届かない夏の香り
「すぅっっっっっっっっっぱぁ!!!!」
風の抜ける濡れ縁に腰掛けた聖騎士の少女ヒカリが、目と口をバッテンにして叫んだ。
「そうなんだよねえ」
それを、菖蒲色の浴衣に身を包んだ魔族の女性マーヤが困り顔で見下ろしている。
「うあーん。口の中がしゅわしゅわしますぅぅ」
「ごめんごめん。ほら、麦茶飲みな」
ヒカリがマーヤの自宅を訪れたのは、日も中天に差し掛かろうかという時刻であった。
ヨルと大喧嘩をした後で疲れきった身体にボリュームたっぷりのカルボナーラをかっこもうと『ハイビ』に乗り込もうとしたヒカリを、買い物帰りのマーヤが引き止めたのだった。
「ええ!? 今日は『ハイビ』お休みなんですか?」
愕然とするヒカリに、マーヤが苦笑して言う。
「今日は貸切だよ。『お茶会』とやらでね」
「そんなぁ……」
すっかり胃袋がチーズとクリームの匂いになっていたヒカリがしゅんと項垂れたのを見て、マーヤが言った。
「何ならウチでお昼食べてくかい? 素麺だけどね。お中元が重なっちまったんだ。ちょいと片付けるの手伝っておくれよ」
「行きます!」
一瞬で麺汁と薬味の香りに胃袋を塗り替えたヒカリが即答した。
そして。
「違うんです。遊びじゃないんです。ロマンなんですよ」
「はいはい」
「大体なんですか。人のこと子供呼ばわりしておいて、自分は真昼間からお酒ですか。アルコールを飲めればそれで大人ですか!」
「そうだねえ」
「いっつもそうなんですよ、ヨル君は。こないだもジンゴさんと二人でこそこそアトリエに閉じこもって、『お前は危ないから入ってくるな』って締め出して。なんで危ない実験に魚の干物が必要なんですか! 私、知ってるんですよ。アヤさんの分貰ってこれなかったから、見つからないように魔道具の実験の振りしてこっそり上物のお酒飲んでたの!」
「男って奴はしょうもないねえ」
「大体マーヤさんがヨル君を甘やかすから!」
「おいおい。私のせいにするんじゃないよ」
「…ってシャオレイさんが言ってました!」
「……あんのババァ」
そして、散々愚痴を吐き散らしたヒカリが再びしゅんと項垂れたタイミングで、マーヤが台所から持ってきたのは、よく冷えたグラスに注がれた、夏蜜柑のスムージーであった。
見た目にも涼しげなそれを見て、ぱっと顔を輝かせたヒカリに、何食わぬ顔でマーヤは遠慮せずにお飲みと言い、何の疑いもなく濃い向日葵色の液体を大量に口に含んだヒカリを、絶望的な酸味が襲ったのだった。
「ううーん。ハチミツの量はレシピの倍にしたんだけどねえ」
「言われてみれば、なんかどろっとした甘味が奥の方にあるんですけど……」
「完全に味が分離しちゃってるねえ。こりゃダメだ」
「ううう。酷いです、マーヤさん」
涙目で抗議するヒカリの頭をマーヤが優しく撫でる。
「だから悪かったって。言っとくけどね。私だって最初はカグヤさんに騙されたんだよ。今頃街中で同じ悲鳴が聞こえてるだろうさ」
「なんなんですかあ、これ?」
「それがねえ……」
……。
…………。
「「荷が入ってこない?」」
翌日。
メリィ・ウィドウの工業区の執務室で、ヒカリからすればベッドのようなサイズの特製の椅子に深々と腰掛けた街の管理者の片割れ・カグヤの前で、ヒカリとヨルが声を揃えた。
「そうなのよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「…………え?」
「ホントにお困りみたいですね、カグヤさん」
この場所に来るたびにいつも食らっていたカグヤの怒涛のおしゃべりに身構えていたヒカリが、肩透かしを喰らい戸惑いの声を上げる。
その横で、目を細めたヨルが腕を組んだ。
ハタガミの里からの荷が、届かないのだという。
帝国領ハタガミは三方を山に囲まれた陸の孤島で、古来より知る人ぞ知る秘境であった。しかし、近年街道の整備が発達してきたおかげで流通の経路が確保され物資の行き来が始まると、里で栽培されていた柑橘類が糖度が高く香り豊かであると商人たちの間で評判になり、今ではすっかり里の特産品として認知されている。
距離的にはさほど遠くないメリィ・ウィドウの街でも取引をしており、毎年この季節には大量の夏蜜柑が定期便に乗せられてやってくる。
