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夜の王は静かに暮らしたい  作者: lager
プロローグ
5/156

新米聖騎士ヒカリ

 くつくつと、湯の煮える音がする。

 からからと歯車の回る音。

 きこきことペダルを踏む音。

 幻のように白く、細い糸が、融かされ、吐き出され、縒り合わされていく。

 釜の前に座る数人の女性は、褐色肌のものもいれば、黄色い肌のもの、耳の長いものもいる。みな一様に頬被をし、白衣に身を通している。

 みな黙々と、絹糸を繰っている。


「すみません!」

 

 その、日々緩やかに繰り返される紡ぎの営みに、耳慣れない声が響き渡った。

 がらり、と、続けて扉を開ける音と共に現れたのは、まだ幼さの抜けきれぬ少女の姿だった。

 背丈はこの場の女性の誰よりも低い。

 ふわふわと波打たせた栗毛の髪を二つに結わえ、簡素な上着の上に白く塗られた胸当てと篭手を身に付け、流れるようなロングスカートを履いている。

 ぱっちりとした黒目を大きく見開き、その頬は赤く上気していた。


「お、おお、お仕事中失礼します!」


 深々とお辞儀をすれば、両サイドの栗毛がぴょこんと揺れる。

 突然の闖入者に、女性たちは顔を見合わせた。

 その中で、一番奥の釜の前に座っていた女性が湯から繭をつまみ出し、少女の前に歩み寄った。


「何だい、あんた。ダメじゃないか、勝手に入ってきちゃ」

「あうう、すいません、すいません。あの、私、決して怪しいものじゃ―」

「いや、あんたの身分はカッコ見りゃわかるけれども」

 少女の胸当てに塗られた、白い勾玉模様を見て、女性が言う。


「何だい、査察かい? ちゃんと税金は収めてるよ!」

「あうあう、ええと、そうではなくてですね、何というかその、緊急事態といいますか」

「用があるならはっきりお言い!」

「ううう、す、すびませ、…あ! そ、そこの魔族のお姉さん!」

 少女からすれば遥か高みから降りかかる女性の声に気圧され、涙声になった少女だったが、繰糸場の真ん中付近の釜に座る女性を見つけると、びしっ、と指を差して叫んだ。


「え、私?」

 突然指さされた藍色の髪の魔族の女性―クーネが、戸惑いの声を上げる。

 クーネが取り敢えず自分の釜から繭を取り出し、作業を中断する間に、少女はもう眼前に迫っていた。

「あ、あの! これ!」

 少女の懐から何か液体の詰まった革袋が取り出されて、突きつけられる。


「これ、飲んでくらさい!」

「はあ?」

 少女は涙目で、けれど、真剣な目をして言った。

「聖水です!」

「聖水? 何でそんなもん飲まなきゃなんないのよ」

 クーネも周囲の女性(みなとっくに作業を中断している)も戸惑うばかりである。


「あ、あの、お姉さん。その、首筋に、傷跡がありませんか?」

「……え」

「虫刺されみたいな傷跡! ありませんか!?」

 女性たちの顔色が変わる。

 クーネの顔にも動揺が走る。


「……あ、ああ。確かに、あるけども、これ、ホントに虫刺されよ? 昨日ウチの倉庫整理してたら、同じトコ二箇所も食われちゃって―」

「あ、あああ。やっぱり、やっぱりあった。あの、おち、落ち着いて聞いてください。そそ、それは虫じゃなくて―」

「ちょっとちょっと、あなたが落ち着きなさい。ホントに大丈夫よ。大体、そんな量の聖水、買えるお金持ってないわ」

「お金なんていいんです! こんなの、水さえあればいくらでも作れるんですから!!」


「「「…………え?」」」

 一瞬、空気が凍った。


「はうっ!?」

「それ、あなた、口にしちゃって大丈夫なの?」

「あ。ああああダメですダメです怒られます絶対ダメです!」

「変なコねえ」


「ひぐっ。い、今のはどうか、聞かなかったことに! でも、これは飲んでください! お願いします。お代は結構ですから!」

 そう言って、少女が無理矢理押し付けた革袋を、クーネは戸惑いながらも受け取った。

「しょうがないわねぇ」


「ありがとうございます! 絶対飲んでくださいね! あの、それで、それでですね。それを飲んだらこう、何か、こう……思い出すことがあるかもしれないんですけど! 兎に角、それを飲んでれば大丈夫ですから! 落ち着いて、焦らないようにしてください!」

