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山に雷鳴が

 ごうごうと風の吹く、賑わしい夜であった。

 山の夜だ。

 身を捩るようにうねうねと生えた太い木々は深緑の天井で空を覆い、星影を隠している。

 それでも強く吹く風にざわめく枝葉から、時折は青白い月の光が溢れる時もある。

 その、あるかないかの光の欠片が、かえって一層山の闇を深くしているようであった。


 道はない。

 強いて言えば、何か大きなもの(・・)が草を踏み潰して出来た跡が、鬱蒼と茂る山の森の中でなにがしかの導となっているようにも思われるが、それが何処に繋がっているのか、或いはどこにも繋がっていないのか、判じることはできそうにない。


 その中で、一際大きく、太く伸びた栃の木の根元に、闇の中でなお、一層濃く凝った黒い塊があった。

 風の音とは関係なしに、時折もぞもぞと動いている。

 荒い呼吸が聞こえる。

 もしも鼻の効く生き物はいたなら、そこに汗と血と、火薬の匂いを感じ取っただろう。

 それは、人間の男だった。


 身を潜めるように畳まれた手足は長く、立ち上がればかなりの長身であることを伺わせる。

 その総身を黒づくめの衣装で包み、荒波のような黒髪を、頭の後ろで無造作に縛っている。


 痩せた頬。

 鋭い眼光。

 年の頃は30の半ばに差し掛かるかといった所。

 腰のベルトに取り付けられたホルスターには、黒塗りの鞘の大小が差されている。


 男は切り裂かれた左腕の袖から覗く赤黒い傷跡を自分の口で舐め、砂を取ってから晒で縛り、膝下までを覆うブーツの紐を固く結び直した。

 懐から取り出した何かの果実に噛み付いて皮を破り、握り潰して果汁を啜る。

 その頃には、呼吸も幾らか落ち着きを取り戻している。

 顔を上げ、月明かりを探すように深緑の天井を見上げた、その時。


 ををををおおおおおおおおん


 遠吠えが、聞こえた。


 天を震わすような、地の底から響くような。

 一度聞けば、二度と夜に安眠できなくなるような。

 それは、おどろおどろの声であった。


 それを聞いた男の顔が、ぎちり、と歪んだ。

 白い歯の覗く口元が耳元まで裂けるように釣り上がる。

 獰悪な笑み。

 立ち上がり、駆け出した。


 ををををおおおおおおおおん

 おわああああああああああん


 その背にへばり付くように、遠吠えが聞こえる。

 男は駆けた。

 木の根を飛び越え、枝葉を潜り、両手を使って体勢を保ちながら、獣の如くに森を駆けた。

 

 ごろろろろろろ

 どろろろろろろ


 雷鳴が、天から降ってくる。

 森中の木々を震わせるように。


 男は駆ける。

 闇の中、僅かばかりの明かりを目指して。


 ごろろろろろろ

 るうををををおおおおん


 雷鳴と遠吠えが混じり合い、男の背に迫る。

 近づいている。

 駆け出した時よりも近く。

 数歩前より、なお近く。

 頭蓋を抜ける高音と、胃の腑に沈み込む重低音が、交互に男の体を震わせる。


 男は駆けた。

 駆けて、駆けて、また駆けた。


 やがて目に見えて光量が増え、顔の横を通り過ぎる木々の輪郭が明瞭とし、男の顔が横からの風を感じた、次の瞬間。

 男は虚空に飛び出していた。


 大岩を踏切り、風を全身に受ける。

 唐突に樹木が絶え、頭上に紫紺の星天が現れる。

 一瞬の浮遊。

 体が重力を感じる前に、男は眼下に広がる苗色の海原を確かめる。


 数秒使った落下。

 その間に腰から刀を外し。

 足先、脛、太腿、腰、肩へと、流れるような動きで転がりながら着地。

 一面背の高い草に覆われた地面で、男は顔を顰めながら起き上がる。

 数瞬遅れて落下した二本の刀を回収しがてら、自分が今飛び出してきた崖を見上げた。

 

