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転生者ヒカリ

 朝光蕩子(あさみつとうこ)は、21世紀の日本で生まれ育った。


 彼女の父親はいわゆる成功した起業家で、はっきり言って富裕層であった。

 愛妻家でもあった父は一人娘の蕩子にも惜しみのない愛情を注ぎ、砂糖菓子の上からハチミツとチョコレートを交互にかけて生クリームでデコレーションしたような甘やかしぶりで、蕩子はぬくぬくと育てられた。


 夫婦は仲良く、お互いの実家との関係も良好で、おまけに家に雇われたお手伝いさんたちにも分け隔てなく優しく接する両親に育てられた蕩子は、その人格が形作られる中で、愛情以外のものを見る機会がなかった。一人っ子にありがちな傲慢や我儘を身につけることもなく、蕩子は思いやりのある、優しい性格に育った。

 ただ惜しむらくは、蕩子の体が、人並み外れて病弱であったことだけである。


 幼少時より月の半分は病床に伏せっていた蕩子は、就学年齢に達しても殆ど学校には通えず、たまに行ったところで大がつく程の世間知らずの蕩子が女子小学生たちの権謀術数についていけるはずもなく、当然友人など碌に出来ず、孤独な子供時代を過ごした。

 ベッドの中での唯一の楽しみは、親に頼めばすぐさま手に入る漫画と小説、アニメや映画などのサブカルチャーだけであり、蕩子の世界の半分はフィクションで構成されるようになった。


 中学校にもいられなくなる年齢の頃には体もいくらか落ち着きを得て、何とか卒業資格を得ることには成功し、優秀な家庭教師のおかげで進学先にも困らなかった蕩子ではあったが、それでも空想と現実を半歩で行き来するような夢見がちの少女に友達は少なかった。

 

 そして、15歳の春。中学生でも高校生でもない、わずかばかりの宙ぶらりんの時。

 蕩子は死んだ。

 交通事故だった。

 車に轢かれそうになっていた犬を助けようと車道に飛び出し、その車が急ハンドルで避けた所を後続の軽トラックに正面からぶつかられ、何を思う暇もなく、蕩子の脳は形を失った。


 次に蕩子が目覚めた時、そこは何だかよく分からない空間だった。

 夕焼けの空に銀色の三日月。

 向日葵畑の中に立つ五重の塔。

 清水の流れる音。

 風がごうごうと。

 微かに風鈴の音。

 甘い匂い。

 蛍火。

 遠くには槍のような山が白く、紫色の雲が旗のように靡いている。

 宙を舞う蒲公英の綿毛。


 季節と時間がごちゃまぜになったような謎の景色に蕩子が呆然としていると、いつの間にか目の前に、黄色と橙と、焦げ茶のモザイク模様でできた落ち葉を積んだ塚が現れていた。

 その中に、金糸をあしらった流れるような純白のローブと、ふわふわとした栗毛色の髪が埋もれている。

 すやすやと寝息が聞こえる。


 蕩子が恐る恐る近づくと、そこには、色白の頬をうっすらと桜色に染めた女性が、幸せそうな顔で眠りこけていた。

 覗き込んで見れば、かなりの美人である。鼻筋はすうっと通り、唇は小さい。形のよい眉も、長い睫毛も、その蕩けたような寝顔を一層美しく見せている。


「あ、あのう……」

 蕩子がおっかなびっくり声をかける。

(これはひょっとして、ひょっとしてひょっとしちゃったりなんかしちゃってるんじゃないだろうか!)

蕩子の胸は期待に膨らんでいた。


 自分は確か死んだはずだ。見るからにヨボヨボの犬を助けようと道路に飛び出して、運動神経など皆無のくせに急に駆け出したもんだから、案の定蹴つまづいた拍子に盛大にこけ滑り、その時の音と蕩子の悲鳴に驚いた犬は飛び上がって歩道に逃げ、なんだよ全然元気じゃん! と呆れかえる暇もなく、ブレーキとクラクションの音に身をすくませた次の瞬間には、目と鼻の先に白いトラックのナンバープレートが迫っていた。

 魂が吹っ飛ばされるような衝撃を受けたところまでは覚えている。あんまり痛みは感じなかったことも。


 まあ、死んだよね。

 生きてたらもっと痛いはずだもんね。

 と、いうことはだ。

 ここはひょっとして死後の世界。

 そして目の前に、女神のような美しい女性(寝てるけど)。

 なんかこういうの、ネット小説で読んだことある!


