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おうちに帰ろう

「全く、お前が飛び出してどうするのだ、馬鹿者め」

「……悪かったよ」

「どうする、血ぃ吸っとく?」

「すいません、ちょっと貰います」

「あ、あの! 私の血で良かったら―」

「いやいやいや、ヒカリちゃん。止め刺しちゃうから」

「いいからさっさとしろ」

「あんたは見てんじゃないわよ!」


 先程までの喧騒が嘘のように静寂が訪れた霧の漂う森の中。

 取り敢えず手っ取り早いところから、ヨルに血を吸わせて回復させたのを始め、全員が受けた傷の手当を済ます。

 当然一番傷が多いのはヒカリである。手持ちの薬草を使って止血と消毒を施していく。


「大丈夫、ヒカリちゃん?」

 自分の脇腹に晒を巻きながら、心配そうにアヤが問う。

「はい。傷の手当ては養成校でばっちり教わってますので。それより、ジンゴさんは大丈夫なんですか?」

 あちらこちらに裂傷を作っていたはずのジンゴは、自分で簡単な応急処置をすると、そそくさと魔獣の死骸を検め始め、その腰に提げた麻袋に何やかやの素材を詰め込んでいく。


「いいのよ、あいつはもう。どうせあれが目当てで来たんだから」

 貴重な魔獣の死骸を前に、鼻唄でも聞こえてきそうな程上機嫌なのが背中越しにでも分かる。

「あはは……」

 その傍らに、周囲の哨戒を終えたヨルが立ち、何事かを話始めた。


 それを見たヒカリの顔が俯く。

「……アヤさん」

「うん?」

「私、吸血鬼に助けられちゃいました」

「そうだね」

「私、怒られると思ったんです。アヤさんと吸血鬼は仲良しですし。私のせいでアヤさんのこと危ない目に合わせたのに……」

「んー」

「なのに、『大丈夫だ』って。『よく耐えた』って。私、自分のことばっかりで。結局一人じゃなんにもできなくて。ジンゴさんにもまた迷惑かけちゃうし……」


 暗く沈んでいくヒカリの頭に、アヤの手がぽん、と置かれた。

「ヒカリちゃんがいなかったら、あの化物は倒せなかったわ。私も今頃食べられてた」

「そんな。私なんか、最後に止め刺しただけです」

「それがヒカリちゃんの役目だったからでしょ? あんなの、一人で倒せる奴なんかいないわよ。みんな、自分の役割を果たしただけ」

「でも……」

「でも、まあそうね。ヨル君に助けられたのはホントなわけだし。そこはちゃんとお礼言わないとね?」

「……………………………………頑張ります」

「溜めたなー」


「ヨル」

「うん?」

「俺が何を言いたいか……いや、何を言いたくないか分かるか」

「……分かるよ」

「ならいい」

「ちゃんとするよ。悪かったな。傷、大丈夫か?」

「大したことはない。それより………おお」

「どうした?」

「見ろ。中指骨に微かな魔力紋がある。蝙蝠の体構造でどうやってあの巨体を支える風力を生み出しているのかと思ったら、ここにも魔法が使われていたのだ。これは貴重な発見だぞ。問題はその他の眷属にはないこの器官がどのタイミングで発生したかだ。母体として生み出された個体には元々備わっているものなのか、それとも魔力を貯める過程で後天的に獲得されたものなのか……」

