欲しいものと、必要なもの
「いやあ。急なお願いで悪かったねえ、ヨルちゃん。助かるわ」
「いえ。それより、スミレさんは大丈夫なんですか?」
「どうだろうねえ。本人は一日休めば平気だとか言ってたけど」
「スミちゃん、前から腰が痛いって、時々言ってたもんねぇ」
メリィ・ウィドウの街に三つある食事処のうちの一つ、ハバキ食堂。
まだ陽の登りきらぬ時分の店内で、ヨルが開店の準備を手伝っていた。
昨日の営業後、店主のスミレ・ハバキが、所謂ぎっくり腰で倒れたのだ。
今日は本来別の要件を請け負っていたヨルだったが、そちらを午後の予定に回してもらい、急遽ハバキ食堂を手伝うことになったのである。
「カヤノさん。こっち終わりました」
「あいよ。じゃあ……」
「あれ? 今日はヨーコさんが食材担当なんですか?」
卓の準備を終えたヨルが厨房に顔を出し、包丁を握るヨーコを意外そうに見る。
「そうよぉ。私だってやればできるんだからぁ」
その横で味噌汁の味を見ていたカヤノが目を細めた。
「何言ってんだい。あんた、ヒカリちゃんが作ったクラフティ食べて、いよいよ女としての危機感を覚えたんだろう」
「ちょ、カヤちゃあん!?」
「あ、はは……」
苦笑するヨルに、ヨーコが赤面した。
「ち、違うのよ、ヨルちゃん。そうじゃなくてね……」
「あ、ヨーコさん。包丁危な――」
「痛っ」
「ああああ……」
ヨーコの指先から、赤い雫が滴る。
「あ、あらぁ~」
「あらー、じゃないよ。全く。ほら、どいたどいた。まな板に血ぃ零したら承知しないよ!」
「か、カヤちゃぁん。私の心配はぁ?」
「ヨーコさん。取り合えず、傷口洗ってください。薬箱取ってきますから」
「うう。ヨルちゃんが優しいわぁ」
「ヨーコ!!」
しかし。
「あの、消毒が見当たらないんですけど……」
甕から汲んだ水で指を洗うヨーコと、それに構わずてきぱきと食材の下準備を続けるカヤノに、棚を漁るヨルから声がかけられた。
「おや、切らしちまってたか」
「あ、大丈夫よぉ。聖水があるから。確か、左の棚に……」
「……空ですね」
「あら~?」
ヨルが呆れた顔で厨房に戻る。
「最近、街の人たちみんなして、聖水無駄遣いし過ぎじゃないです?」
二人の女性がバツが悪そうに頬をかいた。
「いやぁ、だって。ねえ?」
「ちょっと少なくなるとヒカリがすぐ補充してくれるもんだから、つい……」
「はあ。まあ、ないものはしょうがないです。ヨーコさん、ちょっと失礼しますよ」
そう言って、ヨルはヨーコの手を取り、血を滲ませる指先に口をつけた。
「ひゃん」
ヨーコの肩が小さく揺れる。
ヨルの瞳が一瞬赤く濁り、唇を離すと同時に元に戻った。
指先の傷口は、塞がっていた。
その傷跡に、ヨルが手早く晒を巻く。
「何だ、それで済むなら最初からそうしておくれよ」
カヤノの言いにヨルが苦笑した。
「駄目ですよ。ちょっと加減間違えたら、俺の魔力が感染っちゃいますから」
「私は別に構わないけどぉ」
「駄目です。ほら、ヨーコさん。仕事仕事」
「はあい」
その後は三人とも、黙々といつも通りの仕事に従事し、無事その日の開店を迎えることとなったのだった。
……。
…………。
そして、昼前。
ハバキ食堂の手伝いを終えたヨルは、消毒用の薬草を求めに、街の大通りへと足を運んでいた。
「……え。在庫切れですか?」
「そうなのよ。ごめんねぇ」
青果から薬種の仕入れまでを担う魔族の女性が、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
ヨルは困るよりも先に意外そうな声で問うた。
「珍しいですね、セルカさんが仕入れの量読み間違うなんて。そんな、誰か怪我するようなことありましたっけ?」
セルカと呼ばれた魔族の女性は、頬に手を当て、首を傾げる。
「それがねぇ。最近みんな、ちょっと怪我したくらいなら聖水振り掛けて済ましちゃうから、消毒の薬草なんか使わないのよ。秋辺りには大分在庫余らしちゃってね。要らないなら別にいいか、と思って、私もあんまり仕入れてないの」
「それじゃ聖水が足りなくなるでしょう」
「みんな、ヒカリちゃんがタダで配ってくれるのに慣れちゃって、浪費癖がついちゃってるのよね」
「あいつ……。俺には寄越すの渋る癖に……」
「そうなの?」
きょとんとした顔のセルカに、ヨルは眉間に皺を寄せて答えた。
「最初の頃は寧ろ、こんなに要らねぇよ、ってくらい寄越して来たんですけどね。何でか最近ケチくさくって」
「あらあら」
「こないだの満月の日も、血ぃ貰いに行くから、って言ってんのに中々作ってくんなくて……」
「あ、あ~、成る程ねぇ」
「はい?」
何かを察したらしいセルカは、くつくつと忍び笑いを漏らした。
ヨルが怪訝そうにそれを見る。
「ねえヨル君。聖騎士からは、血は吸えないの?」
