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この指止まれ

 ヨルは奔った。

 街道を無視し、黒い煙と化して草原を駆け抜け、森に滑り込み、木々の合間を翔んだ。

 森の中まで入ると、濃い血の匂いが、ぷんと鼻に抜けた。

 獣の血だ。

 ヨルがその匂いを辿ると、それは果たして、巨大な熊型の魔獣の死骸であった。


 ヨルは自分の最悪の予想が的中したことを悟ると、そこから糸を手繰るように魔力の残滓を追いかけた。

 遠く、その森の名の由来となった魔獣の鳴き声がある一点に集中しているのを感じ取る。


 奔れ。

 奔れ。

 奔れ!


 そして見つけた、見慣れた陽光の爆発。

 その傍に感じる特大の魔力の気配。

 

 倒木の隙間、少し開けた空間に隠形のまま躍り出ると、天を覆う巨大な迦楼羅蝙蝠と、その前に木剣を構えるぼろぼろの聖騎士、その足元に伏せるアヤの姿があった。

 一瞬の判断で実体化したヨルは、聖騎士に襲いかからんとした小型の蝙蝠の顔に蹴りを入れると、もう一体の喉元をナイフで掻き斬った。


「き、吸血鬼……?」

 ヒカリが呆けたような声を出す。

「無事か!?」

 血飛沫を潜ってヒカリの前に降り立ったヨルは、その傷だらけの体を認め、それでも致命傷は負ってないことを確かめる。


「『垂曇』!」

 手にしたナイフで手のひらを傷つけると、空中に振るい、血の雫を飛ばす。

 それがみるみる増殖し、赤黒い霧となって目の前の蝙蝠の姿を覆い尽くした。


 ぎぎゅ

 ぎぎぎぎぎ


 一先ずの時間稼ぎを終えたヨルは、次に地面に倒れ伏すアヤに駆け寄った。

 額から血が流れているが、呼吸も脈もしっかりしている。

 脳震盪で気を失っているだけだ。


「あ、あの……私」

 ヒカリが震える声で何かを言いかける。

「私の、私のせいで―」

 その言葉を遮るように、ヨルはヒカリの目を正面から見据えた。

 今まで目を逸らしてきたものを、真っ直ぐ、躊躇わずに。


「大丈夫だ。よく耐えた!」

「………え?」

 罵声か、叱責を想像していたのだろうヒカリが目を見開く。


「あとちょっと頑張ってくれよ」

 ヨルは再びヒカリの前に立ち、今にも破られそうな血霧の幻結界を見据える。

 中から錆びた弦楽器のような絶叫が聞こえてくる。

 ヨルは懐から一葉の紙片を取り出すと、自らの血をそれにこすりつけ、放った。


「『因果の末路。影負う松明。同胞よ、この指に止まれ。遊戯場を求めるならば』」

 低く、囁くような詠唱。

 血の色が滲む眼が閉じられ、宙に舞う紙片から闇が溢れ出す。

 ヒカリの持つ木剣から滲み出る光がヨルの体の前に影を映し、その影が渦を巻き、紙片から溢れた闇と溶け合う。

 やがて闇が凝り、人の形を成す。


 荒波のようにうねる黒髪を頭の後ろでまとめ。

 双眸は炯々と光り。

 ファーつきのレザージャッケット。

 腰元の緩いジーンズに、脛を覆う編上げのブーツ。

 腕には指ぬきのグローブ。

 太いベルトに付けられたホルダーには、黒塗りの鞘の大小を差し。

 狼の風貌を持つ男が、顕れた。


「ジンゴさん!?」


 ヒカリが驚愕する。


「う」

「う?」

「ぐえええええええ」

「きゃああああ!!」


 そして、顕れた途端目の前で黄色い液体を吐き出したジンゴに悲鳴を上げた。


「おい。大丈夫か?」

「ふふ。こんなこともあろうかと胃の中は空にしておいた。胃液で喉は焼けたが問題はない」

「いや、まあ、お前がいいならいいんだけど……」

 不敵な笑みを浮かべ口元を拭うジンゴに、ヨルが何とも微妙な表情で応じる。

 その後ろで、ヒカリがぱくぱくと口を開き、言葉を失っていた。


「な……え。何で? 今の、転移魔法じゃない。召喚魔法? まさか、まさかジンゴさん、吸血鬼の眷属に―」

「誰がこんな頼りないガキの眷属になるか」

「誰がこんな小汚いおっさん眷属にするか」

「ええ!?」


 ジンゴとヨルが、互の手に掴まれた紙片をひらひらと振って見せる。

「魔道具だよ。陰魔法を使える、恐らく世界初の魔道具だ。これさえあれば、理論上、この大陸の何処にいても俺の手元に、もう一方の紙を持った奴を召喚できる」

「ふむ。ただし、効果は一回限りのようだな。回路がずたずただ。もう修復できん。それと、俺だから嘔吐程度で済んでいるが、まともな人間が使ったら体内の魔力にどんな影響があるかわからんな。まだまだ研究が必要のようだ」


 ばりばりばり。

 ぎゃらららららららら!!!


