ハズキには向かない仕事
(ああ。私はやっぱり、ダメだなあ)
ヒカリの心を、静かに絶望が蝕んでいた。
何をやってるんだ、私は。
焦って一人で飛び出して、失敗して、仲間を傷つけてしまった。
昨日の夜、一緒に笑ったハイジュンの顔が脳裏に浮かぶ。
床に伏せった苦し気なヨルの顔。
鋭い眼光で、「頼んだ」と、一言だけくれたジンゴの顔。
勝てると思った。
今の自分なら。
きっと勝てると。
けど、違った。
勝てたのは、昨日までの自分だ。
隣に彼が立ってくれた、昨日までの自分。
あの、自分にないものを全て埋めてくれるような。
傍にいるだけで、背中を熱く押してくれるような。
幸せな微睡を与えてくれる、夜空のような。
駄目だ。
ここで倒れたら、今度こそ彼は死んでしまう。
立たなきゃ。
戦わなきゃ。
頭上には、今まさに襲い掛からんとする、踊り狂う土色の大蛇。
周りを取り囲む見えない足音。
とっくに感覚を失くしていた足裏と、鉛のように重い太腿に渾身の力を篭める。
剣先を上げる。
脇を締めて、正中線を保つ。
周りの羊はアヤとヘイシンに任せるしかない。
自分は兎に角、雄体の魔法を振り払わなければ。
そんなヒカリの思考を嘲笑うかのように、天に舞う土色の触手が無数に枝分かれしていく。
拡散し、分散し、四方を取り囲んでいく。
多い。
自分の木剣じゃ、全部を祓えない。
どうすればいい。
どうすれば。
こんな時。
ヨル君なら―。
ぱん!
切羽詰まったヒカリの背中から、小さく、柏手を打つ音が聞こえた。
「急ぎ定めの如くせよ。掲ぐは塔。清浄の鐘」
続いて、硬い何かが地に突き立てられる音。
しゃりぃぃぃぃぃん。
清らかに響く金輪の音。
「聖なる聖なる聖なるかな。過たず別て」
ソプラノの歌声が。
「『三碍一刹!!!』」
その瞬間、ヒカリたちを中心に、陽光色の巨大な正三角錐が立ち顕れ、結界を張った。
じゅっ。
焼け焦げる音と共にそれに触れた触手が爛れ落ちる。
ぎゅいっ。
不幸な雌体の白澤羊の一頭の頭部が焼ける。
「………え?」
その中で立ち尽くしたアヤが、己の赤く輝く拳を見つめる。
魔法が消えていないのだ。
ヒカリには分かった。
それが、紙一重に研ぎ澄まされた極薄の結界であることが。
恐ろしく均一に聖気が巡らされ、一部の隙もなく、僅かの無駄もない完璧な聖術。
「ヒカリさん」
静かな声で、その結界の主が言葉を紡ぐ。
「私はこの旅で、あなたに多くのことを教わりました」
「ハズキ、さん……?」
愕然とした目で、ヒカリが後ろを振り返る。
「代わりにお見せしましょう。本物の、聖騎士の戦いを」
……。
…………。
数日前、まだヨルやヒカリがタンシャンの街に辿り着く前、二人の男の間にこんな会話があったのだった。
「ハズキさんに才能がない?」
「……ああ」
「いや……でも、第二支部の中じゃ、相当の実力者なんだろ? 実際、何度か大規模な作戦に抜擢されて、相応の戦果を挙げたって、ツグミさんには聞いたけど」
「ふむ」
「ひょっとして。……あれか。考えたくねえけど、御家の力で―」
「逆だ」
「逆?」
「考えてもみろ。聖国でも5本の指に入る貴族家の令嬢だぞ。何故わざわざ戦場で自ら武勲を挙げる必要がある」
「んん?」
「実際、ダイゴ家のボンボンなど、大した実力もない癖に第四支部の部隊長を任されて長いが、それでいて、かの男が戦場に立つ所を見たものなど誰もいない。本来ならば、ハズキも同じように危険の少ない内務かお飾りの大将役に就いているのが普通だ」
「……ああ。言われてみりゃ」
「あの娘には、聖騎士としての才能がないのだ。強者に阿り、諂い、弱者を足蹴にし、隣人を蹴落とす才能がな。当然出世など出来ん」
「ヤな話だな。聞かせんなよ」
「お前が聞いてきたんだろうが」
「へいへい。……ん? でも、じゃあなんでハズキさんはあんなに武勲があるんだ?」