(なんだろなー。どんなチート能力貰えるんだろ。自分で選べる系がいいなー。やっぱ魔法は使いたいよね。でも迷っちゃうからなー。モンスター系はやめてほしいけど、悪役令嬢とかだったらちょっと面白そうかも……)


 夢中になって読み漁ったいくつもの異世界転生ストーリーが蕩子の脳裏に浮かんでは消えていく。

 自分が死んだ事実に意外な程ショックを受けていないことを、頭のどこか冷静な部分で自覚しつつ。

 蕩子は転生の女神(だと勝手に決めつけた女性)の肩を揺する。


 ふにゃあ、と、その顔がさらに甘く蕩け、口元がふにふにと動くが、目を開ける様子はない。

「な、なんて幸せそうな顔……」

 思わず蕩子が見とれていると、その綺麗な眉が、ぴくりと動いた。

「!!」

 びくりと肩を震わせ、蕩子が後ずさる。


 美女がごろんと寝返りを撃ち、はらはらと落ち葉が崩れ落ちた。

「ふぅ、ううぅぅーん」

 いざとなると心の準備が出来てなかった蕩子が挙動不審に辺りを見回すうち、眠りの美女は寝転がったまま大きく伸びをすると、ゆっくりと起き上がった。


 アーモンド型のぱっちりとした眼が―瑠璃色に濡れた瞳が蕩子の姿を捉える。

「あら、おはようございます」

 鈴の鳴るようなソプラノに蕩子が射すくめられたように硬直する。美女はくるりと周りを見渡した。

「あのぅ……ここはどこでしょうか?」

「………え?」

(いや、それ私のセリフ……)

 ぱちくりと瞬きをする蕩子に、美女は微笑む。

「あなたはだあれ?」


「あの、えと、……あうあう」

 コミュニケーション力の乏しい蕩子は咄嗟に返事が出来ない。

 そうこうしているうちに。

 美女は、ぱん、と手を叩いて言った。


「あ、ひょっとして、あなた転生の女神さん?」

「!!??」

 陽光の漏れるような笑顔を前に、蕩子が固まった。


(ええええ。逆ぅぅぅぅぅぅ!!???)


 ……。

 …………。


 まさか、自分は転生の女神だったのか、とわなわな震える蕩子であったが、当然そんなことがあるはずもなく、蕩子はただの15歳の小娘である。

 しばらくお互い首を傾げて見つめ合った美女と蕩子は取り敢えず自己紹介からすることにした。

 ぎこちなく名を名乗った蕩子を柔らかな笑みで美女が見つめる。


「そう。アサミツちゃんっていうの。わたしはミツキよ。ミツキ・ミカグラ。まあ、苗字は貰い物だけどね。でもトウコって、変わった苗字ね」

「え?」

「え?」

「……あ、いや、朝光が苗字で…」

「あら。そうなの。何で逆に言ったの?」

「ええ?」

「ええ?」

 鏡合わせに首を傾げる。


「あなた、不思議な子ね」

「はあ。すみません」

「よかったら聞かせてくれる? あなたのこと」

「はあ……」

「あ、ここ座って。気持ちいいわよ。ふかふかで」

 ぽふぽふと自分が今まで寝ていた落ち葉の山を叩き、自分も腰を下ろしたミツキの隣に、蕩子も座り込んだ。


 遠くに風車小屋が見える。

 その手前には、青紫の花の群れ。

「うわ。柔らかい。気持ちいい」

「うふふ。そうでしょ。ふわあ……」

「えええ」


 早速欠伸を漏らして目を閉じたミツキを呆気に取られて見つめた後、蕩子はぽつぽつと自分の身に起きたことを話し始めた。

 そして、長い対話が始まった。


「そう。ドラッグに惹かれて……怖いわね。ダメよ、お薬は用法用量を守って正しく服用しないと」

「え? いや、トラックに轢かれて……」

「とらっく? って、何かしら」

「あの、えっと、乗り物で」

「車のこと? 虎が引いてるの? それは速そうね。どうやって手懐けたのかしら。でも私、馬車よりも牛車が好きなくらいだから、あんまり速いのはイヤね」

「そうじゃなくて、自分で走るんです。自動車なんです」

「まあ、車が自分で走っちゃうの。でも、それじゃ何処に行くのか分からなくて恐いわね」

(は、話が通じないよお…)


「それでねえ。ウル君たら、『お前みたいな傀儡がいくら騒いだところで戦争なんか止まらない』なんて言うのよ? 酷いでしょ。だから私、それならあなたを倒して私も死ぬから、金人さんに仲介してもらいましょうよ、って言ったの」

「や、ヤンデレ?」

「アンドレ? エルフの商会長さんの? 違うわ、金人さんよ。ほら、あの大地の主の……」

「え、えと、金ピカなんですか」

「ああん、そうじゃなくて、金はあくまで完成と永遠の象徴で…ほら、あの人死なないから…」

「死なないんですか!?」

(ううん、話が通じないわねえ……)