 二人の話を遮るように、血霧の結界が錆び付いた絶叫によって破られ、その毛皮に赤い染みを作った魔獣たちが這い出て来た。

 それを見たヨルとジンゴは躊躇いなく紙片を放り、ジンゴは前へ、ヨルは後ろへ足を踏み出した。


「え、えと、あの」

 展開についていけないヒカリが狼狽える。

「俺がアヤさんを起こす。お前はジンゴと一緒に足止めを頼む」

「あ、……は、はい!」

 ヨルの短い指示に、ヒカリがようやく反応するやいなや―


 きききききききききききききき

 きゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ


 津波のような音響が響き渡り、しゃらん、と、ジンゴの黒塗りの鞘から抜刀の音が鳴った。


 ざしゅ。

 ぎきぃっ

 ざん。

 ぎぎゅ。


 瞬く間に始まった斬撃と錆びた悲鳴に、ヒカリは慌てて木剣を握り直す。


「ジンゴさん! お背中お守りしま………………え?」

 前へ踏み出したヒカリの足が止まる。


(………ど、何処が背中だ?)


 それは、ヒカリが見たこともない剣術だった。

 いや、それを果たして剣術と言っていいのだろうか。

 ジンゴが右手に握るのは刃渡り60センチ程の反りの入った片刃の剣だ。

 帝国ではよく白騎士が装備している代物である。

 

 ジンゴはそれを、宙に放り投げた。

 思い切り回転をかけられた刀が飛び回る魔獣の一体の頭蓋骨を割って静止する。

 左手に握られた鞘を横薙ぎに振るい目の前の魔獣を殴り飛ばすと、落下する剣の柄を握り、剣身に魔獣を喰い込ませたまま一回転し、背後に迫る魔獣を殴りつける。

 その衝撃で魔獣の体が抜ける。

 血糊に濡れた刀身が妖しく光る。


 左手の鞘が突き出され別の魔獣の牙を叩き折りながら口腔に差し込まれる。

 刀が掬い上げるような軌道で背後に振るわれる。

 血飛沫。

 今度は鞘が放り投げられる。

 鈍い音と共に魔獣の潰れた悲鳴。

 蹴足。

 斬撃が上弦に弧を描く。

 血の雨がジンゴの髪を濡らす。

 その口元が、耳まで裂けそうなほど釣り上がる。


(え? え? 剣を投げ、いや斬り上げただけ…やっぱり投げてるよね!? ああ! 後ろ危な……って鞘で殴……あれ、右手に持ち替えてる!? ってまた投げた!)


 右に左に剣を持ち替え、鞘を持ち替え、時に放り投げては空中の敵を叩き落とし、軸足をころころと変えては右に回転し、左に回転し、縦に回転し(縦に回転し!?)、全方位から群れ寄る魔獣を次から次に切り刻み、殴りつけていく。


(ええええ。私、要らなくない?)

 というよりも、怖くて迂闊に近づけない。

 間合いが全く分からないのだ。

 嵐のように吹き荒れる刃と鞘の舞踏に、次々と魔獣の死体が増えていく。


(ど、どうしよう)

 二の足を踏めないまま思わず後ろを振り返ったヒカリを、更なる衝撃が襲った。


 ヨルが、アヤに口付けしていた。


「んなあっっっ!!!」


 助け起こした背中から手を回して後頭部を支え、どう見ても、どんなにその他の可能性を考えてみても否定の仕様がないほど完璧に唇と唇が触れ合っている。


「な、ななななな」

「おい、小娘! ぼさっとするな!」

 木剣を握ったまま固まったヒカリの傍らに、飛び退ったジンゴが着地し、叱責する。

「だ、だだだだだ」

「ただの魔力補給だ、いちいち狼狽えるな!」

「まままままま」

「まずは人語を話せ」


 そうこうしているうちに、ヨルの唇が離れ、アヤがゆっくりと目を開けた。

「立てますか?」

「……この、セクハラ吸血鬼」

 ぼやけた声で返答すると、アヤが緩慢に立ち上がる。


「アヤさん!」

 その腰に、ヒカリが抱きついた。

「よ、よかった。よかったよぉぉぉ」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたヒカリの頬を、両手で挟み込む。

「ごめんね、ヒカリちゃん。助けにきたつもりが、助けられちゃったみたい」

「ぞ、ぞんらこどぉぉ」


 ヒカリのぼろぼろの体を優しく撫でる。

 その手の爪が、桜色の髪が、瞳が、淡く光りだした。

「お? おお?」

「容量いっぱいまで魔力を注ぎました。戦えますか?」

 戸惑うアヤにヨルが問う。

 その間にも、剣撃と錆びた悲鳴が交互に聞こえてくる。


 きわ。

 きわわわわわわわわわわ。


 上空に浮遊した母体の魔獣が甲高い鳴き声を上げると、ジンゴに切り捨てられ、殴り飛ばされた蝙蝠の死骸が別の蝙蝠の手で母体の元に運ばれていく。


 ぼりぼり。

 むしゃむしゃ。

 その魔力が回復していく。


「成る程、ピンチなのは変わらないみたいね」

「そういうことです」

 それを見上げるアヤが不敵に笑った。


 ぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!


 森に響き渡る絶叫。

 灰色斑の漆黒の毛皮。

 煮えるように光る黄の双眸。

 白銀に照る牙。

 滴る闇から眷属が溢れ出す。

 森の生物を食い荒らし、魔力を貪り、今まさに解き放たれんとする災害。

 母体・迦楼羅蝙蝠。


 相対するは四つの人影。

 吸血鬼・ヨル。

 聖騎士・ヒカリ。

 新聞屋・アヤ。

 曖昧屋・ジンゴ。

 

 ジンゴが刀と鞘を握り直し、

 アヤが皮の手甲を打ち鳴らし、

 ヒカリが木剣から陽光を零し、

 ヨルの足元の影が、妖しくざわめいた。


『囁く者の森』の決闘。

 終幕の始まり。


 ……。

 …………。

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