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灰色の街

 ヨルが目を覚ましてから四日目の夜。

 もうすっかり体力も回復したヨルはタンシャンの街の行政所の、とある一室を訪っていた。

 古い紙の匂いと、薬草の焦げる匂い、炭と肉の焼ける匂いが薄く混じりあったその部屋で、今の時期だけこの部屋を間借りしているヘイシンが、いくつかの書類の束に目を通しながら、七輪で干した肉を炙っていた。

 

「来たか」

 紙の束を部屋の隅の書棚に押し込み、ヘイシンはヨルを招じ入れた。

 どうも、と短く挨拶し、ヨルが向かいに着座する。

 ヘイシンは黙って用意していた小皿と酒器を差し出し、手ずから酒を注いで勧めた。

 ヨルも黙ってそれを受け取り、ヘイシンが自分にも酒を注ぐの待つと、お互い目線だけで乾杯し、呷った。

 微かに花の香りのする酒が、ヨルの鼻腔を擽る。


 ほう、と溜息を一つ。

 ヨルの口の端が上がった。

「『君に勸む、金屈巵』……」

「何だと?」

 思わず、といったように口から零れたヨルの言葉に、ヘイシンが眉根を寄せる。

 もう一つ、笑みを零して、ヨルが答える。

「詩です。俺の父が好きだった……」

「初めて聞く」

「そうでしょうね。最後はこう締めるんですよ。『人生、別離(おお)し』」

「ふむ……」


 かたり、と杯を置いて、ヨルはヘイシンを真っ直ぐ見据えた。

「明日、街を出ます」

「そうか」

 ぱち、と七輪の中で炭が微かな音を立てた。

「ヘイシンさん。色々と、その、ありがとうございました」

 両手を膝について頭を下げたヨルに、ヘイシンもまた、正対して応じる。

「いや。こちらこそ、助かった。お前が体を張ってくれたおかげで、最悪の事態が避けられたのだ。改めて、礼を言おう」


 数秒、無言で頭を下げあった二人は、やがて示し合わせたように顔を上げ、鏡合わせに破顔した。

 ヘイシンがすっかり香ばしくなった干し肉を二つの小皿に盛ると、今度は互いに酒を注ぎ合い、晩酌を始めた。


「メリィ・ウィドウというのは、どんな街だ」

「はい?」

「お前たちの街だ。どんなところだ?」

「…………優しい街ですよ」

「優しい?」

「何というか、そうとしか言えません。穏やかで、温かい。良い街ですよ。まあ、アイツが来てからは、ちょっと騒々しくなりましたけど」

「それは、ヒカリのことか?」

「ええ」


 そこでヘイシンは、少し躊躇う素振りを見せた。

「聞きにくいことを聞くが、ヒカリは……左遷されたのか」

「さあ。アイツの口からは何も。ただ、まあそうなんでしょうね。アイツの家は、聖国じゃ結構な名家らしくて。ただ、アイツが街に来たときは、その、ホントに何も出来なかったんですよ。聖光魔法はまともに扱えないし、聖水を作るのだって一々半日掛かりでやっと革袋一杯で」

「ほう」

「食堂を手伝わせれば食器を割るし、掃除を手伝わせれば壁紙を破るし、採取を手伝わせれば道に迷うし」

「くく……」

「笑い事じゃありませんでしたよ。一々フォローするのは俺なんですから。けど、今はもう、普通に仕事を任せられます。頼りになりますよ。半年ちょっとで、随分成長しました。アイツは、凄い奴です。

 だから、結果としちゃ、良かったと思うんですよ。あいつがメリィ・ウィドウに来たことは」

「と、言うと?」

「アイツに、権力闘争は似合いません。例え国から見放された田舎町でも、アイツの力を必要としてる人たちの傍で、人を助けて暮らすのが、アイツには合ってるんじゃないか、って」