「そこがな。周囲にとっても、サイオンジ家にとっても誤算だったのだ」
「誤算?」
「現当主のモンド・サイオンジは、ハズキの才覚を見限っていた。当初は適当な僻地の駐留部隊でお飾りに挿げておく予定だったのだがな。誰にとっても予想外なことに、その毒にも薬にもならん土地に、ある時災害級の魔獣が湧いた」
「へえ。いつ頃だ?」
「ニュースにはなっておらん。騒ぎが起こる前に、それをハズキが鎮めたのだ」
「あああ」
「はっきり言って、その駐留部隊は、とても『隊』と呼べるような代物ではなかったそうだ。ハズキはほぼ単身でその魔獣を鎮め、功績を認められ中央に出戻った。だが、やはり権力闘争には無理があった。ハズキは再び戦場に立ち、またそこでも武勲を立てた。そうなるとそれなりに民草にも名を知られてくる。ならばこのまま現場に立たせ続け、せめて民衆向けの偶像にしてしまえ、というのが、現在のハズキの立場だ」
「腐ってんなあ、相変わらず。じゃあ、ハズキさんは……」
「そうだ。ハズキに聖騎士としての才能は欠片もない。だが、ただ陽魔法の行使という一点のみにおいて、あの娘には天賦の才がある」
……。
…………。
「急ぎ定めの如くせよ。響くは爪。一握の心」
ハズキが胸の前で合掌した手を、擦り合わせるように上下に開いていく。
陽光の煌きが尾を引く。
天地上下に構えた手を、円を描くように大きく回していく。
その軌跡に、それが顕れる。
それは、小さな法具だった。
掌に収まる握りから、両端に尖りが突き出ている。
短く、鋭く、輝きを放つ。
独鈷、という。
ハズキの腕の描く陽光の軌跡に合わせ、三つ、四つ、五つと、空中に顕れていくそれは、やがて数が十二になったところで顕現を止め、宙を泳ぐようにしてぐるりとハズキの周りを取り囲んだ。
一斉に、その先端が倒れ、外側に向けられる。
ハズキの掌は再び胸の前で合わされ、目が半眼に伏せられる。
「謹上再拝敬って白す。天開き地に人の満ちてより此の方鬼神魔獣の平らぐことなく清浄の法長く伝わる……」
朗々と澄んだ詠唱が響く。
その眼前に、土色の触手が迫った。
三角錐の結界はすでに消えている。
あと数瞬で届くかと思われたその触手を、赤い炎が焼き払った。
「舞え! 『芳心孔雀』!!」
背に大輪の炎を咲かせ、アヤが躍る。
右から、左から、上から襲い掛かる触手の群れを燃え滾る四肢を振り回して撃ち落とす。
「やあぁあ!!」
その、ハズキを挟んだ反対側では、陽光の輝きを放つ木剣が翻る。
「ふんっ!」
「でやぁ!」
その左右を挟み、二人の獣人が姿の見えぬ敵を伸していく。
『2分。時間を稼いで下さい』
三角錐の結界の中で、唖然とする四人に向けて、ハズキはそう告げた。
この場の白澤羊を何割まで傷つけてよいかと問うたハズキに対し、出来れば一頭も殺したくはないとヘイシンが答えると、ハズキは首肯し、そう言って結界を解いたのだった。
唄うように長い詠唱を続けるハズキに、次々と魔獣が襲い掛かる。
アヤは奥の手の“人”魔法を解禁し、頭上を守る。
四方から襲い掛かる不可視の羊は、ヘイシンとハイジュンが己の感覚器を最大限に研ぎ澄ませ打ち払う。
ヒカリは三人の動きに追随し、触手を遊撃していく。
全員の顔に焦燥があった。
全力を振り絞っている。
疲労の濃く溜まった体から、精気の一滴までを絞り出すように、腕を、足を、爪を、剣を振るう。
きゅごっ。
ヒカリの小さな体が宙に踊り、太い触手の一本を振り払う。すると、それに隠れるように、さらに太い触手が二本、自分たちから遠く離れた左右に、自分たちを囲うように伸ばされているのが見えた。
視線の遥か奥。
その根元には、雄体の魔獣の本体が。
黄玉の角を輝かせ、四肢を踏ん張っているのが見える。
ヒカリの背筋に悪寒が走った。
「皆さん! 気をつけ―」
ごうっ!!!
