茜の森に骨は立ち
「一体どういうことだ、お前たち」
眉間に皺を寄せたクマ型獣人の男―ヘイシンが、神妙な面持ちで正座する三人の舎弟たちを見下ろした。
「面目ねえ、兄貴」
そのうちの真ん中、両隣の二人と同じく顔を俯かせたヤマネコ型獣人の男―レンリが、絞り出すような声で言う。
「……」
「……」
隣の二人は無言で顔を臥せている。
それは正しく、敗残兵の姿であった。
ヘイシンにはヘイシンなりの思惑があったのだ。
舎弟の一人のガオが人族の子供に負けたことで彼らの間に入った亀裂を修復するには、彼自身にリベンジをさせるしかないと思っていた。
自分を足止めする四人の中にヨルの姿がないことも、恐らく彼が自分たちを出し抜いて魔獣の元に向かったのであろうことも察してはいたが、寧ろヘイシンはそれを好機と捉えた。
自分が本気を出せば目の前の四人など簡単に制圧できる。
しかしそれをしてはガオの面目を立てる機会を失ってしまうだろう。
そう考えたからこそ、ヘイシンは寧ろ四人の足止めをすることを選んだのである。
しかし、そうこうしているうちに聞こえた轟音と、遠目からでもはっきりと分かる大規模な陽魔法の発動に、ヘイシンは己の失策を悟った。
(まさか、そこまで愚かであったとはな)
確かに陽魔法を使えば魔獣など簡単に討伐できる。
しかし、それは狩りではない。陽の魔力で殺された魔獣の素材に価値などないのだ。
ヘイシンは焦り、強引に四人との戦いを打ち切り、舎弟たちの元に駆けつけた。
そして、そこで待っていたのは、傷一つ付かずに昏睡する雄体の白澤羊と、気まずそうにするヨルとニコニコと笑う聖騎士の少女、そして、呆然としたまま固まった三人の舎弟の姿であったのだ。
ヘイシンは苛立たしげにこめかみを揉むと、彼らの後ろに横たわる土色の毛皮をした白澤羊を見遣った。
「どういうことだと聞いている」
「それは……」
「取引です、ヘイシンさん!」
言い淀むレンリの台詞を遮る、明るい声が森に響いた。
ヘイシンからすれば地面と変わらない程低い場所からかけられたその声に、ヘイシンの眉間の皺が一層深くなる。
「……取引だと?」
その恐ろしげな声に一歩も怯まず、栗色の髪をぴょこんと揺らし、ヒカリは答えた。
「はい。私たち、みんなで協力して、その羊を倒しました。けど、羊は一頭しかいませんので、二つには分けられません。だから、取引です。この茶色い羊はあなた方に差し上げますので、そちらの白い羊を譲って下さい」
ヒカリの後ろでは、ジンゴが俯きながら木の幹を殴りつけている。
その震える肩をヨルが優しく叩き、アヤが笑いを堪えて腹を抱えている。
その横では、信じられないものを見るような目で、ツグミとハズキがヒカリとヘイシンの遣り取りを見守っている。
それらに一通り目を遣ると、ヘイシンは再びヒカリを見下ろして言った。
「それは、我らに施しをするという意味か」
声音が一段と低くなる。
「いえ、取引です。私たちじゃ、そちらが捕まえた白い羊は捕まえられませんでしたから」
「雌の個体と雄の個体は、その価値がまるで違う。それを分かった上でのことなのだろうな」
「はい。でも、私たちは元々、白い羊の毛皮に用があってきたんです。欲張りはいけません」
その言葉に、ヘイシンの目が僅かに見開かれる。
「お前は、本当に聖騎士か」
ヒカリの顔が、綻ぶように微笑んだ。
「はい。聖王教会第5支部所属、ヒカリ・コノエです! けど、今はメリィ・ウィドウの便利屋として来ていますので!」
ヘイシンはそれを噛み締めるように俯いて聞き、正座したままのレンリたちを見た。
その視線を受けて、レンリが口を開く。
「兄貴。俺たちは負けた。敗者に負け方を選ぶ権利はねえ」
ヘイシンはそれを黙って聞き。
数秒の逡巡の後。
「仕留めた獲物をどうするかは仕留めた者の一存に依る。お前たちがそう望むのなら、そしてこやつらがそれを認めるのなら、俺に口を出す筋はない」
重たい口調で、そう言った。
「ぐふっ」
それを聞き、獣人族のプライドに僅かな期待をかけていたジンゴの膝が、崩れ落ちた。
その様に、堪えきれなかったアヤの爆笑が、静かに響き渡った。
……。
…………。
ほそり。
ほそり。
茜と金色の褥を、幽かな音が踏んでいく。
それは鬱屈とした、生気に欠ける顔付きをしていた。
ほそり。
ほそり。
足取りは重く、それでいて今にも消えそうな程頼りない。
顔は下を向き。
ほそり。
ほそり。
乾いた枯葉を踏んでいく。
それは争いが嫌いだった。
嫌いであったので、なるべく争わずに済む方法を考えた。
煩いことも嫌いだったので、いつも孤独であった。
それは旅をしていた。
静かな場所を求めて。
平らかな安寧を求めて。
そうして辿り着いた先で、それは標を建てた。
ここに今から住もうと思うので、どうか立ち入らないでほしい。
そんな想いを込めて。
そうして、漸く落ち着けたと思った矢先、争いの声が聞こえてきた。
騒乱と、悲哀と、勝鬨が。
うんざりだった。
また、棲みかを換えようか。
いや。
いや、いや。
もう疲れた。
もう嫌だ。
ああ、嫌だ、嫌だ。
自分はただ、静かに暮らしたいだけなのに。
……。
…………。
それに最初に気が付いたのは、ツグミであった。
ツグミは目の前で巨漢の獣人と対等に渡り合うかつての同窓生を、遠い目で見ていた。
自分がヒカリを助けてあげなきゃ、なんてことを考えていたことが恥ずかしい。
いつの間にか自分たちは、全然違う人間になっていた。
ヒカリは変わった。
あの泣き虫だったヒカリが。
あの頼りなかったヒカリが。
ならば自分は?
