が君以外の殿方に、寝顔を晒す気は毛頭ありませんッ!」
シャルが肉薄し、大上段の蹴りを放つ。
「ぬッ!」
鞘に収めたままの刀でそれを防御し、膂力だけで押し返す。
男は見たはずだ。シャルの太腿に記された、兵器の証を。
「成る程、ただの人間ではないと思ったが、貴様自体が〝刻印〟という訳か」
「答える必要はありませんね。一応、名乗っておきましょう、私はシャル。良ければ名前を聞かせていただけますか? 男、では締まらないので」
「どういう意味だ……? まあいい、俺はクルドルム。時間がかかるのも面倒だ、無駄な足掻きはよしておけ、さすれば一撃で沈めてやる」
「ふっ」
シャルは鼻で笑い、先の攻防の際に拾った石を投げる。
人外の膂力で放たれた投石を、体を捻るだけで躱したクルドルムは離れた位置から抜刀する。
その抜刀は風の刃の様になり、周囲の物を巻き込みながらシャルの首へと迫る。
倒れ込むようにして躱したシャルに、風の刃を隠れ蓑にして接近していたクルドルムが大上段から刀を斬り下ろした。
「……ッ!」
辛うじてその場から飛び上がって回避した、シャルの服の切れ端が宙を舞う。
石畳の床にはただ一文字の斬撃痕が残り、その周囲には小さなひび一つ入っていなかった。
一瞬、その斬撃痕に目を奪われたシャルは、異変に気付いた。
クルドルムの姿はそこに無く、静けさと、人では感じ取れないレベルの極小の気配。
「これが、あの〝刻印〟の能力ですか」
姿を消し、発せられる音や匂いの痕跡すらも消すことのできる刀。
「私の記憶が正しければ、〝霧散霧消イグジスレーシェン〟自分の存在を無かった事にすることすら可能な、暗殺専用の刀の刻印」
ほんの僅かに気配が漏れているのは、まだ使いこなせていない証拠か、もしくはわざと尻尾を出して誘っているかのどちらかだ。
どちらにせよ、真正面から近づくのは得策ではないと判断したシャルは、ふわりとまるで重力を感じさせないステップを踏んだ。
「奥の手が無くとも、これくらいは対処して見せましょう」
奥の手の使用は、ハルの言葉が必要であり、そもそも主に負担を強いる戦い方は、シャルの望むところではない。
故に、シャルは踊った。
まるで隙だらけの舞踊。
はたから見れば戦闘中にトチ狂った狂人。
だが、シャルは本気だった。
「廻る、世界の理よ」
踊りながらシャルは口ずさんだ。
「廻す、世界の理を」
本能的に何かやばいと判断したのか、何も無い空間から風の刃が放たれる。
シャルは踊りを辞めず、寧ろその攻撃さえ利用し、華麗に踊る。
「我が御名において」
突然現れる横殴りの殺気。
だが、それすらもヒラリと躱し、シャルの舞踊は続く。
「我が主の御名において」
荒い息遣いさえ聞こえてくる。
クルドルムは存在を消した自分が、冷や汗をかいていることに気付く。
「世界よ、〝定着〟せよ」
ズンと、大地が胎動したかのような衝撃に、クルドルムの存在が浮き彫りになる。
カムナギ作品番外個体、自動人形シャル。
別名は、〝権能障害シャウラルティア〟
奉仕用として生み出された彼女だが、その別兵器として、特に対刻印用兵器として、刻印の機能を一部封じることの出来る機能を有している。
〝舞踊〟と〝詠唱〟が必要な理由としては、単純に日常生活で暴発しないための措置であり、体内から特殊な粉末を放出するためのトリガーとなっている。
この粉末は数分間は宙を舞うが、外気に触れるに連れ空気中の元素と化合し、やがて地に落ちる。
だが刻印に使われるオルコンの効果を軽減する効果を持ち、対刻印用兵器としてうってつけのものである。
「これは……刻印の効果が……」
だが、刻印の能力が切れただけで、よく切れる刀として優秀すぎる代物であることには違いない。
クルドルムが再度斬りかかる。
シャルは少し脚を開いて半身になり、放ったのは言葉だった。
「姿が見えた時点で、貴方の負けです」
刹那、クルドルムに殺到する矢の嵐。
