遭遇
「あ、あの。私。ええっと……」
「俺たちに何か用ですか、ええっと、アズミさん?」
へたりこんだ少女の足首から、しゅるしゅると影の縄が解けていく。
ヨルの冷たい目線に見下ろされ、青みのかかった黒髪を二つのお下げにした少女―アズミは、立ち上がって勢いよく頭を下げた。
「す、すみませんでした! 後を付けるような真似をして」
「何か、御用ですか?」
薄らと笑みを浮かべて、ヨルが重ねて問う。
それに気圧されたアズミは少し返答につまり、それでも意を決して向き直ると、今度はヒカリに向かって頭を下げた。
「先程は、すみませんでした!」
「ええ!?」
「私たち、ヒカリさんに、大変失礼なことを……」
頭を下げたまま謝罪するアズミに、ヒカリの方が狼狽える。
「あ、あの。いいんです。気にしてないですから、頭を上げてください」
顔を上げたアズミの目には、うるうると涙が滲んでいる。
「本当に、済みませんでした。私たち、以前に聖騎士の方と、仕事のことでトラブルになったことがあって。ちょっと、その……神経質になっちゃってて」
「あう。それは、えと。こちらこそ、済みませんでした」
「いえ! 違うんです。ヒカリさんには関係ないことですし」
「でもでも。最初、ミドリさんに誤解させるようなことを言っちゃったのは確かですので」
「そんな。それは、こっちが情報を隠してたから」
「いえ。私こそ……」
「いやいや。こちらが……」
「つまりあなたは、こいつに謝罪するためにこちらの後を付けてきたと?」
そのまま地面に付きそうなほどお互いに頭を下げ合うヒカリとアズミを見かねて、ヨルが声をかける。
「はい。パーティーの総意としては、あなたたちには不干渉ということで、話が纏まりました。纏まったというか、リーダーがそう言ったので……。ただ、わたし、どうしても一言謝りたくて。隠匿魔法で、こっそり抜けて来たんです」
「あの、本当に、気にしないでください。私なら、大丈夫ですので」
あたふたと手を振りながら言うヒカリに、アズミの表情が明るくなった。
「ヒカリさん……。優しいんですね。今まで会った、聖騎士の方とは、全然違います」
「いえ。そんな。そんなことは……」
「あの! 里に着いて何かあったら、私に相談してください。お役に立てるか分からないですけど、私、あなたの味方ですので!」
アズミがヒカリの両手を握りしめる。
ヒカリはその手を、困ったように見下ろす。
「あ、ありがとうございます。アズミさん。あの、私……」
「一つ、聞いていいですか?」
ヒカリの言を遮って、ヨルが問いかけた。
「え? ……えと、はい。ええと、ヨル、さん」
先程の冷たい声を思い出し、アズミの声には僅かな怯えがあった。
「『曙の貴妃』では、哨戒はあなたが任されているんですか?」
「はい。そう、ですけど。それが、何か?」
ヨルの声はいつの間にか温かみを取り戻し、そのギャップに却って戸惑いながら、アズミが応える。
「普通、二人一組で行うのがセオリーでは?」
アズミの首が傾げられる。
「そう、なんですか? すみません、私、傭兵稼業は、今の所が初めてで……。あ、でも、ウチは基本的に分業制なんです。一人一人に、きっちり仕事が割り振られてて、いざって時に何をすればいいか混乱しないように。私の得意は隠匿魔法だけですから、正直、偵察と哨戒くらいしか、やることがないので……」
「じゃああなたは、前線には立たない?」
「はい。一応、最低限って感じで、ナイフは装備してますけど。使うことないです。戦闘になっても、前衛の人たちが殆どやっつけちゃうので」
「そうですか。すみません、立ち入ったことを聞きました」
「いえ。いいんです。それより、ヨルさんは、その……、さっきも、今も、どうして私に気づいたんですか? あ、いえ。付けてたのは完全に私が悪いんですけど」
「俺も、探知魔法くらいしか得意がないんですよ」
「え?」
その、柔らかな微笑で紡がれたヨルの言葉に、ヒカリが反応した時だった。
をををををおおおおおおおおおん
森を震わす、声が響いた。
どろろろろろろろろろ
続いて、轟く雷鳴が。
「!?」
アズミの目が驚愕に見開かれる。
「うそ。なんで……」
ヒカリが両手を口元にやり、ぶるぶると震え始めた。
目にありありと恐怖の色が刻まれている。
「魔獣だ。それも、かなり大きい」
遠吠えと共に伝わってきた魔力の気配を感じ取ったヨルの顔に、緊張の色が滲む。
「わた、っわたし。その、戻ります!…失礼します!」
ヒカリに勢いよく頭を下げたアズミが、暗闇に駆け出す。その姿が、一瞬で闇に呑まれて消えた。
それに反応も出来ず震えているヒカリに、ヨルが向き直った。
「大丈夫だ。移動してる。こっちには向かって来ない」
そうしている内にも、遠吠えと雷鳴が断続的に聞こえて、強風と混じり合い木々と枝葉をざわめかせている。
「あの。一体、何が……」
怯えるヒカリに、ヨルが毛布を手渡した。
「さっきの反応。アズミさんは何か心当たりがあるみたいだった。それに、セイカさんたちは、里からの救援依頼を受けたとも言っていた。ひょっとすると、あの声の主と何か関係があるのかもしれない。……ああ、平原に向かってるな。何か追ってるのか……?」
「ヨル君」
首を巡らせ魔力の気配を辿るヨルの服の端を、ヒカリが掴んだ。
「だから、大丈夫だって。こっちには来ない。取り敢えず、一晩様子を見よう。俺が起きてるから……」
「行きましょう」
「あん?」
震える声で、ヒカリが言う。
「だ、誰か、おお、追われてるかもしれないんですよね」
「何言って……」
「行きましょう! 依頼と関係があるなら、セイカさんたちも向かってるはずです!」
「馬鹿。お前が行ってどうするんだ。助けるのか? さっきあんだけいざこざしておいて?」
「そんなの関係ないです。それに、アヤさんのレコーダーがありますから。私が助けたって教会は関係ないです」
「そういう問題じゃない。セイカさんたちだってプロの傭兵なんだ。人の仕事に横槍を入れるな。大体、お前が行ったって邪魔にしかならな…」
「ヨル君!!」
ヒカリの大声が、ヨルの言葉を遮った。
無言の睨み合い。
2秒。3秒。
その、強く火の点ったヒカリの目を見て、やがてヨルは諦めたように溜息をつき、視線を逸らした。
ヒカリが、受け取った毛布をヨルにつき返す。
「ヨル君は、ここで待ってて下さい。これは、私の務めですかへぶっ」
「……行くぞ。馬起こせ」
「何で叩くんですかぁ!?」
……。
…………。
ぴしゃああああああああん!!!