この半年間で、私は一体、彼女に誇れる何を得たのだろう。
大好きだった、その名前の通りに光るような笑顔が、ただ眩しくて。
ツグミは歯噛みし、目を逸らした。
そこで、それを見たのだった。
それは、茜に染まる森の中で、ぼんやりと二つの黒目を浮かび上がらせていた。
体は山羊のようだった。
5メートル程先、背景に同化するような、錆色の深い縮れ毛を全身から長く垂れ伸ばし、骨のようにか細い四肢でぽつんと佇んでいる。
俯く顔からは闇色の双眸がどんよりとこちらを見つめている。
いや。こちらを見ているのか、それとも偶々顔を向けた先に自分たちがいるだけなのか、判別がつかないほどにその視線には光がない。
頭の体毛から僅かに除く耳は、短く小さい。
顔の皮膚は、青く、乾いて罅割れ、まるで生気を感じさせない。
黒い眼が、世界にぽっかりと空いた洞のように、その中にあった。
ツグミは少し離れた位置にいるハズキを見て、ジンゴとヨル、アヤを見て、次に獣人の男たちを見た。
何故、誰も気づかない?
一体いつからいた?
あれは何だ?
赤黒い錆色の山羊は、まるで自分たちの仲間であるかのように、目と鼻の先にいる。
目と鼻の先?
ツグミの心臓を、質量を持った恐怖が犯した。
近づいている。
自分が目を離した僅かの間に、不気味な顔をした山羊は、手を伸ばせば届きそうなほどの距離まで近づいていた。
いつの間に?
どうやって?
「ひっ」
竦み上がったツグミが小さく悲鳴を上げるのと、その獣が口を開くのは同時だった。
いいいいええええええ
低く、低く。軋るような鳴き声が。
その声に、その場にいた全員が弾かれたように振り返った。
「な」「ええ!?」「なんだぁ!?」
鳴き声に合わせて震えた獣の体から、細かな粉塵が舞い散った。
「ん、っだ、てめえは!?」
一番近い位置にいたレンリが、ククリ刀を振りかざす。
その体を赤黒い粉塵が包み。
「んが……が」
その膝が、崩れた。
「レンリ!?」
ハイジュンがそれに駆け寄り。
「いけねえ!」
ガオがハイジュンの肩を突き飛ばす。
ガオの顔に粉塵が舞い込む。
「んん。……ぐぅ」
「ガオ、てめえ!」
突き飛ばされたハイジュンの目に、レンリの隣に頽れるガオの体が映る。
「ハイジュン、近づくな!」
ヘイシンがハイジュンの肩を掴み押し留める。
その反対側で、臨戦態勢を取るアヤとハズキを、ジンゴが抑えていた。
その、位置関係が。
それはただの偶然だった。
たまたま、それの危険性をいち早く察した人物の近くにいたかどうか。
ツグミは、一歩離れた位置にいた。
(魔獣!!)
一瞬で獣人二人を昏倒させたその現象を見て、彼女がそう判断したのは当然だった。
相手が魔獣であるなら、自分たちの出番であると考えたのも当然だったし、今日一日で何一つ活躍らしい活躍をしていない自分が、見せ場を作るチャンスだと考えたのも当然だった。
ツグミは柏手を打ち。
「急ぎ定めの如くせよ。掲ぐは塔。清浄の鐘!」
錫杖型の聖光魔法を発動させた。
一方でヒカリは、妙な違和感を覚えていた。
寒気がしない。
春の蝙蝠の時のような、夏の雷獣の時のような、先に倒した羊のような、強大な魔獣と相対した時にいつも感じていた恐怖。
それを全く感じない。
あんな、二人の獣人を一瞬で倒してのけた魔獣相手に?
つまり、あれは。
それは、ヒカリの経験値だった。
けれど、それを活かすには時間が足りなかった。
距離も足りなかった。
「駄目! ツグミぃぃいいい!!!」
ヒカリの悲鳴と、ツグミの放つ陽光を錆色の粉塵が難なくすり抜けたのは同時。
そして、一瞬遅れて。
「がはっ」
陰形と化して両者の間に割り込み実体化したヨルが、背を陽光に焼かれ、体の正面から粉塵を浴びた。
……。
…………。




