家出娘アヤ
「そういえば、アヤさん、魔法使いだったんですね」
霧に包まれた深い森の中を、アヤとヒカリが歩いていく。
足元に残された僅かばかりの道筋を頼りに、標から標へと渡るように進んでいくため速度は出せないが、それでもヒカリは、同行者ができたことでかなり気持ちに余裕が出来たらしく。さっきまで引けっぱなしだった腰もしゃんと立ち、てくてくとアヤの後ろをついて歩を進めていく。
「んー、別に隠してた訳じゃなかったんだけどねー。でもほら、あの平和な街で赤魔法なんて使う機会ないじゃない?」
「それは、……そうかもしれないですね」
五色の魔力の一つ、赤の魔力は、『情熱』を表し『加護』を司る。
その能力は身体機能の強化。
筋力を強化して常人に倍する膂力を得ることも出来れば、自身や他者の治癒機能を強化して治療魔法として使うこともあるが、どちらにせよ、確かにメリィ・ウィドウの街で出番があることは稀である。
実はヒカリが街に着いたばかりのとき、ヨルから血を吸われる度、強引に食事を取った上で消化吸収機能を強化することで手っ取り早く体調を回復させたりはしていたのだが、ヒカリ相手にそれを言う必要もない。
「あのぅ、アヤさん。聞きにくいこと聞いてもいいですか?」
「んー? 聞くだけ聞いてみたら?」
遠慮がちに尋ねるヒカリに、首だけ振り向いたアヤが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「アヤさん、って。その、苗字はなんていうんですか?」
「苗字はないわ。ただのアヤよ」
前に向き直りそっけなく答えたアヤに、ヒカリはしゅんと肩を落す。
「その……済みません」
「ふふ。でも、昔は違ったわ」
「え?」
「アヤヒ・サクラザカ。それが、私が捨てた名前」
ヒカリがはっと顔を上げる。
「サクラザカ……まさか、『豪炎の大梟』……」
「ゴウシ・サクラザカは、私の父よ」
「やっぱり! あの、聖都でもすごく有名です。商隊の大キャラバンを、単騎で鬼の小隊の襲撃から守った……って」
「それと同時に、キャラバンの積荷の三分の一を焦がした、って話は?」
「あああ。それも、その……はい」
気まずそうな顔をするヒカリに、アヤも苦笑する。
「じゃあ、その日が実は一人娘の誕生日で、早くお祝いに駆けつけるために手加減抜きの全力全開で敵を殲滅した、って話は?」
「ええ!?」
「親バカなのよ、あの人」
ふふ、と笑ったアヤに、ヒカリは戸惑いながら問を重ねた。
「それって、やっぱりこう……家名の重圧というか、家の束縛に耐え切れずに…的な」
「いいえ。そりゃあ、貴族としての礼儀だとか、淑女としての嗜みだとかは一通り教えられたけど、別に苦じゃなかったわ。それについては感謝もしてる。なかなか役に立つのよ、覚えておけばね。それに、あの人は私を束縛したりしなかった。騎士団に入れとも言われなかったし、家督を継げとも言わなかった。自由な将来を約束してくれたわ。悪いのは全部わたし」
「ええと、それって……」
それって私が聞いても……? と、ヒカリが聞くより早く、アヤが口を開いた。
「私ね、好きな人がいたのよ」
「はうぁ」
「何よ、その反応」
「そ、それはつまり、相手は身分違いの男性で、結婚に反対された二人は思いのまま手に手を取り合って……」
「ちょっとちょっと。話勝手に進めないで」
「でもでもでも」
「違う違う。相手は私の魔法の先生でね。今は赤の騎士団第三分隊の隊長なんだけど、父が昔世話してやったとかの誼でね。よく家に遊びに来ていたの。ちょうど6、7くらいかな、年上のお兄さんがさ。わりと格好良い顔してて、ちょいちょい家に顔を見せては優しくしてくれるのよ。そりゃあ勘違いしちゃうでしょ」
「それは、はあ。……、あ、でも勘違いってことは」
「まあねえ。向こうからしたら恩師の娘なわけだしねえ。いくら魔法を教える生徒だからって、厳しい顔はできないわよねえ。でも、そんなこと十代前半の箱入りの女の子に分かるわけないでしょ? 実際、その人にはちゃんと婚約者がいてね。お互い好き合ってて、私が16の時に目出度く結婚したわけ」
「あああ」
「わかる? 晴天の霹靂よ。周りの人みいんな祝福しててさ。固まってんのは私だけ。随分思い悩んだけど、よしやったろ、って思って、私結婚式の会場に乗り込んだのよ」
「ええ!? そ、それはつまり……」
「『私と勝負しろ!』ってね」
「はわわ。それはつまり、あ、相手の花嫁さんに…」
「いや、花婿の師匠に」
「成る程花婿の……って何でですか!?」
「何がよ」
「そこは普通、『この人を賭けて私と勝負しろ』的な展開になるのでは……それにしても立場が逆な気もしますけど」
