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始まりは栗の渋皮煮

 薄らぼやけた青空であった。

 雲一つない晴天を、乾いた空気に乗って散る砂塵が白くぼかしているのである。

 風はなかったが、降り注ぐ日差しはひと月前程の力もなく、時折ちらちらと、粉塵を反射して光の粒を撒いているだけ。

 その上を過ぎるのは、鳥の影だろうか。それとももっと大きな生き物だろうか。


 砂煙が、立ち上っていく。


 ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。


 遠く、低く、地鳴りが聞こえる。


 おおおおおおおおおおおん。


 見渡す限りの荒野の向こうに、山のような砂煙が立ち上っている。

 その先端に目を凝らせば、むくつけき男たちの血走った形相が見える。

 諸肌を脱いだ彼らの体はみな一様に筋肉で膨れ上がり、濃い体毛が茂っている。かいた汗に砂煙が吸い付き、赤、黒、茶色と、様々な色のそれを薄黄色一色に染めている。


 うおおおおおおおおおおお。


 咆哮が、徐々に大きくなってくる。

 走っている。

 ひたすらに、走っている。

 男たちの髪の毛からは、丸、三角、短、長、垂れ、様々な形の耳が生えているのが見える。

 獣人だ。

 筋骨隆々の獣人の男たちが、荒野を駆け走っているのである。


 いや。

 よく見てみれば、その中に一つ、小さな影がちらついているのが分かる。

 黒い影だ。

 見上げるような巨体の獣人たちに囲まれ、その、周りに比べれば遥かに細い腕を、細い足を振って走る、男の姿がある。

 人間だ。

 顔つきはまだ幼さを残した、少年と言って差し支えのない年頃の、人間の男。

 艶のない黒髪。

 青白い顔を薄黄色の砂で汚している。


 人間の男?

 いや、いや。

 その苦しげに細められた目は、どろりとした血の色に染まっている―。


 ぎゃああああ。


 地鳴りの中に、悲鳴が混じった。

 放物線を描き、土煙の上方を獣人の男が飛んでいく。

 一人。二人。

 集団の先頭を走る男たちの顔が一層険しくなる。


 その背後。

 もうもうと立ち込める砂煙の中から、何か大きなもの(・・・・・)が伸び、男たちの髪の後ろを掠めた。

 必死に走る男たちにそれを振り返る余裕はない。

 だが、恐怖に駆られた男の一人が思わず後ろを振り返ってしまい。

「ひゃああああ」

 世にも情けない悲鳴と共に、上空に舞った。

 首を後ろに回した、その一瞬の挙動に遅れた足が、それ(・・)に捕まったのだ。


 それを振り返れば、今度は自分の番だ。

 男たちは走った。

 一層腕の振りを大きく、速く。

 ただひたすらに地面を蹴る。


 その中で。

 先頭を走る男たちから三歩半後ろにいた黒髪の少年が、深く息を吸い込んだ。

 背後に迫る悪寒。

 極大のプレッシャー。

 その全てを蹴り飛ばし、跳んだ。


 砂煙を撒いて振るわれる巨大な腕。

 タイミングは完璧。

 少年の足がそれを捉え、振り払われた勢いをそのまま体に乗せ、弾かれるように前へ跳んだ。


「「「!?!?!?」」」


 驚愕に目を見開く獣人の男達の頭上を遥かに飛びこし、少年が集団のトップに躍り出た。

 その目線の先には、巨大な二つの櫓と、その間に渡された白いロープ。

 燃える足と、破裂しそうな心臓を抱え、少年が駆け出した。


 ……。

 …………。


 皇国コーガは、大陸に6つある国家の一つで、大陸西部に広大な領地を持ち、かつての大戦では魔国と共に人族と戦った。

 その住民の8割を獣人族が占めていることから、俗に獣国、あるいは獣王国と呼ばれている。

 その東端。聖国との国境付近にあるタージンの街では、秋の初めに祝祭が催される。

 3日間に渡って行われるその祭りの最終日。

 街の外に広がる荒野には、現在二つの物見櫓が立てられ、その傍に扇状に広がる観覧席が建てられている。

 席は満員。

 その、獣人で溢れかえった観覧席の中に、桜色のショートカットと、栗色のツインテールが埋もれていた。


「ふええ。あれ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃないでしょ。まあでも、死にはしないわよ。獣人って頑丈だし」

