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夜の王は静かに暮らしたい  作者: lager
プロローグ
9/156

陽気な未亡人たちの街

「あの、アヤさん。具合悪そうですけど、大丈夫ですか?」

「あんま大丈夫じゃないわ。全く、普段は大人しいくせしてあの隠れ肉食男子は……」

「え?」

「いやいや、こっちの話。あ、ほら。あそこ」


 通りの角を折れると見えてきたクリーム色の建物をアヤが指差すと、顔色の悪いアヤの様子を心配げに見上げていたヒカリの顔が、ぱあっと明るくなった。

「ご飯!」

「あそこのマスターは街一番の美人だからね。見たらびっくりするよ」

「そうなんですか? そういえば、さっきのマーヤさんも綺麗な人でしたねえ。あ、アヤさんもお綺麗ですよ!」

「あはは。ありがと。じゃ、入ろっか」

「はい! お腹ぺこぺこです!」


「まいどー」

「おや、アヤちゃん。いらっしゃい」

 がらりと扉を開け入ったアヤを出迎えたのは、薄い金色の髪に、陶磁器のような白い肌をした、耳の長く尖った人物だった。


「ふわあぁぁぁ」

「その子は? 始めて見る子だね」

 項で一つに結えられた流れるような金髪。長い睫毛からのぞくサファイヤブルーの瞳。すっと通った鼻筋。桜色の唇。その、絵画から抜け出てきたような絶世の美貌を前に、ヒカリが固まっていた。


「この子が例の聖騎士のヒカリちゃん。で、こちら、めし処『ハイビ』のマスター、ミシェルさん」

「ああ、君が。はじめまして、ヒカリさん。ミシェル・ハイビスカスです」

「ほわあぁぁぁ」

「ちょっと、ヒカリちゃん」

「……はっ。あああすみません。ヒカリ・コノエです! 聖王教会から派遣されて参りました。宜しくお願いします!」

「はい。宜しくお願いします」


「ね? 言った通りでしょ?」

「はい。あの、私、この街に来るまでエルフの方って見たことなくて。本当にお綺麗なんですねえ」

「マスターは格別よ」

「それはどうも。あの、ところでアヤちゃん、まさかと思うけど―」

「お声もハスキーでかっこいいです!」

「………ああ、やっぱりか」

「ぶふぅ」

「え? あの、私、何か変なこと……」

「………僕は男だよ」

「うええええええ!!???」


「あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!」

「アヤちゃん!」

「あっひゃっひゃ。嘘は言ってないわよ。美人って言っただけだもの」

「え? え? 嘘ですよね? だって、だって―」

「まあ、慣れっこだけどね。初対面で僕の性別を間違えなかったのは、ジンゴ君くらいのもんだよ」

「ちなみにマスター、お年は?」

「今年で74だけど?」

「せ、世界は、広いです……」


 ……。

 …………。


「さて、と次はカグヤさんのトコか。あー、いや、うーん」

「あの、アヤさん。大丈夫なんですか? さっきまですごい顔色悪かったのに、あんなにたくさん食べて」

 自分の倍の量の料理を軽々平らげたアヤを、先ほどとは別の意味で心配げに見上げるヒカリに、アヤは軽く笑って返した。


「ああ、大丈夫よ。お酒飲めなかったのが辛いくらい」

「ふええ。確かにすごく顔色良くなってますけど」

「回復、回復。どう、おいしかったっしょ」

「はい! また来たいです」

「ま、この街に居るうちは何度でも行くことになるだろうしね。じゃあ、カグヤさんのトコに行こう」

「はい。あの、カグヤさんというのは、どういう方なんですか?」


「さっきのマーヤさんが街の住民の管理者とすると、カグヤさんは街の生産ラインの管理者だよ。具体的には、生糸と果実酒だね。まあ、正直言って、私はあんまり会いたくない」