「ええ? 無理ですよ。俺が死んじゃいますって」
「どうしても?」
「うぅん……。どうしても、ってんなら、限界ギリギリまで聖気を使わせてからなら、大丈夫かもしれませんけど。どのみちそれじゃ、血を吸う意味がないですよ。俺は別に血が飲みたいんじゃなくて、魔力が欲しいだけなんですから。ていうか、なんでそんなことを?」
「うふふ。いいの。兎に角、絶対無理じゃあないってことね」
「?? ああ、それより、次の仕入れはいつです?」
急にニコニコとし出したセルカを不審に思いつつ尋ねたヨルだったが、3週間後まで定期便は来ないのだと言う。
「はあ。仕方ない。何かあっても困るし、自分で採ってくるかな」
「ごめんねぇ。あ、森に行くなら、ついでに角毅根も採ってきて貰えるかしら。解熱剤もあとちょっとなのよ」
「はいはい。明日行って来ますよ」
「うふふ。悪いわね。お詫びにほら、マーヤさんに内緒で仕入れた紫蘇焼酎、分けて上げるから」
「……今晩、お邪魔します」
「はあ~い」
……。
…………。
メリィ・ウィドウの街から、聖都ヘイアン方面に伸びる街道を、一台の馬車が走っていた。
抜けるような青空は、冷え冷えと色褪せた野道に銀色の陽光を振りまいている。
馬車の中には複雑な幾何学模様の刻まれた七輪が置かれ、炭の代わりに入れられた赤い魔石が、ほくほくと熱を放っている。
それを挟むようにして、ヒカリとジンゴが向き合って座っていた。
ジンゴは自らが製作しヒカリに与えた木剣型魔道具を分解し、点検している。
馬車の揺れに備えた深めの篭に部品を入れ、一つ一つを子細に検分していく。
ヒカリはそれを、不安そうな眼差しで見つめていた。
やがて一通りのチェックが終わると―。
「ふむ。手入れは怠っていないようだな。特に問題はないだろう」
その言葉に、ヒカリが盛大な溜息を吐いた。
口元までを覆う長いマフラーの隙間から、白い息が漏れる。
「はあぁ~。緊張しました」
「一応聞くが、使っていて違和感はないだろうな」
「はい。それはないです。いっつも助けられてます」
「うむ」
「聖術のコントロールも、この木剣を使うようになってから、上手くなったんですよ」
「ほう。それは想定していなかった効果だな。面白い」
そこで、分解された柄に半透明の石を嵌め込んでいくジンゴの手元を、ヒカリが興味深そうに覗き込んだ。
「ジンゴさん。魔道具には、必ず核になる魔石が使われてるんですよね。それが、この魔道具の核なんですか?」
「そうとも言える。だが、これは魔石ではない」
「ええ?」
「最初に言っただろう。この木剣は正確には魔道具ではない、とな。この石は、名を『散魂瓏』という。この石自体は全く魔力を持たんが、ただ、生物の持つ魔力に反応し、それを放出させる効果がある。この木剣の中の機構は、それに指向性を与えるだけの単純な装置なのだ」
「は、はあ……」
「お前が無理に理解する必要はない。……ああ。手入れについてだがな。これからの時期は、仕上げに四土油か何かを全体に摺り込んでおくといい。温度変化による破損を防げる」
「わかりました。あの、あんまりぬるっとしない奴ですよね」
「ああ」
陽は登り切り、南の空から斜めに影を落としている。
馬車の窓から差し込む光が、木剣を組み立て直すジンゴの手元を照らしている。
二人はぽつぽつと白い吐息と共に会話を交わしながら、馬車に揺られていく。
「……ひどいと思いませんか? 真夜中に女の人の寝床に行ってくるのを一々私に報告してくるわけですよ。それでどうして私が協力的な態度を取ると思ってるんですかね、ヨル君は?」
「ふむ。お前は内心、ヨルの吸血行為に何か特別な意味合いを見ているわけだな」
「と、と、特別な、と言いますと?」
「何故そこで動揺する。いいか。俺は人の心の機微には疎いが、では俺以外の人間が他者の心理思考を全て読み合えるのかといえば、そうではない。人と人は本質的に分かり合えん存在だ」
「そんなことは、ないと思いますけど……」
「ならば、分かり合うための努力をすべきだな。現に聖水を出し渋るお前の行動から、ヨルがお前の心理を読み取っているかといえば、それは否だ」
「うぅ。……はい」
ヒカリは大幅に余ったマフラーの端を指先で弄り、視線を落とした。
「やっぱり、ジンゴさんは頼りになりますね」
その口元は隠されて見えないが、目元に微かな笑みが見て取れる。
それを見たジンゴは、憮然とした顔で腕を組んだ。
「そんなわけがあるか。俺が言っているのは全て一般論だ。ヨルの気を引きたいのなら、それこそ街の女共に相談すればいいだろう」
「それは、なんかちょっと、こう……ずるい気がしちゃって」
「ふむ。さっぱり分からん」
「あはは」
その後、二人は街道途中の街に一泊し、聖都に到着したのは翌日の午過ぎのことであった。
……。
…………。




