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ジンゴの戦い

 淡い月光が、降り注いでいる。

 立ち込める白煙がそれを反射し、夜の底に、不可思議な陰影を形作っている。

 血潮の香りと、草木の焼け焦げる匂いが、緩やかに吹く湿った風に乗って運ばれていく。


 かはっ。がふ。

「はあっ。はぁ。ごほっ」

 荒い吐息が二つ。

 一つは地面から、もう一つは、それより僅かに高い位置から。


 地に突き立てた長刀の柄を片手で握りしめ、縋り付くセイカは、辛うじて開いた片目を懸命に見開いた。

 だらりと垂れ下がる右腕は既に感覚を失くしている。

 気を抜けば意識が飛びそうな程の頭痛。

 肺は焼けるように熱く、呼吸の度に喉がひりつく。

 それでも、霞む視界の真ん中に、それを捉えた。


 地に臥す巨体。

 血の川が二筋、三筋、その影から流れていく。

 胴体が呼吸に合わせて上下するが、投げ出された四肢には、もはや力がない。

 時折思い出したように、蒼玉の角がぱちぱちと明滅する。

 死に瀕した雷獣の王の姿。

 それでも翡翠の目だけは、いまだに狂気を宿したまま爛々と燃え、セイカを睨みつけていた。


「終わりに、がふっ。……しましょう」

 吐血まじりのセイカの声に反応したか、雷獣が首だけをもたげる。

 長刀を引き抜き、左手だけの大上段に構えようとし、支えきれずに肩で負うような形になる。

 右足に力が入らず、左半身だけで這うように歩を進め、雷獣の首元に辿り着いたセイカを、背後からの声が止めた。


「お待ち下さい!」


 どたどたと走り寄った影が、セイカと雷獣の間に割り込む。

「い、イブスキ殿?」

「どうか、どうかお待ちください」

 頬をこけさせ、目を真っ赤に腫らし、声を枯らしたチュウヤ・イブスキが、セイカに縋り付く。

「何を……」

 目を白黒させるセイカに背を向けると、チュウヤはその場に跪き、額を地にこすり付けた。


「済まなかった!」

 枯れた声を絞り出す。

「済まなかった。二年前も、今回も、お前の子供を見殺しにしたのは私だ。私が、私がお前の子を殺したのだ」

「イブスキ殿!」

「私が悪いのだ。全て私が! 頼む。私を殺してくれ。妻を死なせ、子を鬼に食わせ、挙句使用人にまで裏切られた、無様な男を……。どうか、食らってくれ」


 チュウヤは、雷獣の角に縋り付いた。

 その声に嗚咽が混じる。

 骨ばったその手を、鬱陶しそうに雷獣が振り払う。

 ゆっくりと、雷獣が起き上がった。

 チュウヤはそれを見ると、地を這い、改めて雷獣に首を垂れた。

「頼む……殺してくれ……」

 その頭に、雷獣の口から零れた血と涎が降り注ぐ。


「ま、待ちなさい……あ」

 静止ししようと剣を構えたセイカを、押しのける腕が。

「殺してくれ。ころし、ごっ」

 チュウヤの後頭部を黒鞘で殴りつけ、気絶させた。


 黒ずくめの衣装。

 荒波のようにうねる黒髪。

 狼の如き眼光。


「……ジンゴさん」

 曖昧屋ジンゴが、血煙の中に現れた。


 ……。

 …………。


「おや、お疲れ様です。キリヤさん」

「っ! ……お疲れ様です、副団長」

「そんなに身構えないでください。先日は私もやりすぎました」

「いえ、そんなことは……」

「そちらはもう片付いたのですか?」

「は。報告書はこちらに」

「ではここで受け取りましょう。団長には私から。ご苦労様でした」

「宜しくお願いします」

「もう行かれるのですか?」

「はい。引き継ぎは全て済ませてありますので、あとは現場のものに任せても問題ないと判断します」

「では、出発前にお茶でもいかがです? お話ししたいことが一つ二つありますので」

「は。ご、ご一緒させて頂きます」

「ですから、そう怯えないで下さい。殿方にそういう反応をされると、有体に言って傷つきます。私も一応、女の端くれですので」

「……失礼いたしました」

「ああ。そういえば、ハタガミの里から連絡は来たのですか?」

「いえ。まだ何も」

「そうですか。今だからこういう聞き方をしますが、あなたはどれくらいの確度であの里に問題が発生していると考えますか」

「かなり、黒いかと。こちらに来てから仕入れた情報で、あの近辺で『曙の貴妃』の活動が目撃されています」

「ああ。あなたが前々からマークしていた……」

「ええ。私の考えが正しければ、今回も何らかの工作を行っている可能性があります」

「そうですか。では、その件に関しては、今後は報告を下さい」

「了解致しました」

「ふむ。となると、例の流浪人が心配ですね。もう里に潜り込ませているのでしょう?」

「ええ。ただ、あいつの心配なら不要ですよ」

「伝説級の魔獣を相手取ることができると? 失礼ですが、それほど腕の立つ人物には……」

「まあ、奴がただの剣士なら無理でしょう。あれの剣術は出鱈目もいいところですから」

「ならば……」


「心配はいりません。あいつは、曖昧屋ですから」


 ……。

 …………。


 気を失ったチュウヤを、ジンゴが掴み、後ろに放り投げる。

「ちょ……」

 慌てたセイカの後ろから青白い手が伸び、それを受け止めた。

「ヨル君」

 両目を血の色に濁したヨルが、無言のままチュウヤの体を後方へ運んでいく。

 そしてこちらに向かってくる、数人の足音。

「リーダー!!」

「セイカさん」

「っ! 酷い傷。アリサ!」