「……お前に謝る必要は無かった気がしてきたよ」


 ……。

 …………。


「あの、この場所は、森のどの辺なんでしょうか?」

 傷の手当てを終えたヒカリが不安そうな目でアヤに聞いた。

 時刻は恐らく正午を過ぎている。急いで採取を終えないと、日の入りまでに街に帰れなくなってしまう。

 しかし、魔獣との戦いに夢中で、それまで辿っていた神樹までの道程が全く分からなくなってしまっていた。


 囁き声も聞こえなくなった森の中は、次第に霧が濃くなっていきたような気がする。

 そんなヒカリの様子とは裏腹に、アヤは余裕な表情である。

「それについては大丈夫よ」

「え? で、でも……」

「霧、濃くなってきたでしょ。これが神樹に近づいている徴」

 アヤの言葉に呼応するように、また少し、周囲が白くぼやけ始めた。


 おかしい。

 森に入ってから、霧の濃さは常に足元が隠れる程度であった。

 気温が高くなる午後に入り、晴れるならともかく、さらに濃くなるというのはどういう訳だろう。


「え? え? あれ?」

「聖気零さないようにね」

 そう言って混乱するヒカリの手をアヤが握ると、さらに霧が濃度を増す。

 視界が一気に狭くなる。

 先程までは見えていた魔獣の死骸も、ジンゴとヨルの姿も見えなくなり。


「ア、アヤさん!?」

 ついに、隣で手を握っているはずのアヤの顔までが霧の中に消えた。

 数秒間。

 ひんやりと、そしてねっとりとした白い闇がヒカリを包む。

 次の瞬間。


 すぅ。


 潮の引くように、コンデンスミルクのような濃霧が晴れていく。

 そして、ヒカリの目の前に、巨大な白い大樹が姿を現した。


「…………え」

 ヒカリが言葉を失う。

 それは、天まで届こうかというほど太い幹を綺麗に真っ直ぐ伸ばしていた。

 上を見上げれば、視界を遮る広大な枝葉の天井。

 その全てが、白い。


 あるやないやの微風に揺られ、枝葉の外側からちらちらと日光が零れ落ちる。

 淡く光るその幹が、枝が、葉が、光の加減によって薄桃に、藤色に、若草色に、藍白に映る。

 その輪郭を見極めようと目を凝らすと、それはぼんやりと霞んでいく。


 神樹・『白幻彼岸』。

 

 ヒカリが両目をごしごしと擦る。

 さっきまで、そこにはなぎ倒された木々と、魔獣の死骸がごろごろと転がっていたはずだ。

 自分は一歩も動いていない。

 何故、急にこんなものが。


「どう、びっくりしたっしょ」

 隣で手をつなぐアヤが悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「これ、これは……一体」

「お前はそんなことも知らずに採取に来たのか」

 ただ固まることしか出来ないヒカリにいつの間にか現れたジンゴが呆れた声を出した。


「ジンゴさん。あの、この樹は―」

「神樹とは、分類すれば魔獣の一種だ。既にその在り方を此岸の生物とは違えている。この『白幻彼岸』は自身の周囲を不定形の結界で覆い、この森全体に霧を撒き散らしている。近づこうと思ったら、森の中心付近で流動するその結界に呑まれるのを待つしかない。運が良かったな、小娘」

