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バルの街にて

 ヴァルダナ王国は大陸に6つある国家の一つで、水陸両生の体構造を持つ海人族が治めている。大陸の南端に巨大な海運都市―港都カルカタを持ち、大陸の海路をほぼ手中に収めていることから、俗に港国と呼ばれている。

 港国領バルは、港都から見て北東に位置し、大陸中央部に聳える山脈から流れるいくつかの川の一つに沿って作られた街である。


 あの草原での戦いの後、特に何事もなく馬車は進み、その日が暮れる直前に、ヨルはバルの街に辿り着いた。


「……それでねえ、折角実家にも顔を出してみたのだけど、ずっと顔を合わせてるとそれだけで喧嘩しちゃいそうで、一日だけ泊まって出てきちゃったのよ」

「ああ。聞きますね、そういう話」

「不思議よねえ、お手紙で話す分には全然平気なんだけど」

「家に3人っていうのも、良くないらしいですよ。何かあったとき、2対1になっちゃいますから」

「ああ、そうね。言われてみればそうかも。ウチは大体母が独りでぷりぷりしちゃって。やあねえ、私も将来あんなふうになっちゃうのかと思うと」


「でも、たまにでもご実家に帰られてるのはいいことなんじゃないですか。ウチの街の人は半分以上天涯孤独という感じですから」

「あらまあ、そうなの。でも、そんな年上の人たちばかりじゃ、ヨルさんもいい人見つけられないんじゃなくて?」

「俺は所帯を持つ気はないですから。それに、ずっと静かな暮らしに憧れてきたんです。今の生活は、性にあってますよ」

「あらあら。そうは言ってもねえ。恋は若いうちにしておくものよ?」

「それは、ご経験からですか?」

「おほほほ。やだわ、ヨルさんったら」

「……おいおい」


 すっかり仲良くなってしまったヨルと妻の姿に、商会の会長を務める初老の男性が苦笑する。その横に、バルの街で警備隊長を務める、海人の男の姿があった。精悍な顔つきに、肌は青白く、髪と眼は碧色。むき出した腕には鱗のような紋様が見える。


「本当に、あの少年が、あの魔獣を倒したのですか?」

「ああ。私はこの目で見たわけではないが、私の部下が確かに目撃している。何でも、黒い木のような拘束魔法を使ったとか」


 ヨルがバルの街に来た目的はメリィ・ウィドウからの届け物であったが、日も暮れかかる時間に訪問しては失礼だろうと、取り敢えず一晩の宿を探そうとしたヨルに、それならば是非、と、商会の会長が自身の邸宅にヨルを招き入れたのだった。

 そして早速警備隊長を務める男に連絡をし、革袋に詰めた魔獣の首を見せ、街道の異変を伝えた。彼もそのまま邸宅に泊まり、翌日町長に届ける報告書の内容を考えることになったのだった。


「黒い木の拘束魔法……。私は見たことがないですな。それは黒魔法なのか? しかし、魔獣を拘束する程の強度となると、黄の魔力も必要になるか」

「彼はメリィ・ウィドウに在住しているらしい。あそこは様々な人種の集う街だ。何か、我々の知らない技術もあるのやも知れん。しかし、同時にあの場所は閉じられた街。あまり深く詮索するのは止したほうがいいだろう」

「そうですな。しかし、厄介なことになりましたな」


 二人は揃って渋面を作る。

「ああ。今のところ、他に魔獣の目撃例は出ていないんだな?」

「ええ、それはまだ。しかし、あの街道は半分は聖国領ですからな。魔獣が出たとなると、一体どれだけの揉め事になるかと考えると、私はそれだけで鱗が乾いて罅割れそうです」

「ふむ。あの少年が言うには、ただ出たということよりも、あの…紫呪狗、と言ったか、あの魔獣が二体きりで行動していたというのもまた気になる、と」


「ははあ。出来れば、どこぞの好事家なり研究所なりが捉えた個体が逃げ出した、というような話であってほしいものです。それが聖国領ならば尚良い」

「……おい」

「失言でしたな」

「彼は私たちの恩人だ。取り調べるにしても、それなりの対応を頼む」

「心得ました」


 ……。

 …………。


 その後二日間、ヨルはバルの街に滞在した。

 カグヤからのお使いは街に到着した翌日の朝には完了したのであるが、元々帰りは羽休めにのんびりとしていくつもりであったので、商会の会長の好意に甘える形で、宿泊させてもらうこととなった。


 会長からすれば魔獣を退けた命の恩人である。本来傭兵団に護衛依頼を出していれば、それなりの金額を要求されて然るべきところ、ヨルは頑なに謝礼金の受取を拒んだので、せめて滞在中の宿と食事だけは面倒を見させてほしいとの、会長からの頼みもあったのだが。


 警備隊長からは、魔獣に関しての詳しい話を聞かせてほしいとのことで詰所に呼ばれ、質問されることになった。最初はヨルのことを胡散臭そうな目で見ていたのだが―


「……成る程。体組織が繊維状になっているのか。道理で三叉槍が抜けなくなるわけだ。では、魔国では茸狸はどのように…」

「基本は赤か白の魔法でしょうね。ただ、獣王国の人たちは、重量級の武器で叩き切るそうです。繊維が比較的縦方向に向いてますので、袈裟斬りや刺突よりは、真っ直ぐ振り下ろしたほうが効果的みたいですね」