「それで、私、その子に聞いちゃったんですよ。あれ、誠司君のこと好きって言ってなかったっけ、って。そしたら物凄い形相で睨まれちゃって。それっきり口聞いてくれなくなっちゃって。もうホント泣きそうでした…」

「そうねえ。三日も会わなければ人間関係なんてすぐ変わっちゃうもんねえ」

「そしたらなんでかこの前まで私のこと無視してた子が急ににこにこしながら話かけてくるようになっちゃって」

「敵の敵は味方って奴かしら。怖いわねえ」

「ミツキさんもそういうことありましたか?」

「あったわよぉ。軍に入ってからはね。ホント、鬼の軍勢相手にしてる方がよっぽど楽だったわよ」

「私もゲームで難易度HELLモードやってるほうがずっと簡単でした……」


「ホント、上層部の人にはえらく気に入られちゃってねえ。でも、あんまりウル君のこと悪く言うものだから、こっそり仕掛けしてカツラ滑り落としてやったの」

「えええ。大丈夫だったんですか? 大司教さんって、偉いんですよね?」

「偉そうなだけよ。あんなハゲオヤジ。あ、あとね。他の大司教さんの屋敷にお呼ばれした時にはね。二階にあった隠し扉の魔法壊して上げたの。あ、なんか呪いがかかってるみたいですねーとか適当なこと言ってね。中には奥さんに内緒で集めてた秘蔵の官能小説がぎっしりと……」

「あはははは」

「そしたら次の作戦で援軍なし補給なし退路なしの局地戦にぶっこまれちゃって」

「ええ!?」

「見事生還してやりましたとも。相手の戦士長さんとは友だちになっちゃったけど」

「な、何したんですか……」


「それで、その追分饅頭っていうのが、もうホントふっかふかであんこぎっしりで、上にかかってるきなこがまたいい香りで…」

「いいなあ。やっぱりそっちの世界は美味しいものが多いのねえ」

「でもでも、やっぱりコンビニスイーツも馬鹿にできないんですよ。お母さんはあんまりいい顔しないから、こっそり買って食べるんですけど、最近はヘブンのガトーショコラがこれまた大当たりで」

「チョコレートかあ。港国に遊びに…任務で行った時に食べたけど、あれが量産できるんだとしたら、すごい技術力よねえ」

「そっちの世界は甘いものは少ないんですか?」

「ううん。今は戦時中だから、砂糖の出回りも少なくってねえ。でもね、果物はこっちも負けてないと思うのよ。こないだウル君から毟り取……譲ってもらった魔国の銀鈴林檎っていうのがね、もうホント甘くてジューシーでね。半分に割っただけでもう甘酸っぱい果汁が溢れんばかりの……」

「ふわあぁ」


「それでねえ。ホント、ウル君て女心が分かってなくってね。『何だ、随分ひらひらした髪飾りだな。何の魔法がかかってるんだ。いや、お前に魔法かけたって意味ないか』とか言うのよ。こっちが前の晩にどんだけ悩んでおしゃれしてったと思ってんのよ!」

「いやあ、戦争しに行った先の相手の前でオシャレっていうのもどうなんですか」

「もうぶち切れて砦全壊させてあげたわ」

「ひええ」

「でも、その後で『すまん、美しいとは思ったんだが、褒める言葉が見つからなかったんだ。どんな言葉でも、物足りなく感じてしまって』とか照れっ照れで言ってくれちゃったもんだから、もう! もう!」