「ふええ」

「おおっと、ぼうっとしてる暇はないわよ。採取するなら、さっさと採っちゃわないと」

「は、はい! ええっと、確か本だと、神樹の根元に……」


 そう言ってヒカリが足を踏み出すと、神樹の幹が後ろに下がった。

「……んん??」

 立ち止まる。

 神樹はただ、白い光を揺らめかせて立っている。


 もう一度踏み出す。

 また幹が後ろに下がる。

 もう一歩踏み出すと、その一歩分。

 二歩踏み出せば更に二歩分。

 何故か樹の姿が遠ざかる。


「んんん???」

 ヒカリの頭上に疑問符が湧き出る。


「何やってんだ、お前」

 その横に、ヨルが立った。

「え、いや、だって!」

「いいか。神樹は自分に触れようとするものを拒む。近づこうと思ったら駄目だ」

「ええ? じゃあどうすれば……」


「別のことを考えるんだ。そうだな、目をつぶって、一歩踏み出す毎に、カグヤさんから貰った食べ物を一つずつ思い出せ。一緒に行くぞ」

「え? あの、ちょっと」


「1」

「ああ、もう! 春巻き!」

「2」

「肉じゃが!」

「3」

「琵琶寒天!」

「4」

「芋羊羹!」

「5」

「豆大福!」

「6」

「林檎タルト!」

「ストップ」

「イチゴの……ええ!?」


「ゆっくり手を伸ばせ」

 目を閉じたまま、ヨルに導かれるままにヒカリが手を伸ばすと、つるりとした、大理石のような感触が指先に触れた。

「あ」

「そのまましゃがんで」

 ヒカリの指先が、つう、と神樹の幹を下って行く。

 やがて、柔らかな腐葉土に掌が触れる。


「地面に触れたら、根をなぞる」

 手探りで、その太い根をゆっくりとなぞる。

 すると、

「わ。な、なんか触った」

「それを掴んだら、目を開けてよし」


 ヒカリが言われるままに、その柔らかな感触を抓み、目を開けると、そこには、神樹の真白い幹も、濃い霧も、何もかもが夢のように消え失せていた。

 視線の先には魔獣の死骸。

 そして自分の手の平に、白い紐のようなものが握られている。

「……あ」

 それはあの幻のような大樹と同じように、淡く、乳白色の光を発していた。

 今にも手の中で溶けて消えてしまいそうなほど、幽き姿。


「これが……」

「これが、『真白樹茸』の採取法だ」

 隣に佇むヨルが目を合わせずに言う。


「あの、でも、これで足りるんですか?」

 手の中でか細く揺れる数本のきのこを不安げに見て問うヒカリに、ヨルはやはり目を合わせないまま答える。

「十分だ。というより、この素材に関しては、分量はあまり重要じゃない。欲張りすぎないことは、採取の基本だ。覚えとけ」

「べ、別に、欲張ったわけじゃ……ていうか私の手元も見ないで十分だとか言われても!」

「いや、だから量はどうでもよくって、大事なのは―」


 どこかぎこちない二人のやり取りを、ジンゴの声が遮った。

「おい、見ろヨル。胃袋の中に黄の魔石が転がっている。それもかなりの高純度だ。成る程、あの硬化魔法はこいつを消費していたわけだな。ええい、袋が足りん。ヨル。お前の装備も寄越せ。全部持って帰るぞ」

「…………あれが悪い例だ」

「ええええ……」


 ……。

 …………。


「あの、ジンゴさん。これで、春菊……じゃなかった、しゅんしゅん……」

「『春光丹』」

「……作れますか!?」

 うろ覚えの秘薬の名前をヨルにフォローされながらヒカリが上目遣いにジンゴを見る。


 用意していたいくつもの保管用の革袋をぱんぱんに膨らませたジンゴが、まだ物足りなそうな様子ですっかり体積を減らした魔獣の死骸をちらちらと見ながら答える。

「ふむ。製法自体は面倒ではあるが難しくはない。街のアトリエで充分可能だ」

「あ、あの! ……ええと、作ってもらうとしたら、…その……」

「本来、採取から依頼を受ければ金貨10枚分が相場だが」

「ぴっ」

「今回は採取はお前が済ませている。差額の報酬は、この魔獣の素材だけで充分だ」


「ええっ。でも……」

「これらの素材は、得ようと思えば本来傭兵団に災害級の討伐依頼を出すしかない代物だ。それをたかだか薬草数種で手にしたのだ。俺からすれば破格の買い物だ」

「そ、……そうなん、ですか?」


 やはり不安そうな表情のヒカリに、アヤが口を挟む。

「大丈夫よ、ヒカリちゃん。どうせ作れるのはこいつだけなんだし、こいつがそれでいいって言ってんだから」

「ああ、そういえばお前を助けた借りが残っていたな、新聞屋。金貨3枚でいいぞ」

「はあああ!!!?? 私を助けたのはヨル君でしょ!? もう血ぃ吸わせて上げたんだからチャラよ、チャラ!」


「ヨルの助けが間に合ったのは俺の魔道具があったからだ。恩知らずは長生きせんぞ、鳥娘」

「だからさっき胸の傷治してあげたでしょうが!」

「聖水を用意してやったのは誰だったかな」

「ヒカリちゃんですぅー。持ってきたのはあんただけど作ったのはヒカリちゃんですぅー」 

「ヨル。この女はどうやら頭に血が昇っているようだ。ちょっと吸って冷ましてやれ」

「ヒカリちゃん。あいつの荷物重そうだから、革袋にありったけ聖気ぶち込んで軽くしてあげて?」

「「喧嘩しないで…………あぅ」」


 声が重なったヨルとヒカリが、気まずそうに目を逸らす。

 アヤがそれを見てにやりと笑った。


「あー、……何だ、その……聖騎士」

「な、何ですか……吸血鬼」

 ヨルがぼりぼりと頭を掻く。

ふ、と柔らかな笑みを浮かべた。


「帰ろう。シャオレイさんが待ってる」


 ヒカリはそれを聞くと、はっ、と顔を上げ、既にそっぽを向いたヨルを見る。

 少し、言葉を探して。


「……はい!」


 結局は短くそう返した。

 まだぎこちないやり取りで、二人は歩き出す。


 けれど、アヤは見ていた。

 それは、街の人たちがいつも見ているもの。

 そして、きっとヨルには見えなかったもの。


 その少女の名前の通りに。

 それは確かに、ヒカリがヨルに向けて初めて見せた、光るような笑顔であった。


 ……。

 …………。


「待て、話は終わってないぞ新聞屋。いいか、俺が胸に受けた傷を治すために必要な薬草と、お前を助けるために消費した魔道具の価値は―」

「あんたは空気を読みなさい!!!」


 ……。

 …………。

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