自身の1メートル先の、黒焦げになった地面を見て、セイカがきつく歯噛みする。
素早く270度に視線を動かし、仲間の無事を確認する。
焼けた草の匂い。
白煙。
その奥に、青い光が。
一瞬感じた悪寒に、殆ど反射で体を右に沈み込ませる。
左肩を掠める風。
肌を焼く恐怖。
一瞬遅れて、衝撃と轟音が左半身を撃つ。
沈み込ませた体をそのままに、右足で地面を踏み潰し、杭のように打ち込む。
反動が膝から腰へ、腹へ、胸筋を伝い、両手で握り締めた長刀の先に届く。
轟。
大木を断ち切る剣閃が振るわれ。
ぎゃりぃ!
藍鉄色の鱗と擦れ、火花を上げる。
セイカの渾身の一撃を回転していなしたそいつに、別の角度から、戦鎚を背中に引き絞った少女が走り寄る。
「はあっ!!」
逆袈裟に振り上げられた重量級武器の一撃を、その、青黒い獣は悠々と躱す。
少女は素早く重心を移し、さらに一歩を踏み出す。
躱された勢いをそのままに、打ち下ろしの右。
届かない。
「まだまだぁ!」
地に打ち込んだ槌を軸にするように体を回転させ、さらなる追撃の構えを取る。
しかし。
「駄目! コハル!!」
セイカの絶叫も虚しく。
ぱあぁぁん!!
「ぎっ」
破裂音と共に稲光が弾け、戦鎚を掲げたまま少女が硬直する。
ぐるぅああ!!
感電した少女の身体に獣の爪が迫り。
「馬鹿者が!」
その身体を、黒衣に身を包んだ男が片手で掴み、後ろに投げた。
逆の手に握られた、納刀された黒鞘を逆手に掲げた瞬間、獣の爪がそこに振り下ろされ、巨岩を叩きつけられたような衝撃が男を襲う。
勢いを殺しきれず、男の腕に爪の先が食い込む。
「ジンゴさん!」
「ふん!」
黒衣の男―ジンゴは、その状態で抜刀し、獣の腕の関節を狙う。
すかさず後ろに下がった獣の青黒い鱗を、その鋒が掠めた。
ジンゴも後ろに跳び、獣の間合いの半歩後ろへ距離を開ける。
納刀。
滑るように横に駆け出す。
「飛べ!『奔爪!』」
その空間を、風の刃が飛翔した。
ぎぃん!
獣の頭部に生える、青玉でできたような一角がそれを弾く。
「そんなっ!?」
獣の目の見据える先、櫟の仗を掲げた魔法使いの少女が驚愕に目を見開く。
その、一瞬の硬直に。
「せいっ!!」
「ふんっ!!」
セイカの長刀とジンゴの刀が振り下ろされ。
ぎゃりぃぃぃん!!!
横薙ぎに振るわれた丸太のような尾の一撃に、纏めて弾かれる。
「ジンゴさん!」
より遠心力のついた一撃を喰らったジンゴが吹き飛ばされ、10メートルほど草原を転がる。
ぐる。
ぐるぉぉぉおおおおおおああああああ!!!!!
猛き雷鳴に空気が震え、セイカの肌を噴出した魔力の波が打ち据える。
視界の端で、先程雷撃を喰らったコハルが仲間に介抱されているのを確認する。
ジンゴが吹き飛ばされた先でむくりと起き上がる。
魔法と弓矢による遠距離攻撃は効果なし。
剣撃は躱され、或いは鱗に弾かれる。
二秒以上至近距離にいると、感電の危険が付き纏う。
戦闘不能一名。
敵の損耗は確認できない。
セイカの顎に、冷や汗が伝った。
……。
…………。