ヒカリの叫びを遮るように、自らの魔法によって加速をつけた巨大な羊が、豪速で突撃してきた。
狙いは真っすぐ、半眼に目を伏せたハズキへ。
「うおぉぉぉぉおおお!!!」
野太い雄叫び。
ヘイシンが前に出る。
ががっ!!!!
激突。
衝撃が地を走る。
「んん。……ぐぉぉおおお」
押されていく。
押されていく。
口から泡を飛ばし、目を血走らせたヘイシンの体を、巨大な羊が押し込んでいく。
そこに、ハイジュンが滑り込む。
「ぜやあ!!」
ざん!
前足の健を切った。
がくりと魔獣の膝が崩れ、ヘイシンがそれを押し返す。
しかし、次の瞬間。
ずる。
土色の体毛が崩れた膝に巻き付き、より一層力強く地を踏みしめた。
「ぐ。ぐ。ぐ」
ずるずると押し込まれるヘイシンの体が、あと数センチでハズキの足元に届きそうになった時だった。
ハズキの眼が、開いた。
合掌していた腕を解く。
その合間から、十三本目の独鈷が顕れる。
ひゅっ。
周りを囲んでいた十二本の独鈷が、飛んだ。
放物線を描き飛んで行った法具は羊の群れを取り囲むように十二方位の地に突き刺さり、陽光の輝きを放った。
ぎゅいっ!?
魔獣の群れが騒めく。
聖光魔法には、その形態に合わせて様々な役割がある。
弓矢型は“破敵”。
錫杖型は“守護”。
そして独鈷型の聖光魔法の命は、“共鳴”。
「アヤさん、跳んでください!!」
「はいよ!!」
地に屈んだアヤの足元から豪炎が吹き上がり、その体が空に舞い上がる。
ハズキが手に握った独鈷を地に突き立てる。
「一切不垢たれ。『天為地鎮』!!!」
地に陽光が満ちる。
円形に突き刺さった独鈷が輝きを増す。
ぎぎゅっ。
それは、無垢の蹂躙であった。
本来自身の周囲を囲む程度の結界魔法が共鳴する独鈷によって増幅され、100メートル四方を覆う大結界となって羊の群れを包んだ。
その中に、一切の魔法は存在を許されない。
一瞬にして無数の羊が隠匿魔法を剥がされ、その姿を晒される。
土色の触手は白い煙を上げて崩れ去り、意外なほどに縮んだ魔獣の本体が顕れる。
切られた足を支えていた魔法も崩れ去り、再び膝が落ちる。
動きを止めた、雄体の魔獣に。
「ぜ!! ぃぃいやああああああああああああ!!!!!」
赤い流星が突き刺さった。
ごっ!!!!!
その頭蓋が、地にめり込む。
舞い上がる粉塵を払うように、大輪の炎の輪が咲く。
山が静まり返り。
白煙の中から、桜色の髪が現れる。
「あら、今度は上手くいったじゃない、ハズキ」
「上等でしょう、アヤ?」
お互い、息も切れ切れに。
二人の女が、笑みを交わした。
……。
…………。