「吸血鬼の相方と一緒に、か?」

「俺は……」


 ヨルが言葉を探す合間、干し肉をもう一枚ずつ七輪に乗せ、ヘイシンは酒を呷って言った。

「今、獣王国と聖国との間に友好条約が結ばれようとしているのは知っているか」

 ヨルが意外そうに眼を見開く。

「……いえ。初耳です。そんな話が出てるんですか?」

「俺は反対だ」

「え?」

 唐突に、声が低くなったヘイシンの眼に、剣呑な光が灯る。


「俺には妹がいたのだ」

「妹さん?」

「いたが、死んだ」

「あ……」

「先の戦争でな。歳は丁度、ヒカリと同じ頃だった。俺は当時、傭兵として戦場に立っていた。軍属は性に合わなくてな。俺の生まれはここからもう少し北に上ったところにある小村で、妹はまだそこで暮らしていた。

 その頃には、戦争も大分泥沼と化していた。まさか、聖国が魔獣を使役して獣人の里を滅ぼしにかかるなどと、予想できたものは誰もいなかった。開かれた戦端は目眩まし。俺が槍を振るう遥か背後で、俺の妹は里毎食い殺されて死んだ」

「……」

「異常を察知し駆けつけた魔王軍は、一瞬で魔獣を滅ぼし、それ以上の被害を食い止めてくれた。あの時、焼け失せた里で呆然とする戦士たちに、魔王様は頭を下げてくれた」

「ウルが……」

「魔王様を知っているのか?」


 不意に顔を上げたヘイシンに、ヨルが気まずそうに口籠る。

「……いえ、直接は。まあ、一応俺も吸血鬼(こんな)ですから。話はまあ、それなりに」

 そうか、と再び俯いたヘイシンは、杯をちびちびと舐めつつ、言葉を続けた。

「俺はなあ。人族が憎い。特に聖騎士などという連中はな。件の友好条約は、聖国側から言い出したことなのだ。『過去のことは水に流し、お互い前を向きましょう』、とな。確かに、人族の工業製品の技術レベルは、獣国にはないものだ。流通が始まれば、わが国が受ける恩恵は少なくない。

 だが、俺の胸の奥にはまだ、あの時里を焼いた炎の残り火が、燃え続けているのだ。俺だけではない。恐らく一生消えることのない焔を、みな胸の内に封じて、日々を生きている。それを軽々と踏み越えて、過去のことは水に流せと、奴らは言った。

 俺はそれが、我慢ならねえ(・・・・・)


「口調。素が出てますよ」

「……ああ。いかんな。今のは……」

「聞かなかったことに」

 ふうぅ、と、長い息を吐いて、ヘイシンは杯を置いた。


「しかしな、ヨル。こんなことは、今の若い連中には何の関りもないことだ。ガオたちは、戦争を知らん世代の男だ。俺の技術も、知識も、あいつらには全て伝える。しかし、この胸の内の焔だけは、継いではならんのだ」

「そう、でしょうか」

「勿論、そうは考えん者もいる。しかし、それはそれだ。俺はお前たちを見て確信したよ」

「俺たち?」

吸血鬼(おまえ)聖騎士(ヒカリ)が、協力して魔獣を倒したと聞いた時さ。そんなことがあり得るのなら、世界は本当に、変わろうとしているのかもしれん。いいのだ、それならば。いい」