シャルの遥か背後から放たれているそれは、彼女にはカスリもせず、的確にクルドルムを穿つ。
突然のことに体を硬直させたクルドルムは、膝と肩に一本ずつ矢を生やしたが、流石というべきか、最小限の動きで躱し弾き落としていった。
「ぐぅ……! 先程の予感は、これだったか」
クルドルムはその奇襲を察知していた。
どこからかは分からなかった挙句、シャルの特異な技に、予感がシャルのものであると勘違いしてしまったが故に、もはや肉眼では視認することすら難しい場所からの狙撃に、反応が一歩遅れた。
最初から、クルドルムについてきていたルアンに気付けなかったのだ。
矢の嵐が途切れたところで、シャルが追撃をかける。
攻撃は、鈍い痛みが残るように掌底で。
「グフッ……!」
もろに入った掌底は、内臓まで響き、臓器にダメージを与えていく。
メキメキと生々しい音を立て、クルドルムの目が見開く。
「ッ! しまっ……!」
最後の力で、腕を振り上げたクルドルムの手に握られていた、手の平サイズの球体。
ヒラリと浮かぶ一本の糸には、火が灯っており、火は徐々に球体へ。
ボフン、という音を立て、辺り一面に煙幕が広がる。
「警戒し過ぎました。まさか煙幕とは……」
既にシャルの射程範囲外に逃げ、刻印を起動したクルドルムを追うのは、シャルの耳を持ってしても不可能だろう。
「シャルさん、大丈夫ですか?」
「ええ、逃してしまったのは痛いですが」
ルアンと合流したシャルは伝令役を呼び、現状を報告させる。
隠密達は未だ尾行中らしいが、主犯格を逃した以上、最早集合場所には来ないだろうと予測し、密偵達を捕縛するよう指示を出す。
しばらくすると、各地から捕縛完了の声が上がる。
事後処理はエリエラから支持を受けていたらしい私兵に任せ、シャル達は闘技場へ戻った。
◇
「ぐ、ぬぅぅぅ……」
都の門を通り抜けてすぐの丘の上に、腹を抑えて呻き声をあげる男がいた。
「次は、負けん……この借りは、天上人共に支払わせてやる……っ!」
やがて痛みに慣れてきたのか、乱していた呼吸も徐々に戻っていく。
ここは何か問題が起きた時用の集合場所であり、即日撤退できる様に早馬も揃えてある。
その馬が、僅に声を上げ、その先時が止まったかの様に、何の音もしなかった。
万全の状態であるならば、すぐに刀を振るっていただろうが、今のクルドルムにはそんな力は残されていなかった。
異変を察知し、刀を握った時には、既に首と胴が別々のパーツとして断たれた後だった。
「逃げられると思ったカ? 帝に仇なす逆賊の分際デ」
「あー! 狡い! うちだってやりたかったのに!」
クルドルムは、首と胴が離れたことに気づくまで時間を要したが、その刹那の時の中で、声の主に気付き、瞠目した。
「アビス……それに、あの女は……」
「あれ、生きとるのけ?」
振り下ろされる小さい足の光景を最後に、クルドルムは死んだ。
緑一色の美しい丘の上に、命の証ともいうべき、夥しい量の赤い液体が地に広がり、美しき仇花を咲かせた。
そして屍となったそれは、以後帝に仇なした逆賊として語られるのであろう。
「んー、あの人、うちのこと知っとったみたいやなぁ」
「それはこちらの不手際でス。以後この様な事は無いようニ……」
「別に良いんよ、害はなくなった訳やし、うちは宮殿に帰るけ、アビスはんはどうするん?」
「闘技場に戻り、次の試合を待ちまス。どうしても、真価を見てみたい者がおりますゆエ」
「そうけ」
少女はその場から霞の如く消え失せ、その場にはアビスだけが残った。
クルドルムが持っていた刻印を持ち、腰に収める。
「これでまた一本回収……残る〝刀型の刻印〟はあと三本カ……」
武蔵坊弁慶の如く刀を求めるアビスは、遠い目で虚空を見る。
しばらく過去に思いを馳せた彼は、一度だけ形だけの黙祷を行い、闘技場へと戻っていくのであった。
投稿を最近忘れがちです。
何か良い案は無いものか……