居心地の悪い街
「よ、ヨル君! どうしちゃったんですか! 吸血鬼やめちゃったんですか!?」
「辞めれるならとっくに辞めてるわ!」
街の管理者の一人―マーヤにハズキとツグミを紹介したヒカリは、二人を執務室に残して廊下にヨルを引っ張ると、服の裾を掴んだまま小声で詰め寄った。
「でも、でもその顔! 髪も!」
「只の変装だって」
「変装ってそういうんじゃないですよ! なんですかさっきの笑顔! 逆に気持ち悪いです!」
「お前いい加減にしろよ……!?」
すぅ、っとヨルの顔から血の気が引いていく。
細められた目が深い赤色に濁る。
「おっと」
それが再び、元に戻った。
「そ、それ、どうなってるんですか?」
心底気味悪そうな顔で問うたヒカリに、ヨルもまた嫌そうな顔で答える。
「操血魔法の応用だよ。最近やってなかったから、ちょっと気ぃ抜くと元に戻っちまう」
「その髪の毛は?」
「これはマーヤさんが。山月馬の馬油石鹸と、魔国の椿油だとさ」
「私が欲しいくらいなんですけど……。ていうか、だから何でそんなことを……」
「お前があっちゃこっちゃで色々やらかした件で騎士団から査察が来ることになったんだろ? 一応これ以上いちゃもん付けられないように、せめて吸血鬼のことは隠しておこうってことになったんだよ」
「私聞いてないです!」
「お前には事前に知らせるなって、教会側からのお達しだったんだよ。お前にそれを隠し通せる演技が出来るってんなら、そりゃマーヤさんだって教えただろうけど」
「うぅ。だからって。だからってぇ……」
「何だよ」
悔しげに口元を引き絞ったヒカリが小さな手を握り締める。その手が、ぷるぷると震えている。
「おい、ヒカリ……」
「ツグミは!」
「あん?」
眉間に皺を寄せてヒカリがヨルを睨み付けた。
ヨルは怪訝そうにそれを見下ろす。
「ツグミは、私の友達なんですからね! 変なことしたらダメなんですからね!」
「はあ? だから丁寧に迎えてやっただろうが。あれ以上やるのは却って不自然だぞ?」
「あれ以上があるんですか!? ていうかそうじゃなくて!」
「なんだよ。血でも吸うと思ってんのか? 聖騎士の血なんか吸えるか」
「もぉ! ヨル君のばかあ!!!」
「ぐふっ」
……。
…………。
「ヒカリ!?」
「はぁ……」
扉の向こうから聞こえてきた叫び声にツグミが驚き、ハズキは頭痛を覚えたようにこめかみを抑え首を振った。
「やれやれ」
それに苦笑した目の前の魔族の女性―街の管理者マーヤに、改めて向き直る。
「ヒカリさんは、いつもああなのですか?」
「ううぅん。最近は減ってきたと思ったんだけどねえ」
「全く、はしたない……」
「いや、あのですね。確かにちょっとそそっかしい部分もありますけど、いざって時にはすっごい頼りになるんですよ。なんというか、スイッチが入ると本気になるというか」
隣に立つツグミが慌ててフォローする。
それを見たマーヤが、あごの下で手を組んだまま、艶然と微笑んだ。
「たしかあんたは、ヒカリの同期なんだったね」
「え、えと、はい」
「そうしたら、今後の話はこちらの人としておくから、ヒカリに街を案内してもらうといい。積もる話もあるだろう」
「え、ええと……」
ちらりとハズキの横顔を伺うと、こくんと小さく頷かれる。
「でも、お姉様」
「行って下さい。ついでに、街の視察もしておいて頂けると助かります」
「り、了解しました」
一礼をして、ぱたぱたと駆け出して行った後輩の姿がドアの向こうに消えると、ハズキは再びマーヤに向き直った。
「それで、何かあの子に聞かせられない話でも?」
「そりゃあそっちの方だろう、聖騎士殿」
ハズキの表情が強張る。
「どういうことですか?」
「ふん。なら一応聞いとこうかね。あんたがたが今回この街に来た目的は?」
「先日書面で通知した通りです。ヒカリ・コノエに対する指導―」
「そりゃ半年前にやっとくべきことだ」
「は?」
腕を組みかえ、口元に微笑を浮かべたまま、マーヤが上目遣いにハズキを見る。