「私、レースに出場する、としか聞いてなかったです」

「嘘は言ってないでしょ。よーいどんで一斉に走り出して、最初にゴールした人が優勝。ただ、ちょっと後ろから化け物が追いかけてくるってだけよ」

「あの、あれ、魔獣じゃないんですよね?」

「分類上はね。大して魔力はもってないから。そうは言ってもあの図体だからねえ。脅威度は災害級一歩手前って感じね。四十万象しじまぞうって言って、この辺じゃ豊猟のシンボルなのよ。一頭いれば周りの村が冬一つ越せるからね」

「なんでそんなのと追いかけっこを……」

「お祭りだから」

「はあ」


「確か元々は神事って名目の狩りだったのよ。落とし穴を使った、ね。で、そこまで誘導する役を、周辺の村で一番の足を持つ男が努めてて、それに選ばれることが最高の栄誉! って感じだったんだけど、いつしか順番が逆になっちゃったのね。男衆みんなであの巨獣から逃げて、最初にゴールした人がその年の英雄! みたいな」

「いや、その……なんでそれにヨル君が出てるんですか?」

「栗よ」

「栗?」

「優勝賞品でね。タージンの里山で栽培されてる栗の、その年の収穫量の3割を優勝した男の村なり街なりに進呈する、って奴」

「そ、それ。ひょっとして、ひょっとして『篝火栗』では……?」

「あら、知ってるの?」

「ミツ……勇者様が遺してくれた大陸グルメガイドに載ってます! それは正に燃え上がるような美味。炊き立ての殻を剥いた瞬間、鼻を抜ける極上の薫香!」

「そ、そう……。とにかく、その話を聞いたカグヤさんが去年冗談交じりでヨル君にお願いしちゃってね。ウチのブランデー使って渋皮煮作って、売りに出そう、ってね。

 まあ、そうは言っても、正直、流石のヨル君でも純粋な体力勝負で獣人に敵うわけないだろう、って、みんな別に本気にしてなかったんだけど、やってみたら意外といい線いっちゃってさ」

「ふええ」

「本人的にもあとちょっとだったのが本気で悔しかったみたいでね。今年は雪辱戦なのよ」

「へえ、何かちょっと意外というか……」

「まあ、ヨル君も男の子だからねえ」


「ていうか、アヤさんが出れば楽々優勝出来るのでは?」

「イヤよ」

「えええ」

「あのね、ヒカリちゃん。私にあのおっさん達に混じって一緒に走ってこいと?」

「あ。ああ……すみません」

「大体、人間の女子が魔法使って優勝したって盛り上がらないでしょ? お祭りなんだから」


「あ」

「わお」

「うわわ、また人が……」

「景気よく飛んだわねえ」

「ううう、アヤさん、やっぱり危ないですよぅ」

「大丈夫だって、ほら、ちゃんと避けてるじゃない」

「でもでも」

「曖昧屋に秘密兵器も作らせてたみたいだし」

「秘密兵器ですか?」

「ほら、ヨル君、遠出用のブーツか街中で履くぺらっぺらの靴しか持ってないじゃない? 獣人はみんな素足で走るのが一番速いんだろうけど、その段階で自分は不利だから、って、なんか変な靴作らせてたのよね」

「変な靴って」

「足首は割と自由に動かせるんだけど、足の甲をぎゅっと紐で締め付けて動かなくするようになっててね、その辺は丈夫な布で作ってて、足の裏は何か変なゴム素材だったわね。ぼこぼこ突起がついてて、蹴られたらめっちゃ痛そうな……」

「す、スパイクシューズ……」

「え?」

「あああ、いえいえ、とにかくヨル君が本気なのは分かりました」


「ていうか、ホントにヨル君から何も聞いてなかったの?」

「うう。……はい」

「ふうん。後でお説教ね」

「いや、そんな。私に教えてもしょうがないですし……」

「そういう問題じゃないでしょ。全くもう」

「と、とにかく、応援しましょう、応援」

「そうね。私も栗、楽しみだし」

「あ、あとちょっとですよ」

「よっし。いっちょやりますか」

「はい!」


「「ヨォォォォォォルくぅぅぅぅぅぅん!!!!!!」」


 ……。

 …………。


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