「はいっ!」

 『曙の貴妃』のメンバーとヒカリが傷だらけのセイカの体を支え、鎧を外していく。

「ま、待って、みんな。まだ……」

「大丈夫です。後はジンゴさんに任せてください」

 傷口を聖水で洗うヒカリの、その声を最後に、セイカの足から力が抜けた。


 ぐるるるるるるる。

 立ち上がった雷獣が、唸り声を上げる。

 その視線は、ジンゴが背に負った皮袋に注がれていた。

 ぼたぼたと、巨体から血が滴る。

 ぱちぱちと、蒼角が明滅する。


 その視線を正面から受け止めたジンゴは、無言で皮袋の口を解き、中身を地に転げ出した。

 がふ。ばふ。

 雷獣の息が荒くなる。

 それは果たして、雷獣の仔の死骸であった。

 どす黒い血に塗れ、四肢が不自然に折れ曲がった、無惨な亡骸。

 しゃらん、と。

 玲瓏な刃鳴りが夜陰に響く。


「な、何を……」

 朦朧とする意識の中で、かろうじて首だけを起こしたセイカが声を震わせる。


 ジンゴはその刀を、地面に深く突き刺した。

 次に腰から酒瓶を取り出すと、その琥珀色の液体を、とくとくと雷獣の仔の死骸に振り掛ける。

 最後の一滴までを振って落とすと、死骸の前にどっかりと胡坐をかいて座り、両の拳を握って、地面に着いた。

 深く首を垂れ、数秒使って、上げる。


 雷獣は、その挙措を、黙って見つめていた。

 やがて引きずる脚で一歩を踏み出すと、その死骸に鼻を近づけ。


 ぞぶり。


 食った。


 ぞぶり。ぞぶり。

 腐りかけた肉を噛み千切る湿った音が、小さく響く。

 がつん。

 骨を砕く音。

 ずぞぞ。

 血を啜る音。

 ばりん。

 鱗を破る音。


 その光景を、その場の全員が、息を飲んで見守った。


 淡い月光に濡れた雷獣の顔が、赤黒く染まっていく。

 それは悍ましい姿であった。

 それは恐ろしい姿であった。

 そして、悲しい姿であった。


「一体、何が……」

 セイカの手当てをする手を止めて、ヒカリが震える声を漏らした。

「あれは、葬儀だ」

「え?」

 その声に応えたのは、ヨルだった。

「ジンゴが言うには、一部の魔獣には、死んだ子供の体を親が食う習性があるらしい」

「親が、子を……」

「理由は分かっていない。魔獣の行動に、人間の道理は当て嵌まらない。魔力を回収してるのかもしれないし、単に食事として捉えているだけなのかも。ジンゴは昨日、二年前に雷獣の仔と遭遇したという山の場所に足を運んで、そこで何か大きなものに食われたらしい獣の骨を見つけたそうだ。あの雷獣にもその習性が備わっているのだとすれば……」

「じゃあ、雷獣の目的は復讐なんかじゃなくて」

「自分の仔の死体。それを喰らうことが目的だった。人里に下った時点で、子供が生きてはいないことは分かっていたんだろう。だから、せめて死体を手に入れようと、里から仔の魔力が外に出る度、それを追ってきていたんだ」

「そんな、そんな、悲しいこと……」


「それが奴らにとって悲しいことなのかどうか、俺たちには分からないんだよ。けど、分かり合えないことは、だから共に生きることができないってことじゃない。ジンゴ(あいつ)はいつも、そうやって生きてきたんだから」


 やがて。

 ずる。

 最後の一口を啜った雷獣が、ゆっくりと顔を上げた。

 血塗れの口元からは、ふしゅう、ふしゅう、と、荒い呼気が漏れている。

 しかし、その翡翠の瞳に、狂気の色はなかった。

 穏やかな目で、座り込み、顔を臥せたままのジンゴを見下ろしている。

 その顔が上がり、両者の視線が交わった。

 がほっ。

 雷獣が、口の端から血反吐を零す。

 その飛沫が、ジンゴの顔にかかる。

 ジンゴはそれを避けるでもなく、ただ黙って、目線を合わせている。


 やがて雷獣の方が視線を外し、ジンゴに向かって首を垂れた。

 きん。

 微かな音を立てて、蒼玉の一角と、地に突き立てられた刀が触れ合う。

 既に罅だらけであった角が、ぴし、とか細い悲鳴を上げるように欠けた。


 ぐるり、と、大儀そうに振り返ると、二本の足を引きずり、這うように歩く。

 その胴体から流れる血が、太い跡を引く。

「あ……」

 誰かが思わず声を上げるが、どうすることもなく、雷獣は歩いていく。

 やがて歩みを止めると。


 あおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおん


 吠えた。


 ををををおおわああぁぁぁぁぁあああん


 それは、魂を引き裂くような、聞いたものの胸を真綿で締め付けるような。

 それは、哀切の声であった。


 あおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおん

 ををををおおわああぁぁぁぁぁあああん


 やがて、その声が掠れ、弱々しくなってくる。

 それにつれて、額の一角が眩く輝き始める。

 全身の力が、そこに収斂していくように。

 夜闇に青い光の大輪が咲く。

 星影を隠し、月光を塗りつぶし、青い輝きが、天に昇っていく。


 ぉぉぉぉぉぉぉぉん


 最後は、緩やかに弦を弾くように。

 天に散った青い光を見送って、雷獣の体が、どう、と倒れた。

 そして、二度と動かなくなった。


 ……。

 …………。



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