「いやいや。だから、お互い好き合ってたんだってば。別に政略結婚で無理やりってわけでもないんだし。師匠が選んだのがその人なら私が何言ったってどうにもならないでしょ」
「いやそれはそうかもしれませんけど」
「まあ、それ言ったらじゃあ師匠に決闘挑んでどうするんだ、って話なんだけどね。でもなんかこう、けじめを着けたかったのかな。今となってはよく分からないけど」
ああ、やっぱり聞かなければよかった、とヒカリが後悔しつつその先を尋ねると、アヤは明るい調子で続けた。
「勿論負けたわ。もうね。ぼっこぼこよ。公衆の面前でさ。信じられる? まあ、変なとこで生真面目な人だったからね。私が本気なの分かって、正面から受け止めてくれたわ」
「ひ、ひええ」
「なんてったって、現役の『孔雀明王』だからね。そりゃあ勝てるわけないわよ。で、流石の父も庇いきれずに、私は自家の領にて蟄居。危うく貴族籍も剥奪されるところだったんだけど、まあそれはどうでもいいしね。ウチの領ってホントにド田舎でさ。しかも家から出してもらえないし。3日で飽きて飛び出してきたの」
「す、すごいですね」
「まあその後大陸中色んなところ見て回って、なんだかんだあって、いやホントなんでこうなったのかよく分かんないけど、今はメリィ・ウィドウの街に外の世界の情報を仕入れる新聞屋として働いているのでした。とっぴんぱらりのぷう」
「いやそんな昔話風に締められても」
「昔話よ。今となってはね。私はアヤ。ただの新聞屋よ」
「………はい。そうですね」
「大体、お家の話をするんだったら、そっちこそ、でしょ? コノエ家なんて、聖都の古参貴族じゃない」
「あああ、いやあ、私はその、家では厄介者扱いでしたし。………あ」
「ヒカリちゃん?」
そこで、不意に足を止めたヒカリに、アヤが振り返る。
ヒカリは自分たちが辿ってきた道とも言えぬ道の、右前方を見つめ、震えていた。
「ああ、そっちは確か崖になってたから、近づいちゃ駄目よ……って、ちょっと、大丈夫?」
「あ、……あの、あの先、何か、すごくヤな感じがします。怖い…」
目を見開いてがくがくと震えだしたヒカリの様子はただ事ではなかった。
アヤも顔色を変える。
「聖騎士は魔力の気配に敏感だって、聞いたことがあるけど、それかしら。ひょっとすると、あの崖の先に、迦楼羅蝙蝠の巣の中心があるのかもしれないわね。よし、ヒカリちゃん。私は魔法を一旦切るから、先頭交代しよう」
索敵を続けていたアヤの赤い目が、元の茶色に戻る。
「ええ?」
一気に不安が押し寄せたヒカリをアヤが諭す。
「いい? ヒカリちゃんの聖気は全ての魔獣の天敵なの。特に今の迦楼羅蝙蝠は群れを増やすために魔力を集めてる最中なんだから、ヒカリちゃんに近づかれたくないのは向こうも同じ。念のため、少し迂回するルートを取るから、その剣で道を照らしながら歩こう。大丈夫。何かあっても、私も一緒だから。ね?」
「は、はい……」
ヒカリはまだ不安の残る顔で、震える手で木剣を構えると、僅かばかりの聖気を込めて明かりを灯した。
「よし、行くよ。こっち曲がって、まずはあの木まで」
「あうぅぅ……」
こうして二人は、森の更に奥へと踏み入って行くのだった。
……。
…………。
そして、それを見つめる黄色く濁った目に、二人は気づくことはなかった。
それは高い枝に逆さに捕まったまま肺を震わせる。
きゆ。
きゆきゆ。
人の耳にぎりぎり聞こえるかどうかという波長で放たれた音波はやがて少し離れた別の数体に受信され。
ききき。
しししし。
それがまた別の個体に向け声を飛ばし。
きちきちきちきち。
しりしりしりしり。
やがて森全体へと伝わっていく。
森の奥に消えた二人は、ついに気づくことはなかった。
崖の下にあるのは、巨大な蝙蝠の母体などではない。
それは、身の丈4メートルに迫ろうかという、巨大な熊型の魔獣。
辺りに漂うのは濃い黄の魔力。
遠く離れた地で生まれ、各地の生物を脅かし、暴虐の限りを尽くしここまでやってきた、その古今希に見る巨大な魔獣。
その、無残に喰い尽くされた屍体の姿だった。
……。
…………。
「ふむ。しかしヨル君。見ようによっては好機ではないか。その、迦楼羅蝙蝠の母体とやらがそれほど強力な魔獣なら、森で鉢合わせた時に共倒れになってくれるか、そこまでじゃなくても深手を負わせてくれるやもしれん」
「確かにそうなれば言うことはありませんが。ラジーブさん、予測を立てるときは必ず悪い方も考えておくべきです。言いましたよね、母体が群れを喰らうタイミングで共に喰らった生物が、その年の群れの強度を左右する……」
「……ああ。つまり、もし、この突然変異の魔獣が争いに負け、喰われてしまった場合……」
「ええ。端的に言って、最悪の事態です」
……。
…………。