「前任がとっくにいなくなった街に養成校を卒業したばかりの新米を一人だけ寄越して、今さら指導だって? あの子は放逐されたんだ。それがどんな思惑の元なのかは知らないがね。それで今になって別の支部から指導員なんて、一体何のつもりだい?」
「それは、……あなたには係わりのないことです」
「そうはいかない。あの子は既にこの街の住人だ。覚えておきな、お嬢ちゃん。この街はね、人を拒まない。そして、仲間のことは決して見捨てない。
私はマーヤ・ネーブル。街の住人の管理が仕事さ。あの子に何かおかしな真似をしてみな。ただじゃ済まさないよ」
その、少しくすんだ金色の眼光に射すくめられ、ハズキの頬を、一筋の汗が伝った。
乾いた口で、無理やり唾を飲み下し、背筋に力を込めて姿勢を保つ。
「……あなたが、聖騎士を庇うのですか?」
「私が庇ってるのはウチの街の便利屋見習いだよ」
「日和ったものですね。かつて『天眼の魔姫』と恐れられたあなたが」
「その名前で呼んでたのは人族側だけだろうが。今はただの、田舎のおばさんさ」
……。
…………。
それから丸二日かけて、ハズキはメリィ・ウィドウの街を廻り住民から聞き取り調査を行った。
魔族・獣人に話しかけるのは大いに勇気が必要であったが、一度話してしまえば、確かに人族と話すのとなんの違いもない。時に彼女らの仕事の様子も見せてもらいながら、ハズキはヒカリの情報を集めていった。
ハズキ自身に向けられる視線は好意的なものと不審げなものと半々といったところだったが、ヒカリについて話す内容は、全員がほぼ同じものであった。
怪しい。
これだけの住人に話を聞いて回って、しかも4つの種族全部に聞いた個人の印象が全て同じなどということがありえるか?
普通、これだけの人間が集まり生活を共にしていれば、どこかに利害関係の軋轢や好悪の摩擦が生じるのが当然である。人種の違いだけではない。街の産業の基盤が二つに分かれているというのも、派閥を生む要因になるはず。
そこに放り込まれた『聖騎士』という異物が、どの方向から見ても好意的に受け入れられるなど、俄かには信じられない。
恐らくあの狡獪な管理者が予め根回しをしていたに違いない。確かに、ヒカリ本人にはこの訪問を伝えないようにと伝えはしたが、他の住人に対しては言及しなかった。こちらの手落ちだ。
そして、何より怪しいのがあのヨルとかいう少年である。
ここに来る前は『夜明けの酒樽』とかいう傭兵団(ふざけた名前だ。偽造ではないか?)で下働きをしてたそうだが、それが何故この街に居つくことになったかというと、今一要領を得ない。
ヒカリのことを聞くついでにヨルのことも住人に聞いて回ったが、こちらも質問した全ての住人が同じように好意的な反応を示した(さらについでにマーヤのことも聞いてみると、こちらはちらほらと陰口を叩く者がいた)。
この街は、何かがおかしい。
居心地が悪いのだ。
どこもかしこも好意に満ちていて、時折背筋がぞっとする。
一緒に来たはずのツグミはすっかり街の雰囲気に染められてしまい、調査そっちのけでヒカリやヨルにくっついて回っていた。
懐柔されている。
確かに、あの少年には人を惹きつける魅力がある。
礼儀正しいし、気遣いが上手い。くるくるとよく働くし、それでいてあくせくとした感じがなく、常に爽やかだ。
時折見せる、はにかんだような表情も、いちいちこちらの琴線を擽ってくる。
食堂で料理を振る舞ってくれたヨルの顔を思い出したハズキは、自分の顔が熱くなる前に、自分の最大の目的を思い出し、夢想を振り払った。
そうだ。
何をやっているのだ、私は。
やっとここまで来たのだ。
誰の手も届かない、ここまで。
時刻は夜。
僅かに欠けた月が薄い雲間から蕩けたような淡い光を零している。
立てつけの悪い戸が、時折吹く冷たい風にかたかたと鳴る。
窓から注ぐ月光が、明かりの無い室内に自分の手を青白く浮かび上がらせている。
そして聞こえる、足音。
待ち望んだ音。
一歩、一歩、近づいて。
引き戸に手がかかり。
この部屋の主が、帰ってきた。
「お帰りなさい、ジンゴさん」
青白く映し出されたその顔に、驚きの表情が浮かぶのを見て、ハズキは小さくほくそ笑んだ。
……。
…………。