「ふむ。先月ハマヤ商会から新作のクレセントアクスを営業されたが……我が軍でも取り入れてみるか。どうもここ数年湿地近くで旅人が襲われる例が増えていてな……」

「あの商会は帝国でもそこそこ評判ですよ。ああ、そういえば、海人の方がよく陸地での戦闘で使っている魔道具のことでお聞きしたいのですが……」

「『海浜種』のことか。ふむ。あれは海人にとってはある意味必需品だからな」


 いつの間にか始まった魔獣の対処法についての話ですっかり盛り上がり、結局その日の昼餉までご馳走してくれることになったのだった。


「しかし、君も随分と苦労をしてきたようだ。その魔獣に関する知識は、傭兵団時代に培ったものなのだろう?」

 カレーに浸したナンを頬張りながら、警備隊長の男―ラジーブと名乗った―が問いかける。


 木製のテーブルを挟み、野菜のたっぷり挟まったホットサンドを口に運ぶ手を止め、ヨルが答えた。

「まあ、半分くらいは。残りは街の友人に博覧強記の奴がいまして、そいつから。実際には知識だけの知識も多いんです」

「ほう。その者は冒険者だったのかね。それとも学者?」

 きらん、と目を光らせたラジーブに、ヨルは苦笑した。

「其の辺は曖昧な奴なんですよ。どっちのようなこともやるし、他のこともやりますし」


「成る程。メリィ・ウィドウというのは存外面白い人材がいるようだな」

「あはは。そいつは街の中でも浮いてます。大体、街の付近に危険な魔獣なんて出ませんしね。折角の知識も殆ど持ち腐れで」

「なんの。持っていて害になるものでもあるまい。しかし、平和な街で田舎暮らしか。俺の師匠筋に当たる人が、去年そう言ってミラジ島に越して行ったよ。君は随分早くその境地に達したようだが」

「別に世を儚んでってわけじゃないですよ。それなりに仕事もさせてもらってますしね」

「ふむ。しかし、老婆心から言わせて貰えば、その腕を錆びさせるのは少々惜しい。鍛錬は欠かさぬことをお勧めするよ」

「そのへんはまあ、一応気をつけています。ただ、本当に平和な場所ですからね。採取依頼で行くような所にも、危険な魔獣はいませんし……いや、今だけは別か」


 そこで、心なし苦い顔をしたヨルに、ラジーブは興味を引かれたようだった。

「と、言うと?」

迦楼羅蝙蝠(かるらかわほり)という魔獣がいるんですが、ご存知ですか」

「ああ。一応、この国にも生息している魔獣だからな。しかしあれは、そこまで危険なものでもなかろう」

 そこで出された名前に、ラジーブは拍子抜けといった顔になった。


「普通はそうです。ただ、この時期だけは別なんですよ。あの魔獣はかなり特殊な繁殖をする生き物なんですけど、それについてはご存知ですか?」

 ヨルの問に、ラジーブは口をへの字にして応じる。

「いや、確かにこの時期は目撃例が増える故、単に繁殖期なのだろうと思っていたのだが、そう単純な話でもないのか」


「はい。あの蝙蝠は年に一度集まると、群れ全体から母体となる強力な個体を一体産み出して、その母体に群れ全体を一度食わせます。その上で母体は自分の体を切り売りするように再び群れを産み出します。生死のサイクルが一つの群れの中で循環してるんですね。ただ問題は、母体に群れを食わせるタイミングで周囲の生物を根こそぎ補食しようとすることなんです」

「なんと」


 流石に、目の色が変わる。

「用は、単純に群れを喰らって同じ量の群れを生むんじゃ先細りしちゃいますから、プラスアルファを求めるんですね。その時に補食される獲物の中には他の魔獣もいたりしますから、それがその年の伽楼羅蝙蝠の群れの強度を左右するんですよ」

「それは…………初耳だな。ふむ。興味深い」


「って言っても、そのうち群れは拡散しちゃいますし、一個体としての伽楼羅蝙蝠の脅威度はご存知の通りです。なので、その母体が生まれるタイミングで巣に近づいたりしなければ、大した問題じゃありません。逆に言うと、そこを見誤ると、ちょっとヤバイです。というか、ヤバかったです」

「成る程、そこは知識だけの知識ではないというわけだ」

「ええ。お恥ずかしながら。死に目を見ました。あれ以来、この時期には巣の近くには近づかないようにしてます」


「よければ教えてもらえるか。その巣というのは、どこにあるんだ?」

「場所は丁度聖国側の国境付近ですね。国の地理院で何という名前になっているかは知りませんが、現地付近では『囁く者の森』と呼ばれています」

「それはまた、何とも曰くのありそうな名前だな」

「あはは。まあ、そうですね。実際は、その迦楼羅……」

「ヨル君?……ああ。誰か走ってくるな」


 突然言葉を止めたヨルに怪訝な顔をしたラジーブだったが、すぐに外の気配に気づき食堂の扉に目を遣った。

 ばたん、と勢いよく扉が開き、武装した海人の男が入ってきた。

 ラジーブの姿を認めると、ほっとしたような表情を見せる。

「隊長。こちらにおいででしたか」

「何があった」

 素早く表情を切り替えた警備隊の隊長に、息切れを起こしながら若い海人が告げた。


「また、街道に魔獣が出現したようです」


 ラジーブの碧い目が見開かれ、ヨルの闇色の目は、尖るように細められた。


 ……。

 …………。

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