「え? その、ひょっとして、怖い人だったりするのでしょうか……?」

「百聞は一見に如かずだね。とりあえず、工業区に行こう」

「うう。緊張してきました……」


「……まいどでーす」

 カチコチに固まったヒカリを伴い、工業区の執務室の小屋の戸を開けたアヤを出迎えたのは、中にヒカリが三人は収まろうかという程の、立派な体躯をした鳶色の髪の女性だった。


「まあまあまあ、いらっしゃい。あなたがヒカリさんね。話は聞いてるわ。まああホント、随分可愛らしいお嬢さんだこと。ようこそ、メリィ・ウィドウへ。歓迎するわ。ヨルちゃんと喧嘩したんですってねえ。ダメよ、仲良くしなくちゃ。え? 書類? ああ、ハンコね。ええと、ハンコ、ハンコ……ああ、あったあった。はい。これで大丈夫よ。それにしてもこんな可愛い子が来てくれるなんてねえ。嬉しいわ。それに引き換え。アァーヤァー。あなたはもう、またそんな男みたいなカッコして。なんだいそのほっそい手足は。飲み歩いてばっかいないでちゃんとご飯を食べなさい! ああそうだ。ちょうどタラの芽の春巻きを持ってきてるんだよ。ほら持ってきな。遠慮すんじゃないよ! ああ、ヒカリさんにもあげようね。え、お腹いっぱい? 大丈夫よぉ、明日までに食べれば。ほらほら、飴ちゃんもあげようね。あら、もう行っちゃうの? ウチに泊まっていきなさいよ、ヒカリさん。そう? じゃ、今度ゆっくり遊びにおいで。甘いものは好きかしら。そお、じゃあタルトを焼いてあげましょうね。うんうん、絶対だよ。約束だからね。ああそうだ、これ、今朝ウチのお庭で採れたんだけど―」


「………ね?」

「………はい」

 扉を出る頃には、アヤとヒカリはこれでもかと持たされた食料品に衣服をぱんぱんに膨らませ、その両肩はがっくりと下がっていた。


 ……。

 …………。


 茜色に染まる石畳に、藍色の影が長く伸びている。

 アヤとヒカリが再び街の居住区に戻るころには、空気はすっかり冷たくなっていた。


「あの、大変失礼なことをお聞きしますが、あの方は、その、……人族の方なんですよね?」

「私はダイダラボッチの子孫じゃないかと思ってるけどね」 

「あ、あはは……」


 その後、アヤは街で暮らすにあたり一通り知っておいたほうがいいだろう施設を、順繰りに回って歩いた。

 その頃にはもう仕事を終えた街の女性たちがめいめい家路についており、ヒカリはぴょこぴょこと栗毛を揺らして彼女ら一人一人に挨拶をした。中には朝方、ヒカリが街中を駆けずり回っていた時に出会った人もいて、やんちゃも程ほどにね、などと注意され、赤面する羽目になったりもした。