しかし、その荷が届かない。
「それがねえ、折角アンドレさんから夏蜜柑を使ったデザートのレシピ教えていただいて、手ぐすね引いて待ってたのに全然届かないものだから、もう待ちきれなくって以前に他所の街から貰った苗木で育ててた自前の夏蜜柑で作っちゃったのよ。そしたらそれがもう、すぅっっっっっっっっっぱくて」
「……うう。はい」
「悔しくて仕方ないものだから街のみんなにもお裾分けしちゃったの。そしたらみんな、私も他の人に教えてあげなきゃね、なんて言っちゃってね。やあねえ、ホント」
「……そうでしたか」
それぞれ別の場所でその不幸の手紙を受け取ったヨルとヒカリが顔を暗くした。
「別に酸っぱいだけならいいんですけどね。苦味と渋みとえぐみが合わさって、他の甘味で誤魔化そうとしても邪魔しちゃうんですよ。俺も何度かミシェルさんに付き合ってレシピ改善しようとしたんですけど、全然駄目でした」
「ヨルちゃんでもだめなら、もう望みは薄いわねえ。やっぱり、ハタガミの夏蜜柑が欲しいわよねえ」
「連絡は取れないんですか?」
「それがねえ。ほら、お掃除のヨネさんのね、従姉妹にあたる人がハタガミに住んでいるのよね。ウチの街と交流が始まったのも、そもそもその方との縁がきっかけなのだけど。それで、時々手紙のやりとりもしているそうなのだけど、先月出した手紙の返事がまだこないみたいなの。今までこんなことなかったっていうから、ちょっと心配なのよ」
カグヤが太い指を組んでテーブルに肘をつき、顎を乗せる。
会話の端々に溜息が漏れ、その困窮ぶりを伺わせた。
「それでねえ。二人にお願いがあるんだけど……」
……。
…………。
そして、数分後。
「……ヨル君」
「ん?」
「ここは、一時休戦としましょう」
「……はあ?」
端的に言うと、カグヤのお願いは、二人にハタガミの里まで様子を見に行ってほしい、というものだった。
街の外の情報収集は本来であれば新聞屋アヤの仕事であるが、丁度今とある傭兵団への取材で街を空けており、連絡がつかないのだという。
ヨルはともかく、聖騎士の正式な任としてこの街に駐留しているヒカリが長期間街を空けるのは問題ではないかと心配したヨルに、『そうやってまた自分だけで仕事しようとして!』とヒカリが食ってかかり、街の代表からの依頼ということにしておけば対外的な問題はないというカグヤの言を受けたヒカリがヨルの意見を聞くこともなく依頼を了解し、現在、二人は荷造りを始めているところである。
長屋に戻って旅装の支度を始めたヨルに、いつになく真剣な顔をしたヒカリが声をかける。
「お前が先にふっかけてきたんだろうが」
「ヨル君は、メガストップの夏期限定スムージー、食べたことありますか?」
「メガ……何て?」
「メガストップです!」
「あ。ああ、向こうの世界の話か。……そういや、バイトの先輩に奢ってもらったことあったっけ。あれは美味かったな、泣けたよ」
「え……泣き? ま、まあ、いいです。スイーツというのはですね、ヨル君。人を幸せにするためのものなのです。決して、あのようなすっっっっっっぱいだけの黄色い液体を、許してはいけません。前世の美味しいスイーツを知る私たちには、本当に美味しいスムージーとはどういうものかということを、この街の方々に教えて差し上げる義務というものがあると思うのです」
「……まあ、一理ある」
「何が一理なものですか。これは道理というものです。いいですか、ヨル君。私は必ず、この街に美味しい夏蜜柑を持ち帰ってみせます! もう二度と! あんな悲しい思いをしないために! この悲しみの連鎖を、この手で断ち切ってみせるのです!」
「………いや、里の様子を見に行くのが仕事だからな?」
「細かいことはいいのですよ!!」
「はいはい」
「『はい』は一回でいいのです!!」
「うぜえ!!」
こうして、翌日の早朝、二人は街を出発したのだった。
「よろしくね」「お願いね、二人とも」「必ず夏蜜柑を持ち帰って来てね」「絶対よ」「必ずだからね」「待ってるからね」「約束よ」「何がなんでも持ち帰って来てね」「何なら早馬で送ってくれてもいいからね」「楽しみにしてるからね」「くれぐれもよろしくね」
街の女性たちからの大量の声援に見送られて。
……。
…………。