 そう言って、二枚目の干し肉を齧ったヘイシンの口元は、確かに笑っていた。

 ヨルはそれを見て、柔らかく微笑んだ。

「今度、俺たちの街に来てください。春には、新しい果実酒が出来ますから」

「ふむ。ならば、お前らは夏に来るがいい。水蜜桃が採れる頃にな」

「ええ。楽しみにしてます」

「ふん」


 冷たい夜気の染み入る窓からは、しらしらと三日月の光が零れている。

 夜の底にほんのりと色づいた七輪の朱と、花の香りのする酒が、小さな部屋に温もりを添え。

 二人の語らいは、それからしばらく続いたのだった。


 ……。

 …………。


 翌日、ヨルはタンシャンの街を早朝に出発した。

 国境近くの町までは街の馬で送ってもらい、聖国領に入ってからは定期便の馬車に乗せてもらった。

 そうして都合7日程の行程で、ヨルはおよそ一月ぶりに、メリィ・ウィドウの街に帰ってきたのだった。


「さて……と。まずはマーヤさんのとこかな」

 時刻は昼過ぎ。

 頭上には雲一つなく。澄んだ空気が寒風が吹きつける目抜き通りを、ヨルが歩いていく。

「…………??」

 しばらく歩を進めたヨルは、そこで、何かを探すようにきょろきょろと、辺りを見渡した。

 人の気配がしない。

 いや。というよりも、街の雰囲気が暗い。

 軒先に干し柿を吊った家の前も、いつも誰かしらが屯している東屋にも、人影が見当たらない。

「何か、集まりでもあるのかな……?」


 街の様子を不審に思いながらも、ああ、そういえば、とヨルは思い出していた。

 そういえば、自分が街に来た最初の頃も、こんな雰囲気だった気がする、と。

 皆、惰性のように割り振られた仕事をこなし、自分の命の灯が消えるのを、ぼんやりと眺めているような。

 灰色の街。忘却の街。

 この街ならば、きっと静かに暮らせるだろう、と、当時のヨルはそう思ったのだ。


 けれど結局、人の営みは、それだけで一定の熱量を持つものらしい。数年過ごしているうちに、だんだんと、街全体に暖かな血が通うようになっていった。

 笑い声も、良く聞こえるようになっていった。

 それが自分の影響だなどと、ヨルは考えなかった。

 生きていれば、温かい。寄り添えば、もっと。

 人間というのは、そういう生き物なのだろう。


 そんなことをつらつらと考えながら、ヨルは目抜き通りを途中で折れ、行政所兼寄合所へと向かった。

 途中、やはり人にすれ違わないことを訝しみながらも、ヨルは執務室の扉を叩いた。

 その直前、中に複数の人の気配のすることを察知し、心中で安堵する。

 応えが返ってきたのを確認し、扉を開けた。


「ただいま戻りました。マーヤさ――」


 そこで目にしたものを前に、ヨルが固まる。

「ジ、ジンゴ……?」


 部屋には、主であるマーヤを含め、数人の女性がいた。

 しかし、その中で一人佇むジンゴの姿に、ヨルの眼は釘付けになった。


 怪我をしている。

 顔は痣と腫れで変形し、頭には包帯が巻かれ、片腕は添え木を当てて吊られ、もう片方の腕で松葉杖を突いている。

 服の下にいくつもの傷があるのを、ヨルの鼻が嗅ぎ取った。

 一目見て分かる、重傷であった。


「何だ、早かったな」

「い、いや……。お前、どうしたんだよ、それ」

「ああ。仕事で少しな」

 口の中が切れているのか、その声は少し篭り、聴き取りづらい。


「そいつのことなら、心配いらないよ、ヨル。自業自得さ」

 そこで初めて、机に座るマーヤがヨルに声をかけた。

 何故か周りの女性たちは、みな気まずそうに目を逸らしている。

 ヨルはますます混乱した。

「いや。……それにしたって酷いでしょう。アヤさんはどうしたんです?」

「アヤなら、今外に出ている」


 ヨルの顔が曇った。

 改めてジンゴに向き直る。

「……ひょっとして。帰り道で何かあったのか? ヒカリはどうした? ハズキさんと、ツグミさんは?」

 詰め寄るヨルを制するように、マーヤが口を開いた。

「心配ないよ。怪我してんのは、そこの馬鹿な男だけさ。あの三人なら、今はもう聖都にいる」

「聖都? ヒカリもですか?」

「ああ」


 釈然としない様子で、ヨルが重ねて問う。

「まあ、無事ならいいんですけど。帰りはいつとか、言ってました?」

「いや。ヒカリはもう帰って来ない」

「はい?」


 ヨルの表情が、固まった。

 マーヤの、少しくすんだ金色の眼が、それを真っ直ぐ射すくめた。


「度重なる規律違反の責を受けて、聖騎士の任を解かれたそうだ。あの()はもう、帰って来ない」


「…………え?」


 ……。

 …………。



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