 そう言って、潤んだ瞳でクーネを見つめると、目を見張るクーネをよそに、少女は踵を返した。


「では! 私はこれで! やらなければならないことがありますので!」

 呆気にとられる女性たちの間を通り抜け、少女は外へと飛び出した。

「ち、ちょっと、あんた名前は!?」 

 最初に少女に声をかけた女性が、慌てて呼び止める。

 既に駆け出していた少女は、くるりと振り返った。


「ヒカリ・コノエです! またご挨拶に伺います!」


 ……。

 …………。


「それ、どうすんだい?」

 すっかり時間の止まった繰糸場で、押し付けられた革袋を持て余すクーネに隣の女性が声をかけた。

「うーん、どうしようかしらねぇ」

「というか、それホントに聖水なのかい? そんな量、教会で買ったら銀貨5枚は持ってかれるよ」

「そうよねぇ」

 周りの女性も集まって、クーネを取り囲んだ。


「試してみるかい」

「試すって?」

「ちょいとお貸し」

 一際長身の魔族の女性が、繰糸場の隅から青い繭玉を取ってきた。

 革袋の栓を抜くと、慎重に傾けて、繭玉に一滴だけ垂らす。

すると―


「うわ」

「うそー」

 みるみると、繭玉から色が抜けていった。

「こりゃあ、本物だわね。しかも、恐ろしく高濃度よ」

「ひええ」

「どうすんのよ。クーネ」

「……まあ、頂いとこうかしらねえ」


「それよりクーネ。あんた昨日ヨルちゃんに血い吸わせたんだろ? まさかとは思うけど、渡された聖水飲まなかったんじゃないだろうね」

「言ってたもんね、吸血鬼になるのも悪くないわよねえ、とかさ」

「ちゃんと飲んだわよ。ちょっと渋ったら、ヨルちゃんに怒られちゃったわ」

「いーなー。私も年下の男の子に叱られたい」

「あんたこないだジンゴにこっぴどく怒られてたじゃないか」

「あいつには愛がないのよ。というか愛想がないわ。ホントやめてほしい」


「ていうか、あの子、クーネが血い吸わせたこと知ってたってこと?」

「聖騎士みたいだけど、あの子が新任の人なのかしらね」

「マーヤさん何か言ってたっけ?」

「私は聞いてないわ」

「ヨルちゃん、大丈夫かしら」

「心配ねぇ」

「どうする?」

「ちょっと知らせとこうか」

「ミリアさん、『遠文』、お願いできる?」

「そうだねぇ。誰か、筆と墨取ってきてもらえるかい?」

「事務所行ってくるわ」

 

 ばたばたと、女性たちが動き始める。

 クーネはその中で一人、少女の走り去った道の先をぼんやりと見つめていた。


 ……。

 …………。


 所変わって。

 街の外を出て少し歩いたところにある森の、その手前を流れる川。

 水も僅かに温み始め、ゆるゆると流れる深い碧のなかに、はらはらと白い花弁が混じっている。

 川岸に横たわる平べったい大岩の上に、二人の男の姿があった。


 一人はすらりとした長身を黒衣の外套に包んだ、顔色の悪い少年。

 もう一人は、彼よりもさらに頭一つ高い背丈の、これもまた細身の男である。


 荒波のようにうねる長い黒髪を頭の後ろで無造作に縛り、灰色のYシャツと収納の多い作業着のようなボトムスはどちらもよれて皺だらけになっている。狼のようなぎらりとした目つき。高い鼻。無精髭を生やした壮年の男。


 二人は並んで大岩の縁に座り、釣竿を突き出して川面に糸を垂れている。

 竹で編んだ魚籠が川の流れに合わせてぷかぷかと浮きつ沈みつし、その中には何匹かの魚が見える。


「なあ、ジンゴ。ホントに釣れるのか? その、何とかいう鯉」

 黒衣の少年―ヨルに話かけられた壮年の男―ジンゴは、川面に揺れる浮きから目を離さずに答えた。

総角鯉(あげまきごい)だ。無論、釣れる」

「いや、無論て」

 ヨルの顔には飽いた表情があった。


「もういいじゃないか。こんだけ釣れれば。アヤさん入れて三人分くらいはあるだろ。昨日クーネさんから紫蘇味噌分けてもらったんだ。焼いて食おうぜ」

「酒の肴の話をしてるんじゃない」

「晩飯のおかずの話をしてんだよ……」


 ジンゴは川面から目を離さない。

「いいか、ヨル。総角鯉の髭は非常に高い魔力導体の性質を持っている。しかも五色の魔力全てを通すことが出来るのだ」

「五色全てを? そりゃすごい。けど、そんなことってあるのか」


「普通はない。混色魔法が二色が限界であるように、三色以上の魔力を通す生物由来の素材など滅多にはない。しかも、総角鯉自体は大した魔力を持たないただの魚だ。ちなみに恐ろしく不味い。その味故に資源的な価値はないものとされてきたのだがな。最近の帝都での研究で、先程言った魔力導体の性質が発見されたのだ。ここからは推論だが、おそらく総角鯉の髭には陰の魔力資質があるのではないかと思う」