「ちょ、ちょろい……」


 ……。

 …………。


 そして、すっかり意気投合した蕩子とミツキは、やがて喋り疲れて落ち葉の山にごろんと寝転んだ。

 空にはいつの間にか虹が架かっている。

 その向こうに、見たこともない星座が並んでいる。


「ミツキさん」

 しばしその光景に見入っていた蕩子が、おもむろに声をかけた。

「なあに?」

「私、やっぱり死んじゃったんですよね」

「そうねえ」

「ここは、あの世ってやつなんでしょうか」


「ここは多分、あの世の一歩手前ね」

「え?」

 寝転んだまま、首だけ回して隣に寝転んだミツキを見る。

 ミツキはぼんやりと、空の天辺を見つめている。


「きっと、転生の儀に巻き込まれてしまったのね」

「あ、やっぱりそういう感じなんだ」

「多分、あなたと私のどちらかが、片方の魂を取り込んでもう一度生まれ変わるための空間なのだと思う」

「どちらか……かたっぽが?」

「ええ」

「その、取り込まれたほうはどうなっちゃうんでしょうか」

「分からないわねえ。でも、多分失われてしまうんじゃないかしら」

「はあ」


 どうやら話がシリアスパートに入ったようだぞ、と、蕩子は僅かに緊張した。

 けれど、2、3秒考えると、何だ、別に大したことじゃないじゃないかと気づき、ふう、と息を吐くと、起き上がって、まだ寝転んだままのミツキを見下ろした。


「ミツキさん」

「うん?」

「私の魂、もらってください」

「……え?」


 そうだ、別に、悩むようなことじゃない。

「どうして? 消えてしまうかもしれないのよ?」

「元々、死んだ身ですから」

「でも、そんな簡単に……」

「簡単な、ことですから」

「蕩子ちゃん……」

 蕩子ははにかんだように笑うと、腰の後ろで手を組んで歩き出した。


「私、全然、いらない子だったんですよ」

「え?」

「お父さんもお母さんもお金持ちで、自分たちが死ぬまで、自分たちだけで生きていける人なんです。私なんて、いるだけお金がかかるだけで。別に、冷たくされてたわけじゃないですよ? むしろ人一倍、可愛がってもらえました。でも、私、そんなに愛情もらっても、とても返せる気がしないんです。体は弱いし、別に頭もよくないし。元気に育ってくれればいいのよ、なんて言ってもらいましたけど、……死んじゃいましたし。親不孝、ここに極まりですよ」

「そんな、ことは……」


「私、憧れてたんですよ。誰かのために一生懸命になれる人に。それで、困ってる人をばあーんと助けちゃって、『いやいや。人として当たり前のことをしただけですよ』なあんて言っちゃって、大切な人を幸せにできる人に。こんなちっぽけな私でも、誰かを救うことができたら、それはきっと、私の命にも価値があったってことなんだろうって。でも、そんなこと、実際にあるわけなくて。最期なんか、全然危なくなかった犬を助けようとして、自分が死んじゃうなんて。ぐすっ。ホント、何やってんだろ、って……」

 蕩子の目に涙が浮かぶ。

 ミツキは、それを黙って見守っている。


「だから、ミツキさん。私の魂、もらってください。あなたみたいなすごい人を助けられたなら、なんかもう、チャラですよ。きっと。こんなしょうもない人生でも、きっとチャラです」

 

 ミツキはそれを聞くと、陽光が溢れるように、にっこりと微笑んだ。

「それは無理よ」

「え?」

「だって、私、あなたのこと気に入っちゃったもの」

「ええ?」


 ミツキはゆっくりと立ち上がると、優雅なステップを踏みながら踊るようにヒカリに近づき、その顔を両手で挟んだ。

「み、ミツキしゃん?」

 ふたりのおでこがくっつく。


「汝の願い、私が叶えてしんぜよう」

「ふえ?」

「うふふ。女神さまごっこ。ね、蕩子ちゃん。あなたの命には意味があるわ。だからそれを、証明するの。他の誰でもない、自分自身にね」

「だから、ミツキさんを…」

「私はもう、やることやったもの。最後に大事な想いも遂げられたし、ついでに戦争も終わらせてやったしね」

「ついでて」


「だから、今度はあなたの番。私の人生を、あなたにあげる。だから、あなたはそこで、目一杯生きるの。なんてったって、稀代の勇者の体よ? 丈夫さは保証するわ。今度こそ、その、まんがとやらのヒーローみたいに、たっくさんの人を助けて、幸せにしてあげて。戦争は私が終わらせたから、人を殺める必要もない。平和な世界で、平和に生きる人を、助けて、笑顔にするの。素敵でしょ?」

「でも、私なんかが……」

「あなたなんか、だからでしょ。大丈夫よ。私だって、生まれはただの小作農の娘だったんだもの。きっと出来るわ、蕩子ちゃん」


 瑠璃色の瞳が、正面から蕩子を見据えた。

 蕩子は両親の顔を思い出し、家のお手伝いさんの顔を思い出し、彼らの泣き顔を想像した。


 私がもっと強ければ、彼らを悲しませずに済んだだろうか。

 風の音が耳を通り抜け。

 蕩子の心が澄んでいく。

 人を幸せにする人間になる。

 自分の魂を、今度こそ。

 蕩子の黒い瞳に、強い火が灯り。


「ミツキさん」

「はい」

「私は―」


 こうして、蕩子はヒカリと名を変え、二度目の人生を得た。


 ……。

 …………。


「でもミツキさん。その……ウルさんとのことはいいんですか?」

「うん?」

「だって、ウルさんはちゃんと転生してるんですよね。折角―」

「んー」

「??」

「多分ね、あのお人好しの魔王のことだから、誰かの魂を食い物にして生まれ変わるなんて、できないんじゃないかと思うの。きっと今頃、私みたいに、誰かに自分の人生をあげてるんじゃないかしら」

「はあ、そうなんですか、魔王なのに」

「うふふ」


 ……。

 …………。

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