 川を流れるような速さで、西から東へ薄墨の雲が滑っていく。

 少し欠けた月が、千切れた雲間から淡い光を零し。

 その月光を、夜天の中でなお暗い、青黒い影が遮った。


 星影に、稲光が。


 衝撃。

 粉塵。

 そして目映い、青光が。


 風に流れる土煙の中から現れたのは、藍鉄色の鱗を持った獣だった。

 身の丈は3メートル程。

 太い前足。鉤爪。月白の鬣。丸太のような尾。

 その全身に紫電が絡み付く。

 蜥蜴と狼を足したような頭部には、青黒い舌の覗く連なる牙。

 そして、蒼玉でできたかのような、天を穿つ一角。

 瞳だけが、鮮烈な翡翠。


 相対するは、人間の男一人。

 長身痩躯。

 総身を黒衣に包み、腰には大小。

 眼光の鋭きは月光の如く、

 気炎猛きは陽炎の如し。


 しゃらん、

 と、玲瓏たる刃鳴りが風を斬り、

 上段に構えられた。


 咆哮放たるるは、男か、獣か。


 月夜の草原に、剣花と、雷光と、血飛沫が舞った。

 

 ……。

 …………。


「ハタガミの里っていうのは、どういう所なんですか?」

「柑橘類を特産にしてる山間の里だな。俺も行くのは初めてだ」

「私は帝国領自体初めてなんですけど……」

「夏蜜柑の他には、酢橘とか、桶柑とかだな。港国じゃ、最近ハタガミの酢橘でジャムを作ったのが人気らしいぞ」

「すだちジャムかぁ。確か徳島の名産品でしたよね」

「……四国なんか行ったことねえよ」

「私だってないですよ。お土産でお父さんがもらってきたんです」

「さいで」


「農作が盛んなら、畑上とかって書くんですかね?」

「いや、確か、元はハタタガミの里って名前だったらしい」

「はたたた?」

「なんでブルース・リーみたいになってんだよ。ハタタガミだよ。は・た・た・が・み」

「何です? その噛みそうな名前」


「元は里の三方を囲む山が、ハタタガミの山って名前だったんだよ。周りの村からそう呼ばれてたのがいつの間にか里の名前として定着した時に、言いやすいように『タ』が一個抜けたんだろ」

「へえ。漢字だとどう書くんですかね」

「霹靂神だ。雷神だな」

「かみなり? 山なのにですか?」


「その山じゃ、夏頃になると天気に関係なく山の上のほうで雷の鳴るような音が聞こえることがあるんだそうだ。まあそれなりの曰はある。それに加えて、かなり峻険な山だってこともあって、里の人間にとっても山の上層は禁域になってる」

「いわく?」

「何でも、山の頂上には古くから獣が住んでる。青き龍の子供だか親戚だかで、昔は人里に下りてあれやこれや好き放題してたのを、旅の魔法使いが何某かの犠牲の元にそれを鎮めて、山奥に封じ込めた。その犠牲を出した家の子孫が里の民で、山から聞こえる雷鳴はその獣の鳴き声なんだとか」

「はあ。ベタですねえ」

「お前な……」


「そんなことより、桶柑っていうと、ひょっとしてアマギの街の特産の桶柑大福のことですか。そうですよね。ひょっとしなくてもそうですよね!」

「何でそんなこと知ってんだよ。帝国領は初めてなんじゃねえのか?」

「ミツキさんの遺した大陸グルメガイドに載ってるのです! 養成校生の愛読書なのですよ!」

「ああそう」

「楽しみだなぁ。多分同期では私が一番乗りのはず。ふふふふふ」

「桶柑の旬は春までだぞ」

「ヨル君のばかあ!!!」


 ……。

 …………。

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