「陰の魔力資質? 鯉の髭に?」

「そうだ。つまり、わかるか、ヨル。それさえあれば、今までは理論上不可能とされてきた陰の魔法を使える魔道具を作ることができるかもしれないのだ」


 そこで初めて、ヨルの顔色が変わった。

「すごいじゃないか! 大発見だぞ」

「ふん。しかも総角鯉は大陸でも限られた地域にしか存在せん。加えてここにはお誂え向きの陰魔法の使い手がいる。帝都の白騎士の連中からしたら垂涎が大湖を作る程の研究材料が揃っているのだ。獺が魚を祭ってから、昼と夜が同じくなるまでのわずかな期間、雨が一週間降らずに水量の減った、今日、この時のタイミング。ここで釣らねばまた一年お預けを食らうのだ。俺がどれだけ念入りに準備してきたと思っている」


「お。おお。何か俺もテンション上がってきたぞ」

「お前にもわかるか、このロマンが」

「釣れるんだな、総角鯉」


「案ずるな、ぬかりはない。元々希少な上に釣れたところで外道として捨てられるだけの魚故、読本にも総角鯉の釣り方など載ってはいないがな。逆に言えば外道としての釣例はある。ならばその前例を具に研究すれば自ずと釣法も見えて来るというわけだ。餌は鶏の肉と胡麻の葉を潰し、腐葉土とカロラ芋を混ぜて固め、浮き下は25センチ、竿は繊細な動きを伝える魔国の真竹。糸はエルフの森の深緑蓑蛾のものを使っている。これで釣れん道理などあるものか」


「おいおいジンゴ先生。気合入りすぎて手元狂わすなよ」

「笑止。今の俺は人竿一体。何人たりとも俺の手元を狂わすことなどできん」

「頼もしいねえ」

「任せておけ」


 男二人が並んで怪しげな笑い声を上げていると、


 ぴゅいいぃぃぃぃぃ


 遠くから、鳥の鳴き声が聞こえてきた。

「ん?」

 ヨルが後ろを振り返るのと、

 さく。

 その肩に、青い鳥の嘴が突き刺さるのは同時だった。


「ぎゃあああ!」

「おい、どうした」

 ジンゴがあくまでも川面から目を逸らさずに声だけかける。

「……いってぇ」


 ヨルが刺さった嘴を引っこ抜くと、鳥に見えたそれは、青い紙で作られた折り紙であった。

「『遠文』だ。街で何かあったかな」

 紙を解き、広げる。


『聖騎士来タル。正体バレテル。注意サレタシ』


「どうした」

「さあ? 例の新任の聖騎士が着いたらしいんだけど。俺のことがもうバレたみたいだ」

「どうするんだ」

「うーん、ゲンジさんは気にしなかったけど、やっぱダメなのかなあ。話してわかってもらえればいいけど」

「おい。討伐されるならせめてこの研究が終わってからにしろよ」

「勝手なことを……」

「お」

「お?」

「か、かかった」

「え?」

「かかったぞ。総角鯉だ!」


 先ほどのやり取りを一瞬で忘れた男二人が慌てて立ち上がる。

「え、おい。マジか。どうしよう、どうすればいい」

「落ち着け。釣り上げるのに力はいらん。お前は絶対に逃がさないように魔法で籠を作れ」

「お、おう。こんくらいか?」

 ヨルの足元から影が伸び、持ち上がった。

 物理的な質量を持った蒼い影が風呂桶のような形を作る。


「いいぞ。気を抜くなよ。3・2・1で引き上げる。俺が上げたら一気に包み込め」

「ええと、1と同時か? 1のあとちょっと置くか?」

「ちょっと置いてだ。いくぞ」

 揺れる竿を握るジンゴの手に力が入る。


「「3」」


 ヨルの影から伸びる影がざわりと蠢く。


「「2」」


 二人の顎から雫が落ちる。


「「1!」」


「今―」

「その人から離れなさい!!!!!」

「「!!??」」


 突如飛来した光の矢が大岩の角で弾け。

 閃光と轟音が。

 土埃と水飛沫が舞い。

 きらりと陽光を跳ね返す、鯉の鱗が宙に踊り。

 影の籠に収まることなく、水面に没した。


「邪悪な吸血鬼! 観念しなさい!!」


 狩猟弓を構えた聖騎士の少女が、涙目でこちらを睨んでいる。


 悠々と泳ぎ去る鯉の影を、ジンゴが呆然と見下ろしていた。


 ……。

 …………。





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