「ええと、猫耳のおばちゃんがジンメイさん。八百屋の魔族さんがセルカさん。お掃除のおばあちゃんが……」

「ヨネさんね」

「あうう、種族がばらばらだと覚えにくいです」


 道行の最後に、ヒカリがこれから暮らすことになる元聖騎士の家へと向かう最中、指折りしながら住民の名前を反芻するヒカリを、アヤが苦笑しながら見下ろす。

「大陸の人種でこの街にいないのは海人くらいのもんだからね。それにしたって港都からの行商でちょいちょい目にするし。もっと大変だよ、ヒカリちゃん」

「ふええ」


 どこからか煮物の香りがしてきた。

 薄暮の春の街の中を、二人は歩いていく。

「あの、アヤさん」

「うん?」

「私、この街は、戦後復興の最中に、家族を失った人たちが寄り集まってできた街だと聞いて来ました。それで、大陸中のいろんな種族の人たちがひっそり暮らしてる、って」

「うん。そうだね」

「でも、その……、みなさん、何というか」

「元気すぎるって?」

「いや、その……はい」


「ふふ。何てったって、『陽気な未亡人(メリィ・ウィドウ)』の街だからね。でもまあ、ひっそり暮らしてるってのは、ある意味正解かな」

「ええと、それはどういう……」


「ここの産業の基盤は製糸と酒造。だけどね、別に聖都も港都も帝都も、この街からの生糸や果実酒がなくなったって、困りゃしない。もともとなかった街なんだからね。貰えるんだったら貰うし、貰った分くらいの取引はしてやろうか、みたいな感じかな。それに、一応地図の上では聖国領とはいえ、教会の巡視なんか来やしない。地形上、有事の際に何かの要地になるってわけでもないからね」


「あう。それはその、……すみません」

「何でヒカリちゃんが謝るのよ。ここはね、復興の街なんかじゃないわ。ここは忘却の街。人が悲しみを忘れ、人に忘れられていく街。だけどね、私はこの街が好きよ。人が温かい、この街がね」

「……はい」

「あはは。変な空気になっちゃった。ほら、ヒカリちゃん。到着。ここが、今日からヒカリちゃんが住むお家だよ」

「……わあ」


 それは、木組みの家並の中にあって、唯一の石造りの家だった。周囲の家よりも一回り小さい、小ぢんまりとした白塗りの家。その門扉には小さく白い勾玉―聖騎士の紋章が描いており、屋根には枯茶色のレンガ、窓枠の木は萌黄色に塗られている。


「素敵です!」

「よし。じゃあ、ちゃちゃっと掃除しちゃおっか」

「はい!」


 ……。

 …………。

 

 そして、夜。

 木枠の窓を開けると、冷たい夜気と共に、仄かな花の香りが漂ってくる。

 僅かに欠けた月が、窓枠に置いたヒカリの手を優しく照らした。


「何だか、すごいところに来ちゃったなあ」

 カグヤに持たされた春巻きをもそもそと頬張りながら、ヒカリが呟く。

 空の高くを吹く風を、揺れる薄雲の切れ間を追って見る。


 アヤは部屋の掃除を手伝ってくれた後、自分の家に帰っていった。街外れの長屋の一室を寝床にしているらしい。今度改めて挨拶しに行きますと言うと、何故か気まずそうな顔をして、自分は滅多に家には帰らないからと、それを断られてしまった。


 掃除の最中に、前任の聖騎士の男性が残してくれていた業務日誌を見つけたヒカリは、アヤが帰ると早速蝋燭を灯してそれを繰ってみたが―


『3月10日、ハバキ食堂の井戸に落ちた子猫を助けてやった』、『3月25日、隣のエイプルさんからアシタバをわけて貰った。天麩羅にして食べた』、『4月3日、私の骨董をジンゴの小僧が欲しがったのでくれてやった。代わりにセンプウキとかいう魔道具をもらった。夏が楽しみだ』


「これ、絶対業務日誌じゃないよね……」

 一冊目の途中で放り出してしまった。


 明日は朝一番で行政署に行き、書類を届けなくてはならない。

 マーヤと交わした約束を思い出し、ヒカリは一瞬不安に駆られたが、春巻きの最後の一口をごくんと飲み込み、気を取り直した。


「きっとあんな条件を出してきたってことは、街の人たちもホントは困ってるんだ。でもあの吸血鬼がすっかり街に居着いちゃってるから、私にあいつの居場所を奪わせることで穏便に追い出そうとしてるんだよね。うん。きっとそうだよ。よーし、頑張らなくちゃ。ファイトよ、ヒカリ! 街のみなさんの平穏な暮らしは、私が守る!」


 そうしてヒカリは、ふかふかの布団の中で眠りについた。

 これから始まる街での仕事と、あの吸血鬼を退治する方法に思いを馳せて。


 これが、新米聖騎士ヒカリ・コノエの、新しい暮らしの始まりの一日。


 ……。

 …………。





 

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